(1)
前に投稿したよく似たタイトルとは、まったく繋がりの無い別の作品です。ただ自分の中では、夢に関連がある事と色のついた獏が出てくるので勝手に『色つき獏シリーズ』と呼んでおります。
私はよく夢を見る。大抵は目が覚めると同時に忘れてしまうか、思わず苦笑してしまうようなものだが、たったひとつ、繰り返し見る不思議な夢がある。
◆◆◆
どこだかわからない所に私は、いる。上下左右どこを見ても、何も見えない。とは言っても、暗闇ではない。柔らかな光を含んだかのような白い霧のようなものが、私の周りにある。しかも、自分はその中に浮いているとしか表現できない。なぜなら、足の下には踏みしめるものが何もないから……。
その中を私は歩いている。体の向いている方向へ――そう、前進しているのだ。しかもどこへ向かっているのかわからないはずなのに、とても気分が高揚して、鼻歌が出てこないのが不思議な程うきうきと歩いている。
一切の生物の気配のない空間、暑くもなく、寒くもなく、不安もなく、ただひたすら心地よい、そんな所を歩いている――。
◆◆◆
ただそれだけの夢なのに、何度も何度も繰り返し見る。
しかも、この夢を見た後というか翌朝は、目が覚めるととても疲れている。ずっと眠っていたはずなのに、徹夜でマラソンでもしていたように足に力が入らない。おまけに、腕は重くて上がらないし、頭はぼんやりしているし……。疲労困憊しているような感じがする。
昨夜もこの夢を見た。だから今日は、朝からこの体は使い物にならない。
「おっはよ、花生里!」
ぬぼーと歩いていた私の背を勢いよく打つ声と手の感触があった。うっそりと振り返ると、爽やかな朝そのものの顔をした長い髪の美少女が立っていた。私の幼なじみで唯一親友と呼べる人物。
「ああ、舞子か……。おはよ」
ぼそぼそとあいさつを返す。
「なあに、朝からぼんやりして。……さては、また〝霧の夢〟見たのね?」
私は何も言わず、こっくりとうなずいた。
「しょうがないわね。で、今日は〝霧〟だけ?」
軽くため息をつき、私と並んで歩きながら舞子は訊ねてきた。それに対して私は首を横に振った。返事する気力はもちろん、正直なところ瞼を開けているのも苦労するほどなのだ。
そんな私をちらりと見て、
「〝光の珠〟が出たのか……」
私の代わりにため息をついて、舞子が言った。
〝光の珠〟――これは〝霧の夢〟に時々出てくる正体不明なモノ。出方は唐突、進行方向はバラバラ、大きさもまちまち、ものすごいスピードで私のそばを通り過ぎて行く、明るく光る球形の不思議なモノ。通り過ぎる時、風圧を感じたことは何度かあるけれど、絶対に私にぶつからない。夢の中の私は大抵、それを黙って見送っているだけだ。
「困ったわねえ……」
また、舞子がため息をついた。私も頷きながらため息をついた。
〝霧の夢〟だけでも充分疲れるのに、〝光の珠〟が出てきた場合、それは比にならないほどひどい。授業中の居眠りぐらいですめば良い方で、ひどい場合は歩きながら眠り込んでしまう。なら、学校を休めばいいのだろうが、私にとって『学校へ行かない』というのは一種の強迫観念みたいなものがあるのだ。ずる休み(本当は違うのかもしれないが)を一度でもすると二度と学校に行けなくなる――そんな気がするのだ。
実際あまりにもひどい状態に、病気を疑った両親と精密検査を受けに行ったこともあった。しかし医師から返ってきた言葉は、
「単なる睡眠不足でしょう。なるべく早く寝るようにしてください」
というものだった。
「でも……私、〝霧の夢〟嫌いじゃない」
ぼそり、つぶやくように私が言うと、「そうね」と舞子が答えた。
「何たって、花生里の命の恩人だからね」
「うん……。〝霧の夢〟と舞子がね」
夢が命の恩人――という表現はおかしいのかもしれない。でも、私はそう信じている。
私の性格は、自分で言うのも変だが、変わっていると思う。
神経質なわりにずぼらで抜けてまくっているし、変なところで記憶力があるくせに、一般的な知識がぽっかり抜けていたりする。おまけに夢想癖があるものだから、他人から見ていると不気味なことこの上ない、と思う。
だから――いや、他にも理由はあったのかもしれない――私は小学生のころからいじめにあっていた。
