ある男の独白
隊の中の一人の独白です。
戦場からの負傷兵を伴っての帰還という殺伐とした任務の途中・・・。
無数の死体が転がる中、一本の樹の根元にあいつは寝かされていた。
家族思いのそいつは、俺より4つ年下で、今回が初陣だった。
親同士が仲がよく、幼いころから良く遊んでいたように思う。
物心付いたときには、うちのおてんばな妹と共に、俺のあとを付いて回っていたから。
小さなころ、あいつは些細なことにビービーとなき、道端の野良猫を見てはかわいそうだと泣き、うちのじゃじゃ馬の怪我を見ては青くなる、そんな奴だった。
俺は何度となく、こいつは性別を間違えて生まれてきたに違いないと思っていた。
手足は細く、色も白い。
8つにもなるのに、一つ下のサラ(うちの妹)よりも背が頭半分ほど低かった。
ひととの折衝を怖がり、いつもひとに譲っていた。
まあ、それに関しては気性の激しすぎるサラから、日常的におやつやその他もろもろを奪われていたせいもあるかもしれない。
初めこそ、おれもサラを怒鳴り揚げていたが、それが日常になると、声を張り上げるのも疲れるのだ。
あいつは俺が怒鳴るのも、サラがわめき散らすのも、一歩引いたところでこわごわみていたと思う。
それが変わったのはいつからだっただろうか。
あいつが9つになる夏に妹が生まれてからかもしれない。
リーリュシアと名づけられたその娘は俺からみてまさに『妹』という感じそのものな女の子だった。
あいつに似て(?)色白で、眼が大きく、茶褐色の髪に、少しくすんだ緑の眼。
生まれたときはまさに暑さの盛りで、あいつの母親はつわりも重なり、かなり儚い佇まいになってしまっていた。
療養のため、出産までと、その後の半年を避暑地で過ごし母親がガラサム(街の名前)に戻ってきたときには、腕の中にはふっくらとした女の子を抱えていた。
あいつは約一年もの間、よく耐えていた。
まだ9つ。
母親の恋しい年頃だった。
俺たちみたいな下級でも、貴族の子供は幼い時分から多くの習い事を始める。
男であれば剣に語学に、歴史。
女であれば、行儀作法にダンス、編み物に花もか?
まあ、母親について一年も習い事をさぼれるほど暇じゃない、ということだ。
歳の離れた兄貴が一人と、小うるさい妹、円満といえば聞こえがいいが、家族を溺愛しすぎている両親と、慣れ親しんだ使用人や気の置ける友達に囲まれた俺とは違って、あいつは一年間一人だった。
人見知りというか、遠慮がちで友達が少なく、あの時は親しいといえば俺と妹だけだったから。
あいつの親父はよく言えば実直、仕事熱心。
悪く言えば仕事中毒の堅物だ。
大人の事情をまだ子供だった俺が全て理解できていたとは思わないし、今も正直言うと全部は理解できていないと思う。
だが、それでも。
それでももう少し子供のそばにいて欲しかった。
心細さを隠して頑張る息子に、優しい言葉の一つもかけて欲しかった。
おばさんは、『不器用で素直に自分の気持ちを表現できない人なの』とか言ってたけど、限界があるだろ。
しかしそんなぎこちない関係も、真新しい敷布にくるまれた妹の存在と共に変わった。
おじさんは家に帰ってくるようになり、隣の家には灯りが灯るようになった。
そしてどうしても長く家を空けがちな父親に代わり、あいつは強くなった。
繊細で、優しかったあいつは大事なものを守るために、必死に頑張った。
俺は16の歳に騎士団へ入団し、その後5年間自分のことに必死で家に帰れない日々が続いた。
今年の春、騎士団であいつを見たとき、一瞬見間違えかと眼を疑った。
5年ぶりの低くなった声に、芯のある口調に、耳をかっぽじった。
妹からちょくちょく話は聞いていた。
だがこんなに変わったのだとは思ってみなかった。
繊細さばかりが目立った少年は、優しさの残る笑顔が印象的ないい青年になろうとしていた。
そしてそんなあいつに妹は惚れていた。
天邪鬼な妹はいまだにそれを告白できていないくせに、周囲の女性関係に猛烈に嫉妬していたっけ。
笑える話だ。
ちっちゃくて、俺のあとを付いてくるばかりだったあいつらが、こんなに大きくなっていたなんて。
まあ、直接的な協力はしないが、遠くから応援はしてやるよ。
だが、戦争という一介の騎士にはどうしようも出来ないことそいつは浚われた。
初陣で行方が分からなくなった。
敵味方が入り混じった、すさまじい混戦だったらしい。
俺は別働隊にいて、あとから知った。
妹は、サラは目が潰れるほど泣いていた。
その後、国が建前として立てた負傷兵の奪還部隊に俺は一もにも無く名乗りを挙げた。
泣き暮らす妹なんて見たくなかったし、何よりあいつを連れ戻してやりたかった。
生きているならなおのこと。
死んでいるなら、忍びなく。
殺伐とした戦場に、優しいあいつを長居させたくなかった。
諦め9割、もしかしたら・・・が0.2割か。
ほとんど無理だろうとは思っていたが、それが俺のしてやれる最後じゃないかと思ったんだ。
だが、あいつは生きていた。
惨たらしい死体ばかり転がる戦場で、木の根元で眠っていた。
あちこち怪我をしていたけれど、命に別状は無く、5日後には自分で歩いていた。
最初にその姿を見たとき、この世に神はいるんだと思った。
この国で広がるセサム神教の神じゃなく、いつも見守ってくれる優しい神が。
ああ、結局のところ、神は人間だった。
それも黒髪の異邦人。
何も知らない部隊の一人に、勘違いで射掛けられたその女性が、あいつを助けてくれていた。
男所帯の中一人で奮闘する彼女に、俺は感謝の意味を込めて手を差し伸べる。
殿下や、フォルさんの目が光っていて、その全てがあらわせないのは残念だが。
声をかけ、手を出すと、わずかにはにかみ、ありがとうございますと言う。
それはこちらの台詞だ。
ありがとう。あいつを助けてくれて。
後日談だが、彼女の存在によって、妹は大変やきもきさせられることになる。
だがそれはもう少し先の話。
恋だの愛だの言える平凡な日々の話。
誰のことを言ってるかわかりましたか?
名前だけの人にも彼らの人生があるということで。