41. 激突!本物と偽物のフック船長
「……シーッ、彼らにバレちゃう!」 ウェンディは慌ててピーター・パンの口を押さえた。海賊たちに聞かれないようにするためだ。
さっきまではピーター・パンがフック船長の声を真似して、海賊たちを混乱させていたのだが……。
「ねえピーター・パン、今の声はあなたが出したんじゃないのよね?」
ウェンディはこっそり耳打ちして尋ねる。
ピーター・パンは口をふさがれたまま、目を大きく見開いて両手をぶんぶん振った。
(違うよ! 今回はぼくじゃない!)
そんなジェスチャーに見える。
すると──フック船長の声がまた響いた。
黒々とした影が、暗闇の向こうからゆっくり近づいてくる。しかも何やら海賊たちが口ずさむ歌まで聞こえてきた。あの朗々とした海賊歌が、いやに不気味だ。
「お、おい、あれって……本物のフック船長……じゃないか?」
海賊の一人、スミスさんが持ち上げたランタンの明かりに浮かび上がったのは、間違いなくあの“ジェイムズ・フック船長”だった。漆黒の顔がぎらつき、左手には金色の輝く鉤爪。ウェンディもピーター・パンも思わず息を飲む。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 本物がここにいるなんて聞いてないわよ!」
ウェンディは内心ガタガタと震えだす。
ところがピーター・パンは違った。成功裏に海賊をからかったことが嬉しいのか、彼は得意げに小声でブツブツ言っている。
「ふふん、ぼくはすごいんだぞ。フックの声真似もできるし、海賊をおちょくるなんてお手のものさ。……でも、あいつらが虎リリー姫を逃がす計画を失敗させたのは許せないな。もっとめちゃくちゃにしてやる!」
そう言い終わらないうちに、ピーター・パンは合図を送った。視線の先には水面下に隠れている迷子の少年たち。みんな、にやりと笑いながらひそかに泳いで岩場へ近づいていく。
一方、本物のフック船長は、流刑者の岩に上陸したところだった。
「スミスさん、他の海賊たちよ。虎リリー姫はどうした? おれの命令どおりにしてるんだろうな」
スミスさんは得意そうに胸を張る。
「もちろんですよ船長! ほら、虎リリー姫の縄を切って解放してやろうかと。あんたがそうおっしゃったじゃありませんか?」
「……はあ? おれがいつそんな命令を出した?!」
フックの顔が見る見るうちに怒りで赤黒く染まっていく。
もう一人の赤い服の海賊も真っ青になりながら言った。
「で、でも船長、確かにさっき聞こえたんです! “虎リリー姫を放せ”って、あなたの声で……」
「馬鹿を言うな!」
フックは剣の柄を握りしめ、足元をドンッと踏み鳴らす。
「いったい、ここでなにが起こっているんだ……?」
だが、海賊たちの様子は嘘をついているようには見えない。その事実に、フックの苛立ちは不穏な恐怖へと変わりはじめた。
「お、おい……おれはそんな命令は出していないぞ……」
スミスさんが顔を青ざめながらつぶやく。
「それはおかしいですよ。確かに船長の声で──」
「黙れ!」
フックはがなり声で言い放つと、空っぽの人魚礁湖へ向けて思い切り叫んだ。
「いいか、オレこそが本物のジェイムズ・フックだ! このおれを騙すなんざ、どこのどいつだ! 出てこい!」
すると、隠れていたピーター・パンがニヤッとしながら、フック船長の声色をそのまま真似て叫ぶ。
「ハッ! 何を言う、オレこそが“ジェイムズ・フック”、海賊船“ジョリー・ロジャー号”の船長だぜ!」
スミスさんと海賊たちは「ひいっ!」と悲鳴をあげ、怯えた様子で身を寄せ合う。
「二人のフック船長がいるなんて……あり得ない!」
しかしフック船長本人は、腹の底から怒りを煮えたぎらせながらも、どこか冷静さを取り戻し始めた。
「偽物がいるなら、いっそ正体をあぶり出してやる……」
フックはしわがれ声で叫んだ。
「おい、そこの“フック船長”さんよ。貴様、本当にオレの声を真似できるんだろうな?」
ピーター・パンは誇らしげに答える。
「当たり前さ! それだけじゃないよ。ぼくはなんにでもなれちゃうんだぞ!」
「へえ……そいつは面白い。ほかに名前があるのか?」
「あるね!」
「……野菜の名前か?」
「違う!」
「じゃあ、植物の名前か?」
「ぶっぶー、ハズレ!」
