超がつくほど臆病なおっさん、弱剣に勇者にされる
俺の人生、ろくなことがない。
もうおっさんなのに、まともな仕事もない。
日雇いで食いつなぎ、安い酒を少し飲んで寝るだけの毎日。
恋なんてしたこともない。
誰かに必要とされた覚えもない。
そのうえ俺は、超がつくほど臆病だった。
物音がしただけで肩が跳ねる。
猫が横切っただけで心臓が止まりかける。
夜道も、人混みも、怒鳴り声も、虫も怖い。
自分でも呆れる。
よく今まで生きてこられたな、と本気で思う。
その日も、日雇いの仕事帰りだった。
空はもう暗くなりかけていて、俺は早く家に帰りたかった。
すると、道の真ん中に何かが落ちていた。
錆びた剣だった。
「なんで道の真ん中に剣が落ちてるんだよ……」
俺は足を止めた。
怖い。
どう考えても怖い。
剣なんて、普通は道の真ん中に落ちていない。
落ちているとしても、それはきっと呪われている。
拾ったら人生が終わるやつだ。
いや、俺の人生はもうだいぶ終わっているが、それでも呪われるのは嫌だ。
俺は横を通って逃げようとした。
だが、このまま放っておいたら、誰かがつまずくかもしれない。
馬車が踏んで事故になるかもしれない。
子どもが拾って怪我をするかもしれない。
「くそ……なんで俺が……」
俺はびくびくしながら、錆びた剣に近づいた。
柄に手を伸ばす。
嫌だ。
怖い。
絶対に何かある。
でも、道の真ん中に置きっぱなしにする方が気になる。
「持つだけだ。持って、端に寄せるだけだ」
俺はそう自分に言い聞かせ、錆びた剣の柄を握った。
その瞬間。
体の奥から、ぞわりと力が湧いた。
「うわっ!」
思わず剣を放そうとした。
だが、離れない。
錆びた剣は、俺の手にぴたりと張りついたように動かなかった。
そして、どこからか声が聞こえた。
『やっと見つけた』
「ひっ」
『我が力を引き出す者を』
「誰だ。誰かいるのか。怖いから出てこないでくれ」
『我は弱剣』
「じゃっけん?」
『聖剣より強い剣だ』
「名前で負けてるぞ」
『黙れ』
「怒鳴るな。怖いだろ」
ついに俺の頭がおかしくなったのかと思った。
錆びた剣を拾ったら、剣が喋り出した。
どう考えてもまともではない。
だが、剣の声はやまない。
『人間どもは、光っている剣ばかりありがたがる』
「はあ」
『聖剣だの、神剣だの、選ばれし刃だの。くだらん』
「お前、聖剣が嫌いなのか」
『嫌いだ』
「即答だな」
『我の方が強い。なのに誰も見向きもしなかった。錆びている。古い。縁起が悪い。そう言われて、道の真ん中に捨てられた』
「道の真ん中に捨てるなよ。邪魔だろ」
『そこではない』
「いや、そこも大事だろ」
『だから決めた。我を使える者を見つけ、聖剣どもより先に魔王を斬る』
「俺を巻き込むな」
『お前は怯えている』
「そりゃ怖いからな」
『よい。怯える者が持つ時、我は真の力を発揮する』
「最悪の相性だな」
『臆病なる者よ。我を振るえ』
「嫌だ」
『我の力を試すのだ』
「嫌だって言ってるだろ。剣を振るとか怖いんだよ。手が滑ったらどうする。自分の足を斬ったらどうする」
『振るえ』
「しつこいな!」
俺は半分やけになって、剣を横に振った。
ただの一振りだった。
だが、その瞬間、風が裂けた。
剣から、ぼろぼろと赤黒い錆が落ちた。
落ちた錆は地面に散る前に舞い上がり、刃のように飛んでいった。
目の前の草が吹き飛び、道の脇に立っていた木が、まとめて斜めに削れた。
ずずん、と音を立てて、何本もの木が倒れる。
俺は固まった。
「……おい」
夢じゃない。
木が本当に倒れている。
錆びた剣からは、まだ細かい錆がぼろぼろ落ちていた。
『見事だ。臆病の質がいい』
「臆病に質とかあるのか」
『ある。お前の恐怖は深く、濃く、湿っている』
「褒め方が気持ち悪い」
『今のお前なら、岩山くらいは削れる』
「削りたくない。岩山に恨みはない」
『お前の恐怖が強いほど、我は力を増す』
「最悪の仕組みじゃないか」
俺は剣を見た。
錆が落ちている。
だが、刀身の錆は減っているように見えない。
「おい。なんでまだ錆びてるんだよ」
『錆は無限に湧く』
「嫌な無限だな」
『弱さを知る者の刃だ』
