21. 運命を映す青きマッチ
馬小屋の中は、しんと静まり返っていた。雨音が遠くからかすかに聞こえるだけ。
そんな中、赤ずきんとジャックの手のひらで、マッチの小さな火がゆらゆらと揺れている。
「……あれ?」
ジャックが目をこすりながら、火の色が変わっていくのを見つめた。
橙色だったはずの炎が、次第に青みを帯び始める。そして――
ぼうっ
一瞬、青い光が赤ずきんの視界を染め上げる。するとその光の中に、懐かしい姿が浮かび上がった。
「おばあちゃん……!」
赤ずきんは思わず息をのむ。そこには壁炉のそばにある揺り椅子に腰掛け、小さな赤ん坊をあやしている祖母の姿が映し出されていた。金色の髪をした赤ん坊は、まぎれもなく幼いころの自分だ。
おばあちゃんは優しく揺り椅子を揺らしながら、赤ん坊の赤ずきんに語りかける。まるで昔話をしているように、穏やかで慈しみに満ちた声だった。
「赤ずきんや。メドゥーサという魔女をご存じかい? ずっと昔、彼女は天界に住む女神だったんだよ。美しく長い金色の髪、そして誰もが振り返る麗しい容姿……その姿に惹かれた男神がこぞって求婚したものだから、ほかの女神たちはたいそう嫉妬したのさ。
ある日、メドゥーサがほんの些細な過ちを犯してしまいね。それに乗じた嫉妬深い女神が、強力な呪いをかけてしまった。メドゥーサは美しい髪も顔も奪われて……醜い魔女の姿にされてしまったんだよ。肌には毒蛇の鱗、イノシシのようなキバ、青銅のような腕と爪、そして金色の翼。いつしか彼女の金色の長髪は、一本一本が黒い毒蛇へと変わっていた。
毒蛇やメドゥーサの瞳を見てしまった者は、足先から徐々に石に変えられ、最後には動けぬ石像になってしまう。風雨にさらされ、砕けてしまえば元に戻ることなどできない。
メドゥーサは天界から追放され、人間が暮らす地上に落とされた。怒りと憎しみを募らせた彼女は、その怒りを地上の人々にぶつけたのさ。行く先々の町の住人を石像に変えては、さらに粉々に打ち砕くという恐ろしい行為を繰り返した。
世界中にその噂が広まると、多くの正義の魔法使いたちがメドゥーサを倒そうと立ち上がった。けれども……一人、また一人と石像にされてしまい、ついには誰も正面から対峙する勇気を失ってしまった。そこで残った魔法使いたちは知恵を絞り、罠をつくることにした。
深い森の中に神殿を建て、濃い霧を発生させてメドゥーサの視線を遮り、彼女を神殿へ誘い込んだ。そして多くの魔法使いが力を結集して作った宝石を使い、強力な眠りの魔法でメドゥーサを封じたのさ。神殿には幾重にも扉と鍵が仕掛けられ、魔法が漏れ出さないようにしたんだ。最後にはその鍵を誰も知らない遠い国へと隠して……メドゥーサの目覚めを防いだってわけさ。」
おばあちゃんの話を聞くうちに、幼い赤ずきんはすやすやと眠りについてしまう。祖母は赤ずきんの小さなほっぺを軽くつまんで微笑むと、優しく子守唄のようにつぶやいた。
「おやすみ、赤ずきん。いい夢を見ておくれ。」
その瞬間、青い炎がシュッという音とともに消え去る。
ぼんやりと手元に残ったのは、火が消えたマッチとほんの少しの白い煙だけ。赤ずきんは呆然としてしまい、隣を見るとジャックも同じように言葉を失っていた。
「今……おばあちゃんが見えた……よね?」
赤ずきんが動揺しながらジャックの方を向くと、ジャックもこくりと頷く。
「うん……僕も自分の家族を見たよ。あれは……いったい……」
そう言って、ジャックは今度は自分が見えた光景について話し始めた。
ジャックが見たのは、晴れ渡る穏やかな朝の光景だった。幼いジャックが大きな木の下で絵本を読んでいる。すぐ近くでは、父親とラオ・ファンニウが畑を耕しているところだ。
「パパ! ねえ、パパー! こっち来て一緒に本を読んで!」
木の下からジャックが可愛らしい声で呼ぶと、父親は軽く笑って農具を置き、ジャックの隣に腰を下ろした。
「パパ、この絵本にね、雲の上には巨人がいるって書いてあるんだよ。本当なの?」
そう尋ねると、父親はジャックの頭をやさしくなでて頷いた。
「もちろん本当さ。巨人たちは雲の上に住んでいて、緑色の硬い肌をしているんだ。背丈は……そうだな、パパを五人分足したくらい高い。しかもあんまりお風呂が好きじゃないらしくて、すっごくくさいらしいよ。だから人間のにおいなんて嗅いだら追い払われちゃうんだってさ。」
「ええっ、それじゃあどうやって雲の上に行けばいいの?」
興味津々のジャックに、父親はちょっと得意げな顔をして答える。
「山の頂上や大木のてっぺんまで登って、雲が目の前に来たときにジャンプするんだ。……ただし、これはなかなか難しいんだぞ? でも、飛ぶことができる人なら雲に乗るのだって可能だろうな。たとえば、港町にいるジェペットおじさんが言ってたんだが、夜中に部屋の窓から子どもたちのところへ飛んでくる、小さな男の子がいるらしい。」
「へえ! その子に会えたら僕も飛び方を教わって、巨人の世界に行ってみたいな!」
