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第十話 ここにいる

私は、浅い眠りの底にいた。

あたたかい…。


柔らかくて、安心する匂いがする。

胸の奥がゆっくりほどけていく感覚。


……あ。

これ、お兄ちゃんだ。

そう思った瞬間、指先が無意識にシャツを掴んでいた。


居なくなってしまわないように。

消えてしまわないように。


ぎゅっと。


「…お兄ちゃん…。」


声に出たかどうかも分からない。

ただ、彼の胸に顔を押し付ける。


生きてる匂い。

体温。

鼓動。


ちゃんといる。

やっと会えた。それだけで涙が出そうになる。


――でも。

ふと、思い出してしまった。


お兄ちゃんがいなくなったあの日のことを…。


 ◇ ◇ ◇


私が十歳、お兄ちゃんが16歳のとき。

両親は突然いなくなった。


交通事故だった。

病院の白い廊下。


大人たちの声。

私は意味がよく分からないまま、お兄ちゃんの手をずっと握るしかなかった。


後に知った話では相手側の飲酒運転だったらしい。

大人たちが「飲酒」とか「過失」とか、そう言った話をしていた。。


私は最初訳がわからず、泣く事すら出来なかった。

お兄ちゃんは何か考えるような、覚悟を決めたような表情で二人を見ていたのを覚えている。


お葬式でやっと私は両親の死を実感し涙を流した。

どれくらい泣いていたか分からない。


けど、お兄ちゃんは泣きじゃくる私を抱きしめてずっと傍にいてくれた。


ほどなくして、お兄ちゃんは高校を退学した。

学校から期待されてたみたいで、結構な頻度で学校の先生と思われるスーツの人が家に来てお兄ちゃんと話していた。


それからアルバイトを始めて、お金の管理や洗濯をして、ご飯も作ってくれた。

まるで両親の代わりをこなすかの様に。


私も手伝おうとしたが、

「悠里は学校、ちゃんと行くんだぞ。」

「家事より勉強をしてほしいな。」

そう言って私の頭を撫でて、何時もはぐらかされた。


親戚の人たちは来たけれど、お兄ちゃんは首を縦に振らなかった。

私もそうだけど、葬儀での一件以来信用出来なくなっているんだと思う。


夜、私が怖くて眠れないときも。

急に熱を出したときも。


お兄ちゃんはいつも側にいた。

お兄ちゃん曰く、アルバイト先の人達は優しいみたいで、私に何かあったらすぐに帰してくれるらしい。


だから私はそんなお兄ちゃんの優しさに甘えていた。

いや、依存していったと言ってもいいだろう。


お兄ちゃんは、ずっと一緒にいるんだって。

傍にいてくれるって。


十四歳になった夜。

お布団に入る前、お兄ちゃんは言った。


「おやすみ。明日も早いからな。」

「うん。おやすみ。」


それが、最後だった。

次の日の朝。


目が覚めたら、お兄ちゃんはいなかった。


いつもなら優しい笑顔で「おはよう。」と言ってくれる時間なのに…。

台所にも。

玄関にも。


スマホも財布も置いたまま。

どこにも、いなかった。

 

最初は、すぐ帰ってくると思っていた。


散歩かもしれない。

アルバイトで急な呼び出しがあったかもしれない。

事故かもしれない…。


色んな考えが浮かんだけどとにかく待った。

昼になっても帰らなかった。


夕方になっても。

夜になっても。


手掛かりがないかと思いお兄ちゃんの机を探した時、あるノートを見つけた。


『俺がいなくなったら見るノート』


お兄ちゃんの字で表紙にそう書かれたノート。

震える手で開いた。


お金のちゃんとした使い方。

電気代と水道代の支払い方法。


ご飯のレシピに作り方。

洗濯の仕方や注意点。


知らない番号から電話が来たら出ないこと。

危ない人に声をかけられたら逃げること。


他にもたくさん細かく几帳面に書かれたノート。

最後のページに。


『悠里、必ず帰る。だから待ってて。』


私はそのノートを胸に抱きしめて泣いた。

涙が枯れ、声が出なくなるまで。


それからは言われた通りに生きた。

学校にちゃんと行った。

掃除洗濯も覚えた。

スーパーで安い食材を選んで料理した。


先生には「お兄ちゃんは仕事が忙しい」と言った。

そう言えば、それ以上何も聞かれなくて済んだ。


帰ってきたらまた頭を撫でてくれるんだって、何度も想像した。

想像してまた泣きそうになる。


夜は一人の寂しさで押しつぶされそうになるのを堪えてご飯を食べた。

お兄ちゃんはちゃんとご飯食べれてるだろうか。


お兄ちゃんの服を抱いて眠るのが日常になった。

その残り香だけが、私を慰めてくれていた。


そうすると、少しだけ泣かなくて済んだから。

ずっと信じていた。


必ず帰るって。

言ってくれてたから…。

 

 ◇ ◇ ◇


そして今。

私はお兄ちゃんの胸に顔を埋めている。


あの頃と同じ匂い。

少し汗の混じった、生きてる匂い。


指先が、無意識に服を掴む。

離さないように。


もう一度いなくならないように。

胸の奥が、じんわりあたたかい。


あの夜と違って。

今はちゃんとそこにいてくれる。


体温がある。

声もある。


「…お兄ちゃん…。」


小さく呟く。

返事はないけれど、私を抱きしめる腕の力が少しだけ強くなる。


それで分かる。

ちゃんとここにいる。


私は目を閉じて、もう一度深く息を吸い込んだ。

上下に動く胸の動きと、規則正しい鼓動が伝わってくる。


大丈夫。

お兄ちゃんはここにいる。

もう、一人じゃない。

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