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32. 逆転のくしゃみ作戦

「えっ、鯨の……お腹の中?」 ピノキオはゼペットの言葉にびっくりして、あたりをキョロキョロと見回した。 「うそだろ? こんな真っ暗な空間が、本当に鯨の中……?」


ゼペットは苦笑まじりにうなずく。 「そうなんだ。昨日、君を街中で探していたとき、ほかの人たちにも『木の人形を見かけたら教えてほしい』って頼んでおいた。そしたら今日の朝、ある人が“海で木の人形が漂っていた”と言うから、急いで船を出して探したんだけど……見つかったのはただの木片でね。どうやらその人が木片をピノキオと勘違いしたらしい。がっかりしながら帰ろうとしたとき、突然ものすごく大きな鯨が姿を現したんだ。まるで島みたいな大きさでね。それが、大きく口を開けたかと思うと、まわりの海水ごと僕の船を丸呑みしてしまって……」


ゼペットは甲板の上でランプをかざし、真っ暗な空間を照らす。 「それで、ここに閉じ込められたまま、一日中“どうやって抜け出せばいいか”考えていたんだ。そんなとき、お腹の中から誰かが叫んでいる声が聞こえてね……。その声の反響をたどったら、君たちに辿り着いたってわけさ」


「なるほど……。最初は“島”が急に現れたと思ったら、正体はこの巨大な鯨だったんだ」 ジャックが黒々とした“天井”を見上げながら、ぽつりとつぶやく。


「にしても……どこを見ても真っ暗だね。こんな大きな鯨から、どうやって出よう?」 ピノキオは震える声で船外の闇を見つめた。


ゼペットは困ったように眉を下げる。 「唯一の出口は、あの鯨の口なんだ。でも、あいつは食事するときしか口を開けないし、そのときは海水もドッと呑み込む。船ごと外に出ようとしても、流されて奥へ押し戻されるばかりでね……」


「……うわっ!」 ピノキオが急に声を上げて、船の端から空を見上げている。 「ねえゼペットさん、ジャック! 見て見て! 星があるよ、あんな上のほうに!」


ピノキオの視線を追うと、頭上の真っ暗な“天井”に小さな光が見えた。 ゼペットがうれしそうに微笑む。 「あれは鯨の鼻の穴だと思うよ。鯨も僕たちと同じように呼吸が必要だからね。普段は海の中を泳ぐとき、水が入らないよう鼻はしっかり閉じているけど、海面に浮上するときには鼻から空気を吸って、勢いよく潮吹きをするんだ。今はちょうど鼻を開けて呼吸しているんだろう。その小さな光は、そこから差し込んでいる月明かりなんだよ」


「じゃあ、そこから抜け出せばいいんじゃ……!」 ピノキオは目を輝かせるが、ジャックは首を振る。 「それはさすがに無理だよ。ほら、あんな高い位置にあるんだよ? 梯子でも届かない。それに、この船をバラして木材を継ぎ足しても……多分足りないよ」


言い終わるか否か、ジャックは思わず大きなくしゃみをした。 「ハ、ハックション!」 冷たい海水で身体も服もびしょ濡れだ。


「いけない、君たち服がずぶ濡れじゃないか。早く脱いで拭かないと風邪をひくぞ」 ゼペットは思い出したように言い、甲板の下の船室からタオルを持ってきた。 「火を起こして、服を乾かしてしまおう。体を拭いたら、甲板で火を焚くからね」


ジャックはその「火を起こす」という言葉を聞き、ぱっと表情を明るくする。 「……火か! そうだ、煙を使うんだよ!」


「え? 煙……?」 ピノキオとゼペットは揃って首をかしげる。


ジャックはにっこり笑うと、まるで秘密の作戦を囁くように言った。 「鯨の鼻を煙で刺激して、噴き出すほどくしゃみをさせるんだ。あれだけでかい鯨なら、くしゃみもとんでもない風圧になるはず。その瞬間、船の帆を全開にして勢いよく流されれば、口の外まで吹き飛ばしてもらえるかもしれない!」


