43. 海に沈む運命、姫の孤高の叫び
虎リリー姫は、海のど真ん中にぽつんと突き出た岩の上に立っていた。
足元まで迫ってくる海水を見下ろすと、胸がぎゅっと締めつけられる。
「もう……時間がない……」
あたりはひっそり静まり返り、人魚たちもフック船長が現れたことで海底へ逃げてしまった。
少年たちはすでに地下の隠れ家へ帰っていったようで、この声を聞いてくれる者は誰もいない。
「このままじゃ、この岩ごと海に沈んでしまう。そうなったら……」
虎リリー姫は遠くの砂浜を見つめながら、ぽつりとつぶやく。
「捕まってからの傷で、体力も限界……一人でも泳ぎきれるかわからないのに、この男の子まで抱えてなんて……」
彼女はぐったり横たわるジャックに目を落とすと、そっと眉をひそめた。
「……ねえ、あなたは誰? どうして危険を承知で、私なんかを助けに来たの? 印第安の誇りにかけて、恩を受けた人を見捨てるわけにはいかないけど……このままじゃ二人とも海に飲まれちゃう……どうしよう……」
そのとき、空から鋭い鳥の鳴き声が聞こえた。
虎リリー姫が思わず顔を上げると、何羽もの鷲が旋回しているのが目に入る。
「もしかして……父さまが捜索に出した鷲たち?」
そう考えた瞬間、彼女は迷わず口笛を吹いた。
ピィイイイッ──。
高く澄んだ音が空を突き抜けると、鷲たちは動きを止め、一斉にその音源を見つめる。
そして互いに「キィエッ」「キャアッ」と声を交わし合うと、矢のように急降下を始めた。
先頭を飛ぶのは、虎リリー姫の父が飼っている鷲だった。
「……よかった、私を見つけてくれたんだね! それに、この男の子を助けるための力も貸して!」
鷲はジャックをちらりと見やると、仲間に向かって鋭い鳴き声を上げた。
すると数羽の鷲が力強い爪でジャックと虎リリー姫を優しくつかみ、そのまま羽ばたきを繰り返す。
ドウッ、ドウッと大きな風圧が生まれ、岩の上からゆっくりと二人の身体が持ち上がっていく。
彼らはそのまま高度を上げ、美人魚の礁湖から遠ざかっていった。
しばらくして、広々とした草原の先にインディアンたちのキャンプが見えてくる。
テントが風に揺れ、あちこちに咲く野花が草原を彩っていた。
鷲たちはゆるやかに旋回しながら高度を下げ、キャンプの中心へ降り立つ。
「着いた……!」
虎リリー姫とジャックを地面に降ろすと、鷲たちは再び翼を広げ、白い雲の向こうへ消えていった。
キャンプにいたインディアンたちは、無事に帰還した姫の姿を見て大歓声を上げる。
その場に堂々と現れたのは、高く伸びた背丈と威厳ある風格を持つインディアン酋長だった。
色鮮やかな刺繍が施された革のローブに、目立つ鷲のマーク。羽根をあしらったマントを肩にかけ、黒髪を整然と垂らしている。
酋長は厳しい表情のまま、ゆっくりと虎リリー姫に歩み寄る。
しかし彼女は怖じけず、勢いよく一歩踏み出し、酋長の胸に飛び込んだ。
「お父さま! わたし、帰ってきたよ! 海賊の罠にハマって捕まっちゃったけど、ピーター・パンたちと、この男の子のおかげで助かったの!」
酋長の顔には、いつしか優しいまなざしが浮かんでいる。
「……よく無事で戻った。もう大丈夫だぞ」
そう言いながら、酋長は地面に横たわるジャックの姿へと目を向けた。
虎リリー姫は、この少年がどれほど危険を冒して自分を助けてくれたのか、酋長に詳しく語る。
酋長は神妙な面持ちで話を聞き終えると、「そなた、恩を受けたな」とひとことつぶやいて、部族の者たちにジャックを担ぎ上げるよう指示した。
そして、彼らは酋長の大きなテントへ向かう。
テントの中は、やわらかな敷物や毛布が敷かれており、神聖な空気が漂っていた。
ジャックはそこへ静かに寝かされ、部族の者たちが特製の薬草を傷口に塗って手当てを始める。
酋長はそっとジャックの額に手を当てて目を閉じ、自然の力が癒しをもたらしてくれるよう、静かに祈りを捧げた。
その周囲を取り囲むインディアンたちも、黙って回復を願う。
そのころ、ピーター・パンと迷子の少年たちは、あの激しい海賊との戦いを終え、海賊のボートで砂浜へ戻っていた。
