第三十一話 港町の騒動と傭兵
市場の賑わいは続く。
魚の匂い、海水の匂い、そして人々の賑やかな声。
俺の妹こと悠里は市場を存分に満喫していた。
「あっちも見たい!」
好奇心に身を任せ、この町の全てを探求する勢いだ。
俺とアリアはそんな悠里の少し後ろを歩く。
その時だった。
市場の奥から怒声が響いた。
「おい止めろ!」
「魔獣が逃げたぞ!」
何人かの商人らしき人達が慌ててこちらへ走ってくる。
桶が倒れる音。
水が路面に広がる。
悠里が首を傾げた。
「なに?」
「トラブルのようですね。」
次の瞬間、魚屋の桶が突然弾けた。
市場の通路を黒い影が走り抜ける。
魚のような体。
だが、本来胸びれがある部分は足は足になっていて、閉じられている口から鋭い牙が見える。
「魔獣だ!」
誰かが叫ぶ。
一般的に海魔獣と呼ばれる種類の魔獣。
それほど大きくはないが、民間人には十分危険だ。
市場が一瞬で混乱に包まれた。
「危ない下がれ!」
「逃げろ!」
海魔獣が跳ねる。
その勢いで路面に出ていた店が荒らされ、魚や商品が散乱する。
その進路の先には小さな子供がいた。
急な事に固まって動けない様子。
このままでは危ない。
助けに入ろうと足に力を入れる。
だが、その必要は無さそうだ。
影が一つ、子供の前に踊り出た。
速い。
そのまま一瞬で距離を詰める。
銀色の二対の光。
金属製の無骨な双剣。
左手の剣での一閃。
海魔獣の足が切られる。
体勢が崩れた瞬間もう一撃。
弱点であるえらに刃が食い込んだ。
魔獣は数歩よろめき、そのまま倒れた。
静寂。
市場が一瞬止まる。
倒れた魔獣の前に立っていたのは、一人の女性だった。
短く切った髪、気の強そうな瞳、日に焼けた肌、軽装の鎧。
背の高い美人だった。
手には血を払ったばかりの双剣。
彼女は軽く息を吐いた。
「…やれやれ。」
商人が駆け寄る。
「いやぁ助かった!」
女性は双剣を腰に収めながら言った。
「依頼料に追加しておいてくれ。」
商人が目を瞬く。
「え?」
「この仕事は依頼外だ。」
さも当然のような口調だった。
俺は少し笑ってしまう。
気付けば悠里はもう彼女の前にいたからだ。
「お姉さん強いですね!」
女性が少し眉を寄せる。
「…急になんだ。」
悠里は気にした様子はない。
「お姉さん名前は?私は悠里って言います!」
元気よく自己紹介する悠里。
女性は一瞬だけ考えた。
「ウェイン。」
「素敵な名前ですね!」
「そうでもない。」
ウェインは肩をすくめた。
俺は少し離れた場所から彼女を見ていた。
先程の無駄のない動き。
実戦慣れしている。
おそらく傭兵か。
ウェインの視線がこちらに向き、一瞬だけ俺を見る。
目と目が合った。
そしてすぐ逸らされた。
その時だった。
市場の隅から小さな泣き声が聞こえた。
「うぅ…。」
男の子だった。
地面には潰された魚籠。
その籠に入っていたのだろうか、少年の近くには魚が散らばっている。
さっきの騒ぎで落としたのだろう。
「お父さんに怒られる…。」
愕然とした表情の少年。
周囲の大人は忙しくて気付かない様子。
ウェインがそちらを見る。
そして歩いていった。
俺達もその後に続く。
子供の前でしゃがむ。
「それ、お前のか?」
子供が頷く。
ウェインは何も言わず魚を拾い始めた。
一匹、また一匹。
俺達は何も言わず目を見合わせ頷くと、彼女と少年を手伝う。
最後の魚を籠に入れる。
ぽん、とウェインが子供の頭を叩く。
「ほら。」
子供が目を丸くした。
「ありがとう!お姉さん達!」
「気をつけろ。」
それだけ言って少年から離れ歩き出す。
悠里が言った。
「お姉さん優しいね!」
ウェインは振り返らない。
「別に。泣き声がうるさいだけだ。お前達だって手伝っていたじゃないか。」
ぶっきらぼうにそう言う彼女はどこか照れている様だった。
悠里が俺に近付き、耳元で内緒話をするように言う。
「いい人だね。」
「そうかもね。」
その時、ウェインがふと振り返る。
アリアを見る。
少し目を細めた。
「…あんた。」
アリアが首を傾げる。
「なんでしょう?」
ウェインは数秒見つめてから首を振った。
「いや。多分気のせいだ。」
そして俺達を見る。
「お前達観光か?」
悠里が元気よく答える。
「そう!」
ウェインは市場の奥を顎で指した。
「なら気をつけろ。」
「どうして?」
悠里が聞く。
ウェインの表情が硬くなり、瞳に少し真剣みが帯びた。
「最近この港、妙なんだ。」
俺は疑問に思い聞く。
「妙とは?」
「海魔獣が増えてる。」
遠くで波の音が嫌に大きく聞こえた。
ウェインは続ける。
「商人の話では船が何隻か帰ってきてないらしい。」
アリアの表情がわずかに変わる。
「事故ではなく?」
ウェインは首を振り答える。
「それは分からない。」
そして低い声で言った。
「最近海が荒れてるわけでもない、なのに船だけが消えているという噂が広がっている。」
悠里が言う。
「海って不思議だね。」
ウェインは少し笑った。
「港町じゃよくある話だ。」
そう言って背を向ける。
「オレは仕事がある。」
数歩歩き、ふと立ち止まった。
ウェインが振り返る。
「悠里。」
「なに?」
「市場の床は滑る。はしゃぎすぎて転ぶなよ。」
悠里が足元を見る。
足元の石畳が水で濡れていた。
「ほんとだ!すごく滑りそう。」
ウェインはそれだけ言うと歩き去った。
悠里が手を振る。
「またねー!」
ウェインは振り返らない。
ただ片手を軽く上げただけだった。
俺はその背中を見ながら思う。
面白い人だ。
港町セレン。
この町には、まだ何かありそうだった。




