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触れれば枯れると蔑まれた令嬢ですが、不毛の地の公爵様に「君だけが私の春だ」と溺愛されています  作者: 九葉


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第1話

シャンデリアから降り注ぐ光の粒が、磨き上げられた大理石の床に反射して、まるで夜空の星々を閉じ込めたかのようだ。優雅なワルツの調べに乗り、絹や繻子しゅすで仕立てられたドレスが、色とりどりの花のように舞っている。


ここは王宮の夜会。

一年で最も華やかとされる、建国記念の祝賀会。

誰もが幸福と栄光を謳歌するこの場所で、わたくし、リゼット・フォン・ヴァインベルク侯爵令嬢は、たった一人、世界の終わりを迎えておりました。


「リゼット! 君との婚約を、今この場をもって破棄させてもらう!」


高らかに、そして朗々と響き渡った声の主は、わたくしの婚約者であるこの国の第二王子、エドワード殿下。

彼の金色の髪はシャンデリアの光を受けてきらめき、その美貌は吟遊詩人が竪琴を奏でて称賛するほど。しかし、わたくしに向けられるその青い瞳は、見たこともないほど冷え切っていました。


(……ああ、やはり、この日が来てしまったのですね)


心の中で静かに呟き、きゅっと拳を握りしめる。レースの手袋越しに、自身の爪が食い込む感触がした。


周囲のざわめきが一瞬にして止み、全ての視線が毒矢のようにわたくしに突き刺さるのを感じます。好奇、侮蔑、そしてほんの少しの憐憫。そのどれもが、わたくしの心を的確に抉っていく。


「殿下、それは……どういう意味でございましょうか」

平静を装い、貴族令嬢の完璧な笑みを顔に貼り付けて問い返す。声が震えなかった自分を、誰か褒めてはくれないでしょうか。


エドワード殿下は、まるで舞台役者のように芝居がかった仕草で、隣に立つ一人の女性の肩を抱き寄せました。

儚げな亜麻色の髪に、潤んだ大きな瞳。守ってあげたいと思わせる小柄な彼女こそ、近頃、聖女として神殿に迎えられたソフィア・ローレン男爵令嬢。


「見ての通りだ。私は真実の愛を見つけた。彼女こそ、私の隣に立つべき唯一無二の女性だ」


「……まあ」


わたくしにできるのは、ただそれだけを口にすることでした。

ソフィア嬢は、怯えた子鹿のように殿下の腕にしがみつきながら、ちらりとわたくしを見上げる。その瞳の奥に、一瞬だけ、勝ち誇ったような光が宿ったのを、わたくしは見逃しませんでした。


「それにリゼット、君も分かっているはずだ。君のその『呪い』が、王家にとってどれほどの脅威となるか!」


『呪い』。


その言葉が出た瞬間、周囲の空気が待っていましたとばかりに大きく揺らめきました。囁き声が波のように広がり、ホール全体を飲み込んでいく。


「やはり、あの呪いのせいだったのね」

「触れた植物を全て狂わせる緑の魔女……」

「おかわいそうに、エドワード殿下。あんな女を婚約者として……」


街角で子供たちが石を投げてくるのとは違う。もっと粘着質で、悪意に満ちた視線と言葉の暴力。フードを深く被って逃げることもできないこの場所で、わたくしはただ、背筋を伸ばして耐えるしかありませんでした。


わたくしの『呪い』――それは、素手で植物に触れると、その種類を問わず、異常な生命力を与えてしまうというものでした。

一見、それは祝福のように聞こえるかもしれません。

けれど、わたくしの魔力はあまりに強大で、そして制御ができませんでした。

薔薇に触れれば、一瞬にして棘だらけの蔓が屋敷を覆い尽くさんばかりに伸び、その勢いに耐えきれず、自らの生命力を吸い尽くして数分後には黒い塵となって崩れ落ちる。

薬草に触れれば、薬効が毒に変わるほど凝縮され、使い物にならなくなる。


それは、祝福などではない。ただ破壊と混乱をまき散らす、忌まわしき力。

わたくしは、この呪われた力で、母様の愛した全てを奪ってしまったのです。


あれは、十歳の誕生日を目前にした夏の日でした。

母様が丹精込めて育てていた、屋敷の白い薔薇園。領内で一番美しいと評判で、母様の誇りでした。

「リゼットも、この薔薇のように、気高く美しい女性になるのよ」

そう言って微笑んだ母様の面影は、今でも鮮明に思い出せます。

その日は、特別に美しい一輪を見つけ、母様にプレゼントしようと、いつもはめている手袋をそっと外してしまったのです。


ほんの少し、花びらに指先が触れただけだったのに。

次の瞬間、白い薔薇は悲鳴を上げるように枝を伸ばし、他の薔薇と絡み合い、蔦が地を走り、美しい庭は一瞬にして緑の怪物に飲み込まれたかのような、おぞましい光景に変わりました。

