06. 迷宮の誘い ― ウサギと緑のマントが紡ぐ夜
昔々、オズ国がまだ存在しなかった頃。
東の砂漠の果てにそびえ立つ火山があった。山頂の火口には熱々のマグマが満ちあふれ、辺り一面に濃い黒煙が漂っている。岩肌は焼け焦げ、草木ひとつ生えない、まさに荒涼たる大地。そこを住処にしているのは、ごく少数の凶暴な怪物だけだった。
ある日、大地がゴゴゴと揺れ始め、東の砂漠の近くに暮らす人々は、火山がこれまでにないほど激しく噴煙を上げるのを目撃した。灼熱の岩が空高く吹き飛ばされ、山全体がマグマに染まってまるで煉獄のよう。遠くから見ても、その姿は恐ろしさを増すばかりだった。
――すると突然、火口から凄まじい咆哮がこだました。
「グオォォォォ……ッ!!」
あまりに強大な声量で、遠く離れた国々までその響きが届いたという。
そして、真紅の巨大な火竜が、燃え盛るマグマの中から姿を現したのだ。
その火竜の身体は溶岩さえ溶かせないほど強固な赤い鱗に覆われ、牙むく口からは燃え盛る炎を自在に吐き出す。鋭い爪で岩壁をひと掻きすれば、たちまち粉々になるほど。そのうえ巨大な翼を羽ばたかせ、何日も空を舞い続けられる無敵の力を持っていた。
火竜は巨大な翼を広げると、周辺国へと飛び立っていった。その通り道には灼熱の火炎が降り注ぎ、甚大な被害をもたらした。火竜の冷たい眼光は、まるで「自分こそが世界を支配する絶対的存在だ」と知らしめるかのようだ。
この日から、人々はその火山を「魔龍山」と呼ぶようになり、そこに棲む真紅の火竜を「魔竜」と呼び恐れた。
魔竜の脅威を恐れた周辺国の王たちは、自国を護るため、こぞって軍隊を派遣し討伐に向かった。しかし――。
魔竜は吐く炎だけでも、一瞬で軍勢を灰にしてしまう。その圧倒的な力の前では、人間など歯が立たなかった。討伐へ赴いた者は誰ひとり生還しないまま、世界は魔竜に支配され、長い苦しみの時代が続いた。
さらに魔竜は「光り輝く宝物」が大好きで、襲撃した村の金銀財宝をすべて奪い、山の洞窟に貯め込んでいった。その宝物は膨れあがり、洞窟の内部に金銀の山がいくつも連なるほどに。
だが、その宝は悪しき心を持つ者たちの狙いの的となった。幾度となく欲深い盗人がこっそりと洞窟に忍び込もうとしたが、魔竜の感覚は鋭く、宝に触れられれば瞬時に目を覚ます。
臆病者は恐怖で震えて逃げ出す前に焼かれ、逃げ足の速い者も魔竜の飛行速度に到底及ばず、皆殺されてしまう。
それでも王たちは宝の山を自分のものにしようと、賞金をかけて勇者を募り、討伐を繰り返した。強力な戦士たちが魔竜の鱗を少し傷つけることはできても、最終的には屈してしまう。その傷が魔竜の怒りを買い、さらなる破壊を引き起こすのだった。
怒り狂った魔竜は、広大な砂漠を超え、新たな獲物を求めて遥か遠くへ飛び去ろうとしていた――。
そのとき、一人の男の魔法使いが砂漠に現れる。彼は全身に翡翠色のローブをまとい、手には同じく翡翠で作られた魔杖を持っていた。
男の魔法使いが杖を高く掲げて空を一振りすると、黒煙が晴れ、代わりに厚い雨雲が急速に広がっていく。そして激しい暴風雨が砂漠を襲い、魔竜の進路を遮ったのだ。魔竜は異変に気づき、憤怒のまま男の魔法使いの前へ舞い降りる。
「人間の分際で、この私の行く手を阻むとは……!」
しかし、男の魔法使いはまったく臆する様子を見せない。
「おまえは多くの命を奪ってきた。これ以上の犠牲は出させない。ここで、おまえを消し去る!」
魔竜は激しい怒りに駆られ、深く息を吸い込むと業火のブレスを男の魔法使いに浴びせかけた。だが男の魔法使いは杖を一閃させ、竜巻の壁を作り出す。竜巻は周囲の暴風雨を取り込み、水を纏った渦と化して魔竜の炎を消し去った。
さらに雷鳴がとどろき、閃光が魔竜の胸を直撃する――鋼鉄のように堅かったはずの鱗に深い傷が刻まれる。
「グアアアアッ……!」
信じられない痛みに魔竜は咆哮を上げ、猛スピードで男の魔法使いに爪を振り下ろした。しかし、男の魔法使いの杖が再び閃くと、翡翠色に輝く石柱が地中からそそり立ち、魔竜の爪を防ぐほどの硬度を示した。
