(6)
翌朝いつものように家を出た私は、外の様子に驚いた。〝霧の夢〟の中にいるように辺り一面真っ白だった。霧が音を吸い込んでいるのか空気が質量を増しているのか、静かさがまとわりついてくるように感じる。私はしばらくその場に立ち尽くしていたが、なんの気配も感じられなかった。そんなところまで〝霧の夢〟と同じだった。
微かに誰かが走ってくる足音が聞こえた。霧を透かして見ていると、押し出されるように見知った顔が現れた。
「おはよう、花生里。ひどい霧ね。まるっきり前が見えなくて、危ないったらないわ」
舞子は少し怒っているようだった。
「どうしたの?」
「そこの角で、直進してきた自転車とぶつかりそうになったのよ。こっちが歩いてたから避けられたけど、こんな視界が悪い時にスピード出すなんて非常識だわ。ぶつかったら交通事故よ、交通事故。自転車と歩行者じゃ、歩行者が弱者なのよ。わかってるのかしら」
「それは朝から災難ね」
私達は歩きながら話していたが、舞子の非常識な自転車に対して怒りはなかなか治まらなかった。
「非難するのは良いけど、注意してないと今度はこっちが非難される側になるよ」
霧はどんどん深くなっていく。家を出た時は1メートルくらい先が見えたのに、今は伸ばした自分の手さえ見えないくらい濃くなっている。何だか本当に夢の中に入り込んだみたいだ。
そんな事を考えていたら、舞子の姿を見失った。さっきまで聞こえていた声も聞こえない。
「舞子、どこ?」
慌てて呼び掛けたけれど、返事がない。霧の中に独り、取り残されてしまったような気がした。
「舞子!」
何度か呼ぶと、微かに声が聞こえたような気がした。急いでそちらの方へ行こうと体の向きを変えた私の目の前を、物凄いスピードで何かが通り過ぎた。何だったんだろう、今のは。〝光の球〟みたいに見えたけど、まさかあんなものが現実にあるはず無い。高速に動いていたからそんなふうに思っただけだ。そう考えて足を踏み出そうとした丁度その時、今度は見間違いでも何でもなくバレーボール大の光の塊が通り過ぎて行った。風圧に私の前髪が揺れた。
〝霧の夢〟? いつから? 家を出た時から?
訳がわからず呆然と立っていると、目の前をまた〝光の球〟が通り過ぎた。みんな同じ方向から飛んで来て、同じ方向へ飛び去っていく。飛んで来た本へ行くべきか、飛んで行った先へ行くべきか――少し躊躇った後、私は飛び去った方へ駆け出した。
『後悔先に立たず』という諺とは少し違うけれど、私はすぐにこっちを選んだことを悔やんだ。
〝霧の夢〟の〝光の球〟がどんなものか、嫌というほど体験したはずなのに……!
頭の後ろに目がない私は、高速で飛んでくる〝光の球〟の接近に気が付かない。ぶつかられて衝撃を受けて、初めて気が付く。そして衝撃から立ち直って進みだすと、次が来る――この繰り返しで、何度も倒れ込む羽目になった。
それでも悪戦苦闘の末、ようやく一際明るい場所が見えてきた。私はほっ安堵の息をつきかけて、とんでもない光景を目にしてその場に凍りついた。あまりの衝撃に足の力が抜け、気が付くとその場に座り込んでいた。
〝光の珠〟が、大きくなってる……!
次から次へ集まってくる〝光の珠〟は、お互いにくっつき合ってどんどん大きくなっている。どこにこんなにあったのかと思うほど、〝光の珠〟私の横を風を切って擦り抜けて行く。
あっという間に〝光の珠〟は私の身長をはるかに超え、見上げても一番上が見えないくらい大きくなっていった。なのにまだ小さな〝光の球〟は、吸い込まれるように集まって来ている。
どのくらい見上げていただろう、私は我に返った。
いくら大きさと衝撃度合いに関係がないとは言っても、こんな大きなものにぶつかられる事を想像すると震えが来る。できるだけ離れておこうと、私はそろそろと後退った。
ところが 私が動き出すと同時に、巨大な〝光の球〟も引っ張られるようにゆっくりと動き出した。
私が立ち止まると〝光の球〟も止まるし、後退ると動く。一定の距離を保っている。最初に〝光の球〟と不毛な鬼ごっこをした時の逆バージョンだ。これじゃあ逃げる事ができない。
「うそ……」
急に恐怖心が湧き出した。逃げたいのに、逃げられない――〝闇〟に取りこまれそうになった時の恐怖心に似ている。あの時と違うのは、阻止してくれるモノがいない、という事。私はパニックになった。
〝光の球〟を横目で見ながらあたりを見回し、じりじりと体をずらしながらどこへ逃げようか必死に考えた。
ところが、そんな私の動きを見通しているかのように、ゆらゆらと揺れたいた〝光の球〟がいきなり私目がけて迫ってきた!
また、あの衝撃が来る! ――私は目をぎゅっとつむり、体を硬直させた。
しかし、いつまでも衝撃は来ない。恐る恐る目を開けると、白い白い光が目に飛び込んできた。
目が見えなくなったのかと思った。でもそれは、間違いだった。
私の目は見える。ただ、見える範囲すべてが白い光なのだ。私は〝光の珠〟に取り込まれてしまった事に気がついた。
光は眩しくなかった。それどころか、泣きたくなるほど優しくて、暖かくて、懐かしくて……。どこかでこれと同じ想いをしたことがある気がした。
ふと気配を感じてその方へ顔を向けて、私はびっくりして立ち上がった。
「舞子……!」
どうしてここに舞子が……?
夢だから何があっても不思議じゃない、とは思わなかった。うまく説明できないけれど、これはただの夢ではない、と直感した。
ようやく終わりが見えてきました、万歳!!




