第二幕
新入隊員はどんどんとお花畑だな。
木元はそう思っていた。戸ヶ崎君ですらとんでもないお花畑の隊員だったが、今度のは別次元でお花畑だった。
本郷隊長が説明してくれたが、金澤隊員は未来が見えるそうだ。
そんな非力を信じろと言われても困る。
メサイアはそんな夢見る組織だったのか。木元は皮肉気に笑った。
「金澤隊員、何か分かるか?」
それは定時誘導だった。一時間に一回程のペースで、藤木が金澤に問うのだった。しかし金澤は中々首を縦に振らない。それは、分からないという意味だった。
「そうか。残念」
藤木はそう言うと、ノートパソコンに何かしら打ち込むのだった。
「金澤隊員、射撃訓練の方は?」
本郷が問う。
「的が見える私に攻撃をさせる意味は無いのではないですか?」
金澤は至極全うな答えを出した。訓練は無意味だ。ただ、それが本当に実戦に活かされるかは分からなかった。
戸ヶ崎は複雑な思いだった。金澤は本来こんな組織にいてはいけない。そう感じていた。彼女は一般人だ。守られるべき存在だ。戦闘員なんかになる必要は無いはずだ。金澤にはそれを考えてここに来たのかを問いたかった。
五藤はその頃、δポイントのメサイア本部屋上に出ていた。片手には缶ジュースが有った。五藤の頭は勝沼の所へ行っていた。
勝沼は何を思って今いるのだろう。彼が選ばれた理由は分からない。きっと彼自身も分かっていない。だがそんな事は問題では無い。彼は戦い続けるであろう。それが悲しい定めだとも知らずに。いや、もしかすると、彼はそれを知っているのだろう。勝沼は全てを承知で、この戦に臨むのだ。
しかし……。
Ξを――長峰深雪を果たして勝沼は倒せるのであろうか。いや、それは考えてはならない事なのかもしれない。長峰を説得出来れば良いのだが。
五藤はその時、自分も甘くなったと感じた。勝沼の事情等跳ね除けて、Ξを潰す作戦を立てるべきだろう。本当にこの国の、この世界の平和を願うならば、それが先決だ。かつての彼女ならば、そうしたろう。
だが実際に彼に――勝沼竜に会ってしまうと、そんな考えは消えてしまった。どうしてだろうかは、彼女にも分からなかった。或いはこれが、人間の持つ"力"なのかもしれない。
「悩み事か?」
突然声を掛けられて、五藤は振り返った。宮本が立っていた。
「副隊長」
宮本は、五藤に近付いた。
「五藤、変わったな」
「そうですか?」
「かつてのお前にはもっと冷たい感じがした。だが今は違う」
「何ですか、それ」
宮本は顎を摩りながら、言葉を探していた。五藤はジュースを一口飲んだ。
「俺はお前のそういう冷たさを買っていた」
「今は違うという意味ですか?」
五藤は苦笑していた。
「違うな。かつての鋭さは今のお前には無い」
「多分ですけれど……」
五藤は少し戸惑いながら話をした。
「戸ヶ崎隊員の影響だと思います」
「戸ヶ崎?」
「戸ヶ崎隊員が、私に、全ての物をまず敵視する方向性を変えさせました。彼は何の疑いも無く、Νを味方だと信じて、Νを攻撃する事を躊躇っていました。ずっと同じ機体に乗っていたから、その熱狂ぶりと言いますか、考え方が伝染したんでしょう」
五藤は至って真面目に分析した。確かに戸ヶ崎に出会わなければ勝沼の事なんかを考慮するような生き方を選ばなかっただろう。ΝもΞも特別視する事無く、プレデターの一種として排除する事にしたに違いない。それに待ったをかけたのが戸ヶ崎なのだ。
「お前もそう考えるか」
「え?」
