第二幕
休暇を頂戴した五藤は、シャツにチノパンでδポイントから外へ出ていた。まずは、家族の墓を掃除する所から始めて行きたかった。メサイアの都合上、中々まとまった休みは貰えない。その為、誰も線香を焚かないようなその墓は荒れ放題だった。
「お父さん、お母さん、知樹、ごめんね、ほったらかしで」
五藤は、墓に纏わり着いた植物を剥ぎ取り、草をむしり、墓石についた鳥の糞なんかを掃除した。そして買って来たビシャコやサカキなんかを墓に備えるのだった。
手を合わせ、念仏を唱え終わった五藤は、続いて墓場を後にして、西湖に向かった。あの惨劇の痕は、人々の記憶からは消えて、局地的地震が起きたと報道されていた。潰れた家々に焼け焦げた町。結局FANKRAに逃げられたメサイアは、もう戦力として当てにならないとすら感じてしまった。
そう頭に浮かべた五藤は頭を振った。そんな考えだから逃げられるのだ。どうすれば逃がさないかを考えねば。
五藤の出身は河口湖だった。本当に湖からすぐの所に住んでいた。山梨県警の巡査部長だった彼女が、メサイアに入った経緯は非情に悲しい物だった。或る日、警察の仲間達とちょっとした大事件の犯人確保を祝って彼女の所属する係りが打ち上げに行った時の事だった。彼女の携帯電話に着信が有った。弟で大学生の知樹からだった。知樹の電話は早口だった。
「姉さん、助けて! 助けて!」
知樹の声の後ろでは、何かが砕ける音がした。同僚達も総出で、五藤の家に向かうと信じられない光景が広がっていた。人間が立っていた。知らない存在だ。その後ろで彼女の家が崩れていた。五藤がそれに向き合うと、その人影は大きな顎を持つクワガタのようなプレデターとなった。それは、嘲笑うように五藤を見ると、家を噛み砕き始めた。
「化け物!」
五藤が発砲する中、同僚達が必死に避難誘導を行う。しかし、ピストルでは歯が立たない。五藤が機動隊の応援要請をしようとしたその時だった。真っ青なレーザーが彼女の眼の前で、そのプレデターの頭部を貫通した。
見ると、大型の銃を構えた群青色のパワードスーツを身にまとった女性が立っていた。
「こちら本郷。門脇隊長、KALUKA殲滅」
短く応じた本郷に、五藤はゆっくり近付いて行った。
「これ、ドッキリですよね?」
五藤は潰れた我が家を指差して本郷に問うた。そこには、パニックになる寸前の人間の最後の現象が確認出来た。本郷がそれに応じた。
「ドッキリなんかでは無いわ、事実よ」
その瞬間から、五藤のメサイアでの活動は始まった。五藤は、プレデターの記憶を失う事が無かった。彼女の心の怨嗟は、プレデター殲滅への大きなモチベーションとなった。
五藤は、それから今まで、青春をプレデターとの戦いに注いでいた。元々警察官を志した時に、人間を守る仕事に就きたいと願っていた五藤だったが、メサイアはその彼女の考えを消化するには充分だった。しかも、彼女の仇がプレデターだ。特に五藤は、人間の恐怖を利用するプレデターを憎んだ。悪魔のような形をした物。敢えて人間を嬲る物。そして、人間の形を模した物。そのどれもが、五藤の憎むべき相手だった。
その後暫くして、門脇隊長が殉死した。本郷がその後を継いだが、それからも何人かの殉職者をメサイアは生み出してしまった。一体どこから調達するのか、メサイアは時折新入隊員を連れて来た。それでも慢性的な隊員不足が続いていたのも事実だった。
五藤はただ、最近のプレデターの強さには驚かされていた。昔は簡単に処理出来たはずだった。それが、ΝやΞが現れると共に、奴等は強さを増していた。それは事実だろう。彼女のみが感じている訳では無いと思う。戸ヶ崎のように、プレデターが強さを増してから、メサイアに入った者には分からないかもしれない。
