第二幕
戸ヶ崎達はδポイントに戻っていた。空へと逃れたあの怪物は、ミサイルを直撃させて撃破したと報告された。その為、帰還命令が出たのだ。
基地では本郷がモニターを見ていた。
「全く新しい個体ね」
本郷がマグカップのコーヒーを口にしてそう述べた。
「新しい、とは?」
戸ヶ崎は思わず聞き返してしまった。
「この人型のプレデターだよ。今までのプレデターは、こんな人間的な姿はとっていなかったんだ。例えば、戸ヶ崎隊員が遭遇したMABIRESや、今回のコードネームGRASERみたいにね」
藤木が解説した。
「ここまで人間に近い姿に変化するなんて、プレデターはどういう進化の経路を辿っているんだろう」
木元が興味津々といった様子だった。
「自分には……」
戸ヶ崎は口に出して、引込めた。
「何? 言ってみてよ」
五藤がせかす。
「でも、こんな事言ったら笑われますから……」
「戸ヶ崎隊員。貴方があの二体と遭遇したのよ。自信を持って発言しなさい」
本郷が促す。
それを聞いた戸ヶ崎は、躊躇しながらも口を開いた。
「自分には、あれが天使に見えました」
「天使?」
「はい、四枚の羽を持つ白銀の天使。神が人間に遣わした戦力です」
戸ヶ崎が断言すると、沈黙が待っていた。戸ヶ崎は眼玉を動かして、隊員達の様子を見る。
と、木元がくすくす笑い出した。
「戸ヶ崎君ね、宗教に入っているの?」
笑われた戸ヶ崎は思わず握り拳を作った。
「あれは天使なんです。人間に代わってプレデターを倒してくれる天使だと思うのです」
「神は僕達を見捨てなかったとか言うのかい?」
藤木も苦笑交じりに意見を述べる。
「戸ヶ崎隊員、あの巨人が天使である事は事実だとしても、あれが人間の味方かどうかは分からないわ。或いは神が人間を裁く為に遣わした存在なのかも」
五藤が淡々と口を開く。
「では、何故彼はプレデターと戦うのです?」
「勢力争いじゃないの?」
五藤はにべも無く言う。
「戸ヶ崎、落ち着け。あの巨人が人間の味方か否かは今では分からない。ただ、奴の死体が見付からないのが不思議だ。で、あれの同種が出たとしてだ、俺は迷う事無く奴を撃つ」
「副隊長……!」
宮本は画面に映る戦う巨人とGRASERの姿を睨んだ。
「プレデターは、存在するだけで大災害だ。奴等の姿はパニックを起こし、交通網を麻痺させ、日常を奪う。確実に処理せねばならない。この白銀の巨人だって同じだ。プレデターと違う存在だったとしても、根本は変わらない。俺達は力を持たない民間人を背負っているんだ。迷う事は許されない」
「そういう事ね。まあ、宗教を信仰するのも悪く無いと思うけれどここで布教するのは止めてね」
木元がからかうように笑うのだった。
「でも、仮にこれが天使で無かったとしても、今までの個体とは種類が違うと思うわね」
本郷が顔の前に手を組む。眼の前のマグカップは空で、口紅の跡が残っている。
「本当に死骸が見付からなかったの、宮本副隊長?」
「ええ、処理班からはそのような報告を受けています。巨人はまるで、最初から存在していなかったみたいに、何も残されていなかったようです」
宮本はそういうと、ノートパソコンをスクリーンに繋いだ。
焼け焦げた山と、白い防護服を着た集団が映っている。
「ご覧のように、処理班が動いておりますが、肉片一つ見付からないんです」
「あれは、幻だったとでも言うのでしょうか?」
藤木がスクリーンに身を乗り出す。
「いや、藤木、そうでも無い。確かにあれは実在していたんだろう。GRASERの肉片はあちらこちらに飛んでいる。何かと戦った衝撃が無いとああはならないだろう」
「やっぱり……」
再び口を開いた戸ヶ崎に、隊員達は一斉に振り返った。
「やっぱりあれは天使だったんですよ。神の使いならば姿を捉えられる事も出来ないかもしれません」
「仮に神の使いであると認めよう。だが、だからと言って味方とは限らないという話もさっきしたな? まあ、この巨人が今までのプレデターとは違うとは分かった。そこはお前の意見を通す」
「そうね、確かに異質な存在ですね」
五藤も頷いた。
