王の帰還、もしくはダムールファントスの消失
「クラウトが来たそうだけれど?」
「息子と話しているわ。私がいると話がややこしくなるから、って混ぜてもらえないの。パットは、まだ見つからない?」
「ダメね。ああなると手がつけられないわ。ところで、ウチの娘を知らない?」
「さっきトピーの部屋にいたわよ。ドレスの手直しでいそがしそうだったから、私は退散したけど」
「手直しねえ。間に合うのかしら? 私は昨日の格好で良いと思うけどな。トピーにまかせてあるから文句は言わないけど」
「あなたはいつもそうね。トピーに直接言わずに私に言うのよ」
「立ち話も疲れてきたわ。そろそろ座りましょう」
パラシュラーマ国の王妃とクールマ国の王妃は、ならんでソファに腰掛けた。ファムは大きくため息をついた。
「思ったより早く娘が片づきそうで安心したわ。あのまま、あの大だんびらを担いで、猟師になる、とか言い出さないかとヒヤヒヤものだったのよ」
「ウチの息子なんて、髪結いになる、って家飛び出して三年よ。もうちょっとで顔も忘れるところだったわ」
「ああ、それはね、その、パットのせいなのよ。たぶん」
「聞いたわ。でも三年前ならカレッタは十三才でしょう? パットだってそう言うのも仕方ないわ。意外とせっかちなのよ。ウチの息子は」
「背だけはあるから、ナムスがそろそろと思っても無理ないわ」
「背だけでは、いろいろ無理があるわ。もっとも、そうめったに触らせてもらえるものじゃないから、息子にはわからなかった、と思うけど」
「それがそうでもないみたいよ。娘は鈍いから気がつかなかったみたいだけど」
「どういうこと?」
「タングツカ紅のドレス、ナムスの見立てなのよ。旅先から送ってきたのに、カレッタにぴったりだったわ」
「失望させたら悪いんだけど、寸法を指定したのは私。ナムスは生地と型だけなの」
「さっきナムスとは三年会ってないって言わなかった?」
「あら、そうだったかしら? ねえ、見て見て、この髪型、息子が編んでくれたのよ。素敵でしょ」
「あなた、ここに来たときからその髪型じゃないの」
「そうよ、ここに来る前に編ませたの。ここだけの話だけど二日もほったらかしにしてるのに、解れもないし、むれないから痒くもならないのよ。あの子、才能あるみたい」
「どことなくカレッタの髪型に似てるわね」
「あら、今頃気づいたの? でも、カレッタのほうがずっと手が込んでいるのよ。毎日編み直してるみたいだし、それにしても、ファムってば、あいかわらず、ニブチンね」
「ときどき、あなたのこと、無性に絞め殺したくなるのは何故かしら?」
「悲しいこと言わないで、私たち親友じゃないの、魂がつながっているのよ」
「魂以外はガタガタだわ」
「表面的にはそうね。でも気にしないことよ」
「あなた、いつまでその髪型でいるつもり?」
「ほんと言うとね。このまま蜜蝋で固めてしまおうかと思ってるの。もう、あの子は私の髪なんか結ってはくれないだろうし」
「頼めばいつだって結ってくれるでしょうに」
「無理よ、あの子はもうカレッタの髪しか編まないわ」
「母親は特別でしょ?」
「特別だからよ。息子は賢いわ。だから、きっとそうするでしょう。男の子の母親なんてつまらないものよ」
「女の子の母親だって、たいして楽しいものじゃないわ」
「普通はそうでしょうけど、カレッタは特別よ」
「あら、あの子は普通の女の子よ」
「そうね、そういう見かたもあるわね」
「たいへんだ、パットが帰ってきた」
いきなり扉を開けて婦人たちの部屋に闖入するというのはドライスターム侯爵にはまずあり得ないことだ。それほどクーンはあわてていた。
落ち着いてクーン、二人の王妃は異口同音にたしなめたが、ただごとでないことはあきらかである。
「パットがどうしたの?」ファムはクーンに問い質した。
「馬車で連れてこられた。手傷もひどいが、それよりダムールファントスが持ち去られた」
「どういうこと? あれは持ち去ったりできるような類のものではなくてよ」
「猪だ」
「猪?」
「追い詰めた猪にパットがダムールファントスを突き立てたところ、突然、猪がパットを蹴散らして逃げさったと」
「パットがそう言ったの?」
「いや侍従が、猪狩の手勢に連れていった連中が言ってる」
「わかったわ。とりあえずパットに話を聞かなきゃ。クーン、この事は皆に口止めしておいて、特にナムスとカレッタには絶対に知られないように」
「いや、ナムスはもう知ってるよ。パットが担ぎ込まれた一部始終を隣で見ていた」
「なんですって?」
ファムは立ち上がり、かたわらのテレーヌに言う。
「カレッタはトピーの部屋と言ったわね?」
「そうよ、まだ間に合うかも」
テレーヌも立って足早に部屋を出ようとする。
「どういうことだ? ファム、テレーヌ」