これ程の苦戦を強いられるようになったのは、MABIRES戦以来か。丁度戸ヶ崎の入隊と被る。そして、戸ヶ崎はΝと出会った。Νをずっと味方だと信じ続けた戸ヶ崎。だが五藤は正直それも怪しんだ。プレデターも訳の分からない奴だったが、Νはもっと分からなかった。あの強大な力を、一人の人間が支配していると考えると、危険な物を感じた。それは勿論、勝沼竜を知った時に変わったが。Νは信頼出来る可能性が有る。勝沼は、その力を、最低限の事であるプレデターの殲滅及びΞの撃退にしか使わない。それは彼女も確認した。だが、今の所の話であるが。
もしも、Ξが殲滅されたら、プレデターが全て倒されたら、そうすれば勝沼はどうするのか? 五藤は、勝沼のデータを持って、図書館の中へ籠った。勝沼の死のニュースが、過去の新聞に記載されていた。だがそれは、本の小さな記事であり、勝沼一家の乗る車が崖下に転落して全員即死だという内容だった。五藤はもしかすると、それはプレデターの仕出かした事であり、事故と言うのは嘘偽りなのではないかと感じた。
その記事をコピーした五藤は、勝沼の情報を更に仕入れるべく、国会図書館へ向かおうと考えていた。しかし、その時だった。
「遥?」
五藤を呼び止める声が有った。五藤はそちらの方を向いた。女の警察官が立っていた。
「石橋か?」
五藤が問うと、そのその女は頷いた。
「やっぱり遥だ」
「石橋暦? 私の事覚えているの?」
「あの事故から遥の姿が見えなくなったって言われてね、心配していたんだよ」
石橋は、五藤の同期だった。配属された課も同じだった。石橋は、厳しい女性だった。職質も攻めるタイプであったし、自動車の駐車禁止なんかもかなり強引に行っていた面も有る。あの時も、事件解決の突破口を開いたのは彼女だった。
「事故?」
「火事になってしまったんだよね、お家。皆死んじゃったって聞いてた」
石橋は少し寂しそうな顔をした。
「辛かったでしょ? でも黙って行っちゃうなんて寂しいな」
五藤は一旦状況を理解するのに時間を要した。そうだ、自分は家族を失って新天地を目指して旅に出た「設定」だった。
「遥ならば、この事故をそのまま野放しにはしないとは思っていたよ。でもさ、私にも協力させて貰いたかった」
「石橋、その必要は無いよ。この事件は自分で蹴りを付ける」
「そう。今は何か分かったの?」
「あんまり詳しくは分からない。でもね、もしかすると私では解決出来ないかもしれない」
「やっぱりあの事故は、単なる火事では無いのね」
「どういう意味?」
五藤が聞くと、石橋は答えた。
「火元が分からないから、放火じゃないかって言われているんだ」
「そうなんだ」
「遥、警察辞めなかった方が情報入ったんじゃないのかなあ。今からでも戻るつもりは無いの?」
五藤は溜め息を漏らした。本音を言えば、プレデターの襲撃で消えてしまった家族だ。警察に戻って色々と手を尽くしても無意味である。それに、プレデターへの復讐という意味では、今の立場の方が良い。色々な人に嘘を吐くが、それでも構わない。そう思っていた。
「遥、どうかした?」
「ううん、石橋、有難う。でもこの問題は私の問題だから」
五藤はそう言うと、石橋を巻くのだった。石橋はそれを見て、首を傾げるのだった。
戸ヶ崎は、デスクでノートパソコン相手に向き合っていた。今日の激務は非常にしんどかった。五藤が担っていたメサイアでの立場は、とても大きな物だったと感じた。五藤の引き継ぎを戸ヶ崎が任されたのだが、レポートや始末書なんかに追われてはっきり言って戸ヶ崎には辛かった。
「頑張ってるじゃん戸ヶ崎君」
木元が茶化して来た。
「今は放っておいてくれ、木元隊員」
戸ヶ崎は相手にしない。
「ホムラ、それくらいにしておけ。戸ヶ崎隊員は重要な役を任されているんだ」
それは藤木からの援護射撃だった。戸ヶ崎は素直に有難いと感じた。
