第二十九話 勇者帰宅
街道には静かな空気が戻ってきていた。
先ほどまで戦っていたとは思えないほど風は穏やかで、草の揺れる音だけが耳に届く。
アリアに説明を受けている勇者彰人が、警戒をはらんだ目で俺の方を見ている。
「…そんなまさか。」
その表情は信じられないと言っているようなもので、彼は目を閉じ熟考し始める。
停まっている奇妙な乗り物。
その横に立つ俺。
そして――悠里とアリア。
そして、ゆっくりと目が開いた。
彼の視界に最初に入ったのは――
至近距離にある悠里の顔だった。
「ばぁ!」
「!!?」
彰人は反射的に上体を反らした。
「近い!」
慌てて距離を取る。
だが反射的に動いた瞬間、額の痛みを思い出したのか顔をしかめた。
「…っ。」
さっきの一撃を思い出すのか、苦い顔でこちらを見てくる。
ただの枝。
それで彼は一撃で倒された。
注意の視線が自然と俺へ向くのも頷ける。
俺は街道の真ん中で、特に気にした様子もなく立っている。
彰人は俺の態度が気に入らないのか歯を食いしばる。
「……。」
そんな様子を見てか、アリアが静かに言った。
「勇者彰人様。落ち着いてください。」
「アリア様…!」
彰人はすぐ姿勢を正す。
「本当にご無事なのですね。」
「はい。」
アリアは小さく頷いた。
「先ほども申し上げましたが、私は攫われていません。」
彰人はすぐに俺を見る。
変わらず疑いの目だ。
「…本当に、ですか。」
「はい。」
アリアはため息をついた。
「私は自分の意思でここにいます。」
彰人は言葉を失った。
しばらく気まずい沈黙が続く。
その空気を壊したのは――
悠里だった。
「ねえ。」
彰人が顔を向ける。
「勇者って何人いるの?」
「…は?」
あまりにも唐突な質問だった。
「聖教国には、まだ他にもいるの?」
「それは…機密だ。」
「ふーん。」
悠里はあまり興味なさそうに頷いた。
そして、彰人をじっと見て言う。
「でも勇者ってさ。」
嫌な予感がした。
「お兄ちゃんに負けたよね?」
街道に先程よりも静寂が落ちた。
彰人の肩がわずかに震える。
アリアが額に手を当てた。
「悠里。」
「なに?」
「それは言わなくていいことなんだよ。」
俺は彰人を見ながら悠里に言う。
「事実だけどね。」
彰人は空を見上げた。
深く息を吐く。
そして、ゆっくりと落としていた装備を拾った。
足元はまだ少しふらつくが、倒れるほどではない。
鎧についた土を払う。
「……。」
しばらく黙ってから俺を見た。
「俺は聖教国の勇者だ。」
その声は先ほどよりも落ち着いていた。
「聖女様が突然姿を消して、国中が騒ぎになっている。」
アリアは静かに頷く。
「でしょうね。」
「魔族残党の動きもある。」
彰人は続ける。
「聖女様は国の象徴的存在だ。」
拳を握る。
「俺には守る義務がある。」
真っ直ぐな言葉だった。
俺はそれを聞いて、軽く肩をすくめた。
「大変だね。」
彰人の眉がぴくりと動く。
悠里が横から言う。
「お兄ちゃんいつもこんな感じだよ。」
「そうかい?」
彰人はしばらく俺達二人を見ていた。
それから視線をアリアに戻す。
「…アリア様。」
「はい。」
「本当に、この男と共に行くのですか。」
アリアは迷いなく答える。
「ええ。」
静かな声だった。
「私は自分で決めました。」
彰人は目を閉じる。
数秒の沈黙。
やがて、ゆっくりと息を吐いた。
「…分かりました。」
そして俺を見る。
「今回は引く。」
悠里が首を傾げる。
「帰るの?」
「帰る。」
即答だった。
だが、彰人の視線は鋭い。
「だが覚えておけ。」
真っ直ぐに湊を見る。
「聖女様を連れ回す男。いずれ必ず、この借りは返させてもらう。」
宣戦布告だった。
悠里が笑って、嬉しそうに言う。
「また来るの?」
「来る。」
「じゃあまたね!」
彰人は一瞬、言葉を失った。
俺は軽く手を振る。
「気をつけて。」
彰人は何も言わず踵を返した。
白銀の鎧が街道を歩き出す。
やがて、その背中はゆっくり遠ざかっていった。
悠里がぽつりと言う。
「勇者って大変そうだね。」
湊は小さく笑う。
「きっと真面目なんだろうね。」
アリアはため息をついた。
「厄介なことにならなければ良いのですが...。」
白銀の鎧は、やがて丘の向こうへ消えていった。
◇ ◇ ◇
――少し離れた街道
彰人は歩き続けていた。
夕暮れの光が鎧に反射し、白銀の表面を赤く染めている。
額にはまだ痛みが残っているが足は止めない。
止めてしまえば、胸の奥に燻る感情に押し潰されそうだった。
悔しい。
拳を握る。
あの男。
武器も持たず、魔法も使わない。
それでも圧倒的で、自分は一撃で倒された。
「…化け物め。」
自分は勇者だ。
聖教国が召喚した、世界を守る存在。
そのはずなのに。
自分の技はことごとく防がれ、相手の放った攻撃は一度だけ。
悔しさが胸の奥で燻る。
ふと、少女の声を思い出した。
『お兄ちゃんだよ。』
彰人は小さく息を吐く。
「…妹か。」
あの少女は、疑いもなくあの男を信じていた。
小さく呟く。
「終わりじゃない。必ず暴いてみせる。」
あの男の正体と狙いを。
そして、自分が負けた理由を。
必ず突き止める。
白銀の鎧は、夕暮れの街道の向こうへと消えていった。




