第二幕
戸ヶ崎にとって、その光景は地獄だった。岐阜羽島は、それから完全に鎮火するまで三日掛かった。彼は現場調査という名目でそこを訪れていた。DANGARUZOA、Ν、Ξ。新聞には何故かどれも名前が出て来ない。今度の出来事は、新幹線の送電線からの火事だと伝えられている。あれだけの目撃者がいながら、何故だ?
その答えを知っていたのは木元だった。彼女も視察という形で同行していた。
「プレデターの事は、普通の人間には記憶されないの」
「え? どういう意味?」
「多分人間の本能の部分なのよ。あまりの恐怖に忘れたいと思う心が勝るの」
「それでこんなしょうもない理由をくっ付ける訳?」
「そういう事。だからプレデターの事を聞いてもパニックになるだけなの。人間の脳って防御力高いでしょ?」
「ちょっと待ってくれ。自分は覚えているが?」
「ごく稀に記憶から消えない人がいるんですって。それが集められたのがメサイアよ」
戸ヶ崎はその事実に心を突き刺された。プレデターの事は、誰の記憶にも残らない。だから対策を練れない。その為にわざわざδ地帯なんて作ってまでメサイアは防御しようとしているのだ。国ですら、動かないのだろう。
そうすると、メサイアはたった一つの防衛線だと戸ヶ崎は思った。ただ、もう一つの可能性を残して。
Νだ。勝沼さんならば、きっと協力してくれる。だが……。
最後の一撃。全ての希望を賭けたプロメテウスカノンが防がれたのは勝沼の手による物だった。
もしかしたら、勝沼が自分自身のけじめとして、長峰深雪を倒そうとしているのか?
いや、違うと戸ヶ崎は思った。きっと勝沼は、長峰が傷付くのを避けたかったのだろう。自分が戦えば、長峰を殺す事にはならないのだという算段だろう。戸ヶ崎はそう考えると、勝沼にまだ迷いが有るのを感じたのだった。
「勝沼さんと長峰は一体どういう間柄なのか?」
戸ヶ崎は限られた情報しか知らない。そこから勝沼の迷いを見出す事は不可能に近かった。勝沼さんと話がしたい。それを願って、戸ヶ崎は焼け跡を歩いた。
勝沼は同じく焼け跡にいた。彼の眼の前で、長峰深雪は街を破壊した。どんな理由が有っても、それは許される事では無い。だが……。
殆ど無意識だった。戸ヶ崎達が一撃を加えられただろう場面で、勝沼は庇ってしまった。あの一撃が決まれば、きっと被害は少なく済んだかもしれない。歩いている間、その事しか考えていなかった。
岐阜羽島の駅に辿り着いた勝沼。そこで彼はメサイアの車が停まっているのを目撃した。戦わない方が良かったのか? メサイアに全て任せてもう戦場に現れない方が良いのか? 情が有る分、深雪ちゃんに戦いを挑めない。
ただ、勝沼は一つの感情の変化を思っていた。あの戦いの最後、勝沼は確実に怒りを持っていた。辛いから、苦しいから、だから何をしても良いのは間違っている。その時の心の有り方は、今までのΞに対する態度とは異なっていた。勝沼は、ペンダントを黒いシャツから引っ張り出した。そこには勝沼の戦いの力の源が備わっている。それをグッと握り締めた勝沼。エメラルドグリーンの光が僅かに鼓動する。
彼は或る覚悟を決めるのだった。
δ地帯に戻った戸ヶ崎と木元。
「状況は?」
宮本が木元に問う。
「あまり良いとは言えないです。町は略機能しませんね。一般公開されている情報はどうなっています?」
「国鉄が賠償金を払うかで大揉めよ」
五藤が答えた。戸ヶ崎はそれを聞き、渋い顔をした。
「Ξの痕跡は?」
藤木が戸ヶ崎に聞く。
「分からないです」
戸ヶ崎は嘘を吐いた。Ξと長峰深雪の関係をまだ誰にも話していない。
「本郷隊長が戻られるまでに報告の内容を整理しておけ」
宮本が命じる。戸ヶ崎は頷くのだった。
「戸ヶ崎隊員」
五藤が呼び掛けた。手招きをしている。