ジャックが目を輝かせると、父親は笑って言う。
「きっと会えるさ。君が信じていれば、ね。」
そう言った瞬間、ジャックが見ていた青い炎もフッと消えてしまった。
話し終わると、ジャックと赤ずきんは火の消えたマッチ棒を見つめながらしばらく黙りこくってしまう。お互い、大切な人を思い出して胸がいっぱいだったからだ。そして、あまりに不思議な体験に戸惑ってもいた。
しばらくして、ジャックがポツリとつぶやく。
「……やっぱりこれは魔法か何かだよ。そうとしか思えない。赤ずきん、このマッチ棒、もっと大きな火で燃やしたら、もっとはっきりといろんな人が見えるんじゃないかな?」
赤ずきんはぱっと顔を上げ、そして力強く頷いた。
「そうかも! それなら私たちの会いたい人や、もっと詳しい場面が見えるかもしれない!」
二人はすぐに籠の中のマッチを一通り調べ始める。濡れていないマッチを全てかき集め、一気に燃やしてから、馬小屋に組んでおいた薪に火を移した。小さかった炎が次第に大きくなり、パチパチとはぜる音を立てながら燃え盛っていく。
「……きた! また青くなった!」
赤ずきんが叫ぶと同時に、ぱっと炎が青い色に染まる。すると目の前の火の中に、新たな光景が浮かび上がった。
今度見えたのは、真っ赤な帆を張った美しい帆船だった。大きな三角帆が風をとらえて、海原を勢いよく進んでいる。後部で舵を握っているのは、深紅の船長コートを身にまとった男。隣に立つ深緑のコートの男は、宝石箱のように美しい深紅の宝箱を大事そうに抱えていた。
「……パパ!?」
赤ずきんとジャックは同時に声をあげる。赤ずきんの父の名はジョン。ジャックの父の名はジム。まさに今、彼らが同じ船に乗っているではないか。
「追いかけられてるみたいだな、ジョン……本当に逃げきれると思うか?」
深緑のコートのジムが、宝箱をぎゅっと抱いたまま低く問いかける。
ジョンは嵐のような風を受けながら舵を握り、険しい表情で応える。
「この信天翁号は艦隊で一番速い。絶対に振り切れるさ……! だが、あの化け物が本気になれば、どうなるかわからない。ともかく最大限のスピードで、この海域を抜けるしかない!」
そう言った矢先、火の中に映る空が真っ暗になり、大きな稲妻が閃いた。嵐が海を襲い、甲板は暴風雨でめちゃくちゃになっていく。水夫たちは叫びながら帆をたたみ、甲板上の荷物を必死にくくりつけていた。
「ジョン! なんとかしのげそうか!?」
「分からん……だがやるしかない!」
ジャックの父ジムは深紅の宝箱を抱え込みながら、必死で踏みとどまる。
「これさえ失えば、俺たちの大切な人も闇に呑まれちまうんだ……!」
船は何度も高波に呑まれそうになるが、鍛え上げられた水夫たちが巧みに帆を調整し、ジョンは操舵輪を力強く回して波を避けていく。しかしようやく暴風雨を抜けそうになったところで、海面に巨大な渦が発生した。ゴォオオオッと低い音を立てて海が回転し、信天翁号を飲み込もうとしている。
「うわああああっ!」
渦の力に引きずられ、船は激しく傾く。乗組員たちは手すりやロープを必死につかみ、なんとか海へ落ちないよう耐えている。しかしどうあがいても渦から抜け出す術がなく、次第に海底深くへ巻き込まれていく――。
「パパーッ! ジョンさーん! ジムさーん!」
赤ずきんもジャックも、思わず炎の中へ手を伸ばすように叫んだ。だが、そこまでだった。
火は再び橙色に戻り、激しい嵐の映像は跡形もなく消えてしまったのだ。
「どうしよう……お父さんが……」
赤ずきんは震える声で、籠の中のマッチを探し回る。だけど濡れたマッチを投げ込んでも、もう青い炎は戻らなかった。
「パパは……無事じゃないかもしれない……もし本当に船が沈んだら……」
赤ずきんは涙をこぼしながらしゃくりあげる。
ジャックも瞳を赤くしていたが、懸命に言葉を選んで赤ずきんをなだめた。
「落ち着いて、赤ずきん。あれは本当に現実なのかも、ただの映像かもしれない。とにかく一度帰って、お母さんに話をしよう。お父さんが出航したなんて、僕は聞いてないし……確認しないと。」
「うん……そうだね。ママに相談すれば、もし本当に出航してるなら、助けを呼びに行くはずだよね……」
赤ずきんは涙をぬぐい、顔を上げる。
馬小屋の外から聞こえる雨音はいつの間にか弱まり、雲の隙間からは明るい陽の光が差し込んでいた。ふたりは乾いた服に急いで着替え、馬小屋を飛び出して家へと走り出す。
その直後、馬小屋のわらの山から、青白い小さな光の玉がすっと飛び出した。
「……チリリッ」
か細い音を残して、光の玉は空へと舞い上がり、雨上がりの虹をくぐるようにして消えていった。まるでふたりを追うように。
明るい陽光の下、雨のしずくがキラキラと輝く。
しかし、赤ずきんとジャックはその小さな光に気づかぬまま、ただ父親たちの無事を願いながら家へと走り去っていったのだった。