それがいつから始まっていたのか、はっきりしたことはわからない。一年生の時から始まっていたのかもしれない。ただ、私の自覚がなかっただけで……。
いじめの自覚を持ったのは三年生の時。そしてその少し前から変な夢を見るようになっていた。
◆◆◆
夢の中で私は走っていた。暗闇の中を恐怖につかれて、ひたすら走っていた。後ろから追いかけてくるのは、『闇』――。
それは暗闇よりもっと暗く、濃い密度を持っていて嫌悪感を感じるモノだった。捕まれば喰われてしまう――そんな恐怖が私を走らせていた。
助けを呼ぼうにも声は喉の奥に絡みついて出てこない、走り続け手足はもつれ、喉は乾いて唾液すら出てこない、心臓はとうの昔から悲鳴を上げている。
必死になって走って、走って、……『闇』の気配が迫る。喰われてしまう! ――そう思った時に目が覚める。
◆◆◆
そんな夢を一晩に三回も四回も見た。完全な悪夢だった。
次第に、夜眠ることが怖くなり、睡眠不足は私から気力と体力を奪っていった。そして私は、いじめに遭っている自分を自覚した――。
シカトやワザとぶつかって知らないフリをしたり、持っている物を落として踏んで行ったりする――そんな直接的で些細なものが、靴入れにゴミを入れいて行ったり、机の上いっぱいに唾を吐いて行ったり、ゴミ箱に鞄が捨ててあったり、「汚い」「臭い」「側へ寄るな」の言葉と共に加えられる暴力に発展していった。
両親を含む大人に訴えもした。けれど、夢とごっちゃになっている話をまともに取り合ってもらえなかった。
──どうして、私ばかりがこんな目にあう? 私が何をした? なぜ私でなくっちゃならない……?
自分の中で疑問ばかりが増え、叫ぶことにも泣きわめくことにも疲れた。ほとんど感情が動かなくなって、無表情になった。一日中ぼんやりしていたかと思うと、急に喚き散らし物に当たったすることもあった。
その頃になってようやく、周りの大人たちがことの深刻さに気づいた。でもその時にはもうすでに遅かった。私は自分の回りに壁を作ることを覚え――極度の人間不信になっていた。
人の好意を信じられず、孤立することを望み……揚げ句の果てに、私は周りの人々に復讐することを考え始めた――つまり、自殺である。
当事者たちが、いつまでも忘れられないような、心に深く残るような、そして(ここが一番の要である)社会から耐えられないような非難を浴びせられるような、そんな強烈な印象を与える死に方や遺書の文面や発表方法────。
今にして思えば、私は少々狂っていたのかもしれない。しかし当時はそんな自覚はまったくなく、逆にそう考える事で周りの人に対して『切り札』を持っている気がして、気分が落ち着いたのを覚えている。
当時親に連れていかれた病院で、初期の鬱病と診断された。
それ以降大人達は私に対して腫れ物に触るように恐る恐る接してきたし、教師に言い含められた同級生達は無視するか遠巻きにして汚物でも見るような目で見ている事が多くなった。物理的ないじめはなりを潜めたが、精神的ないじめは続いていた。
それはずいぶん長い間続いた。
その間変わらずに私を気にかけてくれたのは唯一、舞子だけだった。
舞子は、時には慰め、時には叱り、独りにならないようにずっと手を差し伸べ続けてくれていた。
しかし、誰も信じられなくなっていた私は、そんな彼女を鬱陶しいとしか思わず、ずいぶん酷い事を言った、と思う。この事を言うと決まって舞子は、
「大丈夫。そんなに酷い事は言ってないよ」
と、笑ってくれるが、ずいぶん悲しそうな、傷ついたような顔を私は覚えている。自分が傷ついているくせに他人の傷に無頓着になっていたのだと思うと、少々怖い気がする。
多分、あのままずっと状況が変わらなければ、私は『切り札』を実行していただろう。
そんな時、あの夢を見た。
◆◆◆
『闇よりも暗いモノ』に追いかけられ、必死で逃げる私――いつもの悪夢。
こんなに一生懸命逃げても、どうせ逃げきれない。いつまでも苦しい思いをするよりいっそ喰われてしまった方が楽なんじゃないか――ちらり、と私の頭の中にそんな考えが浮かんだ。それはそうかもしれない、そう思って足を止めようとしたその時!
