第二話 元勇者は平穏第一(ただし妹絡みは除く)
嫌な予感というものはなぜよく当たるのだろうか。
ヘブンズ・ロッジ号の運転席に座り、俺は大きく息を吐く。
エンジンは静かで振動もほとんどない。
草原を走っているはずなのにまるで舗装路を走っているかのような感覚だ。
「……召喚、ね。」
数年前、俺自身がそうだった。
何の前触れもなく、拒否権もなく、日常から切り離されて異世界に放り込まれる。
あれを経験して、もう二度と関わりたくないと思っていたはずなのに…。
ふと妹の顔が脳裏をよぎる。
「違う、考えるな。」
俺は首を振って思考を切り替える事に努める。
嫌な想像ほど現実を引き寄せられる。
これは経験則だがあながち間違ってないだろう。
ヘブンズ・ロッジ号は俺の意思を察したかのように進路を自動修正し、近くの丘を迂回するルートを選んだ。
地図もいらず危険地帯も、国境線も、魔力の調整も全部お任せのらくらく使用。
本当に神はとんでもないものを寄越してくれた。
しばらく走ると小さな街が見えてきた。
城壁は低く、門番もどこか気の抜けた様子。
魔王討伐後、平和になった地方都市の典型だろう。
良いことなのか悪いことなのかは人による。
「物資補給だけしてさっさと出るか。」
目立たない事、それが大事だ。
ヘブンズ・ロッジ号を街外れに停め、俺はフードを深く被って街に入る。
市場は賑わっていた。
異世界由来の野菜、果物、干し肉。
活気はあるがどこか不安を隠しきれていない空気も漂っている。
原因は明らかだろう。
「聞いたか? 聖ステラ王国がまた勇者召喚を――」 「しっ、声が大きい。」
…ほら、な。
俺は聞こえなかったふりをして露店を冷やかし、最低限の物資だけを購入する。
もっとも、食料に関してはほぼ趣味だ。
車内の冷蔵庫には日本の食材が無限に出てくる。
ランダム要素があるのがたまに傷だが、醤油も味噌も米もある異世界生活など誰が想像しただろうか。
街を出ようとした、そのとき。
空気が、凍った。
「――っ!」
背筋を走る悪寒。
魔力の流れがさっきよりもはっきりと乱れている。
しかも近い。
「…本気かぁ。」
俺は無意識のうちに歩調を速めた。
街の中心から少し外れた古い礼拝堂。
使われていないはずのその建物からその悪寒の原因の気配が漏れている。
扉の向こうで誰かが詠唱している。
勇者召喚術で間違いない。
胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
「…頼むから他人であってくれ。」
俺は静かに扉を開ける。
次の瞬間、視界が白に染まる。
◇ ◇ ◇
目を開けた瞬間、世界が変わっていた。
「…え?」
さっきまで自分の部屋にいたはずだった。
お兄ちゃんの残したノートを胸に抱えて、いつものようにベッドの上で丸くなっていた、そのはずなのに。
床は冷たい石畳。
見上げれば知らない天井。
周囲には白いローブを着た大人たちが円を描くように立っている。
「…ゆ、勇者召喚、成功だ…!」
誰かが、震えた声でそう言った。
「…勇者?」
頭の整理が追いつかない。
その瞬間、胸の奥に浮かんだのは恐怖じゃなかった。
…ああ、何ということだ。
「…お兄ちゃん。」
喉がひくりと鳴る。
一年前突然消えた兄。
事故でも事件でもない、説明のつかない失踪。
それでも私はずっと待っていた。
帰りが遅いだけだと言い聞かせ、毎日同じ部屋で同じ時間を過ごしながら。
きっと帰ってきてくれる。
だって、兄はそういう人だから。
強くて、無茶苦茶で、優しいのに不器用で、何も言わずに私を置いて何処かへ行くなんてありえない。
「…やだ。」
涙が溢れた。
きっと帰って来てくれるはずなのに。
お兄ちゃんが帰る場所が必要なのに。
こんな形で、それが出来なくなるなんて。
「勇者様! あなたは選ばれ――」
「やだ…。」
声が、震える。
「帰りたい…。」
お兄ちゃんが帰ってくるあの家に。
そう願った瞬間だった。
◇ ◇ ◇
魔法陣、光柱、儀式用の祭壇と術師に囲まれるように中央に立つ人影。
…小柄な女の子。
「…悠里?」
声が震えた。
見間違えるはずがない。
「なんで、悠里がいる?」
俺の世界でたった一人の妹。
天瀬 悠里がそこに立っていた。
「…お兄、ちゃん?」
その涙交じりの声を聞いた瞬間、俺の中で何かが弾ける。
世界の均衡?国の思惑?そんなものどうでもいい。
ああ、そうだ。
俺は彼女を守るために魔王を殺したんだ。
「…誰だ。」
俺は静かに一歩踏み出す。
「俺の妹を、こんな世界に呼んだのは。」
術師たちが目に見えて青ざめた。
「ま、待て!君は何者だ!」 「勇者召喚の邪魔を――」
「質問に答えろ。」
自分でも驚くほど低く、静かな声。
礼拝堂の空気が軋み、その場にいた術師たちは一斉に後ずさった。
魔力が漏れる。
意識して抑えているのに、床の魔法陣がひび割れていく。
「…お兄ちゃん、なの?」
悠里が小さく呟いた。
「…本物?」
「本物だ。間違いなく。」
即答した。
「迎えに来た。遅くなってごめんな。」
「…うそ…。」
悠里が信じられないものをみるような目でその場にへたり込む。
「あ!ちょ、ちょっと待て!」 「その娘は聖ステラ王国の――」
「黙れ。」
言葉と同時に空気が弾ける。
剣も抜いてないし、魔法も発動していない。
それなのに術師たちは全員床に膝をついていた。
その表情は驚愕に染められている。
「…勇者召喚は拒否権がないんだったな。」
俺は苦々しく息を吐く。
「悪いな。妹は返してもらう。」
「国を敵に回すつもりか…!」 「神に背く行為だぞ…!」
「上等だ。」
苦しそうな術師達にそう吐き捨てる。
俺は悠里の前にしゃがみ込み視線を合わせた。
「悠里、大丈夫か?」
「…お兄ちゃん…?」
「うん。」
「…お兄ちゃん…。」
「うん?」
次の瞬間、全力で抱きつかれた。
「バカ!! 遅い!!」
胸元に顔を埋められ、嗚咽混じりの声が響く。
…ああ、やっぱり。
「ごめん。」
それしか言えなかった。
「…帰ろうか。」
「…どこに?」
悠里が涙目で見上げる。
俺はいたずらっぽくにやりと笑った。
「家に。」
「…?」
俺達は床に倒れ込み苦しそうな術師達を置いて、街の外に待機させたキャンピングカーに向かった。