「……動物?」
「そうだよ!」
「性別は……男か?」
「いいや、男じゃない!」
「じゃあ……男の子、か?」
「うん、正解!」
「夢幻島に住んでるのか?」
「もちろん!」
「空を飛べるのか?」
「飛べるさ!」
フックはわざと困ったようなふりをして、ニヤリと唇の端を釣り上げる。
「うーん、さっぱりわからん。どうやっても正体がつかめないなあ。……ギブアップだ、教えてくれないか?」
ピーター・パンは待ってましたとばかりに、得意満面で叫ぶ。
「ははっ! ぼくの名前はピーター・パン! これでわかったかい!」
「やっぱり貴様か……!」
フックは長剣を勢いよく抜き放ち、スミスさんや他の海賊たちに向かって怒声を飛ばす。
「虎リリー姫がほしいんだろ? ならば出てこい、ピーター・パン! 正々堂々、オレと勝負しろ!」
ピーター・パンは歓声とともに、鳥がさえずるように甲高い笑い声をあげる。
「よーし、準備はいい? みんな、いくぞー!」
その瞬間、海面下に隠れていた迷子の少年たちが一斉に「うおおおっ!」と叫びながら岩場によじ登った。小柄な体でも海賊たちに引けを取らない勢いで、スミスさんや手下たちに襲いかかる。
「ひええっ、出たなチビども!」
「おまえらなんか、まとめてぶっ飛ばしてやる!」
海賊たちが武器を構えるが、少年たちの連携はすばやい。仲間が攻撃して空振りしたところを、別の仲間が間髪入れずにカバーする。逆に海賊のほうは「そっちがやれよ」「いや、おまえがやれ」と言い争いが絶えず、まるで息が合っていない。 結果、彼らは思いのほか苦戦しはじめた。
その間、ピーター・パンはフック船長へと一直線に飛んでいく。
「ねらいはおまえだ、フック船長!」
「ふん、ガキが……舐めるなよ!」
ガキンッ! 長剣と短剣がぶつかり合い、火花が散る。フックは鉤爪も使ってピーター・パンを翻弄しようとするが、ピーター・パンは空中へと華麗に飛び上がり、ひらりひらりと攻撃をかわしてみせる。
「どうした、もっと本気を出せよ!」
ピーター・パンは挑発するように笑みを浮かべながら、またスッと空を舞う。
「くっ……! 調子に乗るな、ピーター・パン!」
フックも必死に剣を振り回しながら追いすがる。両者は岩場の端をぐるぐると回り、鋭い斬撃の応酬を繰り返した。
そのとき、遠くから戦況をうかがっていたジャックは、彼らが虎リリー姫をほったらかしにしているのに気づいた。
「今なら助けられる……!」
ジャックはそばに隠れていたピノキオとウェンディを振り返り、低い声で言う。
「僕、あの虎リリー姫を助けに行く。海賊がこっちへ来たら危ないから、二人はすぐ地下の隠れ家に戻って!」
そう告げると、ジャックは海へと飛び込み、潜水しながら虎リリー姫のもとへ向かう。
しばらくして、ジャックは流刑者の岩にそっと上陸した。周囲を警戒しながら、岩陰へ身を隠してゆっくり進む。
「……いまだ!」
虎リリー姫の背後に回ると、ジャックは口に人差し指を当て、「静かに」と合図してから銀の斧を取り出した。
「今、縄を切るよ。体を少しだけ回して……」
虎リリー姫も黙ってうなずき、できるだけジャックの邪魔にならないように動く。
ところが──。
「おい、あそこだ! あのガキが虎リリー姫を解放しようとしてるぞ!」
戦いの合間にジャックの姿を見つけたフック船長が海賊たちへ怒鳴った。
「ちっ……間に合うか!」
赤い服の海賊がスミスさんたちを押しのけるようにして、ジャックへ猛ダッシュで突っ込んでくる。
「うわっ! 邪魔だ、どけ!」
近くにいた少年たちが防ごうとするが、海賊の強烈な一撃で吹き飛ばされてしまう。
「あいつ、思ったより強い……!」
しかしジャックは必死に虎リリー姫の縄を断ち切った。
「最後の一本……よし、切れた!」
「ありがとう、助かったわ!」
虎リリー姫はすかさず左へ飛び退き、海に向かってひらりと姿を消す。 彼女は泳ぎに慣れているのだろう、たちまち水面下へ消えていった。
残されたジャックに、赤服の海賊が彎刀を構えて迫る。
「おまえのせいで船長に怒られちまうだろうが! なら、おまえを捕まえて代わりに罰を受けさせてやるさ!」
ジャックは銀の斧を握りしめ、海賊を睨み返した。
(倒せるはずだ……ぼくは斧を使い慣れてるんだから!)