怒涛のような稲妻が矢継ぎ早に落ち、魔竜の身体を容赦なく貫いていく。瀕死の傷を負った魔竜は、命の危険を悟り、最後の力を振り絞って魔龍山へ飛び帰ろうとする。だが男の魔法使いの雷撃はさらに猛威を振るい、魔竜の頭部に直撃。
「ガアアアァ……ッ!」
魔竜は砂漠へ墜落し、もはや飛ぶ力も戦う力も残ってはいなかった。
魔竜は絶望と怒りを抱え、死の間際に渾身の邪悪な力を振り絞る。
――ゴォォォ……
その想いが凝縮され、鮮やかな金色のブレスレットを生み出した。それは男の魔法使いへの憎悪、自らの宝を奪われたくない執着、そしていつか再び蘇りたいという野望を秘めた“呪われしブレスレット”だった。
ほどなく魔竜は動かなくなり、静かに目を閉じる。それ以降、二度と息を吹き返すことはなかった。
男の魔法使いは急いで魔竜の亡骸を探り、その金色のブレスレットを破壊しようとしたが――どこを探しても見つからない。まるで虚空に消え失せたように、誰の目にも触れられなくなった。
こうして邪悪な魔竜は滅び、男の魔法使いは世界の英雄となる。しかし金色のブレスレットだけは行方不明のまま。その後、長い年月を経て、オズ大王が水晶球を通してドロシーの手に嵌まるそれを見たとき、全てが明らかとなった。金色のブレスレットは魔龍山に潜伏し、復活の機会を伺っていたのだ――。
やがて南の魔女グリンダが語り終えると、校長室の天井を覆っていた黒雲はゆっくりと消え去った。
ジャックは南の魔女グリンダに問いかける。
「でも……どうして誰も見たことのないブレスレットを、オズ大王はすぐに『魔竜のブレスレット』だとわかったんですか?」
南の魔女グリンダは静かに微笑みながら説明する。
「あの緑のローブと翡翠の魔杖で魔竜を倒した男の魔法使い。彼こそが、のちに大きな王国を築き、その中心に翡翠の都を作り上げた――つまり、オズ大王自身なのです。」
「えええええっ!? あの伝説の男の魔法使いが……!」
驚きのあまり、案山子は椅子から転げ落ちそうになる.
すると案山子は焦った口調でまくし立てた.
「な、ならオズ大王が今すぐ魔龍山に行けば、ドロシーを救えるんじゃ……? 彼なら魔竜を倒せるほどの力があるんでしょう?」
南の魔女グリンダはゆっくりと首を振る.
「魔竜の邪悪な力がこもったこのブレスレットは、所有者を操り、魔竜復活の媒体となります。ドロシーは北の魔女のキスと、純粋な心を持っているからこそ、完全には支配されずにいられる。けれどもしオズ大王がブレスレットに触れてしまえば、オズ国にとって最後の砦である彼が堕ちることになる。そうなれば、復活した魔竜に対抗できる者は誰もいなくなるわ。
ドロシーはあなたたちにとってかけがえのない仲間。だからこそ、オズ大王はあなたたちを信じて、彼女を救い出す役目を任せたのよ。」
ジャックは南の魔女グリンダをまっすぐ見つめ、問いかける.
「それなら、僕たちはどうすればいいんです? ブレスレットの邪悪な力を消し去り、ドロシーを助けたい……!」
南の魔女グリンダは厳かな表情で答える.
「魔竜が誕生したのは、魔龍山山頂のマグマから。ならば同じマグマで、魔竜の残したブレスレットを焼き滅ぼすことができるはず. つまり、ブレスレットを山頂の火口に投げ込めば、邪悪な力を断ち切り、魔竜の復活は阻止できるわ. だけど……魔龍山に行くには、特殊な魔法が必要. そこで、小さな魔女の力が欠かせないの。」
彼女の視線は、小さな魔女へと向けられる.
すると小さな魔女は、唇を噛みしめながら答えた.
「でも……私の魔杖は、あの巫術学校での対抗戦のとき折られてしまったの. 東の悪い魔女に奪われた“魔法の銀の靴”があれば、力を取り戻せると思ったけど、靴はドロシーと一緒に魔龍山へ飛ばされて……今の私には箒で空を飛ぶ以外、大した魔法が使えないのよ。」
南の魔女グリンダは優しく肩に手を置き、微笑む.