「あの巨人は、――ウイングファイターは、本当に人間と敵対するのでしょうか?」
戸ヶ崎は素朴な疑問をぶつけた。
「ウイングファイター?」
「自分が勝手に付けた名前です」
「コードネームとしては不恰好だな」
宮本が切り捨てた。
「じゃあ、こんなのはどうかしら?」
本郷がマグカップ片手に立ち上がった。そのままコーヒーメーカーへと向かう。
「新たな存在として、“NEW”をもじってギリシャ文字のΝっていうのは?」
ブリーフィングルームに感嘆の声が漏れる。
「良いです。さすが隊長です」
藤木が早速データを打ち込む。それがスクリーンに反映される。白銀の巨人に“Ν”の文字が記される。
「この巨人をΝと呼称する。もっとも、先の戦いで死んだ可能性が高いけれどね」
「俺はその方が良かったと思います。どうせ、勝った方が敵に成るのですから」
宮本は戦うΝの姿を、どこか安堵の色を浮かべて見ているのだった。
夜がゆっくりと辺りを支配する。月が煌々と輝き、そこに住まう昼の生物達に眠りの時間が訪れた事を告げる。
戸ヶ崎は、部屋で独り、先程の映像を見ていた。「Ν」と呼称されるようになったその巨人は、GRASERと画面上で激闘を繰り広げていた。そして、彼の攻撃を妨害したのが、まるで自分達メサイアのように戸ヶ崎には思えた。いや、実際そうなのだ。
戸ヶ崎は、隊員服を脱いで、タンクトップ姿になった。暑さだけが残っていた室内だが、眠りに就くべき頃合いである。クーラーのスイッチを入れると、ベッドの上に寝そべった。
戸ヶ崎は努めて瞼を長く閉じるようにした。しかし、時計だけが無言のまま周るのだった。いつまでたっても、戸ヶ崎を闇が包む事は無いかに思えた。
「ウイングファイターは、彼は味方だ。きっとそうだ……」
戸ヶ崎はまるでうなされているようにそう述べた。
やがて夜が彼を包み込むまでには、更に時が必要だった。
「新入隊員、かなり夢見ていますね」
木元が本郷に語りかけた。本郷はブースでロシアンティーを楽しんでいた。そこに、当直にやって来た木元が現れたのだ。
「木元隊員、彼の事を危険だと思うの?」
「危険とは思わないですが、現実を見ていない感じはしますね」
「現実ね……」
本郷はカップを口に近付けた。
「木元隊員は、MABIRESと戦った戸ヶ崎隊員が、ある意味夢のような現実に戸惑っている事が分からないの?」
木元は苦笑した。
「最初は確かに戸惑いましたからね。でも――」
「でも?」
木元はエナジードリンクをカップに注ぐと、更に苦笑いを深めた。
「天使なんてワードは出て来ないですし、それが人類の味方だと思うのは更に突拍子な話ですよ」
本郷が唸った。
「確かにその所は考えてしまうわね」
「そう思われるでしょう?」
「防衛大出身で陸自の精鋭部隊に選出されるくらいだから、もっと現実的な男だと踏んだんだけれどね」
本郷は本音を漏らすと、カップの紅茶を飲み干した。
「じゃあ、私はブリーフィングルームへ向かいます。隊長、お休みなさい」
「お休み。お疲れ様、木元隊員」
本郷は、誰もいなくなったラウンジを見て、自室へと戻るのだった。
「藤木隊員、交代の時間よ」
ブリーフィングルームで警戒態勢を如いている藤木に、木元が近付いて行った。藤木は待ってましたとばかりに、コーヒーを飲むと、席から立ち上がった。
「状況はどうです?」
木元が尋ねる。
「空自のスクランブルが何回か有ったけれど、どれも周辺国との問題みたいだ。プレデター検出と言う知らせは無いね。ま、気を抜かずに起きていてくれよ」
「この前夜勤で転寝してたのは藤木隊員の方では無かったですか?」
藤木はばつが悪そうな顔をした。
「良く覚えているね」
「私、記憶力良いんで」
「ははは、じゃあ退散しないとまた余計な事覚えられちゃうな」
藤木は笑うと、コーヒーの残っているマグカップを持って、自室の方へと帰って行った。
気が付けば、朝になっていた。空は澄み渡っていて、雲の陰は一切無い。太陽はまた灼熱の時間を作りだすだろうが、全ての朝にはその気配は無い。夏に入っていたその日も、いつもと変わらぬ始まりを見せたのだった。