「いい話っぽく言うな。汚い」
俺は剣を捨てようとした。
だが、やっぱり離れない。
錆びた剣は、完全に俺の手から離れる気がなかった。
「おい、離れろ」
『断る』
「剣が断るな」
こうして俺は、よく分からない錆びた剣に取り憑かれた。
いや、剣に選ばれたと言うべきなのかもしれない。
どちらにしても、俺にとっては迷惑でしかなかった。
◇
それから俺の人生は、少しずつおかしくなった。
怖いと思うほど、体に力が湧く。
怯えれば怯えるほど、剣から錆が落ちる。
そして、その錆は飛ぶ。
夜道で野犬に吠えられた時は、思わず剣を振ってしまい、遠くの岩が真っ二つに削れた。
酒場で酔っ払いに絡まれた時は、怖すぎて尻もちをついただけなのに、床に錆が走って割れた。
俺は思った。
この剣、絶対に駄目なやつだ。
そんなある日、弱剣が言った。
『闘技場へ行け』
「嫌だ」
『賞金が出るぞ』
「……いくらだ」
『知らん』
「知らないのに言うな」
『だが、強い者が集まる場所には、金も名誉も集まる』
「名誉はいらない。金だけ欲しい」
『ならば行け』
「怖い」
『その恐怖が我を強くする』
「本当に嫌な剣だな」
だが、俺は貧乏だった。
明日の飯にも困るくらいには貧乏だった。
それに、闘技場の賞金は高いらしい。
俺は怖かった。
ものすごく怖かった。
でも、餓死するよりはましかと思い、闘技場に来た。
屈強な戦士たちが、剣や槍を持って集まっている。
俺みたいなおっさんが混ざっていい場所ではない。
今すぐ帰りたい。
だが、金は欲しい。
俺は震えながら、闘技会の参加受付に名前を書いた。
「武器はその錆びた剣でよろしいのですか?」
係員が不思議そうに聞いてくる。
「よくないです。できれば何も持ちたくないです」
「では、なぜ出場を?」
「金が欲しいからです」
係員は困った顔をした。
俺も困っていた。
◇
一回戦。
相手は大男だった。
俺の倍くらいある腕で、大きな斧を担いでいる。
「おいおい、こんなおっさんが相手か」
大男は笑った。
「その錆びた剣で俺に勝つつもりか?」
「いえ、できれば棄権したいです」
「は?」
怖い。
斧が怖い。
人が怖い。
観客が怖い。
闘技場の歓声が怖い。
もう全部怖い。
俺の手の中で、弱剣から錆がぼろぼろと落ちた。
『よい恐怖だ』
「褒めるな」
『錆がよく湧く。今なら城壁も削れる』
「湧くな。汚い。俺は賞金が欲しいだけだ」
大男が突っ込んでくる。
俺は悲鳴を上げながら、剣を振った。
その瞬間、弱剣から赤黒い錆が噴き出した。
錆は風に巻かれ、砂嵐のように闘技場を走った。
大男の斧が削れた。
鎧が削れた。
足元の石畳が削れた。
闘技場の壁まで削れた。
「おい! 壁まで削れてるぞ!」
『よい恐怖だ。錆がよく湧く』
「だから湧くな! 汚い!」
大男は吹き飛び、壁の穴の手前で止まった。
死んではいない。
だが白目をむいて気絶していた。
観客席が静まり返る。
審判が震える声で言った。
「しょ、勝者……!」
俺は剣を抱えて震えた。
「帰っていいですか?」
観客席が爆発したように沸いた。
「なんだ今のは!」
「強すぎる!」
「あの男、ただ者じゃないぞ!」
違う。
ただのおっさんだ。
超がつくほど臆病な、ただのおっさんだ。
◇
その後の試合は、何もしなくてよかった。
二回戦の相手は、俺と目が合った瞬間に棄権した。
三回戦の相手は、俺が剣を構えただけで棄権した。
決勝の相手は、帰っていないと言われた。
俺は何もしていない。
ほとんど何もしていない。
なのに優勝してしまった。
表彰台の上で、国王陛下が俺を見ていた。
「そなたこそ、魔王を討つ勇者にふさわしい」
「違います」
「謙遜するな。あれほどの力、神に選ばれし者でなければ持ち得ぬ」
「この剣が変なだけです」
『変ではない。我は弱剣』
「弱剣も黙ってろ」
国王陛下は、俺の独り言を聞いて感動したようにうなずいた。
「剣と語らうとは……やはり勇者」
「違います」
その時、弱剣が低く言った。
『勇者になれ』
「嫌だ」
『報酬が出るぞ』
「魔王だぞ。金でどうにかなる怖さじゃないだろ」
『女にもてるぞ』
「……本当か?」
思わず聞き返してしまった。
