第二十話 不穏な影
湊さんと再会し、その妹である悠里さんと出会って数日後。
神殿からの書簡は、朝の祈りを終えた直後に届けられました。
白い封蝋には聖教国の紋章。
重みのある紙。
内容は簡潔でした。
砦での一件に関する聖務監査の実施。
側近人事の再編。
聖女権限の一部見直し。
協力者との接触経緯の詳細報告。
一見どれも正当な手続きに見えます。
非難や叱責といった文言もない。
だが、私は何となく理解していました。
――始まってしまったのだと。
書簡を畳み、机に置く。
教会では今日も民が熱心に祈りを捧げられています。
彼らは変わらない。
だが神殿、聖教国の空気は確実に変わっていました。
その日の午後には長年仕えてくれていた神官と護衛の異動が告げられました。
「栄転です。中央でのお役目に…。」
そう説明されたが、彼らの目はどこか落ち着きなく揺れていました。
代わりに着任した補佐官は礼儀正しく、無駄な所作がない方。
感情の揺れや人間味が感じられない男性でした。
その視線は鋭い。
言葉は柔らかいものでしたが、しきりに私の行動を知りたがる。
護衛という仕事柄気にしないといけないのかもしれないのですが、少し度が過ぎているように感じます。
「今後の行動予定は事前に共有いただけると助かります。」
丁寧な言葉遣い。
その提案に拒む理由はありません。
それでも、胸の奥に小さな違和感が残ります。
私の慈善活動に対する資金の承認も遅れている。
砦復旧支援の手配は書類の不備を理由に差し戻されました。
今までなら即日で通っていたもの。
何故?砦の復旧を最優先にして、私の活動資金が遅くなるのはまだわかります。
砦の復旧支援さえ、書類不備で止められた。
――それが何よりも不自然でした。
おそらく、聖教国か神殿の上層部の一部が私を囲もうとしているのでしょう。
だが、露骨ではない。
一応国政の体面を保っている。
だからこそ私は否定できない。
◇ ◇ ◇
数日後、上層部との面談が設けられた。
その準備のためにお二人をこの場に留まらせているのは申し訳ない。
お礼のためにと数日だけ待ってもらうつもりが、随分と長くなってしまいそうです…。
応接室には穏やかな光が差している。
向かいに座る司教は微笑を崩さない。
「聖女殿のご活躍は国にとって誇りです。砦の防衛でも大活躍だったとか。」
前置きは称賛から。
「ですが、戦地への単独行動は民へいらぬ誤解を招きかねません。制度の中でこそ、聖女は最も輝くのです。」
その言葉に、上層部の思惑が重なります。
駒、制度、権威。
「部外者との接触についても、慎重であるべきかと。」
静かな圧力。
責めている気配は出さない。
ただただ国としての正論を積み重ねるという嫌らしい論調。
彼と再会する少し前の自分なら。
胸が締め付けられながらも、それが責務と諦めて従っただろう。
神殿の意向に背くことを恐れただろう。
だが――
彼の背中を思い出す。
戦場で迷いなく力を振るった姿。
悠里さんを見つめるときのあの優しい瞳。
自らの信念のために動くと言葉にせず示していた彼。
私は俯かせていた顔をゆっくりと上げた。
「ご指摘はもっともです。」
柔らかく答える。
「ですが、私は私の務めを果たします。守るべきものを守る。それが聖女としての在り方だと、私は信じていますから。」
声は思ったよりも穏やかだった。
揺れもしなかった。
司教の微笑がわずかに硬くなる。
してやった気分になり少し嬉しくなりました。
◇ ◇ ◇
その夜。
自室には私一人。
燭台の火が揺れる。
私は首から下げたペンダントを握りながら膝をつき、祈りの姿勢を取る。
神は未だに沈黙しています。
問いかけても、答えはありません。
だが今は、それでいいと思えました。
導きを待つのではなく、選ぶのは自分自身だから…。
「私は、この道を行きます。」
小さく呟く。
許しを請う言葉ではない。
決意の言葉だった。
不安が消えたわけではない。
神殿という土台が揺らげば、出来ることも限られる。
それでも。
あの日、再び会えたから。
もう迷わない。
◇ ◇ ◇
翌朝。
教会に泊まっている湊とアリアは、中庭で偶然顔を合わせた。
気の知れた仲の何気ない会話。
爽やかな風、穏やかな空気。
少しだけ話すと、公務があるとアリアは教会を出て行く旨を伝える。
すれ違いながら、湊はふと足を止めた。
視線をアリアの後ろにいる者達に巡らせる。
護衛の配置が、人の質が変わっている。
不自然な距離感。
湊だけでなく、アリアを注視する目も多い。
笑っているが、緊張が混ざっている。
戦場でも何度か嗅いだ匂い。
見えない包囲。
「…面倒事の匂いがするな。」
小さく呟く。
アリアは首を傾げ、湊を見る。
「何かおっしゃいましたか?」
「いや。なんでもないよ。」
湊は視線を戻し、いつもの調子で肩をすくめた。
だが胸の奥に引っかかりが残る。
ここで力を使う事ではない。
だが、油断できない。
静かな波が、確かにアリアに寄せている。
まだ表向きは誰も声を荒げていない。
誰も刃を向けていない。
それでも。
何かが動き始めている。
湊はもう一度だけ、周囲を見渡した。
嵐はまだ遠い。
だがその匂いは、確かにそこにあった。