「少し外へ出よう。話が有る」
戸ヶ崎は一瞬躊躇したが、五藤に従った。
δポイントは寂しげだった。木々が生い茂り、セミの声が鳴り響く。炎天下のδポイントに有る小川沿いに戸ヶ崎と五藤が座り込んだ。
「戸ヶ崎隊員、Ξの正体、長峰深雪について調べたの」
「え?」
戸ヶ崎は驚いた。その発言がどういう意味を持つか戸ヶ崎も分かっていた。
「どういう内容ですか?」
「矢張り死亡者リストに入っていたわ。もう亡くなって数年経っている。彼女と勝沼は親戚だった事は知っているわよね」
「はい、ですが親戚ってどれくらい近いのですか?」
「母方の従姉妹ね。でも高校の頃に死んでいる」
「事故か何かですか?」
五藤は首を振る。
「自殺よ」
少し強い風が戸ヶ崎と五藤の間を駆け抜ける。
「そうだ、その通りだ」
男の声がして、戸ヶ崎と五藤は身構えた。目の前には、勝沼が立っていた。
「深雪ちゃんは死んだはずだった。彼女は苛めを受けていた。そしてそれを苦にして死んだ」
「δ地帯に入り込むなんて、良い度胸しているわね」
五藤がレーザーピストルを構えた。
「何故私達の邪魔をしたの? 情が有ったから? それとも貴方もあいつの仲間なの?」
「五藤隊員、落ち着いて下さい」
戸ヶ崎が五藤をなだめる。勝沼はフッと笑みを零した。
「情が有ったんだ。深雪ちゃんは、俺の眼の前で死んだ」
「どういう意味?」
五藤が眉間に皺を寄せて銃のトリガーに指を掛ける。
「深雪ちゃんは、俺とのやり取りをした後に、ビルから身を投げたんだ。俺が彼女を止められなかったばかりに、殺してしまったんだ」
勝沼の顔から笑みは消えていた。戸ヶ崎は、そのままゆっくりと五藤の横に並んだ。
「その長峰がΞになった理由は?」
勝沼は首を振った。
「多分、俺への恨みだ……」
「そんな身勝手な喧嘩で、街一つ燃えたのよ!? 貴方、分かっているの!?」
五藤のトリガーに掛かった指が僅かに動く。
「だから頼みが有る。深雪ちゃんは俺に任せて欲しい」
「そんな物が信用出来ないから私達が戦うんじゃないの!」
「そこは、俺が頼み込むしか無い」
「第一勝沼、貴方で長峰に勝てるの? とても期待出来ないのが本音なんだけれど」
五藤は容赦無かった。それは五藤が今度の件で勝沼に怒りを覚えている事を戸ヶ崎に感じさせた。戸ヶ崎は寧ろ、勝沼の人間臭さに驚くのだった。
「倒す、倒してみせるさ。だがその分、怪物共は任せて良いか?」
「貴方が破れそうならば、メサイアは長峰を殺すわよ」
「分かった」
戸ヶ崎は悟った。五藤の言葉で、勝沼は背水の陣に立たされたのだ。自分の手で葬ってやるのが彼の最大の拘りだったのだろう。しかしきっと自信が無いのだ。
「勝沼さん。長峰は貴方に倒せないと思います」
「戸ヶ崎、どういう事だ?」
「彼女の心理を思えば、勝沼さんは絶対に手加減します。それは知っているからこそ起こる事です。メサイアに、長峰を任せてくれないですか?」
「止しなさい、戸ヶ崎隊員」
意外な所から待ったが掛かった。五藤だった。
「勝沼にやらせましょう」
「しかし、それは心理的苦痛が大き過ぎます!」
「誰だって、自分の手で蹴りを付けたい事が有るわ。長峰深雪は、少なくとも私達は攻撃しない。でも貴方が倒れれば、話は別だけれどね」
勝沼は、フッと頬を吊り上げた。
「有難う」
そう述べると、エメラルドグリーンの光の粒子となって、戸ヶ崎と五藤の眼の前で、勝沼は消え去った。
「報告は?」
「倒壊家屋三百五十二、死傷者二千七百六人、現在も約二千世帯が停電、断水。しかし、プレデターの記憶を持つ民間人はゼロです」
戸ヶ崎はブリーフィングルームに戻っていた。そこで、木元が事務的に報告した。本郷はまじまじとその様子を見る。横に並んでいた戸ヶ崎と眼が合って、本郷の眼に光が宿った。
