第三十四話 港を襲う影
港に風が吹いた。
それはただの潮風ではなかった。
どこか重い、まとわりつくような嫌な感覚。
海面がわずかに揺れている。
規則的ではない不自然な波。
俺はその違和感に目を細めた。
「…おかしいな。」
ウェインも何か感じたのか、同じ方向を見ていた。
「ああ。」
悠里が俺の袖を引きながら疑問を口にする。
「お兄ちゃん。なんか、さっきより暗くなってない?」
確かにそうだ。
海の色が濁って見える。
その時だった。
空を飛んでいた海鳥が一斉に鳴き声を上げ、沖の方へ飛んでいく。
嫌な予感がした。
次の瞬間。
海面が爆ぜた。
巨大な水柱が上がる。
「なっ…何だ!?」
驚きの声が上がり、港の人々が一斉に振り返る。
そして、それは現れた。
巨大な魚のような体。
だが、胸びれの位置から生えた四本の脚が砂浜を踏む。
ぬらりとした海水の滴る鱗。
裂けた口の奥に並ぶ牙。
「魔獣だ!!」
誰かが叫んだ。
海魔獣。
だが昨日のものとは比べ物にならない大きさ。
そして――速い。
魔獣はそのまま港へと跳び上がる。
その巨体が落ちた瞬間、石畳が悲鳴を上げた。
近くにあった木箱が吹き飛び、船が揺れ音を立てる。
「逃げろ!!」
「荷物はいい!命を優先しろ!」
一瞬で港はパニックに包まれる。
悠里が叫ぶ。
「何あれでっかい!!」
ウェインが顔をしかめ舌打ちした。
「厄介そうなのが来たな…!」
そのまま双剣を抜く。
鈍く光る刃が現れる。
「お前らは下がってろ!」
そう言い残し、地面を蹴った。
前回も思ったが速い。
一瞬で魔獣との距離を詰め、懐へ潜り込む。
双剣が閃いた。
鱗の隙間を狙った一撃は弾かれてしまう。
硬い。
だが浅く切り裂く。
魔獣が唸った次の瞬間、尾が横薙ぎに振られる。
ウェインは即座に跳んで躱す。
躱した先の柱を蹴り、空中で体勢を変える。
そのまま二撃目。
エラ付近へ斬撃。
「ちっ…硬いな!」
確実に効いてはいる。
だが決定打になっていない。
そのまま三撃、四撃と連続で攻撃を与える。
しびれを切らした魔獣が口を開く。
低い唸り声、そして地面を滑るかのような突進をウェインは紙一重で躱す。
だが…。
「しまった!」
ウェインが叫ぶ。
魔獣は石畳を砕きながら一直線に突っ込む。
その進路の先。
逃げ遅れた男性が一人転んでいた。
「ひいっ…!」
「くそっ…!」
ウェインが助けようと動こうとする。
だが、間に合わない。
「お兄ちゃん!」
「ああ。」
悠里に言われ、一瞬で男性の前に立つ。
魔獣が迫る。
距離は瞬く間に詰まっていく。
だが俺は動かない。
拳を軽く構える。
「しょうがないな。」
アッパーの要領で拳を振るう。
ただそれだけ。
鈍く大きな衝撃音。
次の瞬間には巨大な魔獣の体が宙を舞った。
そのまま数十メートル先へ吹き飛び、停泊していた船のすぐ横に着水する。
大きな水しぶきがあがり、船体が大きく揺れた。
一瞬港が静まり返る。
ウェインが目を見開いて固まっていた。
「…は?」
悠里が笑いながら言う。
「流石お兄ちゃんだね!」
俺は軽く肩を回す。
「まあね。これくらい何ともないさ。」
魔獣がゆっくりと上がってくる。
まだ動けるか…。
普通の魔獣なら今ので逃げるはず。
だが逃げない。
むしろ敵愾心をむき出しに、再びこちらへ向かってくる。
ウェインが眉をひそめた。
「おい…普通じゃないぞ。」
アリアが頷きながら静かに言う。
「ええ。どうやら予想通りの様です。」
その瞳は魔獣を捉えている。
「あの船と同じ魔力を感じます。」
「やっぱりか。」
俺はため息をついた。
魔獣の体から、わずかに滲む違和感。
ボロボロになっていた船と同じ。
魔族の気配。
「操られてるな。」
「操るって、あの大きいのを?」
アリアが頷く。
「高位の魔族、この強さの魔獣を操るとなりますと、かなりの実力者になるかと思われます。」
魔獣が再び跳ぶ。
今度は真上から迫る。
影が覆いかぶさる。
俺は足に魔力を込めて跳躍する。
「終わりだよ。」
すれ違いざまに魔獣の脳天に拳を振り下ろす。
風を切る音と共に拳を叩き込む。
今度は上から。
拳に伝わる衝撃。
魔獣の顔面が歪む。
そのまま地面へ高速で叩きつけられた。
その衝撃と共に石畳が陥没する。
数秒の沈黙。
そして、動かなくなった。
完全に沈黙した魔獣を見て周囲から安堵の声が漏れる。
「助かったのか?」
「すげえ…。」
ウェインがゆっくり近づいてきた。
魔獣と俺を交互に見る。
「…お前、何者だよ。」
俺は軽く笑って答える。
「ただの観光客だよ。」
「嘘つけ。」
ウェインは呆れたように息を吐いた。
その時だった。
アリアが海の方を見たまま言う。
「…まだみたいです。」
空気が変わる。
「何が?」
悠里が聞く。
アリアはゆっくりと指を差した。
沖。
遠くの海。
水面が静かに揺れている。
だがその揺れは大きく、まるで何か巨大なものが下を動いているかのようだ。
俺は目を細めた。
「…来るね。お急ぎのようだ。」
ウェインが剣に手をかける。
「冗談だろ。」
次の瞬間。
海面が大きく盛り上がった。
巨大な影。
さっきの魔獣とは比べ物にならない。
一つや二つじゃない、幾つもだ。
悠里が呟く。
「まだ、いるの?」
誰も答えなかった。
港町セレンの海。
この海域に潜む魔族が軍勢を引き連れ、その姿を現そうとしていた。