そして、力の奔流に耐えきれなくなった植物たちが、まるで燃え尽きるかのように、一斉に黒く変色し、枯れて、崩れていったのです。


目の前で宝物を奪われた母様は、何も言いませんでした。

ただ、わたくしを、まるで見たこともない恐ろしいものを見るような目で、静かに見つめていました。

その日を境に、母様の笑顔は消え、わたくしとの会話もなくなりました。そして、一年も経たずに、母様は病でこの世を去りました。父も兄も、母を奪ったのはお前の呪いだと言わんばかりに、わたくしを遠ざけるようになりました。


長年使い込まれて少しだけ革の擦れた匂いがする、この黒い手袋。肌に触れる裏地の、ひんやりとした感触。これがなければ、わたくしは外を歩くことすらできません。

この手袋は、わたくしと世界を隔てる壁であり、わたくしが誰かを、何かを傷つけないための、唯一の枷なのです。


「黙っていては分からないのか? 君は、聖女ソフィアの癒やしの力とは真逆の、不吉な存在なのだよ!」


エドワード殿下の声で、わたくしは辛い追憶から現実へと引き戻されました。

見れば、殿下の足元には、祝賀会を彩るために飾られていた鉢植えのユリが転がっています。おそらく、誰かがわざとわたくしの足元に置いたのでしょう。


「さあ、証明して見せろ! お前がその手袋を外せば、このユリがどうなるか! お前の呪いが、どれほど忌まわしいものか、皆の前で!」


ひ、と息を呑む音が、どこかから聞こえました。

それは、公開処刑の宣告でした。

わたくしは、ただ唇を噛みしめる。

できません。そんなことをすれば、この清らかな白いユリも、あの日の薔薇と同じように、醜く枯れ果ててしまう。母様が愛した花々と同じ運命を辿らせるなんて。


(嫌……もう、誰も傷つけたくない)


恐怖で体が震えます。不安が心臓を鷲掴みにする。

それでも、ここでみっともなく泣き崩れることは、ヴァインベルク侯爵家の名が許しませんでした。


「……殿下。そのようなことをせずとも、わたくしの力が忌まわしいものであることは、わたくし自身が一番よく存じております」

だから、どうか、この花を巻き込まないで。

そう願いながら、わたくしはゆっくりと、しかしはっきりと告げました。


「この度の婚約破棄、謹んでお受けいたします。エドワード殿下と、聖女ソフィア様のお幸せを、心よりお祈り申し上げます」


精一杯の気品と尊厳をかき集めて、わたくしは深く、深く淑女のカーテシーをとりました。ドレスの裾が、静かに床に広がる。

顔を上げた時、エドワード殿下は一瞬、虚を突かれたような顔をしていました。おそらく、わたくしが泣いてみっともなく取り乱すとでも思っていたのでしょう。


しかし、彼の表情はすぐに不愉快そうなものに変わりました。

「ふん、可愛げのない女だ。……もういい、下がれ。君の顔を見ているだけで気分が悪くなる」


その言葉を合図に、わたくしは背を向け、この地獄のようなホールから一刻も早く立ち去ろうと歩き始めました。

モーセの奇跡のように、人の波が左右に割れて道ができます。

誰一人、わたくしに言葉をかける者はいません。誰もが、呪いを恐れて距離を取る。

大丈夫。慣れています。いつものことですから。


そう自分に言い聞かせながら、一歩、また一歩と出口を目指す。

その時でした。


「お待ちください、リゼット嬢」


低く、けれど芯のある声が、わたくしの背中にかけられました。

振り返ると、そこに立っていたのは、国王陛下の側近である宰相様でした。白髪を綺麗に撫でつけた、いつも厳格な表情を崩さない初老の男性です。


「宰相様……」


「エドワード王子との婚約は、ただ今、確かに解消された。しかし、ヴァインベルク侯爵家と王家の繋がりが途絶えたわけではない」

宰相様は、有無を言わさぬ口調で続けます。

「よって、リゼット嬢には、新たな婚約を結んでもらうこととなった。既に、陛下のご裁可も下りておられる」


「……新たな、婚約……?」


予想だにしなかった言葉に、わたくしだけでなく、ホールにいた誰もが息を呑みました。エドワード殿下でさえ、驚いたように目を見開いています。

こんな呪われたわたくしを、一体どこのどなたが?


宰相様は、まるで判決を言い渡す裁判官のように、厳かにその名を告げました。


「リゼット・フォン・ヴァインベルク嬢は、これより、アシュレイ・クレイヴン公爵の婚約者となる」


その瞬間、先ほどまでの囁き声とは比べ物にならないほどの、大きなどよめきがホールを支配しました。


アシュレイ・クレイヴン公爵。


北の辺境を治める、若き公爵。

戦では比類なき魔術師として敵国から『灰色の魔術師』と恐れられ、国を救った英雄。

しかし、その強大すぎる魔術の代償か、彼の領地は草木一本育たない不毛の大地と化してしまったと聞きます。

そして、その心を閉ざし、人を寄せ付けない様から、社交界では『荒地の公爵』と揶揄されている人物。


不毛の地へ、嫁げと。

それは、祝賀の夜に下された、あまりにも残酷な、事実上の追放宣告でした。

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