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触れれば枯れると蔑まれた令嬢ですが、不毛の地の公爵様に「君だけが私の春だ」と溺愛されています  作者: 九葉


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第7話

あの夜、秘密の温室で奇跡が起きてから、わたくしの毎日は一変しました。

地下へと続く螺旋階段は、もはや恐怖の対象ではなく、希望へと続く道となりました。


アシュレイ様とわたくしは、毎日、太陽が昇ると共に温室へ向かい、日が傾くまで土と向き合うようになりました。

それは、今まで経験したことのない、穏やかで満ち足りた時間でした。


「すごい……! この薬草は、極度の乾燥地帯でしか育たないと文献にあったものだ。それが、もう芽を出している……!」

「こちらの種は、湿度の高い森の奥でしか見つからないと。ふふ、少し過保護に力を与えすぎたかもしれませんわ」


わたくしの金色の魔力が、アシュレイ様の静かな魔力と混じり合い、まるで美しい協奏曲を奏でるかのように、空っぽだった花壇を次々と緑で満たしていきます。

彼の『吸収』する力が暴走するわたくしの力を抑え、わたくしの『与える』力が枯渇した大地を潤す。

二人でいれば、そこはもう不毛の地ではありませんでした。


日に日に緑の絨毯が広がっていく温室は、わたくしたちだけの楽園のようでした。

土の匂い、若葉が立てるか細い音、柔らかな魔石の光。その全てが、荒んでいたわたくしの心を、優しく癒やしてくれます。


「リゼット、この植物の名を知っているか?」

「いいえ……とても、力強い葉ですわね」

「これは『竜の爪』という薬草だ。傷の治りを早める効果がある。葉脈がこうして……」


アシュレイ様は、たくさんのことを教えてくれました。

植物の名前、その効能、育て方のコツ。彼の知識は、書物から得ただけの無味乾燥なものではなく、長年の試行錯誤に裏打ちされた、生きた知恵でした。

学ぶということが、こんなにも楽しいことなのだと、わたくしは生まれて初めて知ったのです。


城の者たちの、わたくしを見る目も少しずつ変わっていきました。

特に、侍女のマーサは、温室から戻ったわたくしの服についた土を払いながら、嬉しそうに目を細めるのです。

「まあ、リゼット様。本日も随分と土と仲良しになられたようで。お顔が、こちらへいらした時とは比べ物にならないほど、生き生きとしていらっしゃいますよ」

その言葉に、頬が熱くなるのを感じながらも、心がぽかぽかと温かくなるのでした。


そんな穏やかな日々が続くある日のこと。

わたくしは、一つの挑戦をしてみようと思い立ちました。


「アシュレイ様、少しだけ、よろしいでしょうか」

隣で、発芽したばかりの繊細な苗を観察していた彼に声をかける。

「どうした?」

「わたくしのこの力を……もう少し、加減できるようになりたいのです。この苗には、ほんの少しだけで良いはずですから」


今までは、ただ溢れ出す力をアシュレイ様の魔力に中和してもらうだけでした。

けれど、それではいけない。この力は、紛れもなく、わたくし自身のものなのですから。

自分の手で、この力を御してみせたい。


わたくしは黒い手袋を外し、ゆっくりと苗に手をかざします。

そして、意識を集中させました。

(強すぎないように……もっと、優しく……陽だまりのように、柔らかく……)


アシュレイ様の静かで安定した魔力の流れを、まるで川の堤防のように意識する。彼の力を指標に、自分の力の奔流に、ほんの少しだけ『堰』を作るイメージ。

すると、指先から溢れ出す金色の光が、今までよりもずっと細く、そして穏やかになりました。

その光が、そっと苗に降り注ぐと、苗は心地よさそうに葉を揺らし、すっと背を伸ばしました。

暴走ではない、完璧な『制御』でした。


「……できた……!」

「素晴らしいじゃないか、リゼット!」


わたくしが驚きに目を見開いていると、アシュレイ様が心の底から嬉しそうな声で、わたくしの頭を、くしゃり、と優しく撫でてくれました。

大きな、節くれだった、けれどとても温かい手。

その感触に、心臓が大きく跳ねました。


「君は、本当にすごいな。俺が何年もかけてできなかったことを、君は……」

その優しい声と、真っ直ぐな賞賛の言葉が、何よりも嬉しい。

わたくしは、ただ俯いて、赤くなったであろう顔を隠すので精一杯でした。


ポケットの中で、母様の形見である勿忘草のブレスレットにそっと触れる。

(母様……わたくし、今、とても幸せです。あなたの愛した花々を枯らしてしまったこの手で、今、たくさんの命を育むことができています……)


しかし、そんなわたくしたちの楽園にも、外の世界からの風は、容赦なく吹き込んできました。


その日、アシュレイ様の執務室に、王都の宰相から一通の手紙が届けられました。

「……リゼット嬢は、息災にしているか、か」

封を切った手紙を読み、アシュレイ様は深くため息をつきました。

当たり障りのない近況報告を求める文面。しかし、その裏には、王家が『呪われた令嬢』を辺境に押し付けた後始末を気にしている、という意図が透けて見えました。


「何か、あったのですか?」

お茶を運び入れたわたくしが尋ねると、彼は何でもないというように首を振ります。

「いや、王都の連中が、退屈しのぎにこちらの様子を探っているだけだ。……君の力のことは、まだ誰にも知られるべきではない」

彼の声には、わたくしを案じる響きがありました。

この力が知られれば、王家が黙っているはずがない。利用価値を見出されたわたくしが、どう扱われることになるか。


アシュレイ様は、わたくしが穏やかに暮らしている、とだけ記した返事を書きました。

けれど、その一通の手紙は、この城が世界から隔絶された楽園ではないという事実を、わたくしたちに突きつけました。


そして、決定的な出来事が起きたのは、それから数週間後のことでした。

わたくしたちが温室で育てた薬草を調合して作った解熱剤が、城下で高熱にうなされていた鍛冶屋の娘の命を救ったのです。


「公爵様! 女神様! 娘が……娘が、熱に浮かされることなく、今朝、水を欲しがったんです!」

知らせを聞いたアシュレイ様と共に城下へ赴くと、鍛冶屋の主人が、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、地面に額をこすりつけて感謝してきました。

周囲の領民たちも、わたくしたちを遠巻きにしながらも、その眼差しは、以前のような恐怖や好奇のものではありませんでした。そこにあるのは、紛れもない、感謝と、そして尊敬の念。


「奥方様は、この地に春を呼びに来てくださった、春の女神様に違いない!」


誰かがそう叫んだのをきっかけに、わたくしは、いつしか『春の女神』と呼ばれるようになりました。

人の役に立てた。誰かの命を、救うことができた。

その事実は、わたくしの胸を、今までに感じたことのない温かな喜びで満たしてくれました。


しかし、その夜。

執務室の窓から、喜びに沸く城下の灯りを眺めながら、アシュレイ様がぽつりと呟きました。

「……噂は、風よりも速く駆ける」

その横顔には、喜びとは裏腹の、深い憂慮の色が浮かんでいました。

「リゼット。この噂が王都に届けば、君は、ただでは済まないかもしれない。エドワード王子や……あの聖女が、君を放ってはおかないだろう」


彼の言葉が、穏やかな日々の終わりが近いことを、静かに告げていました。

わたくしは、ただ守られているだけの存在ではいられない。

この手で掴んだ幸せを、この力を、今度は、自分の意思で守らなくてはならない。

窓ガラスに映る自分の顔は、いつの間にか、辺境に来たばかりの頃の、怯えた令嬢のものではなくなっていました。

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