第二幕
真っ白い部屋にベッドが一つ。金澤はそこに腰かけていた。彼女の表情には余裕が見えた。
と、純白に輝く壁が扉のように開いた。黒いスーツを着た片桐が立っていた。
「今回は、ご同行感謝致します」
片桐の向こうには、黒服が何人か控えていた。
「片桐紹一さんですね?」
片桐が話をする前に、金澤が先手を打った。
「さすがですね。私の事も予知されたのですか?」
「はい。貴方に捕らわれる事は分かっていました」
金澤はそう言うと立ち上がった。そして臆する事無く、片桐の方へ寄った。
「では、メサイアの事も分かるのですか?」
「貴方方の特殊部隊の事ですね」
片桐は思わず拍手をした。黒服達の表情も硬い。
「お見事。では説明する手間が省けます。どう致します? 我々に協力なさるか。それとも違う道を選びますか?」
金澤は幾らか不満気な表情を浮かべた。
「組織の事を知ってしまった以上、私に残された選択肢は略無いではないですか。決まっていますよ」
「有難うございます」
片桐は眼鏡を擦り上げると、背後の黒服達に目配せをした。
「では来て貰う」
黒服の一人が彼女を誘導し始めた。
「どう感じます?」
金澤が部屋から立ち去った後、黒服の一人が片桐に問うた。片桐は、それを聞き、含み笑いを浮かべた。
「面白くは無いですね」
「それは言えています」
「貴方の考えるような不快感では無いと思いますよ、榊原さん」
「と、言いますと?」
片桐は、純白の部屋のベッドを摩りながら述べた。
「彼女のような人物が、まだ沢山いるのでしょうか? その可能性を失ってしまって良いとは思えません」
「サイキッカーの研究施設の有るイギリスの組織、"レギナ"の部署です。メサイアでは研究は出来ないと思います」
「戸ヶ崎隊員の証言から、勝沼竜、長峰深雪という二人の謂わば"エスパー"を認識しています。ΝやΞは超能力者みたいな物でしょう。だから、今更驚く事では無いと思いますが、だとしても、我々の把握していない部分で、人間を超越した存在がいるのは不愉快です」
片桐は眼鏡を外し、レンズに息を吐きかけるのだった。
金澤は訓練期間に入った。イグニヴォマの扱いやパワードスーツの装着脱着、それに加えてハリアーの操縦訓練も行わなければならない。一民間人の金澤は、きっと苦戦するだろうと考えられた。だが、金澤は案外そつ無くこなした。基本的な肉体改造には確かに手こずっている様子を見せたが、射撃訓練は、ほぼパーフェクトだった。何故こうなったかは、片桐にも分からなかった。
本郷は、戸ヶ崎の出したレポートを読んでいた。ブリーフィングルームの中で、本郷はその文章を黙読するのだった。FANKRA殲滅についてのレポートだった。
「隊長、少し休憩されては?」
五藤が、ティーカップを二つ用意して、本郷のデスクの前に立っていた。
「紅茶か、有難う」
「アールグレイが入りましたから、是非飲んでみて下さい。砂糖は?」
「入れなくて良いよ」
本郷は紅茶をゆっくりすすった。香りがふんわりと彼女の鼻腔を通過する。
「ねえ、五藤隊員。貴方ならばどうする?」
本郷が突然尋ねて来たので五藤は困惑の表情を浮かべた。
「プレデターを殲滅するのが私達の役目。人の命を守る為ね。でも、ΝやΞに人間が絡んでいるみたいなのは分かるわよね?」
「ええ、まあ……」
五藤は少し茶を濁した。
「人間を私達は殺そうとしているのかもしれない。平和の為には、それも致し方無いと判断するのが正しいのだろうか?」
五藤は渋い顔をしながら紅茶を飲む本郷の顔色を窺うのだった。そして、自分の紅茶にクリームを入れた。
「ΝやΞになるのを留めれば良いのではないですか?」
五藤はほんの少しの間を作って答えた。
「え?」
「彼等が人間のままでいさせれば良いと思うのです」
「その為には?」