「戸ヶ崎は良い意味で俺達に風を吹き込んだのかもしれない。だが同時にそれは俺達に脆弱性を押し付けた」
「良く意味が分からないのですが」
「さっき言った通りさ。俺はお前の冷たさを買っていた。メサイアはそういう組織だったはずだ。皆ただ冷たく、機械のようにプレデターを狩る。その相手が、ヒューマノイドタイプであっても怯む事無くな。だが戸ヶ崎がそれを変えた。俺達は人間性を回復した代わりに、大きな弱みを握ってしまった訳だ」
「弱み……」
「俺達は機械に戻るべきかもしれない」
五藤はそれを聞き、思わず耳を疑った。宮本がこの仕事に誇りを持ち、また完遂する事を第一にしている事は常々知っていた。そうだ知っていたはずだった。それ故に出た言葉であろう。
「副隊長は、今のメサイアに不満なのですね?」
「不満では無い、不安だ。人間がどうこう出来る範疇をとっくに超えている。蛋白質で構成されていない"生命体"と呼べるかも分からない物とまで戦わなければならない。プレデターですら常軌を逸した存在だ。そこにΝやΞやらまで現れれば我々の組織は有り方を変えなければならない」
「苦しいですね」
「戸ヶ崎が良い面をもたらしたか、悪い面をもたらしたかは分からない。だが、今度は預言者だと。俺としても色々考えてしまう」
五藤は最後まで話を聞いて、宮本が何を悩んでいるか分かった。だが、同時にそれが自分の悩んでいた事と交わらない事を知った。
そうか、宮本は詳しくは知らないのだ。きっと五藤の方が、勝沼について、または長峰について知っているのだろう。だからこそ、彼が戸惑っている面は彼女の迷いとは離れてしまっているのだ。
「ブリーフィングルームに戻ります」
五藤はそう告げると、缶ジュースを全て飲み終え、リサイクルボックスに入れるのだった。
夕暮れ時になった頃、藤木が金澤に預言について聞いた。
「すみません、私には私のタイミングが有ります。そんな定期的に問われても答えられないです」
金澤はきっぱり言い切った。
戸ヶ崎がそれを聞き、もっともだと思った。そんな演算マシーンのように人間は行かない。数少ない救いはそんな彼女にも休息の時が与えられていた事だった。食事や睡眠まで制限されてはいないようだった。
彼女の為に設けられたメディテーションルームの事も本郷は話した。だがそれを、金澤が使う事は無いように思えた。殆ど監獄のような物だ。そこに身を埋めるのは聊か不快であろう。それは金澤で無くても分かる話だった。
戸ヶ崎が金澤の事を気にしているのはきっと本郷や宮本にも分かる話であろう。見ていれば分かるのだ。それは、好きとか嫌いとかでは無い。彼女の基本的な人権の問題である。
メサイアに入った限り、その権利は守られないであろうが。
そんな中で本郷は、何かしらパソコンに打ち込んでいる。
「藤木隊員、この情報を元にFANKRAの特性を導き出せない?」
本郷が何かしらメールを送ったらしい。
「ちょっと待って下さい」
藤木がパソコンに顔を近付けた。
「FANKRAが陸上で活動するには、或る程度リミットが有ると考えられます。奴が水場の近くばかりを襲撃するのはそれが為でしょう。エネルギー爆弾で乾燥させると、また時限の裂け眼へ逃げて、水分を回復する可能性が有ります」
「だったらどう戦えば?」
「戸ヶ崎、ちょっと待て。プロメテウスカノンで一気に蒸発させれば倒せる相手だと思います。その為に、何とか奴を市街地から離す必要が有ります」