「皆真面目なのね」
木元が拗ねたように言う。
戸ヶ崎は今度のFANKRA戦での被害情報を調べていた。メサイアの存在の都合上、表立った検索は出来ない。あくまでも裏の裏の情報である。報道管制は行われなかった。その必要すら無かった。勝手にプレデターの存在は忘れられていく。それを記憶する者はいなかった。
「一丁上がり」
戸ヶ崎は一つレポートを書き上げた。そしてそれを本郷へ送信した。
大きく伸びをする戸ヶ崎は、コーヒーメーカーへ向かった。コーヒーをマグカップに注ぐと、グラニュー糖を入れ、ミルクを加えた。
「終わったみたいね?」
「木元隊員」
「戸ヶ崎君、作文苦手でしょう」
「まあね」
「パソコン相手に唸っている戸ヶ崎君は見ものだったわ」
木元が意地悪く笑う。戸ヶ崎はそれを躱すのだった。
「ホムラ、止めときなって。戸ヶ崎だって忙しいんだから」
「ちぇ。戸ヶ崎君、五藤隊員とは仲良いのになあ」
戸ヶ崎はそれを聞き、内心ビクッとした。五藤と戸ヶ崎が仲が良いのは、勿論共通の秘密を持っているからだ。ただ、今やそれを片桐に話してしまったから共通の秘密とは言えないかもしれない。ただそこが、戸ヶ崎の不思議に思う点だった。何でその情報がメサイア全てに伝わらないのか。少なくともΝの事、Ξの事は伝わってしまっても仕方が無いのに……。
「報告書はまだ有るんだろ? 戸ヶ崎、行っても良いぞ」
「はい、藤木隊員」
藤木はそう言うと、木元の相手をするのだった。
「何であいつは暇してんだ?」
戸ヶ崎はぼやくのだった。
一方本郷は自分のパソコンに戸ヶ崎からのレポートを受信していた。
「戸ヶ崎隊員、まずはお疲れ様。でも私は厳しいわよ」
本郷はにっこり戸ヶ崎に笑った。戸ヶ崎はそれをアイロニーだと感じていた。
「まあ、まだ報告書が残っていたわよね。プレデターが出現しない以上、後の物も本日中に完成させなさい」
「分かりました」
戸ヶ崎はコーヒーを飲み干すと、再びパソコンに向かった。
FANKRAに関するレポートは他多面性を求められた。メサイアの各部署に、それは配られる予定だったからだ。戸ヶ崎は新しいレポートに取り掛かった。今度は武器開発部に提出する物だ。武器開発部には、何とか出来の良いレポートを出したかった。ただの格闘戦闘機で有ったハリアーをこんな近代兵器で武装させたり、プロメテウスカノンやジャベリンミサイルの開発をした部署。そこさえ何とかしたら、もっと良い武器が手に入るかもしれない。そうすると、勿論プレデターを倒せるという根本の目標をクリアーするだけで無く、彼等メサイア戦闘員の人命がより安全になるという利点も有る。その二つの点から、戸ヶ崎は熱意をより込めて、武器開発部へのレポートを打ち込みだした。
そこに、本郷からのメールが届いた。戸ヶ崎が開くと、早速手直しの内容だった。本郷の速読には驚かされた。戸ヶ崎は頭を掻き毟ると、次のレポートを一旦終わらせる事を目標にした。本郷からの直しはまた後に回すのだ。
一方本郷は、ノートパソコンを持つと一度ブリーフィングルームを後にする事にした。理由は簡単だ。本郷には片桐からの指令が下されたのだ。彼が今、彼女を呼び出す理由としては、金澤みのりの事以外有り得ないだろう。実際そうだった。
「お呼び立てしてすみません」
本郷は基地屋上にいた片桐に並んだ。
「金澤隊員候補についての話とは?」
「彼女に最後の訓練をさせます。貴方は眼に入れておいた方が良いのではと思いましてね」
「どういう意味でしょうか?」
「彼女の戦い方は、貴方もご存知の通りです。その為、通常の訓練は彼女には行いません。彼女の次なる訓練、それは、相手の次なる接近を予測して頂く事にしました」
「しかしですが……」
「何か問題でも?」
本郷は少し間を置いて、答えた。