「それは……」
「五藤隊員にも分からないか。まあ自分で考えてみるわ」
本郷はそう述べ、再度レポートを手に取った。戸ヶ崎のレポートは、入隊当初に比べて格段に上達している。だがその分、誤魔化しが多くなったように感じた。戸ヶ崎のレポートから、段々にΝの事が扱われなかった点が特にそうだ。本郷は片桐に、Νに関する情報開示の陳情書を提出した。ΝやΞの情報を何か片桐が握っているのは確かだ。だがその情報は最低限の物しか、本郷に伝えられなかった。本郷は中間管理職故の苦しみに悩まされている自分を笑うしか無かった。結局、戸ヶ崎を呼び出す事も出来ないまま、片桐の答えを待つばかりだった。
「五藤隊員、もうすぐ非番ですよね?」
「え?」
五藤と本郷の緊張を察したのか、木元が入って来た。
「休みか。確かにもうすぐだね」
木元が擦り寄って来た。
「五藤隊員、確かご家族はもう……」
「ええ、皆プレデターに食われたわ」
「じゃあ、一体何をなされるのですか? ベッドで眠るのですか?」
「木元隊員、何か狙いが有るのね?」
五藤の切れ長の眼が、更に細くなる。
「ホムラはお土産を期待しているんでしょ?」
藤木がノートパソコンから眼を背けずに茶々を入れた。
「お土産?」
木元は、顔をしかめた。そして、その藤木の言葉が嘘では無い事を認めるのだった。
「ほら、私、死亡組ですから……」
「大した所は行かないわ。墓参りくらいね」
「そうですか……」
「因みに、何が欲しいの?」
五藤が木元のデスクに近寄る。木元は少し頬を赤らめた。
「空自のマスコットキャラのフィギュアが欲しいのですが……」
五藤は、溜息を漏らした。そうだ、木元は自分が空自のエリートパイロットだったと言うだけ有って、空自のグッズには煩い。δ地帯の特性上通販は頼めない。特に、木元は死んだ人間と扱われるだけ有って、そこは融通が利かないのだった。
「分かったわ。買えたら買って来るね」
五藤は苦笑するのだった。
戸ヶ崎はその彼女の様子を見て、五藤が嘘を吐いたのが分かった。休みの間、五藤がしたいのは墓参りだけでは無い。絶対勝沼と長峰について調べるだろう。そう考えたのは、戸ヶ崎の思い込みの激しさからだろか?
「戸ヶ崎隊員、報告書完読したわ」
本郷が紅茶を飲み切るなり述べた。
「有難うございます」
戸ヶ崎は反射的に答えた。
「FANKRAに対してエネルギー爆弾が効果的だったのは助かったわね。案外まだ戦える装備だったという訳か」
「戸ヶ崎隊員のジャベリンミサイルの助けも有ってですね」
五藤が応じた。
「戸ヶ崎君、お見事だよ」
木元が戸ヶ崎を賞賛するのだった。
戸ヶ崎が就寝時間に就いたのは、そのすぐ後だった。部屋に入るなり、彼はメールを開くのだった。たわいも無い戸ヶ崎と郷野の会話文が、ずらーっと並んでいた。日中メールが返せないのは検査が重なっているからだと嘘を吐いた。見舞いに行きたいという彼女の申し出も、嫌々ながら断っていた。ただそうは言っても、嬉しい気持ちが勝っていた。彼女の真心が伝わっただけでも意味は有った。
メサイアが法外の組織で有るのは今に分かった事では無い。交友関係にも障害となる事も、別に今更な話で有った。郷野との再会は、本当に奇跡のような物だったのだ。
そして、彼女の事を思い浮かべると共に戸ヶ崎は彼の家族を思い出していた。防衛大に入る前ですら、あんな拒絶のされ方はしなかった。寧ろ、比較的歓迎された方だと言える。世の為人の為に身を犠牲にしている事は、彼の両親には誇りとすらされていた。
だが、この何日かでそれが都合の良い解釈だったと知らされた。戸ヶ崎は、一応両親に文を宛てた。メサイアの事は無論記せないが、病院を移る事は伝えたつもりだった。だが、返事はたった一言であった。「私達は何も関係有りません」という短い一文だった。戸ヶ崎は、ショックを受ける事も既に無かった。予測の範疇だった。もう自分にはメサイアのδ地帯以外に家は無いという気分だった。
