第二十二話 白昼の鐘は静かに響く
夢の中で、鐘が鳴っていた。
低く、鈍く、どこまでも響く音。
石造りの広場。
白い階段。
その上に、処刑台。
群衆のざわめきは感じられるのに、音だけが遠い。
中央に立つのは――アリア。
両手を縛られ、それでも静かに優しく微笑んでいる。
誰かが罪状を読み上げている。
「反逆」「教義への背信」「国家転覆の扇動」
言葉が並ぶたびに、空の色が薄れていく。
青が抜け、灰になり、やがて白くなる。
そして。
世界の輪郭が、音もなくひび割れた。
ぱきり、と。
目に見えない何かが砕ける感覚。
――違う。
それはダメ。
◇ ◇ ◇
私はそこで目を覚ました。
荒い呼吸、全身汗だくで気持ちが悪い。
夜明け前の車内は静まり返っている。
セブンズ・ロッジ号の天井を見つめたまま、私はしばらく動けなかった。
怖い夢だった、というより。
「よくない。」
その感覚だけが胸に残っている。
アリアが処刑されること。
せっかく知り合った人がひどい目にあう。
それ自体も嫌だ。
けれどそれ以上に。
“面倒なことになる”。
そんな予感がした。
隣で、お兄ちゃんが目を開ける。
「…どうしたんだい?」
寝起きで声は低いが、すぐに覚醒してくる。
私は迷った。
夢だと言えばいい。
気のせいだと笑えばいい。
でも。
「アリアさんが、いなくなったら…。」
言葉が震える。
「何だか、よくない気がする。」
私の言葉に、お兄ちゃんの目が細くなる。
「夢かい?」
「うん…でも、ただの夢じゃないみたい。」
私は自分の胸を押さえる。
「うまく言えないけど…境目がなくなるみたいな。止める人が、いなくなるみたいな。」
静寂。
お兄ちゃんは否定しなかった。
◇ ◇ ◇
前日の雪祭り。
風のないのに舞う雪、不自然に揃った冷気。
悠里の掌で光った雪。
偶然で片付けるには、重なりすぎている。
――俺はその可能性を否定できなかった。
「戻ろうか。」
短く言う。
悠里は顔を上げる。
「いいの?」
「もちろん。」
迷いなく答えた。
エンジンが静かに唸り、セブンズ・ロッジ号は北部の村を離れ来た道を戻る。
聖教国の街の城門が見えたとき、出た時との空気の違いは明らかだった。
衛兵の数が増えている。
《街の中の緊張感が高まっています》
セブンズ・ロッジ号が警告を発する。
言われた通り前に来た時の賑わいは鳴りを潜め、どこか張り詰めた緊張感を感じる。
槍の穂先は磨かれ、視線は硬い。
門を抜けると、街のざわめきがどこか遠い。
声はあるのに笑い声が聞こえない。
「聞いたか? 聖女様が…。」
「反逆だとよ。」
「信じられねぇ、そんなばかな…。」
信じられない噂が静かに、しかし確実に広がっていた。
俺は足を止めず街を進む。
今は少しでも情報は拾うが最優先だ。
教会前の広場。
いつもなら信徒で賑わう石段は、今は半分が封鎖されている。
代わりに、教会の紋章の付いた装備で武装した聖騎士が立っていた。
「聖女アリアは?」
俺は近くの聖騎士に話しかける。
騎士は一瞬だけ目を逸らす。
「現在、教会内で謹慎中だ。上層部のお達しでな。」
「面会は出来るかい?」
「許可がない者は通せない。」
声は丁寧だが、所作や表情が硬い。
彼から反逆や背信という厳しい言葉は出なかった。
だが、なにかしらの準備は確実に進んでいるみたいだ。
それが分かる空気だった。
俺は軽く頷き騎士に。
「分かった。」
そう言って踵を返す。
怒りはない。
焦りもない。
ただ、冷たい計算を始める。
俺は広場のベンチに腰掛け、聖女の安否を気遣う信徒のまねごとをしながら周囲を窺う。
巡回は四人一組。
交代は十五分間隔。
裏手の通路は比較的死角が多い。
鐘楼の陰は盲点になりうる。
セブンズ・ロッジ号へ戻ると悠里がすぐに立ち上がり、こちらに寄ってくる。
「どうだった?」
「軟禁か監禁かは分からないが、囚われているみたいだ。教会の中。」
悠里の肩が震える。
「やっぱり…。」
俺は悠里の頭に軽く手を置く。
「俺が行くよ。」
「一人で?」
「ああ。」
悠里は一瞬だけ唇を噛む。
行って欲しくはないのだろう。
だがそれを飲み込んだみたいだ。
俺を困らせる事はしない。
それが、彼女の最優先みたいだ。
「…気をつけてね。」
「もちろん。」
俺は外に出る。
夜の帳が落ち始めた街。
教会の裏手へ回る。
足音を消し、呼吸を整え、影に溶ける。
戦場の感覚が戻ってくる。
視界が広がる。
音が分解される。
二人の騎士が角を曲がる。
三歩。
間。
今。
俺は石壁に身を寄せ、そのまま教会の回廊へ滑り込んだ。
◇ ◇ ◇
同時刻。
セブンズ・ロッジ号の中。
悠里は胸を押さえていた。
遠くで。
ほんのわずかに。
空気が張り詰める感覚。
教会の方角。
世界の“縫い目”が、きしむかのような。
「…遅い。」
小さく呟く。
自分でも意味は分からない。
ただ。
何かが動き出している、そんな予感がしていた。
◇ ◇ ◇
教会内部。
薄暗い廊下の先の部屋。
窓の隙間から白い影が見えた。
アリアは静かに座っている。
目を閉じ、祈るように。
その瞬間。
教会内の空気がわずかに静止した。
音が落ちる。
呼吸が重なる。
湊は足を止める。
――これは。
悠里の時と同じ。
だが、あの時よりもっと深い。
聖女と楔。
二つの共鳴する特異点が、同時に存在している。
俺はゆっくりと息を吐いた。
ここから先は、生半可な覚悟では触れられない。
白昼に鳴った鐘はまだ耳の奥で低く響いている。
そして今、夜の闇の中で。
何かが確実に動き出そうとしていた。




