第十九話 聖教国内の陰謀
神殿中枢、第三会議室。
高い位置に設けられた細長い窓から差し込む光は弱く、石造りの室内は昼であるにもかかわらず薄暗かった。
円卓を囲む三人の男たちは、祈りの場に似つかわしくない沈黙を共有している。
やがて一人男、黒衣の司教が口を開いた。
「砦は半壊。守備兵の一割が死亡。魔族幹部は討伐されました。」
向かいに座る壮年の男――枢機卿ラグナスは、指先で机を静かに叩いた。
「思ったよりも被害が少ないな。…して、聖女は。」
「生存して、帰還しております。負傷者の治療を主導し、計画に反して民衆の支持はむしろ上昇。現地付近では奇跡との声も。被害が少ないのもそれが原因でしょう。」
短い沈黙。
「計画は失敗、か。」
怒声はない。
ただ冷徹に事実を述べる声だった。
情報担当の青年が控えめに資料を差し出す。
緊張からか、身体に力が入っている。
「砦の兵力は予定通り事前に削減。補給も三日前から遅延させております。魔族への情報流出経路も問題ありません。襲撃は想定通りでした。」
「だが聖女は死ななかった。」
「…はい。」
本来、あの魔族の襲撃であれば間に合わないはずだった。
救援は意図的に遠回りをさせ、砦の守備は最低限まで落とした。
魔族には“豊かな補給拠点”という偽情報を流した。
襲撃そのものは、彼らの意思によるものだ。
だが舞台を整えたのはラグナス側である。
目的は単純だった。
聖女が間に合わない状況を作ること。
それにより発生するマイナスのイメージ。
守れぬ聖女。
無力な象徴。
それを演出することが出来れば十分だった。
死ねば殉教。
生き残っても失墜。
いずれにせよ、神殿は新たな聖女を擁立できる。
だが実際の結果は逆だ。
「民は危機を欲する。危機があればこそ、奇跡を渇望する。」
ラグナスは静かに語る。
「そして奇跡を演出できる者が、権威を得る。」
聖女アリア。
神託なき時代に現れた“清廉”の象徴。
魔王討伐以降、神は沈黙して何も言わない。
表向きは勇者召喚も起きず、天変もない。
まさに平和な時代。
今まで信じられていた奇跡は歴史書の中の話となりつつあった。
にもかかわらず民は彼女を信じ、熱狂している。
彼女祈りに涙し、施しに頭を垂れ、戦場での姿を語り継ぐ。
問題はそこだ。
「信仰が神殿を介さず、個人へ向かう。これは危険な事だ。」
司教が頷く。
「聖女は本来、制度の中にあるべき存在。神殿の意志を体現する駒です。」
「駒が、自ら光を放ってはならぬ。」
ラグナスの目が細くなる。
神殿が恐れているのは魔族でも他国でもない。
民衆が“神殿よりも聖女を信じること”だ。
神殿は構造だ。
積み重ねられた権威だ。
だが彼女は民衆の感情で支持されている。
それは脆いが、時に絶大な力を発揮する。
「次はどうなさいますか。」
青年が問う。
「急くな。」
ラグナスは力を抜いて椅子にもたれた。
椅子がギシリと音を立てる。
「今回の失敗は誤算があった。」
空気が僅かに変わる。
「砦での生き残りの話では前勇者がいたとか。」
司教の声は低い。
「生存していたか。」
「はい。砦にて魔族幹部を単独で撃破。報告によれば、圧倒的だったと。」
魔王との最終決戦後、行方をくらました男。
英雄。
国家の象徴となり得たであろう存在。
それがどこにも管理されずにいる。
それだけでとても厄介だ。
「聖女との接触は。」
「確認されています。」
沈黙が落ちる。
そして、もう一枚の紙が差し出された。
「さらに…もう一人同行者がいたようです。」
「詳細は。」
「不明。ですが、観測した術者は“勇者級”と証言しております。」
ラグナスは資料を閉じた。
勇者召喚は起きていない。
神は沈黙している。
だが、もし。
「観察を続けろ。」
それだけを命じる。
勇者は管理されて、国に使われてこそ意味を持つ。
野に放たれた英雄は非常に厄介だ。
ましてや、新たな象徴が生まれようとしているなら尚更。
「聖女はこの国の駒でなければならぬ。」
その言葉に、誰も異を唱えない。
アリアは清廉だ。
敬虔な信徒でもあり、民衆からの支持も厚い。
だが、もし彼女が個の意思で動き始めたなら。
それは神殿の統制外だ。
「まずは周りから崩す。」
暗殺ではない。
それだとこちら側が、彼女を慕う民衆に疑いの目を向けられる。
包囲だ。
彼女の側近を入れ替える。
資金の流れを絞る。
聖女の権限を一部停止する。
そして、異端審問の噂を流す。
じわじわと。
聖女をという象徴を聖教国の中に戻す。
あるいは――追い出して亡き者にする。
ラグナスは立ち上がり、窓辺へ歩いた。
外からは神殿広場が見える。
民衆が祈り、蝋燭を灯している。
彼らは知らない。
奇跡も危機も、半分は作られたものだということを。
「偶像は制御できる。」
低く呟く。
「だが英雄は制御できぬ。」
そして、わずかに口元を歪めた。
「ならば、思い通りになるようにするまで。聖女の護衛に一人、こちらの目を入れろ。」
神は何も言わず沈黙している。
ならば、その沈黙を代弁する者が必要だ。
会議室の扉が閉まる。
薄暗い空間に、祈りの鐘が遠く響いた。
その音は、祝福か。
それとも、誰かの破滅を告げる鐘か。
まだ誰も知らない。