「おおー! そ、それいいかも!」 ピノキオが手を叩いて大はしゃぎする。 ゼペットも顎に手を当ててうなずいた。 「確かに、それなら出口を無理やり開けさせることができる。よし、やってみようじゃないか」


二人の服が火でしっかり乾いた後、三人は船室から不要な木箱や壊れた木製のテーブル、椅子を運び出し、甲板の一角にどんどんくべていく。 小さな焚き火はどんどん大きくなり、やがて黒い煙がもくもくと立ち上り始めた。


「よし……いい感じ!」 ジャックは煙が天井へ向かうのを眺めて、意気揚々と声を張り上げた。 その火の勢いで、真っ暗だった鯨の腹の内部も赤々と照らされる。


「うわぁ……!」 ピノキオは感嘆の声をもらした。 あたりを見渡すと、そこには壊れた木船の残骸がゴロゴロと散らばり、海水の中をのんびり泳ぐ魚やウミガメもいる。 「こんなにいろんなものを呑み込んでたんだ……!」


しかし、そのとき。 海面に浮かびながら眠っていた大鯨は、腹の中で広がる熱気と煙を察知してギロリと目を覚ました。 「……ん?」


鯨の喉奥に熱がこもり、鼻の穴からは真っ黒い煙がチラチラと漂ってくる。 「ぶはっ……くしゃみが……はっ……」 あと一息で大きなくしゃみをしそうだったのに――鯨は身体を激しく左右に振って、ドッと海水を揺らし、腹の中の熱と煙をかき消す作戦に出た。


「うわあああっ!」 甲板に大きな波が襲いかかり、せっかく燃え盛っていた焚き火は一瞬で消し飛んでしまう。 どしゃり! と押し寄せた海水は船室にまで流れ込み、積んであった荷物も食料もすべて外へ押し流してしまった。 船上はあっという間に再び暗闇へ……。


「な、なんだ今の……!?」 ピノキオはずぶ濡れになりながら、甲板の手すりにつかまる。 「鯨のやつ、煙に気づいて自分で火を消しにきたんだ……?」


ゼペットも唖然としながら、甲板に打ち上げられた魚をまた海へ戻してやる。 「どうやら、あの鯨は相当頭がいいみたいだ。あんなふうに身体を動かして、海水で火を消すなんてね」


ジャックは、甲板のすみに転がっていた大きな亀をそっと持ち上げた。 甲羅にはフォークのマークのような紋様があって、不思議な雰囲気を醸し出している。 「……はい、もう大丈夫だよ」 海に戻してやると、その亀はジャックをじっと見つめるようにしてからゆっくり泳ぎ去った。


「煙が鯨の鼻まで届く前に、やつは対策しちゃったみたいだね。困ったなあ……。ほかにいい方法ないのかな……」 ジャックは頭をかきながら深いため息をつく。


「羽根でくすぐれたら一発なんだけどなー」 ピノキオがぼそりと漏らすと、ゼペットは苦笑した。 「ははは、そんなに都合よく大きな羽根なんて手に入らないよ。それに、鼻の穴はあんなに高いし……」


するとピノキオが、ふと思い出したように目を輝かせた。 「……そうだ! 僕、嘘をついたら鼻が伸びるんだ! それで鯨の鼻まで届く長い“棒”を作れば……!」


「嘘……? そういえば、そんなことがあるのかい? 一体どういう仕組みなんだ?」 ゼペットは目を丸くする。 ピノキオは、これまでに起こった出来事――馬戲團サーカスに行ったことや、キツネとネコに金貨をだまし取られたこと、青い妖精に助けられたこと、それに嘘をつくと鼻が伸びる体質のこと――すべてを説明した。


「なるほど……。でも嘘をつくのは、いいことじゃないよ。青い妖精だって、『正直でいなさい』と言ってくれたんだろう? そんなことしたら、彼女を裏切ることになる」 ゼペットは厳しい表情でピノキオを見つめる。 ジャックも真剣な目でうなずいた。 「そうだよ。せっかく仙女と約束したのに、ここで嘘をついたら……。一生、本当の人間になれないかもしれないじゃないか」


