第三幕
森の中を、勝沼はよろめいていた。全身に汗をかき、身体のあちらこちらに傷も見えた。朦朧とする意識の中で、彼は一本の巨大な杉の木にもたれ掛かると、しゃがみ込むのだった。肩で息をして、胸元のペンダントを取り出す。エメラルドグリーンのそのひし形の飾りに、光は宿っていなかった。勝沼は自分が思うよりも、得た力の方がダメージを受けている事実を確認した。
蝉の声が騒がしかった。耳に直接突き刺すようなその鳴き声は、勝沼に心の安らぎを与えなかった。眼を閉じた勝沼だったが、その耳に聞こえるのは、沢山の人の悲鳴だった。そして、その中で一際大きい悲鳴が聞こえた。彼が守りたかった者の声だった。
勝沼は眼を開けた。気が付けば斜陽が木々の間から見えた。ヒグラシの鳴く声が聞こえた。数々の蝉の中で、唯一心を慰めてくれる声だった。勝沼は膝に力が入らない事を知った。ズボンをめくって見ると、深い傷が右足に有った。TAIKAROHとの戦いの傷であろう。勝沼は再度、ペンダントを掲げた。夕陽に反射して、緑色の光が輝いていた。だがそれは、ペンダントが持つ内なる光では無かった。
勝沼が空を仰ぐと、その上空を一機のハリアーが通過した。あれが邪魔なのだ。戸ヶ崎伸司にはきっと迷いが有るはずだ。だが他の隊員を説得する力は今の戸ヶ崎には無い。それは重々承知だった。悲しい話では有るが、人と人とは分かり合えないのかもしれない。だから、勝沼は孤独を選ぶのだった。もう同じ悲劇は繰り返したくない。自分は戦う使命を持たされた。それは罪滅ぼしなのか、単なる罰なのかは分からない。であるが、ただ眼の前に力が有るというだけで、今の勝沼には満足だった。
ただ、今は休息の時だ。勝沼は眼を閉じて、杉の木に身体を預けるのだった。
クロウ3は、依然として青梅市上空をパトロールしていた。戸ヶ崎は機体下部から山の様子を伺った。攻撃力有るエネルギー爆弾をマックスまで溜めて置き、TAIKAROHの進路を塞ぐ作戦には、クロウ3しか参加出来ない。クロウ2は修復中であるし、主戦力のクロウ1は全く応答が無い。本郷にも問いてみたが反応は薄かった。
「メサイアは一筋縄ではいかない」
五藤が漏らしたその言葉は戸ヶ崎に向けられた物とは少し異なっていた。だが戸ヶ崎にすればその文面を受けるしか無い。
「自分達が最後の砦ですか」
戸ヶ崎が漏らした。その言葉には、不快な物が混じっていた。TAIKAROHという強大な敵を前に、何故にメサイアが渋るのか。それは戸ヶ崎も五藤も知らない物だった。
「タイカローは今、何とか活動を休止していますが……」
「TAIKAROHの動きを把握出来ているだけでマシな方かもしれない」
五藤はどこ吹く風だ。
「マシ? そんなレベルなのですか?」
戸ヶ崎の声には明らかに不快な色が見えた。
「戸ヶ崎隊員、今の私達の装備で奴を倒せない以上、これ以上に何を望む?」
「何って?」
「幸い完全に見失った訳では無い。まだ奴の動きが分かるだけでも良い。周囲の民間人の保護が最大の課題だ」
「奴は倒せない、それで良いのですか?」
「良い悪いでは無い。事実だ」
五藤はフッと溜め息を漏らす。
「戸ヶ崎隊員、私だって奴を倒したい。TAIKAROHに好き放題されたく無い。その為に全力を出したい。だが、今の私達の装備はどうだ? 振動ミサイル、エネルギー爆弾、メーザーバルカン。まともなダメージを一体どれが与えられただろうか?」
戸ヶ崎は黙り込んでしまった。結局、ほぼ全ての兵器が奴には通じないのだ。
「だが、策が無い訳では無い。今度は振動ミサイルを奴の眼に集中させる」
「眼ですか?」
「奴の露出している粘膜を狙えば、或いは……」
戸ヶ崎は先程の戦いを思い出した。メーザーバルカンですら、奴の眼にはダメージを与えられていた――ように見えた。だがTAIKAROHの進撃はそれで止まった例は無い。奴は例え眼を潰されても、己の食欲に従順だった。
「本郷隊長に連絡は出来ないのですか? 何故クロウ1を下げたのかをお聞きしたいのですが」
五藤はゆっくりと首を振った。
「私も試した。しかし隊長は今司令室にいらっしゃらない。連絡も通じない」