前方に小さな『光』が灯った。
『光』はみるみる大きく――いや、凄いスピードで近付いてきた。
その『光』が私の横を猛スピードで通り抜けた時、その正体を見て茫然とした――何? 今の……?
思わず振り返った先で、『光』の正体と『闇』が対峙していた。
暗闇の中ではずいぶん眩しく感じるけれど、本来はもっと柔らかなのだろう光に全身を輝かせているのは、子犬ほどの大きさの灰白色のちょっと変わった姿の生き物――後になってそれが『獏』だと気づいた。
どれほどの時間なのか、『闇』と『獏』は睨み合っていた――と、私は思った。
先に仕掛けたのは、『闇』だった。
アメーバのように『獏』を包み込もうとした。
その時、『獏』が強く輝き出した。
ぴくり、と一瞬震え動きを止めた『闇』は、どんどん強さを増す光に怯えるように小さくなって、やがて『獏』と同じ大きさに縮んでしまった。
それを見計らったように『獏』は輝くのを止め、次の瞬間大きく跳躍した。そして『闇』の上に乗ると、むしゃむしゃと食べ出したのだ!
『闇』は逃げようとするように蠢き、あちこちに触手を伸ばす。伸びた触手を次から次に『獏』は食べていった。私はあっけにとられてその光景を見ていた。
やがて最後に残った『闇』のカケラを食べると、『獏』はぺロリと舌で口の周りを舐め、そして初めて気づいたたように私を見た。
次は私の番だ――覚悟を決めて私は『獏』を見た。『獏』の黒い瞳がじっと私を見る。ふっと、どこかで見たような気がした。初めてのはずなのに、懐かしい、よく見知った眼差し……。
気がつくと、『獏』の体が広がっていた――いや、『獏』を中心に柔らかな光のようなものが、暗闇を浸食していた。少しづつ明るくなって、視界からすべての暗闇が消えたころ、私は『獏』がいなくなっているのに気づいた。あの眼差しは感じる、でも姿はどこにもなかった。そして代わりに私の周りをしっとり〝霧〟が包み込んでいた。
――取り込まれた? そう思った。でも不快感はまるでない。逆にほっとするような優しさを感じる。
「ありがとう」
ここ数年来言わなかった言葉が、口から出た。もう悪夢は見ない。きっと『獏』が守ってくれる――どうしてだか、そう思った。
◆◆◆
翌朝、久しぶりに目覚し時計を投げつけないで起き上がることができた。
少し疲労感があったけれど、夜中に一度も目が覚めなかったからか、精神的にはとてもすっきりしていた。朝が気持ちいいと感じられたのは、本当に久しぶりだった。
登校途中、私を待っていたらしい、深刻な顔をした舞子がいた。
私たちは何も言わず、お互いを見詰めた。
「舞子……」
私は口の中で彼女の名前を呟いた。舞子が私を待っていた理由は、何となくわかっていた。
どのくらいそうしていたのか、舞子の肩が少し上下した様に見えた。そして私のすぐ前まで歩いて来た。
彼女は私を正面から見詰めると、
「少しだけ話を聴いてほしいの」
と切り出した。
「私は花生里じゃないから、花生里の気持ちを全部理解はできないかもしれない。でもね、生まれた時から一緒にいるのよ。本当の花生里がとっても優しくて淋しがり屋なのを知ってるし、今どんな気持ちなのかくらいはわかる、わかってるつもりなの。だから、周りの人達が花生里を誤解してるのも、花生里が周りに背中を向けて、自分の中に籠ってしまうのを見るのは辛い。何とかしてあげたいと思ってるの……」
舞子はこらえ切れないようにうつむくと、しばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。瞳が潤んでいた。