俺は、おっさんになるまで恋なんてしたことがない。
女に優しくされた記憶もない。
道を聞かれたことならある。
それを思い出に数えていいなら、俺の人生にも少しは華がある。
『勇者だぞ。もてるに決まっている』
「俺みたいなおっさんでもか?」
『……たぶんな』
「今、間があったぞ」
『少なくとも、日雇いのおっさんよりは可能性がある』
「それは……そうかもしれない」
怖い。
魔王は怖い。
絶対に怖い。
金だけでは無理だ。
いくら積まれても、魔王討伐なんて怖すぎる。
だが、もし。
もし本当に、勇者になれば。
女に少しぐらい優しくされるのだとしたら。
俺みたいな臆病なおっさんでも、誰かにすごいと言ってもらえるのだとしたら。
「……少しだけ、考える」
『行け』
「まだ考えてる途中だ」
『行け!』
「怒鳴るな。怖いだろ!」
だが、女にもてるかもしれないと言われたら、心が揺れた。
我ながら情けない。
だが、俺の人生なんて、元からろくでもない。
「……本当にもてるんだろうな」
『我を信じろ』
「一番信じちゃいけないやつだろ」
俺は深くため息をついた。
「……分かりました。引き受けます」
大広間が歓声に包まれた。
「勇者だ!」
「新たな勇者が現れた!」
「魔王は終わりだ!」
俺はその場で震えていた。
怖い。
帰りたい。
だが、もしかしたら、少しくらいもてるかもしれない。
こうして俺は、なんの因果か勇者と呼ばれることになった。
◇
翌日、俺には魔王討伐の仲間が紹介された。
一人目は、王国騎士団の女騎士セリナ。
銀の鎧をまとい、まっすぐな目をした女だった。
いかにも勇敢そうで、正直近づきたくなかった。
それに、あまりにも可愛い。
可愛すぎて、顔をまともに見られない。
二人目は、宮廷魔術師の老人バルド。
杖をついているが、目が怖い。
この人は顔が怖すぎて、顔をまともに見られない。
三人目は、神殿から来た聖女ミリア。
柔らかく微笑んでいた。
やはり聖女だ。
この人だけは怖くないかもしれない。
そう思って顔を見たら、にらまれた。
やっぱり怖い。
つまり俺は下を向くしかできなかった。
だが、向こうは俺を凝視してくる。
やめて。しょんべんちびりそう。
セリナが口を開く。
「失礼ながら、本当にこの方が勇者なのですか」
「違うと思います」
俺は即答した。
バルドが目を細める。
「闘技会で壁を壊したと聞いたが、魔王討伐は見世物ではない。実戦で役に立つかどうかは別じゃ」
「はい、役に立たないと思います」
ミリアが困ったように眉を下げる。
「勇者様。ご謙遜を」
「本心です」
セリナは俺の錆びた剣を見た。
「その剣も、どう見てもただの錆びた剣に見えます」
「はい。俺もそう思います」
『黙れ』
弱剣が低く言った。
「怒鳴るな。怖いだろ」
セリナが眉をひそめる。
「剣に話しかけているのですか」
「話しかけられてるんです」
「……大丈夫なのですか、この方は」
「俺もそう思います」
話はどんどん悪い方向へ進んでいた。
そして最終的に、セリナが言った。
「申し訳ありませんが、私は納得できません。魔王討伐の前に、その力を一度見せていただきたい」
「嫌です」
「何故ですか」
「怖いからです」
「……勇者様」
「勇者じゃないです」
バルドが杖を鳴らした。
「ならば、訓練場で軽く試すとしよう。防御結界も張る。怪我人は出ぬ」
「その言葉がもう怖い」
俺は逃げようとした。
だが、弱剣が手から離れない。
『行け』
「嫌だ」
『行け』
「嫌だって」
『行け!』
「怖いから怒鳴るなって!」
結局、俺は訓練場へ連れて行かれた。
◇
王城の訓練場は広かった。
周囲には兵士たちが集まり、俺を見ている。
やめてほしい。
人前に立つだけでも怖いのに、これから力を見せろと言われている。
俺はもう帰りたかった。
「では、まず私が相手をします」
セリナが剣を抜いた。
「大丈夫です。寸止めにいたします」
「寸止めに失敗したらどうするんですか」
「失敗しません」
「その自信が怖い」
セリナが踏み込んできた。
速い。
怖い。
普通に怖い。
俺は反射的に弱剣を握りしめた。
『よい恐怖だ』
「よくない!」
セリナの剣が迫る。