「仮にも隊長ですよ? 一体どういう意識をしているのですか?」
戸ヶ崎の言葉は本音だった。少なくとも彼が所属していた自衛隊ではそんな酷い事は起こらないはずだった。メサイアは無茶苦茶な組織だ。そもそもδポイント、或いはδ地区が怪しい。わざわざ原子力の事故で無理矢理立ち入り禁止の区間を設けてそこを拠点にする。しかもその事故は形だけの物で実際は何も起きていない。加えて、秘密を知った人間は、言う事を聞かねば精神病院行きである。それはあんまりである。敵対生物に対しても、秘密主義過ぎる。奴等が一体どうして発生したのかも分からないままである。人類が持つ兵器では倒せない生命体。いや、生命体なのかも分からない。奴等は生きていると言えるのだろうか? 蛋白質で出来ている事は確からしいが、それ以上の情報は無い。あの驚異的な生命力と攻撃力、防御力。もう地球上の生命体の常識からかけ離れ過ぎている。かけ離れていると言えばΝもそうである。あれは一体何なのか。勝沼竜と言う男がキーらしいが。
戸ヶ崎の焦燥感は次々と新たな疑問符を彼の頭に巻き起こした。彼は未だ、常識から外れない存在なのだろう。陸自にいた事が更にその事を強めているのかもしれない。災害救助なんかは、常識の範疇を越えた一種のイベントのように考えられがちだがそれは嘘だ。究極の常識を持ち合わせないと、とてもそんな任務に向かえない。どこまでも純粋に、常識人で有る事が求められる。山中の行軍訓練も然りだ。一見非常識と格闘しているかに見えるが、脱落していくのはむしろ非常識な奴等ばかりだ。常識的で、ぶっ飛んでいない奴が生き残るのだ。
しかしメサイアは違った。メサイアは、人権すら奪う組織だ。彼等にとって、戸ヶ崎の存在は異質だ。勿論、彼はそれを今になって自覚した訳では無い。最初からおかしかった。MABIRESに会った時よりも、Νに出会った時よりも、むしろ今だ。今現在が彼にとって信じられない事だらけだ。それ等を包括して、この組織は狂っていた。
「五藤隊員」
戸ヶ崎は思わず彼女の名前を口走った。
「どうした、戸ヶ崎隊員?」
「五藤隊員は良いのですか?」
「何がだ?」
戸ヶ崎は、次の一言に困った。
「つまりですね、こうして人権侵害もされて、で未知の生命体と戦うこの日々が、五藤隊員にとってメリットになるのですか?」
五藤は、クロウ3を旋回させると、ふうーと溜め息を漏らした。
「戸ヶ崎隊員、そんな利害主義でどうにかしようと考えているの?」
「いえ、そんなつもりでは……」
戸ヶ崎は言葉に詰まった。それは五藤が戸ヶ崎の発言の内部に有る真意を汲み取らなかったからだ。彼の頭の中の百を、戸ヶ崎の口に出す物としては五十以下くらいに薄めてしまっていた。
それは戸ヶ崎が悪いのかもしれない。そうは言っても、戸ヶ崎の精一杯がこれだった。
「プレデターを倒す事に正義が有れば私は構わない」
「何でそんなに集中出来るのですか?」
「私は元々警官だったから、人間の命を奪う物は何であっても許せなかった。まだ巡査部長だった頃は、私は人間の敵は人間だと思っていた。奴に出会うまでは」
「奴?」
「プレデターよ。家族が全滅したわ。それから民間人から何人もの犠牲者も出した。その時にね、私は感じたの。今の私の力では、罪も無い一般の民間人は救えないって」
「だからって、こんな限定された存在にならなくたって良かったではないですか」
「私の家族もいたのよ それで理由になるでしょ」
戸ヶ崎は口を閉じた。五藤の顔を見る事は出来ないが、きっと苦しい物だったろう。
「戸ヶ崎隊員は、陸自の出身でしょ?」
「はい」
「陸自ではどんな訓練をしたり、どういう事態を想定して毎日を過ごしているかは分からないけれど、むしろ警察の方が、死に近いの。戦争や災害なんかが有ると、陸自は死に触れなければならないだろうけれど、警官はもっと毎日、規模は小さいながら事件や事故に遭遇するわ。その時に、自分達の力ではどうにも出来ないくらい巨大な存在に出会えば、己の無力を歎くだけよ」
「それで、メサイアに……?」
