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40. フック船長、怒りの咆哮

ウェンディは期待を胸に人魚のラグーンへやってきた。

けれど、人魚たちはピーターパン以外には見向きもしない。

「……そっか。やっぱりお話できないのね」

せっかくの“人魚との交流”ができず、ウェンディは落ち込んだ顔で岩の上に腰を下ろした。


そのとき――。

「ねえ、あなた。もしかして妖精さん?」


驚いて顔を上げると、そこには紅い長髪に紫色の貝殻ブローチをつけた人魚がいた。

鱗のきらめく青い尾ひれを揺らし、ウェンディをじっと見つめている。


「あ、えっと……!」 ウェンディは目を丸くし、言葉が出ない。人魚は少し申し訳なさそうに微笑む。

「ごめんね。びっくりさせちゃった?」


「ううん、全然。むしろ話しかけてくれてうれしいわ……」

ウェンディは慌てて手を振る。

「他の人魚さんたちは、ちっとも私たちに興味を示してくれなくて……。あ、私はウェンディっていうの。妖精じゃなくて人間よ。こんなに大きいし!」


すると人魚は、砂浜へ近い岩の上へひょいと上がってきた。

「そっか。私はアイヴィル。みんながあなたたちに冷たいのは……父の命令で、人魚は人間に近づいちゃいけないことになってるからなんだ」

アイヴィルは眉をひそめ、寂しそうに続ける。

「人間は野蛮で危険だって、ずっと言われてきたの。だけどピーターパンは違う。昔、私たち人魚を守るために、フック船長と戦ってくれた。その恩をみんな感じてるから、彼だけは特別なのよ」


「なるほど……」

ウェンディは切なそうにうつむく。

「じゃあ、あなたがこうして私と話してくれるのは……怒られちゃうんじゃない?」


アイヴィルはため息をつきながら、苦笑いをする。

「……ま、バレたらパパに叱られるね。でも、私は人間がそんなに悪いって信じたくないんだ。だって人間が作った綺麗な物や、不思議な道具がたくさんあるでしょ? 私はそれを知りたいの。いつか、自分の足で陸を歩いて踊ったり、世界を見たりしてみたい……」