叫ぶクーンを置き去りに、二人はトピーの部屋にむかった。
「トピー、カレッタは?」
扉が開くなり、なだれこんできた二人に問い詰められたトピーはうろたえた。
「どうしたの? 二人とも」
「カレッタは?」
重ねて問うファムの真剣さに気圧されつつも、トピーは答えた。
「帰ったけど。ナムスが連れにきて、その、少し二人きりにしてあげたほうが良いかと思って」
ああ、と力無く嘆息し、ファムはその場にへたりこんだ。
どうしたの、とたずねるトピーにファムは答えられない。代わりにテレーヌがトピーに言った「ダムールファントスが無くなったのよ」
「なんですって?」
今度はトピーが叫び声をあげる。部屋を出ようと扉にむかったところで入ってきたクーンとぶつかりそうになる。
「クーン、いえ、ドライスターム侯」クーンを認めたファムが叫んだ「城中の者を集めなさい。ナムスとカレッタを探すのよ」
「しかし、ダムールファントスが」
「あんな鉄屑はあとまわしよ」うろたえるクーンをファムが叱責した「ダムールファントスは、それを振るう者がいなければ、ただの棒っくいと同じだわ。大事なのはカレッタを守ること、最優先よ」
「そう騒ぐな、ファム」クラウトに肩を担がれたパットが部屋の入口で妻にむかって言った「だからナムスを行かせた。城中の者など何千人いようが役にはたたん」
「あなた」ファムはパットに駆け寄った「大丈夫なの?」
「大丈夫、ではないな」パットは笑って見せた「すまんなトピー、椅子を汚すぞ。立ったままはきつい」
パットが鎧姿のままソファに腰かけると、クラウトが部屋の扉を閉めた。
「猪、と聞いたけど、そうではなさそうね」
ファムはパットの脇腹を見ながら感想を漏らした。鎧の腹部が大きくへこんでいる。
「まわりの者にそう見えたのなら、そのほうがいいな」
「あなたには、何に見えた?」
『暗きもの』とパットは息をうわずらせて答えた。胸が苦しいらしい、おそらくあばらが折れている。
「見えた、というだけだ。おそらくそうではない」
「敵の狙いは?」
「わからん」
「だというのに、あなたはカレッタを行かせたというの?」
「だからこそだ。ファム」
パットは苦しい息の下、妻に向かって答えた。
「後は私が説明しよう」クラウトはパットをソファからベッドに移した「お前はそこで寝ていろ。誰か、パットの鎧を脱がせてやってくれ」
「どうして城を出させたの?」
鎧のつなぎを外しながら、ファムがたずねる。
「敵が何を考えているのかは、いまのところはわからない。城の中では危険だから、二人を逃した」
「城の中が危険ですって?」
「実際、パットがやられたではないか。おびきだされて、このザマだ。ダムールファントスも奪われた。城兵がいるところでは我々は自由に力を振るうことができん。ましてや、カレッタは優しい子だ。城兵はおろか、我々ですらそばにいるだけで、力を抑え込んでしまうだろう」
「私たちは、皆、足手まといだと言うこと?」
「簡単に言えば、そうだ」
「ナムスは? ナムスは大丈夫なの?」
「あれには思い切りやれ、と言ってある。私も息子の本気を見たことはないが、私よりはマシだろう」
「だからって、あの二人にダムールファントスを追わせるなんて」
「追わせてはいない」クラウトは急に声を潜めた「二人には、ダムールファントスの噂を聞いたら、そこから逃げろ、と言ってある。もし、ダムールファントスが見つかった、との噂があれば、それはエサだと思え、と」
「そういうこと」ファムはやっと少しだけ落ち着いたようだ「本当に、あの二人を、逃した、のね」
「その通りだ」クラウトは言い、それから小声でつけ足した「もっとも、それはここだけの話だ、謁見の儀では、ダムールファントスが奪われたこと、そしてそれを二人が追っていると、皆に説明するのだ」
「よく意味がわからないけど」
「ダムールファントスが奪われたことを隠してもどうにもならん」鎧を外して、少し楽になったらしい、パットが言った「何人もの者が背にダムールファントスを刺して逃げさった猪を見ているのだろう? 下手に隠しても動揺を誘うだけ、それこそ敵の思うつぼだ」
「そして幸いにも、昨日の武術大会の件がある」クラウトがパットを引き継いだ「ダムールファントスを振るう『裂け目の塞ぎ』の英雄を、牧童の突き棒一本で倒した男がいる。その者と、父王よりもダムールファントスの扱いに長けた姫が、二人で行方不明の聖剣を探しに出かけた。民はこれで安心するだろう」
「それじゃあ、昨日のパットは? あれはお芝居だったの?」
「そこまで買い被られても困る」パットは痛みをこらえつつ、苦笑した「あれは全力だ。だからこそ、カレッタとナムスを行かせた。この老いぼれには、もう、玉座を温めるくらいの仕事しかできんよ」