「よろしい。戸ヶ崎隊員、後で片桐司令がお会いしたいそうだ」
「自分にですか?」
「きっと尋問よ。覚悟しなさい」
「またですか?」
「ΝやΞの情報を、貴方が洗い浚い全て私達に話してくれたら、尋問は終わると思うけれど?」
「それは……」
「戸ヶ崎隊員、貴方は誰がΝと関係しているか知っているのね?」
本郷の反応は、誰が見ても戸ヶ崎を責める物だった。
「自分は……」
「戸ヶ崎隊員、隠せない隠し事なんか止めなさい。そんな事をする相手ではメサイアは無いわ」
「へー、戸ヶ崎君って嘘が吐けないんだねー」
木元がまじまじと顔を見る。戸ヶ崎の額に脂汗が浮かぶ。
「まあ、どうなるかは片桐司令が判断される。覚悟だけはしなさい」
本郷はそう言うと、戸ヶ崎から眼を戻した。
「戸ヶ崎伸司隊員ですね?」
あの真っ暗な部屋に通された戸ヶ崎。矢張り向かって中央には片桐がライトに照らされて浮かび上がっている。そして、前回と同じように黒服の男達がずらりと左右に広がっている。手錠もはめられたままだ。ただ違うのは今回は椅子に座らされているという点だ。
「はい、戸ヶ崎です」
戸ヶ崎は、キッと視線を片桐に向けた。
「今回は、出し惜しみをしません。ブレインブレイカーを用意して下さい」
その言葉と共に、戸ヶ崎の左右から白衣の女が現れた。戸ヶ崎が思わずそれを見て立ち上がろうとする。しかしそれは、手錠に走った電流で阻止された。女は、戸ヶ崎の首筋に注射器を打ち込んだ。戸ヶ崎がそれを拒絶する前に、注射器のピストンは一気に押された。
それから一分も経たない内に、戸ヶ崎は意識が朦朧とするのを感じた。何もかもが、夢のような気分。世界はぐにゃりと曲がって見え、片桐の顔もはっきりしない。ただ、声だけは聞こえた。
「では戸ヶ崎隊員、これより尋問を行います。Νについて、幾つか質問させて頂く所です」
その言葉は、まるで耳元で囁かれているような近い距離感が有った。戸ヶ崎は、ぼーっとしたまま、勝手に口が開くのが分かった。止めるつもりも止めないつもりも一切無い。そんな意識は関係無かった。動き出すと止まらない、それが正しかった。
「はい」
「まずΝ、以前貴方はΝが人間と関係性を持っていると話されました。それは具体的にはどういう事ですか?」
「はい。Νは或る人間が変身した姿です」
部屋中がどよめいた。黒服達が一斉に何かを喋っている。戸ヶ崎にはそれが全く響いて来なかった。
「静粛に。戸ヶ崎隊員、どこまでご存知なのですか?」
「どこまで……?」
「そうです。Νは人間が変身したと仰いましたね? それは或る特定の人物なのですか?」
「はい。私の知る限り一人です」
「その者の名は?」
「勝沼竜と言う男です」
「勝沼? どういった人物ですか?」
「自分でも良く分からないです。ただ、彼は悪い人間では無いと考えています」
「その根拠は?」
「彼はその巨大な力を持ちながら、決してそれを邪魔にもなっただろうメサイアに向けなかったからです」
再びどよめく尋問室。
「根拠はそれだけですか?」
片桐は、周りで騒ぐ黒服達を無視して質問を続けた。
「会ってみれば分かります。きっと片桐司令も信頼出来ると考えます」
「会えば分かると? 成る程、それも一理有りますね。その勝沼竜なる人物を今データバンクで照会中ですが、そのような名前の者は何人かいます。一体どれが勝沼なのか、お教え下さい」
そう片桐が述べると、片桐の背後にプロジェクターか写真が映し出された。戸ヶ崎は、トロンとした眼でそれを追いかける。だが、すぐに首を振った。
「この中にはいません」
「いない?」
再び黒服達が沈黙する。視線は全て、戸ヶ崎に向けられている。
