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触れれば枯れると蔑まれた令嬢ですが、不毛の地の公爵様に「君だけが私の春だ」と溺愛されています  作者: 九葉


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第8話

アシュレイ様の懸念は、皮肉なほど正確に現実のものとなりました。

『春の女神』の噂は、凍てついた北の山脈を越え、あっという間に王都の社交界へと駆け巡ったのです。

そして、初雪が舞い始めたある日、グレイロック城に王家の紋章を掲げた使者が訪れました。


もたらされたのは、国王陛下からの正式な書簡。

内容は、近年、原因不明の凶作に悩まされている王都周辺の農地を、『春の女神』の力で浄化・祝福してほしいという、事実上の召喚命令でした。

そして、そのための勅使として、第二王子エドワード殿下と、聖女ソフィア様が、近日中にこの城を訪れる、と。


「……やはり、来たか」


書簡を読み終えたアシュレイ様は、苦々しく呟き、暖炉の炎を見つめました。

その横顔からは、あの夜会の日、わたくしに婚約破棄を突きつけた傲慢な王子の姿を、彼がはっきりと記憶していることが窺えます。


「大丈夫です、アシュレイ様」

わたくしは、彼の淹れたハーブティーのカップをそっとテーブルに置きながら、静かに、しかしはっきりと言いました。

「わたくしは、もうあの頃のわたくしではございません。逃げも、隠れもいたしません」

カップを持つわたくしの指は、もう震えていませんでした。


数日後、城門の前に、王都の華美な装飾が施された豪奢な馬車が到着しました。

わたくしとアシュレイ様は、城の者たちを下がらせ、二人だけで彼らをエントランスホールに迎え入れます。


重い扉が開き、冷たい外気と共に現れたのは、記憶にある姿と少しも変わらない二人でした。

豪奢な毛皮のついたコートを纏い、最新の流行を取り入れた豪奢な装束に身を包んだ、エドワード殿下とソフィア様。

彼らは、まるで辺境の野蛮な城を視察しに来たかのように、侮蔑の色を隠そうともせずに、ホールの中を見渡しています。


「ふん、相変わらず陰気な城だな、クレイヴン公爵。まるで墓場のようだ」

エドワード殿下の第一声は、敵意に満ちたものでした。

そして、その視線がわたくしを捉えた瞬間、彼の青い瞳が、わずかに見開かれます。


「……リゼットか? 随分と……変わったな」


無理もありません。

今のわたくしは、あの夜会の日、ただ俯いて侮辱の言葉に耐えるだけだった、哀れな侯爵令嬢ではないのですから。

背筋を伸ばし、真っ直ぐに彼の目を見つめ返す。その単純な行為が、彼には信じられないことのように映ったのでしょう。


「ごきげんよう、エドワード殿下、ソフィア様。ようこそ、グレイロック城へ」

わたくしは、完璧な淑女の礼と共に、穏やかな笑みを浮かべてみせました。


わたくしの隣に立つソフィア様は、聖女らしい慈愛に満ちた笑みを浮かべていますが、その潤んだ瞳の奥には、嫉妬と警戒の光がちろりと揺らめいています。

「まあ、リゼット様。お元気そうで何よりですわ。辺境の暮らしは、さぞ大変でしょうに」

その言葉には、「あなたのような呪われた女にはお似合いの場所でしょう」という毒が、巧妙に塗り込められていました。


「ええ、とても充実した毎日を送っておりますわ。ソフィア様こそ、聖女としてのお役目、ご苦労様でございます」

わたくしは、その毒を、柳に風と受け流します。


苛立ったようにエドワード殿下が咳払いを一つしました。

「戯言はそれくらいにしろ。リゼット、勅命は聞いているな。お前のその『都合の良い力』で、王都の農地が危機に瀕している。すぐに支度をして、我々と共に王都へ戻るのだ」


それは、わたくしの意思など、ひとかけらも考慮しない、あまりにも一方的な命令でした。

まるで、便利な道具を回収しにきたかのような口ぶり。


「まあ、殿下ったら。リゼット様も驚いていらっしゃいますわ」

ソフィア様が、わざとらしくエドワード殿下を諌めるふりをします。

「リゼット様、あなたのそのお力は、神が与え給うた奇跡。けれど、とても強大で、扱いが難しいものだと伺っております。ですから、わたくしの癒やしの力で、あなたの力を正しく導き、管理して差し上げますわ。さあ、共に参りましょう? 王国の民のために」