「大丈夫. あなたには素敵な仲間たちがいる. 彼らと力を合わせれば、新たに杖を作り出すことができるわ。」
小さな魔女は目を丸くして問い返す.
「えっ, でも巫術学校の図書館で調べた限りじゃ, 折れた杖を再構築する方法なんてどこにも書いてなかったわ……。」
南の魔女グリンダはやや神秘的な口調で言った.
「それは当たり前よ. 魔法の濫用を防ぐため, “魔杖の作り方”は書物には記されていない. 歴代の校長が口伝でのみ受け継いでいるの. そしてあなたの力を受け止めるには, 特別な素材が必要なの.
一つは“不死鳥フェニックスの羽根”. もう一つは“オズ国の太陽の光を一番長く浴びる東の森の巨木”. きっとブリキの木こりなら, その木がどこにあるか知っているでしょう?」
ブリキの木こりは胸を叩き, 自信たっぷりにうなずく.
「ええ, 知っていますとも! 東の森で最も高い巨木があるんです. 朝日にいち早く照らされ, 日没まで光を吸収し続ける木で, あれなら最高の魔杖にぴったりだ. オレの斧で切り倒して枝を取り, しっかり削って材料にしましょう.……でも, フェニックスの羽根はどうすれば?」
彼は周りを見渡すが, 皆首を横に振っている. 誰もフェニックスについての手がかりを持っていない.
南の魔女グリンダは柔らかな声で皆を安心させようとする.
「フェニックスは, そう簡単に会える存在じゃないわ. でも, あなたたちなら心の純粋さを試されるかもしれない. 明日, 東の森へ向かい, まずは巨木の枝を手に入れてごらんなさい. もしかしたら, 道中で思わぬ巡り合わせがあるかもしれないでしょう?」
そう言うと, 以前, ジャックたちをからかったあの成人魔法使いが校長室の扉をノックして入ってきた.
「皆さんを客室へご案内しますよ.」
と, 言い放つ. ライオンは怒りをあらわに牙をむいて唸るが, 案山子が「また何をされるかわからないからやめとけ」とこっそり耳打ちし, 何とか引き止めた.
仲間たちが次々と出て行く中, 南の魔女グリンダはジャックを呼び止め, 微笑む.
「小さなジャック. あなたの緑のマントは特別なもののようね. お母さんの手作りかしら?」
ジャックは首を振り, 誇らしげに答える.
「いえ, これは父さんが僕に贈ってくれた大切なマントなんです. 世界に一つだけの僕の宝物です!」
南の魔女グリンダは頷き, 優しく言った.
「素敵ね. とても似合っているわ. 失くさないように大切にしなさいね.……ところで, ジャック. 月の上にウサギがいるっていう伝説, 聞いたことある?」
「月にウサギ……? いえ, 初めて聞きました。」
「月にはウサギが住んでいて, 道に迷った人々を導き, 正しい方向へ招いてくれるんですって. もし夜に眠れなかったら, 外に出て月を見上げてみるといいわ. うまくいけば, ウサギに会えるかもしれない.――もう遅いから, 部屋でゆっくり休んでね. 明日はまた旅を続けるのでしょう?」
ジャックは南の魔女グリンダに頭を下げ, 部屋へと戻った. そこは広々とした静かな室内だが, なんとなく寂しさを感じる. ベッドに腰掛けると, 彼はふと思い出す.
「母さんと父さんは, 俺がこんなに長いこといなくて心配してるだろうな……. でも大丈夫, ドロシーを助け出せば, オズ大王が魔法で家に帰してくれる. もう少しの我慢だ……!」
そう自分に言い聞かせ, ジャックはベッドに横になる. 大事な緑のマントをぎゅっと握りしめて目を閉じるが, なかなか眠れない. しばらくもぞもぞした末に, 部屋を出て, 先ほど何度も通った迷宮の外に出てみることにした.
夜の静寂の中, 空を見上げると, まんまるの月が白く浮かんでいる.
「本当にウサギがいるのかな……?」
そう思っていると, 迷宮のほうから何やら足音が聞こえてきた. だが, それはどうも人間とは違う軽やかな跳ねるような音.
(何だろう? 誰かがこんな夜更けに歩いてる?)
ジャックは好奇心に駆られ, 迷宮の入り口へと足を踏み入れる. すると――
華麗な衣装をまとい, 銀色の懐中時計を手にした不思議なウサギが, せわしなく走っていくのが見えたではないか.
「うわ……ウサギ!? 何か用事があるのかな……?」
ジャックはその背中を追いかけ, 迷宮の角を曲がる. ところが, 次の瞬間――
「わ, わぁぁぁっ!!」
足を踏み外してしまい, 大きな穴へ真っ逆さまに転落してしまったのだ.