第十一話 湖の村
目が覚めた時、視界の半分が黒かった。
正確には悠里の長い髪だ。
腕の中で丸くなって眠っている妹の頭が、胸の下あたりに収まっている。
…この感じ久しぶりだな。
俺は静かに呼吸を整え、起こさないように体勢を調整する。
悠里は寝返りを打つかのように俺の服を掴んできた。
指先が布地をきゅっと引き寄せる。
離れるな、と言っているみたいだ。
離れる理由はない。
俺はそのまま悠里の髪に指を通し撫でる。
「…ん。」
小さく声を漏らして、悠里はさらにくっついてきた。
全身で完全密着。
ああ、なんて今日も平和なんだ。
ヘブンズ・ロッジ号の窓越しに朝の光が差し込む。
今日は前に行った景色のいい所に向かう途中だった。
街道町リュネイで約束した場所だ。
もう少ししたら、悠里を起こすとしよう。
◇ ◇ ◇
ヘブンズ・ロッジ号を運転しながら俺は外の景色を眺めていた。
緩やかな丘陵、風に揺れる草原、遠くに連なる青い山並みに、助手席で悠里が窓に額を寄せて目を輝かせていた。
「お兄ちゃん、すごいね…。」
「そうだろ。ここ、俺も好きなんだ。」
「うん…きれい…。」
感嘆の声をあげ景色に見入る悠里。
それだけで連れてきた甲斐がある。
相変わらず俺の袖を掴んで離さない。
普通に考えたら危ないし運転の邪魔だ。
でも離す気配がないのでもう諦めている。
ヘブンズ・ロッジ号の安全運転機能に任せるとしよう。
そうして走ることしばらく、目的地近くの村が見えてきた。
村の入り口は花で飾られていて、石畳の道がゆるやかに続いている。
遠くに目的の湖、丘の向こうに風車。
この村も既に景色がいい。
「わあ…。」
悠里がまた感嘆の声をあげる。
そのまま俺の腕を掴んできた。
「綺麗だね、お兄ちゃん!」
「ああそうだね。」
ヘブンズ・ロッジ号を停め外に出ると、悠里が興奮気味に先を急ぐ。
俺はその歩幅に合わせる。
テンションの上がった悠里は俺の腕にがっちり絡みつく。
そのまま手を繋いで村への道を歩いてむかった。
村は本当に綺麗だった。
花の咲く道、白い壁の家。
そして向けられる人々の視線。
何かおかしなところがあっただろうか?
宿屋に泊まってみたいと悠里が言うので宿屋に入ると、年配の女将さんがにこやかに迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。お二人ですか?」
「はい。」
俺が答えると、女将さんは悠里を見て微笑む。
「まあ、可愛らしい奥様ですね。」
俺と悠里は同時に口を開いた。
「妹です。」
「兄です。」
一瞬の沈黙。
女将さんは目を瞬かせてから
「あらぁ…大変仲がよろしいのね。」
と、微笑ましそうに言った。
悠里は少し照れたように笑い、握った手の指を絡めてきた。
仲のいい兄妹なのは事実なので、俺は特に気にしない。
鍵を受け取る時も、
「若いご夫婦かと思いました。」
と言われた。
悠里は赤くなったが俺は内心首を傾げていた。
仲のいい兄妹なら普通だ、問題はない。
宿を取った後、村を見て回りたいと言う悠里の希望で宿から出て外を散策する。
その時、露店通りで悠里が小さなガラス細工のペンダントを見つけた。
澄んだ青に銀の意匠が施されたものだ。
「綺麗…。」
じっと見ている。
俺は何も言わず店主に代金を払い、そのペンダントを受け取る。
「え、いらないよ?」
悠里が慌てる。
「いるさ。」
有無も言わさず即答。
そっと首にかけてやる。
近くで果物を売っていた少年がこちらをじっと見ていた。
「ねえ兄ちゃん。」
突然声をかけられる。
「姉ちゃんと結婚するのか?」
俺は一瞬固まった。
悠里はきょとんとした顔で、
「お兄ちゃんだよ?」
と当然のように答える。
少年は首を傾げる。
「でもずっとくっついてるじゃん。」
…否定は出来ない。
俺が口を開く前に悠里が続けた。
「だって離れると寂しいもん。」
少年は「ふーん」と意味深に頷き、
「仲いいんだね!」
と言って商売に戻った。
俺は小さくため息をつく。
悠里は何も気にせず俺の袖を掴んでくる。
通常運転だった。
悠里はぽかんとして、それから笑った。
「お兄ちゃんありがとう!」
そのまま俺の腕に額をこつんと当ててくる。
通りすがりの人が好奇心からか振り返る。
気にしない。
悠里が嬉しそうならそれが一番いい。
夕方になり、村外れの丘に二人並んで座った。
湖が夕焼けを映して空と溶け合っているかのようだ。
肩が触れている。
風に揺れるさらさらの長い黒髪。
まだ幼さが残るも綺麗で愛らしい横顔。
そのすべてが夕日に照らされ一段と輝いて見える。
俺はふと思う。
この景色よりも。
この世界よりも。
隣にいる妹の方が、ずっと大事だ。
そんな当然の帰結。
「ねえ、お兄ちゃん。」
「ん?なんだい。」
「来れてよかった!」
「そうだね。」
悠里は満足そうに笑って、俺の肩に頭を預けてきた。
俺は自然に腕を回す。
もう二度と訪れないと思っていた幸せな時間が、今まさに訪れていた。
◇ ◇ ◇
景色を堪能し、夜。
宿に戻り食事と入浴を済ませ、取った部屋に入った。
部屋の灯りは柔らかく、窓の外から虫の声が聞こえる。
ベッドに腰を下ろすと悠里が当然のように隣に来た。
「今日は楽しかったね!」
「ああ。そうだね。」
俺は悠里の少し湿った髪を指で梳く。
魔力を調整し温め、しっかりと乾かしてあげる。
「疲れてない?」
「ちょっとだけ。でも平気だよ。」
そう言いながら悠里は湊の服の裾を掴む。
どうやら眠くなってきたみたいだ。
俺は察して靴を脱がせ、先に横にさせる。
そっと毛布をかけるが、悠里はすぐ転がってきた。
「お兄ちゃん。」
腕を伸ばして俺のシャツを掴む。
「こっち来て。」
俺は無言で空いたスペースに横になる。
そうすると悠里は即、胸に顔を埋めた。
悠里が深く息を吸う。
「…この匂い。」
「また嗅いでるのかい?少し照れてしまうのだけれど。」
「安心するんだもん。」
俺は苦笑して頭を優しく撫でる。
「今日も一日、よく頑張ったね。お疲れ様。」
「お兄ちゃんがいたから。」
その一言で、俺の心は打ち抜かれた。
悠里は小さくあくびをしている。
「…明日も一緒?」
「ああ。もちろん。」
即答。
「ずっと?」
「ずっとだよ。」
悠里は満足そうに笑ってぎゅっと抱きついてきた。
脚まで絡めてくる。
完全拘束。
俺は逃げられない。
逃げる理由がないが。
「…だいすき。」
寝落ち寸前の声。
俺は返事をしない。
代わり優しく撫でて、抱き寄せる。
次の瞬間には悠里の寝息が聞こえて来る。
夜はゆっくりと更けて行った。