「今にきっと、皆そんな花生里をわかってくれるから……。『今』が辛いんなら、『今』を見なくてもいいから……。本当は良くないかもしれないけれど、後ろ向いててもいいから……、自分が『今』まで生きてきた時間の長さを忘れないで! それを無駄にしないで! もしかしたら――いいえ、きっと未来にはいいこと待ってるから、そう信じてよ! ……私を怒鳴って少しでも気分が晴れるなら、怒鳴っても、いいから……」
悲痛な顔をして、揚げ句の果てに涙をぽろぽろと流して、舞子は言った。
私はぽかんとしてそれを聞いていた。一瞬、何を言っているのか、どうして彼女が泣いているのかわからなかった。でも、しばらくしてわかったことが、ふたつあった。
ひとつは私が独りじゃなかった、ということ。
もうひとつは、私が傷ついている以上に傷ついている人がいたという事実と、それを私が気付かずに更に傷つけていた、ということ……。
前夜の夢以来、確かに私の中で何かが変わったのだと思う。前日までの私なら、「勝手に言ってれば?」ぐらいのことを言ったと思う。でも、その時は……。
「……うん……」
言葉がなかった。気付くと私は、舞子に抱きついていた。
「か……花生里?」
舞子がうろたえた声を出した。
「ごめんね、舞子。……ごめん」
それだけ言うと、後は声が続かなかった。涙が、辛くない涙が出た。
それが、中学一年生の夏休み少し前のこと――。
〝霧の夢〟はそれから時々見るようになった。そして、〝光の珠〟が現れ出したのは、それからしばらくしてからだったと思う。
最初はびっくりして、去っていった方向を見たまま動けなくて、目が覚めた。でも、二度、三度と続いて、いつの間にか慣れた。
「ねえ、一度その〝光の珠〟、捕まえてみたら?」
突然、舞子が言った。自分の思い出に入り込んでいた私は、びっくりして舞子を見た。
彼女は前を向いたまま、考え込みながら、独り言のように言った。
「〝霧の夢〟が花生里に害がないなら、〝光の珠〟も害にならないんじゃないかしら? だったら一度捕まえてみれば、正体が分かって、別の展開があるかもしれない。うまくいけば、二度と出ないかも……。そうすれば体が楽になっていいんじゃないかしら」
「でも〝光の珠〟は、私を避けていくんだよ?」
以前あった偶然の経験からそう言うと、
「う~ん……。でもそれは、捕まえようとした訳じゃないんでしょ? 自分から積極的に動いてみれば、また違うかもよ?」
……なるほど、それもそうだ。
夢の中では何もしてこないし、実害もないから無視していたけど、実生活では結構困っている。触ったらどうなるかわからないのなら、一度ぐらい触ってみてどうなるか知っておくのもいいかも……と、私は考えた。しかし――夢の中で思うとおりの行動って、取れるものなのだろうか? ふと、疑問に思った。
「意志が強ければ、何とかなるんじゃないの? 夢って自分の潜在意識の現れ、っていうじゃない」
私の疑問に対する舞子の答は、実に気楽なものだった。力の入らない体からますます力が抜けるような気がして、私は思わずため息をついた。
それでも、もし自分の意志で何とかなるなら、何とかしてみたい――私はそう決心して、〝霧の夢〟を見ることができるよう祈った。
本当は短編のつもりで考えたのですが、どんどん長くなってきて自分で読んでいてダレテくるので途中で切りました。変な所で切れているのはそのためです。