偽善の衣を纏った、支配の言葉。

彼女は、わたくしの力を自分の管理下に置き、聖女としての名声をさらに高めたいのでしょう。

その浅ましい欲望が、透けて見えました。


わたくしは、ゆっくりと首を横に振りました。


「お断りいたします」


その、静かで、しかし凛とした拒絶の言葉に、エドワード殿下もソフィア様も、一瞬、何を言われたのか分からないという顔をしました。


「……な、なんだと? 今、断ると言ったのか、この私が直々に来てやったというのに!」

エドワード殿下の顔が、屈辱に赤く染まっていきます。


わたくしは、もう一歩、前に進み出ました。アシュレイ様の、静かな魔力の気配を背中に感じながら。

「申し上げました通り、お断りいたします。この力は、もはやわたくし一人のものではございません。この力は、わたくしと、わたくしの婚約者であるアシュレイ様と、そして、この北の地で懸命に生きる民たちのためにあります」


「だ、黙れ! 呪われた魔女の分際で、誰に向かって口を利いている!」

激昂したエドワード殿下が、思わず手を上げかけました。

その腕を、アシュレイ様の無言の圧力が、ぴたりと縫い留めます。


「エドワード王子」

今まで黙って成り行きを見守っていたアシュレイ様が、地を這うような低い声で言いました。

その声には、戦場で敵を震え上がらせたという『灰色の魔術師』の威圧感が、確かに宿っていました。


「彼女は、呪われた魔女ではない。『春の女神』だ。そして、私の、ただ一人の婚約者だ。彼女の意思は、私の意思だ。彼女を道具のように扱うことは、この私が許さない」


アシュレイ様が、そっとわたくしの隣に立ち、守るようにその肩を抱いてくれました。

彼の体温と、力強い腕の感触に、胸の奥から勇気が湧き上がってきます。


「……くっ……! 辺境の公爵風情が、王命に逆らうというのか!」

「逆らうのではない。交渉の余地はない、と言っているのだ。リゼットの力が必要ならば、相応の礼節と、彼女自身の同意を得るのが筋であろう。勅命を盾に、力ずくで連れ去ることなど、万死に値する」


アシュレイ様の揺るぎない態度に、エドワード殿下はぐっと言葉に詰まります。

ここは、彼の城。彼の領地。

ここで事を構えるのが、どれほど無謀なことか、彼にも分かっているのでしょう。


ソフィア様が、悔しそうに唇を噛み締め、わたくしを睨みつけました。その目には、もはや慈愛の仮面はどこにもありません。

「……覚えていらっしゃい、リゼット様。神の奇跡を独占するような真似は、いずれ、あなたご自身に大きな災いを招くことになりますわ」


それは、聖女の言葉とは到底思えない、呪いのような捨て台詞でした。


「お帰り願おう。長旅でお疲れだろうからな」

アシュレイ様が冷たく言い放つと、エドワード殿下は屈辱に顔を歪ませながらも、踵を返しました。

「……行けばいいのだろう、行けば! だが、これで終わりだと思うなよ、リゼット! アシュレイ!」


捨て台詞を残し、二人は嵐のように去っていきました。

重い扉が閉ざされ、ホールに再び静寂が戻る。

わたくしは、張り詰めていた緊張の糸が切れ、アシュレイ様の胸に、こつん、と額を預けました。


「……やりましたわ」

「ああ。見事だった、リゼット」

彼は、わたくしの髪を優しく撫でてくれます。


嵐は、まだ始まったばかり。

けれど、もう、一人ではない。

二人でなら、きっと、どんな冬も乗り越えていける。

わたくしは、アシュレイ様の胸の鼓動を聞きながら、固く、そう誓うのでした。

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