「彼女の力は、彼女自身が危険に陥らないと発揮されないという事も分かっています。そんな簡単な事、出来るのでしょか?」
片桐は不敵に笑った。
「本郷隊長はお優しいのですね」
「え?」
「こういう事に決まりました。金澤隊員候補は、もしも予測に失敗すれば、メサイア直結の病院入院させます。無論、一生そこからは出られません」
本郷は背筋に冷たい物を感じた。そうだ、この男はそういう男だった。
「それは彼女の危機になりえますね」
本郷は作って冷静に話した。
「良い案で有ると思いますよね、本郷隊長? 彼女のするべき事は、次なる予測を当てる事です。それが出来次第、メサイアの隊員として独り立ちをさせます。貴方の部下になるのですよ」
「彼女の能力が有れば百人力と行くのでしょうか?」
「それは貴方次第ですよ、隊長」
片桐は笑うと、本郷をエレベーターへと誘導させた。
「来て頂けますね?」
片桐は元々笑い顔なのか、常に余裕が有るように見える。
「断わる事は出来ないのでしょうし」
本郷は片桐に続いた。
エレベーターは一気に下へと降りて行った。
「地下に彼女専用のメディテーションルームを設ける事も考えて有ります。まあ、それを使うかどうかは貴方が決めて下さい」
地下十階で本郷と片桐を乗せたエレベーターは止まった。白衣のマスク姿の研究員達が、座っている金澤を囲っていた。
「金澤隊員候補はこのように、こちらで預言をして頂いております。今度こそ、FANKRAに逃げられない為にも」
本郷は渋い顔をした。金澤がこんな眼に遭っているのは、FANKRAを取り逃がした事も要因なのだ。それは確実に、本郷達の責任だった。
「本郷隊長、貴方にはここの使用権が有ります。金澤隊員候補の様子を全て貴方が監視する事を私から貴方へ託しましょう」
「少し展開としては早くないですか?」
「私は貴方にこの状況を慣れて頂きたいのです」
「慣れる?」
「ええ、プレデターやΝやΞという常識離れした存在に我々は接して来ました。しかしそれは人間の姿からかけ離れた物と殆ど認識出来ます」
「殆ど?」
本郷はそれを聞き逃さなかった。片桐が一瞬、不愉快そうに眉を上げた。
「口が滑りましたね、私のミスです」
「片桐司令、何かご存知なのですね? もしかすると、ΝやΞの事ですか?」
本郷が少しきつめに問う。
「答える義務は無いです。しかし、こうとだけは言いましょう。知りたいならば、戸ヶ崎隊員を問うべきです」
「矢張り、戸ヶ崎隊員ですか。彼が何かを握っているのですね」
「何ならば、本郷隊長もブレインブレイカーを使用なさいますか? 真実は掴めますよ」
悪びれる様子も無く、歌うように述べる片桐に本郷は冷たさを感じた。そして改めて、メサイアという存在の恐ろしさを知るのだった。
「では、私は失礼致します。お時間を取らせて申し訳有りませんでした」
片桐は、そう述べると、エレベーターの方へ向かうのだった。
パワードスーツこそ着ていないものの、黒のタンクトップ姿の金澤に、本郷は近寄った。金澤は座椅子に座りながら頭にコードを繋がれていた。その姿は、本郷としてもあまり見ていて気持ちの良い物では無かった。
「隊長」
本郷に気が付いた金澤が口を開けた。
「預言はまだ出ません。申し訳無いです」
「いや、良い。FANKRAの攻撃案を考える時間も欲しかったから」
「ですがそれでは、私がこうしてここにいる意味が有りません」
金澤の視点はあくまでも未来だった。
「それで良いのか?」
「え?」
「いや、愚問であった。隊に早く参加してくれたら嬉しい」
「私も早く、皆さんのお役に立ちたいです」
金澤はそう言うと、にっこり笑った。本郷は胸が痛む思いを感じた。私は、司令のようにはなれないな。本郷は胸に異物が閊えた思いで、金澤の様子を見るのだった。