「ジャベリンミサイルがキーとなるわね」
本郷が冷静に述べた。
「ミサイルポッドを全てジャベリンミサイルに変更出来ないのですか?」
「木元隊員、ジャベリンミサイルが規格に有っていない武器である事は承知していないの?」
「すみません、叶わない夢を話しただけです」
木元が本郷に謝罪した。本郷は藤木に問い続ける。
「他の策は?」
「この特徴が正しければ、メーザーによる攻撃が最も効果的ですね」
「今のクロウ小隊のメーザーバルカンでは威力が足りないわね」
「それは否めないです」
市街地で奴を叩くとして、プロメテウスカノンを使用せずに勝つ方法が有るのか。戸ヶ崎も疑問に思っていた。
「マイクロ波地雷はどうですか?」
藤木が述べた。
「あれは……」
マイクロ波地雷とは、目標が触れた瞬間にマイクロ波を放出、蒸発させる恐ろしい兵器だ。戸ヶ崎はそれを陸自の装備として知っていた。元々は、要害を守る最終防衛線で、敵対する組織の侵入を食い止める為の装備だった。しかしその威力は、専守防衛を目指していた自衛隊の有り方から逸脱する物だった。その為、陸自では使用を禁じていた。
「使えるわね」
本郷が呟いた。
「後はあいつが一体どこに現れるかをどう予測するかですね」
「そこは金澤隊員にお願いしましょう。期待しているわよ、金澤隊員」
「了解です」
その時、五藤がブリーフィングルームに入って来た。
「あら、作戦会議ですか?」
「ちょっと調べ物をね。五藤隊員も席に座って。副隊長は?」
「副隊長ならば屋上にいます」
「隊長命令で呼び出しましょう」
「お願いします」
暫くして、宮本が合流した。
「遅くなり申し訳無いです」
「では、各自モニターに注目してくれる?」
本郷がそう述べると、メサイアの隊員達が、戦術ディスプレーを見た。
「マイクロ波地雷を町の要所要所に適格配置する。FANKRAが上に乗れば、電子レンジの中の卵同然になる。プロメテウスカノン程の威力は無いにしても、FANKRA相手ならば充分通用する装備だと考えられるわ」
本郷がレーザーポインターで地雷の様子を指し示す。
「条件は有りますか?」
木元が聞いて来た。
「乾燥に弱い。エネルギーが拡散してしまう」
「雨を降らす作戦はどうでしょうか? FANKRAは湿った所を好みます。よりやって来る可能性が高くなると考えられます」
藤木が提案した。
「人工的に雨を降らすのは難しい事では無い。ただ、奴に得意なフィールドを与える事にもなるぞ」
宮本が述べた。
「百も承知です。賭けのような物です」
「作戦としては、メーザーバルカンで奴を誘導。ジャベリンミサイルで奴を挑発し、そのままマイクロ波地雷で焼き尽くす。クロウ1、クロウ3でオフェンスを担当、クロウ2で雨を降らす。それでどうかしら、副隊長?」
「良いと思います。ただ、一つ気になっている事が」
「何か?」
「マイクロ波地雷を設置する場所をどう特定して行けば良いかです」
本郷はそれを聞かれて、眉をしかめた。
「こればかりは金澤隊員次第ね。今の私達ではどうにもならないわ」
本郷は明らかに悔しがっていた。それは戸ヶ崎にも理解出来た。
「他に質問が有る方は?」
五藤が手を上げた。
「もし、ΝやΞの妨害が入れば?」
「何としてもFANKRAの殲滅を優先します。ΝやΞは邪魔なようでも無視して構わないわ」
戸ヶ崎はそれを聞いて、ΝをΞにぶつける事への抵抗感がまだ有る事に気が付いた。勝沼さんが長峰を倒すなんて、有って良いのだろうか……?