しかしピノキオは、二人に負けないくらい真剣な表情を返した。 「うん……わかってる。嘘はよくないこと。でも、僕はパパとジャックのことが大好きなんだ。このままじゃ、みんな鯨のお腹の中でやがて食べられちゃうかもしれない。もし嘘をついて鼻を伸ばすことで、二人を助けられるなら――僕はそれでいいよ。たとえずっと木の人形のままでも、二人が無事ならそれが一番なんだ」


「ピノキオ……」 ゼペットとジャックは言葉を失う。


そしてその刹那、ピノキオが勢いよく叫びはじめた。 「……ぼ、僕、今朝はちゃんとまっすぐ学校に行ったんだ! サーカスなんて見に行かなかったもん!」


パキッ……と音を立てて、ピノキオの鼻がほんの少し伸びる。 彼は構わず、次々と大声で“真逆のこと”をまくし立てた。


「サーカスのショーは全然面白くなかったし、火の輪くぐりの虎なんか失敗して当然だし! キツネとネコは超いいヤツらで、僕の金貨はだまし取られたんじゃなくてあげただけだし! 歡樂國かんらくこくだってしょぼかったよ! スイーツも全然おいしくなかったし、耳としっぽだって、自分でくっつけただけだし!」


バキボキッ……! みるみるうちにピノキオの鼻は長く伸び、さらに先端から枝分かれして緑の葉まで生えてしまう。 「わっ……すごい……」 ジャックとゼペットは思わずあっけに取られる。


やがてピノキオの鼻は、鯨の鼻のあたりに届くほどの長さになった。 ゼペットは慌ててピノキオの口を手でふさぎ、もう嘘を重ねないように制止する。 「ありがとう、ピノキオ……。君は、なんて勇敢で優しい子なんだろう。よし、これを使って鯨の鼻をくすぐるぞ」


ゼペットはのこぎりを取り出し、ピノキオの鼻の先端についた長い枝葉を丁寧に切り取る。そしてその長い“枝”を三人で抱え、鯨の鼻の付近まで持ち上げた。


「せーの……っ!」 枝の先端に生い茂った葉を、鯨の鼻のあたりでくりくりと動かし、思いきりくすぐる。


「ぐおっ……!」 鯨はたまらず大きく身を震わせ、鼻をふがふが動かしはじめる。 「はっ……はっ……は……!」


鯨は息を大きく吸い込み、ぐわっと口を開いた。 三人はそれを合図に船にしがみつき、帆をめいっぱい広げる。


「来るぞ……!」 「うん……!」


「は……はああああ……ハクショーーーーン!!」


ものすごい勢いのくしゃみが、鯨の喉奥から噴出した。 瞬間、三人が乗った小船はブワッと一気に口の外へと吹き飛ばされる。 「やった……! 出られた……!」 暗い海にいたはずなのに、再び夜空と月の光が見える。三人は成功を喜び合った。


――しかし、鯨のくしゃみは想像以上に強烈だった。 小舟は高々と宙を舞い、次の瞬間、大きな音を立てて海面に叩きつけられる。 「うわあああっ!」


激しい衝撃で船体はバラバラになり、ジャック、ピノキオ、ゼペットは真っ暗な海を浮き沈みする。 「ゼペットさん! ゼペットさーん!」 ピノキオが泳いで近づくと、ゼペットは気を失ったままだった。


「ボクに掴まって……!」 ピノキオは自分の木の身体を浮き輪代わりにして、ゼペットを海面に浮かせる。 ジャックは必死に二人を押しながら、荒れる波に逆らって泳ぎ出した。


「もう少し……少しだけ離れよう……鯨から……!」 三人は月明かりの海に揺れながら、全力で鯨の視界から離れていく。 暗闇の中、強い波音と鼓動のような水音が耳に響いていた。


こうして、鯨の腹からの脱出には成功したものの……無事に岸へたどり着けるのかは、まだわからない。 夜の海は広く、そして、あまりにも深かった――。

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