「うーん、ウェンディたちは先に地下の隠れ家に帰ったみたいだな」
「じゃあ、オレたちも戻ろうぜ。もうクタクタだ……」
少年たちはよろよろと歩きながら、森の中を抜けて“地下の家”へ急ぐ。
そして、それぞれの“樹洞”に潜り込み、すべり台のようにズルズル滑って地下へ到着した。
「みんな、おかえりなさい!」
大広間で待っていたのは、ウェンディとピノキオだった。
ウェンディは笑顔を浮かべながらも、明らかに心配そうな顔つきだ。
「よかった……無事に帰ってきてくれて。誰かケガしてない? 大丈夫?」
その優しい言葉に、少年たちは一気に“甘えモード”に突入する。
「ボク、ちょっと足が痛いかも……」
「オレなんか腕にかすり傷があるけど、大丈夫だけど……痛いかも……」
「オレは平気だけど……ほら、こんなに血が出てるんだぜ?」
全員が我先にとウェンディへ寄り添い、まるで母親に甘える子供たちのようだ。
「ふふ、みんな少し静かにして。ちゃんと順番に見てあげるから」
ウェンディはにこやかに微笑むと、一人ずつ手当を始める。
清潔な水で傷を洗い、薬を塗り、ガーゼや包帯を丁寧に巻いていく。
少年たちは口々に自分の“武勇伝”を語りはじめた。
「オレなんか、海賊を三人まとめて倒してやった!」
「えー、それならボクだって、岩の上から飛び降りてヤツらを蹴散らしたよ!」
「ウソつけー! そんなの見てないぞ!」
「うるさいな! おまえだって怪しいじゃないか!」
そこへ双子の少年が、片方が海賊役、もう片方がヒーロー役を演じて、誇張気味に戦闘シーンを再現し始める。
「お、おれを倒せると思うか?」「ひいい、やめてくれぇ!」
その姿があまりにコミカルで、ウェンディは思わず吹き出してしまう。
「みんな、本当にがんばったのね。えらいわ!」
やがて手当がひと段落すると、少年たちは「見て見て、オレの包帯カッコいいだろ?」「オレのほうが多く巻いてもらったぜ」などと、大はしゃぎ。
ウェンディもほっと安心したように息をついた。
ところが、そのとき。
「……あれ? ジャックがいない……」
ピノキオが周囲を見回しながら言う。
「ジャック? そっか……あいつ、どこ行ったんだ?」
ピーター・パンが首をかしげると、ピノキオは真っ青な顔で叫んだ。
「ジャックは虎リリー姫を助けるために、海賊と戦ってるあいだに流刑者の岩へ行ったんだ。で、ぼくたちには先に帰るようにって……それっきり姿を見てない!」
「えっ……」
周囲がしんと静まる。ルフィオも周りに視線を走らせ、少年たちに尋ねる。
「帰りがけ、ジャックがついてきてるの見たやつ、いるか?」
しかし、みんな首を横に振るばかりだ。
ピーター・パンは真剣な目つきで言った。
「もしかしたら、先にここへ戻って、別の部屋で休んでるかもしれない。探してみよう!」
少年たちは地下の家を隈なく捜し回り、ジャックの名を呼ぶ。
「ジャックー、いるなら返事してくれー!」
しかし、どこにも見当たらない。
ピーター・パンは歯噛みしながら拳を握る。
「……よし、地上まで捜索範囲を広げよう。オレたちが通った森の道を戻ってみるんだ」
こうして全員が地下の家を飛び出し、森へ向かった。
ピーター・パンは空を飛び、少年たちは地面を走りながら、ジャックの手がかりを探す。
木の枝をかき分け、落ち葉を踏みしめながら、何度もジャックの名を呼ぶ。
そのとき、ピノキオが少し先で何かを見つけた。
「この茂み……他の場所より荒れてる。誰かが入った跡があるのかな?」
彼はそっと草葉に手を伸ばす。
「**ジャック……ここにいるの?」
その瞬間、遠くにいたルフィオが血相を変えて叫んだ。
「ピノキオ、やめろ! そこは危ない!」
「えっ……?」
ピノキオが振り向いた刹那、茂みの奥から大きな褐色の手が伸びてきて、彼の身体を一気に引きずり込んだ。
「うわああっ!?」
森の中にこだまする、ピノキオの悲鳴。
それは、まるで何か得体の知れない悪意に呑み込まれたような、不気味な音だった──。