本郷のその発言が響いたのは恐らく戸ヶ崎だけであろう。五藤ですら、何かを感じたか怪しい。戸ヶ崎はそう思っていた。
戸ヶ崎が視線を向ける先、五藤は何事も無いかのように、座っていた。戸ヶ崎はそれに疑問を感じた。もしかすると五藤ならば少しは自分の気持ちを分かってくれるだろうと思っていたのが間違いだったのかもしれない。戸ヶ崎は孤独を感じた。
勝沼は富士吉田の田舎道を足を引き摺って歩いていた。あの化け物を倒すという事を、長峰深雪に邪魔された。深雪ちゃんにはもう優しかった心は残されていないのか。可愛らしかった彼女の部分は全て闇に消えたのか。どちらにせよ、もう深雪ちゃんは敵なのだ。彼女がこの世界を恨む理由は分からない話でも無かった。
「俺が救っていれば……。俺が助けていれば……」
勝沼は後悔の念に襲われた。彼があの時、彼女の事を止められていれば、こんな恐ろしい事態にはならなかったはずだ。そう思うと、彼は己の無力を歎いた。
勝沼は、色々と考えを堂々巡りさせた。深雪ちゃんに過去のような、優しさは無い。それは彼のせいだ。しかし、だからと言って、辛いからと言って、何をしても良いとは限らない。でもそれでも彼女は彼女なのだ。勝沼にとって、掛け替えの無い存在だ。それを倒さないといけない事は苦しかった。
「俺のせいだ……」
勝沼の眼から涙が零れた。勝沼は泣いた。誰も通らないような田舎道で、勝沼は涙を零し続けるのだった。
金澤は、五藤に教わりながら、プレデターの習性を、ノートパソコンから引き出していた。戸ヶ崎がそれをじっと見た。
「ねえねえ」
戸ヶ崎の横に、いつの間にか木元が立っていた。
「何か?」
「戸ヶ崎君ってさ、いっつも五藤隊員の事見ているよね」
「え? そうかな?」
「うん、そうだった」
「同じクロウ3の搭乗者じゃないからでは?」
「私もそう思った。でも違うよ、戸ヶ崎君。戸ヶ崎君は五藤先輩に何かを期待する眼で見ているわ」
「何かを期待?」
戸ヶ崎は思わず身震いした。木元ホムラ、この娘は良く見ている。戸ヶ崎が、五藤に求めている事は、確かに有った。それは認めるしか無い。
「戸ヶ崎君、もしかして、五藤隊員の事好きになったんじゃないの?」
木元がくすくす笑いながら続けた。それを聞き、戸ヶ崎は初めて安堵の溜め息を漏らした。そういう誤解ならば、別にどうでも良かった。
「でも今日の戸ヶ崎君は、金澤隊員の事を見ていたわね」
「はい?」
「金澤隊員に浮気しちゃうのかな?」
木本が意地悪く笑う。
「浮気って、あのねえ」
「ホムラ、もう良いだろう。放っておいてやれ」
またしても藤木が助けに入った。木元は戸ヶ崎に手を振ると、彼のデスクからコーヒーメーカーの方へと向かうのだった。
戸ヶ崎は溜め息を漏らすと、自分のノートパソコンを見た。だが自然と視線は、五藤と金澤の方へ向いてしまった。二人にはそれぞれ違う思いを持っていた。
五藤に対しては、勝沼の事をどうするつもりなのかが分からなくて視線を送っていた。五藤は勝沼と接触している。だがきっと本郷や片桐には報告していないのだろう。そう思うと、彼女も戸ヶ崎と同じようにこの組織に警戒心を持っているのかもしれない。勝沼の事を知れば、血眼になってメサイアは彼を探し出すだろう。だが戸ヶ崎は疑問も感じていた。片桐にはブレインブレイカーの影響で洗いざらい話してしまった。だが、その情報は彼の部下には伝えられていない。何なのだ、この組織は。
金澤への視線は簡単に言えば憐みだった。一民間人の彼女が、その特殊能力を買われてメサイアのような軍事組織に事実上「捕らえられた」現状に、歎きの念を送るのだった。彼女には戦わせてはならないとすら思っていた。きっと彼女は長い間、こうなる事を予知していたのかもしれない。だからきっと何の疑念も無く入って来れたのだ。所が、それが憐れに思えた。金澤は、一体いつからこの事を予知していたのだろうか? ずっとこのような訳の分からない組織に対して、疑念も浮かばせず、受容して来たのだろう。
と、金澤と眼が合った。金澤は、じっと戸ヶ崎を見詰めていた。思わず戸ヶ崎は眼を逸らした。まさか、心を知る力までは彼女には備わっていないはずだった。だが、それには自信が戸ヶ崎に存在していなかった。
その時だった。金澤が突如頭を抱えた。
「どうかした?」
彼女にレクチャーをしていた五藤は少し驚いた様子だった。
「奴です。奴が来ます」
五藤は顔を上げると、その意味を理解した。
「奴が上陸をします。山中湖北端です」
メサイアはそれを聞き、一気に警戒態勢に入った。
「マイクロ波地雷の作戦を開始する」
宮本が命じるのだった。