郷野はそんな嫌なムードを良い意味で壊してくれた。郷野からのメールは、仕事の話が多かった。グリーフサポート下諏訪で、法話を何回かこなし出したらしい。郷野の職場は超派の宗教団体が絡んでいて、あらゆる宗教の事も勉強しないといけないらしい。更に厄介なのは、宗派だそうだ。郷野自身は無宗教を自称している。ただ、幼い頃に洗礼を受けたとの話が有ったが、離婚した彼女の父親の拘りだったからか、あまり家族では話題にならないらしい。郷野の事は、小学校の頃に知り合った時とは比較にならない程情報が入っている。だが、戸ヶ崎は彼女に何の情報も与えていない。そこの不平等性が、戸ヶ崎は狡いと感じていた。とは言え仕方が無い事なのだが。
郷野はただ、馬鹿では無い。病気の事を調べている感じがする。隔離が必要な病と言えば、かなり限定されて行く。そこを郷野が調べ出したら終わりだ。病気で無いと言えば良かったのだろうか? いや、だとしても言い訳の仕方によっては更に性質が悪くなる可能性も有る。世間から離れるという事では、犯罪者扱いとかであろうか? 刑務所を出て、娑婆に久し振りに帰って来たとなれば、都合の良い理由付けが出来る。メサイアの判断基準は分からない。
ただ、木元や本郷のように、死人扱いされないのは幸いなのかそうで無いのかも、戸ヶ崎には判断出来なかった。
そして、戸ヶ崎の心境で最も大きな変化が有ったのは、プレデターやΝの事に一々驚かなくなった事である。ハリアーMK9の操縦も、ガンナーとしての扱いも、イグニヴォマを使っての実戦も、戸ヶ崎は段々慣れて行っていた。それが戸ヶ崎の成長と捉えるか、或いはもっと恐ろしい物と考えるかは、それぞれ別れるだろう。戸ヶ崎はそれを、自分の適応能力の高さかと考えたが、実際は自分が段々とメサイアの忠実な犬になって行った事実であると考える事にした。無論、それを批判的に受け止めているのだ。自分はこんな組織に所属している、で良いのであろうか?
戸ヶ崎がこういう事実を受け止めてしまったのは、きっと彼が陸自の出身だったからかもしれない。上官の命令に従う事は、美徳なのだ。逆らえば、懲罰会議行きだと脅されて来たからだろう。実際にそういう事は無いとされているが。
戸ヶ崎は、携帯電話を閉じると、ベッドに寝転がんだ。この天井も見慣れて来たなと思うと、落書きがされた部屋で眼を閉じるのだった。
闇に飲まれた西湖の水辺。今日は雲が厚く、月の光も届かない。風は殆ど無く、湖の水面は静かに揺れている。その闇の中で、何かが光った。それに気が付いた人間は誰一人としていなかったろう。しかし、動物達は敏感だった。犬は西湖の方を向き吠え、鳥は湖から離れて行き、魚ですらその光を見るや否や背中を向けて去って行くのだった。
光はゆっくりと点滅を続けている。それは心臓の鼓動を思わせる物だった。そのまま光は水中の奥の更なる闇の中へと潜って行った。その晩、異変と言える異変はたったそれだけしか起こらなかった。無論、気が付いた人は誰もいなかった。
金澤は、重たいイグニヴォマを使っての夜の訓練に出ていた。夜の間に匍匐前進や簡単なステップを覚え込ませようという片桐の考えだった。金澤が即戦力にならない事は、片桐も重々承知していた。だからこそ、彼女を厳しく攻めなければならない。厳しく鍛えなければならない。
非常に幸いな事は、金澤が実に物分かりが良い事だった。物分かりが良いと言うよりも、自分のしなくてはならな問題を予め知っているのであろう、それに対応するのだ。そこは矢張り本物のエスパーの為す業であろう。