「偽名を使っている可能性が有るという事ですかね? この中には現在のこの国の国民全てが、例えホームレスであってもデータ化されているはずです。そこにいないと言うのは、おかしな話ですね。恐らくは戸ヶ崎隊員の言う勝沼は偽物なのでは?」
戸ヶ崎は首を振った。
「違います。彼のデータはちゃんと残っています」
「残っている? 馬鹿な事を、海外で生活をしている方々のデータまで私達は把握しているのですよ? ならば現れるはずですよね?」
戸ヶ崎は虚ろな眼で片桐の後ろの「勝沼竜」達を見た。
「戸ヶ崎隊員、貴方は騙されていたのでは?」
「いいえ、確かに勝沼竜です。長峰深雪も彼をそう呼んでいましたから」
「長峰? 話を逸らさないで下さい。では勝沼竜はどこに存在していたのです?」
「死亡者リストです」
「え?」
「死亡者リストの中に、勝沼竜は入っていました」
黒服達の声が変わった。戸ヶ崎を非難し出している。片桐は、ノートパソコンに向き合い、何かを入力した。プロジェクターの映像が、大量の文字列に変換される。
「ここ十年に亡くなられた勝沼竜の写真をピックアップ致します」
片桐は述べ、戸ヶ崎にスナップショットを見せた。次々と現れる顔。その中の一枚に、戸ヶ崎の眼が反応したのを片桐は見逃さなかった。
「この男ですね?」
プロジェクターでアップに映された写真には、あの勝沼竜がいた。
「はい、そうです」
「今年の六月に、交通事故で亡くなったとされています。間違いは有りませんね?」
「彼が双子でも無い限り、間違いは無いです」
この戸ヶ崎の発言に、黒服達がまた騒ぎ出した。中には言い争う姿も有った。だが戸ヶ崎の頭は、その言葉の一つ一つが全く突き刺さって来なかった。
「静粛に。話がしたいならば、退室されなさい。戸ヶ崎伸司隊員、もしもこれが事実ならば、Νは死んだ人間から変身しているのですね?」
「はい。ただ自分には、勝沼さんが本当に死んでいるのかが疑問です。彼は普通に会話も出来ますし、怪我をすれば血を流します。生命活動としては、それを認めても良いのではないですか?」
片桐は一旦、背もたれに深く座り直した。戸ヶ崎はそれを見て、自分の吐いた言葉の意味をきっと片桐は理解していないと踏んだ。注射の痕が、痛み出した。
「よろしい、では皆さん、ここで一度質問の時間に致しましょう。何か戸ヶ崎隊員に伺いたい事が有ればどうぞ遠慮無く」
すると一人の黒服が前に一歩出た。そこに照明が当てられる。
「戸ヶ崎伸司隊員。今度の尋問で新たな情報を得れたのは幸いだ。そこで聞きたい。勝沼竜は一度死んでしまった身であると述べたな? ではその勝沼を殺す事は出来ないと言うのか? 彼は死を超越した人間――いや、一種の特殊生命体なのだから、我々の手で殺す事は不可能だと判断して良いのであろうか?」
戸ヶ崎はそれを聞き、頭の中に手を突っ込まれているような錯覚に襲われた。試されているような気がした。だが、抵抗する力は残されていない。
「自分の勝手な解釈ですが、勝沼さんを殺す事は、全く不可能では無いと思います。首を刎ねれば生命活動は終わるでしょうしね。彼は生きています。どこに住んでいるとか、どうやって暮らしているとかは、全く分かりませんが。ただ一つ、彼はΝの力を持っています。人間の知識や常識の及ばない存在になっているのです。だから、勝沼さんを殺す事は、Νを倒せるだけの装備が無いと難しいでしょう。人間の姿をしている彼が、どれ程の防御力を持っているかも分かりませんが、恐らく常人には到底考えられないようなパワーを彼は持っています。自分の眼の前で、勝沼さんは光の粒子となって姿を消した事も有ります。もう人間では無いのかもしれないです」
質問をした黒服が一歩下がった。再びライトが消え、片桐の顔だけが白く写しだされていた。