戸ヶ崎は、目覚めの悪さを感じていた。満に眠れた感じでは無かった。巨人の、ウイングファイターの、Νの事がずっと頭から離れなかったのだ。夢を見る余裕すら無かった。
「朝か……」
戸ヶ崎は、重たげに身体を起こし、パワードスーツに身を包んだ。夏場にこの服装は暑い。プロテクターをはめて、ゆっくりと自分のマグカップを持ち、部屋を後にした。
「戸ヶ崎隊員、おはよう」
ブリーフィングルームに入ると、本郷が挨拶を述べた。それを合図に他の隊員も彼の方を振り返った。
「おはようございます」
戸ヶ崎は、コーヒーメーカーに向かった。
「その表情の暗さからして、あまり良い夜を過ごせなかったらしいな」
宮本が腕を組みつつ戸ヶ崎の心を見抜いた。戸ヶ崎は、多少の動揺を覚えながらも、コーヒーをカップに入れて、「大丈夫です」と述べた。
「戸ヶ崎君考え過ぎなのよ。Νの事でしょ? 奴はもう死んだって事で良いじゃないの」
「木元隊員の言う通りね。戸ヶ崎隊員はどうしてΝに拘るの?」
本郷が素朴な疑問を述べた。
「直感です。自分は、彼を信じています」
戸ヶ崎は、言って後悔した。そんな事は何の根拠にならない。ただの勝手な思い込みだ。それは戸ヶ崎にも分かる。もっと説得力を持たせるには、具体的かつ客観的な根拠が必要だ。戸ヶ崎はウイングファイターに特別な思いを寄せる自分の気持ちにも今更ながら疑問を感じていた。何故自分はそんなに彼に固執するのだろうか? 何故彼が味方だと思えるのか? 彼がヒューマノイドだからか? いや、違う。もっと本能的な“何か”が関わって来るのだ。戸ヶ崎もそこは分からなかった。ウイングファイターという言葉が浮かんだその事も、今の彼には説明出来なかった。
そして案の定、メサイアの隊員達の反応は良く無かった。
「戸ヶ崎。それでは説明になっていない」
宮本が真っ先に反論した。だがそれは当然の事だった。戸ヶ崎にも分かっていた。根拠として薄過ぎるのだ。
「それでは駄目ね」
五藤は冷たく言い放った。
「戸ヶ崎君、夜勤明けの私よりも寝惚けているんじゃないの?」
木元はくすくす笑っていた。
「戸ヶ崎、ファンタジー小説の読み過ぎじゃないのか?」
藤木がトドメを刺した。
戸ヶ崎はうなだれるしか無かった。恥かしいとすら感じていた。いい加減な事を言っているように思われた事だろう。それはある意味間違えでは無いが、だが彼がそれを認めて受け入れるかどうかは別問題だった。
議論はそれで終わった。いや、最初から議論なんて物は成立していなかった。戸ヶ崎は、少しばかり現実離れしたファンタジー青年のイメージを自ら刻み込んでしまったと考えた。
「さあ、Νの事は置いておき、定例会を始めましょう」
本郷が、努めて明るく振る舞うのが戸ヶ崎には苦しかった。
朝靄の中を一人の青年が駆けていた。
黒いシャツに黒いチノパンツ、靴下や靴まで真っ黒いその姿は、いささか季節外れに見える。彼は息を荒げて、道路から森の中へと姿を消した。
その時だった。木々を轟音が揺らした。風が強く吹き、辺りを暗い影が覆った。青年は天を見上げた。その上空を、巨大な羽音と共に、真っ青な巨体が通過して行った。
「くそ……」
青年は毒づく。その胸に、光るペンダントが有る。青年は、それを握り締めると、空を見上げるのだった。
δ地帯に緊張が走った。
警報が鳴り響き、メサイアにエマージェンシーを告げる。
「出撃!」
宮本が怒号を鳴らす。
本郷を除く隊員達は、イグニヴォマ片手にハリアーの有るハンガーへ向かった。δ地帯に設けてある大型の発着場から、ハリアーがゆっくりと上空へ浮かぶ。VTOL機の機能は、こういう狭い箇所からの発着に最適という訳だ。
ミサイルポッドを備えた木元機が先頭に、メサイアの機体は順繰りに発進した。
「今度は福井か」
戸ヶ崎の機体のメインパイロットを任された五藤が呟く。
「目撃情報からして、先のGRASERと思われる。今度は確実に仕留めなさい」
本郷の声がヘルメットのインカムに響く。
「了解。目標を完全に潰す」
その宮本の言葉に、メサイアの隊員は皆、頷くのだった。