(5)
自分の体験を文章にするというと一番すんなりと思いつくのは『いじめ』について、だった。うん、今でもマスコミなんかでよく取り上げられてるし、問題にもなってるし、良いんじゃない? そんなふうに軽い気持ちで考えて書き始めた。
頭の中にあるシーンを文字にする――一から作り上げるのではなく、実体験した事をそのまま書くのだから簡単だと思った。ところがすぐに、意気込みと行動が=で結ばれるとは限らないと思い知らされた。
なにしろ、私のボキャブラリーが少ないせいで、頭の中のシ-ンを言葉で表せないし、過去の出来事もかなり曖昧になってきていて正確に思い出せない。例えば、いじめの内容は覚えているものの、その前後はハッキリ覚えていない。書いたものを読み返すといじめの種類を列挙するだけで、とてもじゃないが読みものとは呼べないお粗末なものになってしまった。しかも自分の思い出したくも無い事を無理やり思い出しているので、気持ちがどんどん鬱になってくる。
「~~~ダメだぁ~」
とうとう私は匙を投げた。こんなことを続けていても精神衛生に良くない!
「やっぱ、才能ない人間は、ダメだよね」
そんな言い訳をしながら、いつの間にか私の記憶は途切れていた。
◆◆◆
気がつくと、一面の〝霧〟の中に私はぼんやりと立っていた。
いつもの〝霧の夢〟だ。周りを見回す。動くモノの存在を感じられない。〝光の球〟は? できる限り耳を澄まし、気配を探るが、まったく感じられない。最初の頃の〝霧の夢〟みたいに、私以外が存在していないようだ。
どうなっているのだろう? 油断させておいて、いきなり目の前に現れるとか?
私はどんな事が起こっても、全身の筋肉をすぐに動かして対応できるように身構えた――
◆◆◆
耳鳴りがする。甲高い電子音で、聞いたことのあるメロディだ。目覚まし時計のアラームに似ている。
私は手を伸ばし――何か固いものが指に当たった。目を閉じたままそれを触った。何だかツルっとしてて、細長くて薄いものだ。厚みは1㎝くらい? 隣りにあるよく似た感触のものは、それより太くて2㎝くらいある。
ショボショボする目を無理矢理開けてみると、私は自分の部屋にいて、机の上に突っ伏して前に立てかけてある教科書の背表紙を撫ぜていた。どうやらあのまま眠ってしまったらしい。頬の辺りが痛いので触ってみると、細長い溝がついている。シャーペンの跡らしかった。耳鳴りの正体は、やっぱり目覚まし時計だった。
私は目を擦りながら、眠っている脳を無理矢理働かせた。
〝霧の夢〟を見た。また〝光の球〟が出てくるかと、夢の中で身構えていた。目が覚めたら、机に突っ伏して寝ていた。という事は、……何も起こらなかった?
どうなっているんだろう?
寝起きの頭で必死に考えるけれど、何にもわからない。いくら夢が私の願望を表していると言われても、〝霧の夢〟については理解不能な事ばかりだ。
首を傾げながらベッドの側まで行き、鳴り続けている目覚まし時計を止めた。
「舞子に相談してみよう」
私は朝からこれ以上考える事を放棄した。
朝、舞子に会うなり昨夜の夢の事を話した。舞子は少し怪訝な顔をした。
「それのどこが変なの? 花生里の〝霧の夢〟は少し変わってるけど、夢なんてそんなものでしょ」
「だから、普通の夢みたいだからおかしいの。あれは意思があるって言ったのは舞子でしょ?」
私は少し苛立っていた。舞子の反応がいつもと違う。〝霧の夢〟に関しては、私より舞子の方が熱心なくらいだったのに、今日の舞子はまるきり興味を示さない。
「私が言ったのは、『夢は潜在意識の表れ』であって、夢の中で『花生里が感じたのならその通りじゃないか』って事よ。意思があるなんて言ってない」
「でも……」
「とにかく、変わってたって夢は夢よ。それ以上でもそれ以下でもないんだから、あんまり考えすぎない事よ」
舞子はそう言って強引に話を打ち切った。そんな舞子の様子も今までと何か違うような気がして、私は釈然としないものを感じた。
〝霧の夢〟は普通の夢と違うと、私は思っている。何度も繰り返し見ることもその一つだ。それに舞子は否定したが、夢自体に私のものではない意思があるように思う。それが現実と夢を明確に線引きしているように思うのだ。例えば、私には夢の中だという認識がちゃんとあったり、起きてからも夢の内容をしっかり覚えているが現実と混同した事は無い。いつ寝たのか、いつ目が覚めたのか曖昧な状況になった事はないのだ。
なのに昨夜は気がついたら夢の中で、起きている今も頭のどこかが眠っているように現実味が薄い。目覚まし時計のアラームのような耳鳴りも続いている。自分の立ち位置がすごく不安定な感じがする。こんなことは今まで一度も無かった。
どうなっているんだろう? 〝霧の夢〟は私に何を伝えたいのだろう?
授業もそっちのけでずっと考えた。どうやって一日過ごしたのか、まるで記憶になかった。周りの事は目に入っていなかった。
そして――
◆◆◆
〝霧の夢〟の中にいた。
いつ眠ったのか記憶になかったが、辺り一面白っぽい霧の中に私は座り込んでいた。座っている足元は、いつものように地面や床の感覚は無い。空中に浮いている状態だ。今までそれを不安に思った事は無いのだが、今回はなぜだか恐怖心が湧いて来て立ち上がる事ができない。
私は座り込んだまま、辺りを見回した。
何か、自分以外のものがいないか探した。
「誰か、誰かいませんか」
呼びかける自分の声が震えている。それがさらに恐怖心を煽る。
「誰か返事してよ……!」
私の声が霧の中に吸い込まれていった……。
◆◆◆
私は跳ね起きた。いつの間にベッドに入ったのか覚えていないけれど、私は自分の部屋のベッドの上に上半身を起こしていた。心臓の音が聞こえそうなほど、脈打っているのがわかる。
昨日学校へ行ってからの記憶がない。授業中も、〝霧の夢〟の事を考えていた記憶はあるけれど、それ以降の記憶がない。
すっぽり抜け落ちた記憶は、自分の存在を証明できないようで怖い。
しかもたった今見た〝霧の夢”、今までのものとは明らかに違っていた。見ている最中は気がつかなかったけれど、今こうしているとその大きな違いがわかる。
〝霧の夢〟は何も出てこなくても、安心感を与えてくれるものだ。それは何か大きなものに包み込まれているような、ずっと見守られているような感じがするからだ。
それが今見た夢には一切無かった。冷たい金属の檻の中に入っているような感じだったのだ。
〝霧の夢〟が変質した? 何故?
背筋を何か冷たいモノが這い上がってくるような嫌な予感に、私はベッドの上で体を丸めた。
情けない事に、話がどこへ向かっているのかわからなくなりつつあります。なんとか決まっているエンディングへ持っていけるよう、ガンバリマス。