月も見えない深夜。δ地帯の元公園で、金澤はイグニヴォマをバルカンモードにして、現れる的を正確に狙撃していった。金澤は予知能力の力も有ってか的を外す事は無い。寧ろ、的が現れるより先に、予めその方向に銃口を向けて、射撃のトリガーを引くのだった。
「簡単過ぎますかね?」
少し離れた廃ビルで、片桐が本郷に問うた。
「彼女の力が本物ならば、こんな訓練は無意味でしょうね」
本郷がドライフルーツを飲み込んで答えた。
「私見ながら、彼女の力は本物だと思いますよ」
「司令がそう仰るならば、そうなのでしょう。ただでしたら……」
「何か?」
「このような訓練よりも、基礎的な体力作りに目的を変えるのは如何ですか?」
「成る程、それも一理有りますね」
片桐は眼鏡を押しやると、ドライフルーツを袋から出して咀嚼し出した。プルーンであった。
「分かりました。明日から単独の行軍訓練に切り替えます」
「それと、ハリアーMK9ですよね。クロウ1に乗せる事になるのですか?」
「木元隊員ならば戦闘機に関しては一人で何でもこなせて来ました。その補助をお願いするかもしれないです。ただ、木元隊員は嫌がるかもしれないですね。あまりハリアーには乗せないように考えましょうか」
「お願いします」
「本郷隊長は良い眼をしていますよ。それは自信を持って下さい」
本郷はドライフルーツを飲み込むと、少し疲れた表情を見せた。
「どうかなさいましたか?」
片桐が逆に余裕たっぷりに心配をする。
「いえ……。司令にお聞きしたい事が有りまして」
「聞きたい事ですか?」
「司令、メサイアはΝとΞの事を、どこまで掴んでいるのですか?」
本郷はいきなり本題を切り出した。片桐の眼鏡の奥が、僅かに揺れた。
「本郷隊長、どういう意味ですか?」
本郷は片桐の前へと身体を運んだ。
「とぼけても無駄です。戸ヶ崎隊員にブレインブレイカーを使用されましたよね? それで何か情報が引き出せたはずです。それを、私も知りたいのです。どうか、教えて頂きたいです」
身体をグッと寄せる本郷を、片桐は避けた。
「それは貴方が戸ヶ崎隊員自身からお聞きなさい。それに、私が話さないと言う事は、それなりの理由が有るとも考えて下さると、こちらとしても幸いなのですがね」
本郷はそれを聞き、納得出来ないと首を振った。
「ΝとΞの事を聞き出されたのですよね? 教えて下さい。部下が危険に曝されます。或いは、私が死ぬ事も考えられます。どうか、情報を」
片桐は、本郷に背中を向けた。
「私が必要だと思えば、情報は発信して行きます。それに、本郷隊長、私から聞き出すよりも自分から知って行く方が達成感や満足感が増すのではないですか?」
「それはそうですが……」
「さあ、下らない話はお終いにしましょう。私達には、金澤みのりの訓練という大事な任務が有るのですから」
本郷は悔し気に拳を作った。
その時だった。金澤のいる公園で激しい銃声がなった。バルカンの物では無い。これはレーザーライフルの物だ。
「何が有ったのですか?」
通信機に片桐が話し掛ける。本郷が見ている先で、青白いレーザーが、宙を撃ち抜いている。
「こちら片桐、金澤隊員候補、どうされましたか?」
片桐はあくまでも冷静だった。本郷も通信機に耳を近付ける。
「来ます! 黒い影が、人々を襲いに来るんです!」
それを聞いた本郷は、まさかと思った。
「一体何がやって来ると言うのですか?」
片桐が問う。
「黒い影と巨人です。彼等は餌を探すつもりです。邪悪な波動が私の体内に入って来ます!」
「場所は分かるか?」
「山梨県鳴沢村です! 今まさに動き出そうとしています! 早く止めないと――!」
「金澤隊員候補、落ち着け。我々で処理をする」
本郷は、片桐に向き直った。
「では、メサイアは出撃致します」
「よろしく頼みますよ、本郷隊長」
本郷は、敬礼をすると、一気にそこから駆け去ったのだった。