勢いよく斬りかかるが、カキンッ! とあっさり彎刀で受け止められてしまう。
「な、なんて力だ……」
さらに蹴りで吹き飛ばされ、ジャックは転がるように地面へ倒れこんだ。 腕や足がジンジン痛む。
(そうだ、相手は木じゃない。動くし、容赦なく攻撃してくるんだ……!)
これまで木を切る程度だったジャックには、熟練の海賊との実戦は想像以上に過酷だった。 しかも彼は一人きり。周囲に援護してくれる仲間はいない。
「どうした、子どもが斧なんか振り回すなよ。ほら、もう終わりだ!」
赤服の海賊は楽しげにニヤリと笑いながら、彎刀を振りかざす。
ジャックは何とか体を翻し、必死の回避を続ける。 立ち上がってもすぐ斬りかかられ、息を整える余裕すらない。 だが、なんとか攻撃を受け流しながら、反撃のチャンスを探す。
しかし徐々に海賊の攻勢が激しくなり、ジャックは疲労困憊だ。 呼吸は荒れ、肩で息をしている。 あちこちから血がにじみ、銀の斧を持つ手も痺れてくる。
「くっ……体が、重い……」
「ははは、もうクタクタみたいだな。次で終わりにしてやる!」
海賊が決定的な一撃を狙って刃を振り下ろそうとした、まさにそのとき。
バシュッ! と小さな衝撃音がして、どこからか飛んできた石が海賊の刀を弾いた。
「な、なんだっ!?」
一瞬の隙が生まれる。その瞬間を逃さず、ジャックは銀の斧を力いっぱい振り下ろした。
「やあぁぁっ!」
ガキンッ! しかし海賊も辛うじて受け止める。 だが、またしても別の石が飛んできて、海賊のこめかみを強打した。
「ぐあっ……!」
赤服の海賊は目を回し、その場にドサッと倒れ込む。
ジャックもまた、体力を使い果たしその場にへたり込む。
(ごほっ……危なかった……今のがなかったらもう……)
足音が近づいてきたので身構えると、そこにいたのは、印第安の衣装を着た虎リリー姫だった。 彼女は小さく肩をいからせながら、ジャックの状態を確かめる。
「ふん、やるじゃない。でも、あなたずいぶん無茶するのね」
「き、君だったのか……石を投げて助けてくれたの……ありがとう……」
ジャックが弱々しく笑いかけると、虎リリー姫はそっぽを向いて微妙に赤面しながら鼻を鳴らす。
「別に、あなたがどうなろうと私には関係ないわ。でも、ちょっと見てて気になっただけ。……助けてくれたお礼もあるしね」
そう言ったあと、彼女はちらっとジャックの顔色をうかがう。
だがジャックはもう限界だった。
「あ……れ……? ごめん……ちょっと、眠い……」
そのまま力が抜け、意識を手放してしまう。
「ちょ、ちょっと……また倒れるなんて、ほんとに弱いわね」
虎リリー姫はため息をつきながら、彼をそっと抱えて大きな岩陰へ隠れた。
「……まあいいわ。とりあえず安全な場所で休ませてあげないと」
そして彼女は岩の陰から流刑者の岩全体を見渡す。 ピーター・パンとフック船長の激しい剣戟の音が鳴り響き、迷子の少年たちも海賊たちと奮戦している。
(このまま戦いがどうなるかはわからないけど……少なくとも、私を救ってくれた恩は返したわ。あとはあなたたち次第よ、ピーター・パン……)
虎リリー姫は眠ったままのジャックの横顔をちらりと見つめ、一度だけ小さくうなずいた。そして決意を固めるかのように、周囲の戦況に視線を戻すのだった。