「ええ、人々を救えるならば――もうこれ以上誰かの死を見たく無いならば、メサイアだろうと違おうと関係無いわ」
「ですが、メサイアは戦力をTAIKAROHに割いていないのですよ」
「本郷隊長にも連絡出来ない、何か動きが有ったのかもしれないわね」
「動きですか?」
「メサイアは人道的組織では無い。或いは核ミサイルの使用も検討するかもしれない」
戸ヶ崎はそれを聞き、思わず声を荒げた。
「そんな……!? 本国に更に核の汚染を広げるつもりですか!?」
「一例よ。でも、本気にして。プレデターを野放しにするよりも、核の一撃で葬れればそれに越した事は無いわ」
戸ヶ崎は握り拳を作った。パワードスーツの中に脂汗が湧いて来るのが分かった。
「でも、それを防ぐ為に私達が本気でやらないといけない。目の前の敵は確実に叩きましょう」
戸ヶ崎は改めて操縦桿を握り締めた。
その時だった、レーダーに急上昇する、プレデターTAIKAROHの姿が検出された。
「戸ヶ崎隊員!」
「来た」
土煙を上げて、TAIKAROHがトカゲのような四足を見せた。
「前方に周って攻撃を開始する。全ミサイルを奴の頭部に集中させろ!」
「了解です」
クロウ3はゆっくりとTAIKAROHの前へと躍り出た。
「振動ミサイル、ファイア!」
戸ヶ崎の攻撃で、眼の前のTAIKAROHが炎に包まれた。爆炎がTAIKAROHの顔面を覆う。
「やったか?」
その時、煙の中から青白い稲妻が走った。
五藤がアクロバティックターンを見せてそれを避ける。
「矢張り駄目か」
五藤の呟く声が聞こえる。
「まだです!」
戸ヶ崎は第二の振動ミサイル発射装置を手にしていた。
「もう一度奴の前へ」
五藤、はTAIKAROHの顔面が見える位置にホバリングした。
その時、再度青白い稲妻が、クロウ3に襲い掛かった。
五藤が何とか避けようとしたその時、眼の前にエメラルドグリーンの光が現れた。Νだった。
「Ν?!」
「また、助けに来てくれた……」
戸ヶ崎はΝの左脇から、振動ミサイルを放った。TAIKAROHの顔に全て突き刺さった。爆発するミサイル。Νはその爆炎の中に突入すると、TAIKAROHを蹴り飛ばした。山の稜線を越えるTAIKAROH。Νがその後を追う。
「追うぞ、戸ヶ崎隊員」
「はい!」
クロウ3は、ΝとTAIKAROHのくんずほぐれつの格闘戦を見て、メーザーバルカンを放った。爆発は、TAIKAROHにのみならずΝにも降りかかった。だが二体は気にする様子も見せず、殴る、蹴る、タックルを仕掛けると完全に自分達の世界に入り込んでいた。
「お待たせしました」
その時、木元の声が聞こえた。クロウ1が帰って来たのだ。
良く見ると、機体上部に見たことの無い砲塔が備え付けられていた。
TAIKAROHとΝは、気が付かず戦いを続けていた。TAIKAROHの電撃に、Νはシールドを張って耐えていた。
「木元ホムラ、目標を殲滅してみせます」
ΝがTAIKAROHの頭を抱え込んで、顔面を地面に何度も叩きつけている。そこを、木元機がロックした。
「プロメテウスカノン、ファイア!」
木元の声と共に、クロウ1の機体上部の砲塔から深紅のレーザー光線が放たれた。Νが間一髪の所で回避したが、TAIKAROHは直撃を受けて、背中を焼き尽くされた。
“GWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!”
TAIKAROHは悲鳴と共に、のたうち回る。それを見たΝは、両手を広げてプラズマエネルギー光球“クァンタムバースト”を作り上げると、TAIKAROHに向かって放った。大爆発が起きて、TAIKAROHは木端微塵に吹き飛ばされた。
Νは素早くエメラルドグリーンの光の粒子となって消えてしまった。
「木元隊員、見事」
五藤が通信を入れた。
「どうですか? プロメテウスカノンの威力は」
木元機は散らばったTAIKAROHの肉片の上を円を描くように飛び回った。
「凄い……凄い威力です」
戸ヶ崎もこれには舌を巻いた。
「これが、本郷隊長がクロウ1を下げた理由か」
朝日が昇る中、戸ヶ崎達は一瞬の平和に酔いしれるのだった。