俺は悲鳴を上げて、弱剣を前に出した。
ただ防ごうとしただけだった。
だが、弱剣から錆が落ちた。
轟音。
赤黒い錆が前方へ飛び、俺の前にあった訓練用の柱をまとめて削り飛ばした。
セリナは寸前で横に跳び、地面を転がる。
防御結界がばきばきと音を立てて割れた。
兵士たちが悲鳴を上げる。
俺も悲鳴を上げた。
「ほら! 危ないじゃないか!」
セリナは起き上がり、青ざめた顔で俺を見た。
「今のは……本気ではありませんよね」
「本気で怖かったです」
バルドが震える手で杖を構えた。
「な、ならば魔法を試す」
「やめましょう。魔法は反則です」
「火炎球」
巨大な火の球が飛んでくる。
怖い。
熱い。
死ぬ。
俺は半泣きで弱剣を振った。
錆の嵐が火炎球を真っ二つに削った。
そのまま左右へ飛び、訓練場の壁を二か所同時に削り飛ばした。
バルドの髭が、少し焦げた。
「……なるほど」
「なるほどじゃない」
ミリアが前に出た。
「では、聖なる防壁を壊してください」
「本当にやめた方がいいです」
「大丈夫です。神の加護があります」
「神様もびっくりすると思います」
ミリアが祈ると、白い壁が俺の前に現れた。
美しい光の壁だった。
俺はできるだけ弱く剣を振った。
錆がふわっと飛んだ。
白い壁はガラスのように割れた。
ついでに、その向こうにあった訓練用の人形が全部消えた。
ミリアは静かに十字を切った。
「神よ……」
「神様に謝った方がいいですか?」
訓練場は半壊していた。
セリナは無言。
バルドも無言。
ミリアも無言。
俺は弱剣を見た。
「お前、本当に大丈夫なのか」
『当然だ』
「当然で訓練場を削るな」
しばらくして、セリナが膝をついた。
「疑ったこと、お許しください。あなたは確かに勇者です」
「違います」
バルドも頭を下げた。
「恐怖を力に変える剣士とは……長く生きても初めて見たわい」
「俺も初めてです」
ミリアが微笑む。
「魔王討伐、どうか共に参りましょう」
「嫌です」
三人が固まった。
俺は弱剣を握ったまま、ぼそりと言った。
「怖いんです。魔王なんて絶対怖いでしょう。どう考えても怖い」
「名前からして怖い。魔の王ですよ」
「王だけでも怖いのに、魔まで付いてる」
『その恐怖だ』
弱剣が怒鳴った。
「何だそれ」
『我が力が、魔王ごときに負けると思うか』
「いや、お前、錆びてるぞ」
『それこそ弱剣の証だ』
「証なのかよ」
『錆び、欠け、捨てられ、踏まれ、それでも折れぬ。それが弱剣だ』
「なんかいい話っぽくしてるけど、道の真ん中に落ちてただけだろ」
『拾ったのはお前だ』
「拾わなきゃよかった」
『聖剣より先に魔王を斬るぞ』
「やっぱり見返したいだけじゃないか」
『黙れ。行け』
「嫌だ」
『行け!』
「怖いから怒鳴るなって!」
俺は半泣きで弱剣を握った。
周囲の騎士たちは、なぜか感動した顔をしている。
「勇者様が、剣と魂を通わせておられる……!」
「違う。剣に脅されてるだけだ」
『我を信じろ』
「こいつ大丈夫なんだろうな……」
俺は空を見上げた。
日雇い暮らしも、ろくでもなかった。
剣を拾ってからも、ろくでもない。
魔王討伐なんて、もっとろくでもないに決まっている。
逃げても、この剣は手から離れない。
どうせまた、ろくでもないことになる。
まあ、いいか。
どうせ俺の人生、最初から大したものじゃない。
「……行くよ。行けばいいんだろ」
『最初からそう言え』
「偉そうにするな。錆びてるくせに」
『錆びではない。弱さの年輪だ』
「ただの錆だろ」
こうして俺は、超がつくほど臆病なまま、魔王討伐へ向かうことになった。
結局、俺の人生はこれからも、ろくでもない人生になりそうだ。
『よい恐怖だ。旅立ちには申し分ない』
「旅立ちの基準にするな」
弱剣は、満足そうに錆を落とした。
「落とすな。汚い」
俺はため息をついた。
「……やっぱり、拾わなきゃよかった」
ポイントを入れていただけると、大きな励みとなります。
こちらの作品もおもしろいと思います。お読みいただければ有難いです。
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