ウェンディはその言葉に胸がきゅっと締まる。

「きっと、あなたの疑問に答えられることもあると思うよ。私もまだ子どもで、知らないことだらけだけど……」


アイヴィルはふわっと笑みを浮かべ、そっと腰にぶら下げていた金属筒を取り出した。

「実は、これ……見てほしいんだ」


それは金属製の円筒で、表面には環形の模様が刻まれている。

ゆらすと「カラン、カラン」と小さな金属音が響いた。


「はじめは“楽器”かと思ったの。でも、どう演奏しても音が変わらなくて……」

アイヴィルは首をかしげる。


ウェンディがしばらく観察するものの、よくわからない。

そこで、砂浜で砂の城を作っていたジャックとピノキオを手招きして呼び寄せた。

ちょうど彼らは大きな波で城を崩されてしまい、肩を落としていたところだ。


「うわっ、美人魚……! すごい、ピーターパン以外にも僕たちに話しかけてくれる人魚がいるんだ!」

ピノキオが感激に声をあげると、アイヴィルは「ふふっ」と微笑み、自分の名を紹介した。


ジャックは金属筒を手に取り、真剣に観察する。

すると、尾の部分をひねると少し伸び、さらにそれを引っ張るとどんどん細い筒が出てくるのに気づいた。


「あ……これ、望遠鏡だよ! パパが船で使ってたのを見たことがある。海を航海してるとき、遠くを見渡すための道具なんだ」


ジャックが実演してみせると、アイヴィルは目を輝かせてそれを覗き込んだ。

「えっ……すごい! 小さな黒い点が、ちゃんと見える……あれ、イルカが跳ねてる!」


ピノキオとウェンディも順番に望遠鏡を覗き、“跳ねるイルカたち”の姿に感嘆の声をあげる。

「こんな小さな筒で遠くを見通せるなんて、信じられない……」

アイヴィルは改めて人間の発明品に感動しているようだった。


「いつか私も陸に行って、もっといろんな物を見てみたい……」

そうつぶやくアイヴィルの瞳は、まるで宝石のように輝いていた。


そして感謝の気持ちとして、アイヴィルは望遠鏡をジャックに譲ると言う。

「あなたの教えてくれたおかげで助かったわ。お礼にこれ、持っていって」


「えっ、いいの?」

ジャックは驚きつつも、アイヴィルの気持ちを素直に受けとることにした。


「それから、また会うときまでに、もっと面白い物を持ってくるから。お楽しみに!」

アイヴィルはにっこり笑い、青い尾ひれをひらひら揺らして海の奥へ消えていく。


ウェンディ、ジャック、ピノキオは見送るようにしばし海面を見つめていた。

ピノキオが首をかしげる。

「アイヴィルはどこへ行くんだろ? こんな不思議な道具、海で見つけるなんてすごいよね」


ジャックは望遠鏡を握りしめ、同意するようにうなずいた。

ウェンディも小さく笑みを浮かべる。

「運がいいわ、私たち。人魚の友達ができるなんて」


――そのとき、突然空が暗くなり、黒い雲が渦巻いて太陽の光を遮り始めた。

ウェンディの頬に寒風がかすみ、不安な表情が広がる。

「……あれ、変だわ。さっきまであんなに明るかったのに……」


ウェンディが顔を上げると、空は不気味な暗さに包まれ、人魚たちも急に静かになり、辺りはまるで予感めいた静寂に。

「まだ夜になる時間じゃないのに……一体なにが……」

ウェンディの胸に、妙な不安がこみ上げる。


ピーターパンもその異変を察し、先ほどまで談笑していた人魚たちに向かって急に声を上げる。

「……海賊だ。みんな、隠れろ!」


ピーターパンが少年たちに警告の合図を送ると、人魚たちは一瞬で海の底へ潜り、男の子たちは草むらや岩陰に身を隠した。

その場はあっという間に誰もいなくなったかのような静けさに――。


ほどなくして、小さなボートがラグーンへと入ってくる。

船には四人の海賊。中央にいるのはずんぐり体型で汚れたシャツと青いズボンを履いた男だ。

「し、シミー(史密)先生……!」

ピノキオは思わず息をのむ。

「そうだ、ぼくが歓楽国で捕まったとき、この人が手下を指示してた。……偉い海賊なんだね、きっと」


ジャックもボートに目を凝らし、さらに驚いた表情を見せる。

「……あれは、インディアンの娘? 縛られてる……」


そこには褐色の肌に黒髪を持ち、伝統的な刺繍の入った服を着たインディアンの少女が手足を縛られていた。

けれど、その瞳には恐れの色はない。むしろ、気高く凛とした表情を保っている。


ピーターパンがひそかに説明する。

「あれはタイガー・リリー姫さ。インディアンの中でも一番勇敢で美しいと評判の戦士だよ。まるで豹みたいにしなやかで、誰もが彼女に惹かれるのに、まだ誰も心を射止められないんだ」


重苦しい空の下、海賊のボートは“流刑者の岩”と呼ばれる大きな岩へとぶつかりそうになる。

シミーは荒々しく叫んだ。

「バカ者ども、もう漕ぐんじゃねえ! 小舟が壊れたらオレたちまで満潮で死んじまうだろ!」


別の海賊が尋ねる。

「それで、シミーさん。なんでこの娘をここに?」

「こいつはうちの船を盗もうとしたんだ。船長は怒り狂って、『流刑者の岩』で満潮にして沈めろってよ。大人しく海の底へ行ってもらうのさ」


タイガー・リリー姫は一言も発さず、岩に縛りつけられていく。

ウェンディは初めての残酷な光景に震え、思わず涙を浮かべた。

しかしピーターパンは、こうした場面を何度も見てきたのか、表情には悲しみよりも怒りがにじんでいる。


(娘一人を、こんな卑怯なやり方で……)

ピーターパンは声を潜め、やる気に満ちた眼差しで言う。

「助ける。あのままじゃ、満潮で沈んじゃう……」


本当なら、海賊が去ったあとに救出すれば簡単だ。

でもピーターパンはそれではつまらない。もっと面白い方法でやりたいのだ。


彼は両手を口に当て、声を落として「フック船長」の声色をそっくり真似てみせる。

「おい、おまえら……何をのろのろしてるんだッ! さっさと仕事を終わらせろ!」


その模倣はあまりに見事で、海賊たちは急に辺りを見回す。

「船長? どこにいるんだ……?」

シミーは慌てて叫ぶ。

「フック船長っ! オレたちはもうインディアンの娘を縛ってる。今さら何の用だ?」


ピーターパンはさらに声を低くして命じる。

「いや、やっぱり解放しろ。気が変わった……すぐに縄を切れ!」


シミーは首をかしげ、怪訝そうに言う。

「船長、そんな……おかしいっすよ。さっきは『流刑者の岩に置いてこい』と……」

「黙れ! オレの命令に口答えするのか? おまえの尻に鉤爪を刺してやってもいいんだぞ!」


ビクッと震えるシミー。

「ひええ……船長の声だけど、なんか様子が違う……」

別の海賊が小声で提案する。

「とにかく従っとくほうがいいんじゃ……オレら尻に穴開くのは勘弁だぜ」


「……しかたねえ。よし、すぐに縄を切るか」

シミーは彎刀を抜き、タイガー・リリー姫の元へ歩み寄る。


ウェンディはピーターパンの“いたずら作戦”が成功しかけているのを見て、内心ほっとする。

(このまま無事に虎蓮さんを助けられるかも……)


しかしその刹那――

「シミー、何をしている。オレの命令を聞けぬのか?」


今度こそ、本物の“フック船長”の声が風に乗って響いた。

遠くの闇に、小舟を漕いで近づく影が見える。


(まずい……!)

ウェンディは思わずピーターパンの口を手でふさいだが、すでに時は遅し。

本物のフック船長が、漆黒の海の上をこちらへ向かってきていた。

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