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酒場の髪結

 

 祭でごった返す路地を突っ切ろうというのは、少々、無理があったかもしれない

 カレッタは群集から頭ひとつ抜け出ているので、視界が切れるということはないが、逆に言えば、誰にでもカレッタが見える、ということである。

 たちまちカレッタは囲まれて、進むも戻るもできなくなった。

 先導のタゴスは引き返そうとするが、人並に押しやられ、カレッタに近づくことすらできない。

 ああ、ちょっと、タゴスに用が、などと、カレッタはやんわり言うのだが、カレッタを囲んだ者たちは、タゴスなんかどうでもいいよ、こっちにおいで姫様、と口々に言い、カレッタの狩衣を思い思いのほうに引っ張るのである。

 あきらめたタゴスは大声で叫んでカレッタの注意を引き、手をぶんぶん回すと、店の中に消えた。

 なんだ、カッポの店じゃないか、カレッタは思った。それならそうと言えばいいのに。タゴスはカレッタが店に着くまで例の男を引き止めておくつもりなのだろう。

 カッポの店はファラセラムで一番大きい、一時に二百人が食事にありつけるだけの食卓がある。調理場はかまどだけでも十五あって、いつもかんかんに火がかかっている。味のほうは当たり外れが大きい。カッポが手ずから調理したのなら、まあ及第点だが、運悪く駆け出しの小僧が鍋をかき回していたとしたら、残念な結果になる。それでも二十五ラーマで腹がふくれるのだからと、ときおりでる文句を引っ込めて、みんなカッポの店に入るのだ。カッポの店はそういう店で、店主のカッポもまたそういう男だった。

 そんなわけで、店に入っても目的の食卓までたどり着くのは一苦労だ。祭でごたごたしている今日みたいな日は特にそうだ。

「おい、タゴス」ウォルマーがタゴスの上着の裾を引っ張る「姫様、置いてきちゃっていいのか? 姫様が行け、っていうから来たけど、姫様来ないんなら俺、帰るぞ」

「ばかやろう」タゴスが怒鳴った。半分べそをかいている「姫様がこのタゴスをお見捨てになるなんて、そんなことは、天地がひっくり返ったってありゃあしねえんだ。つべこべ言わねえで、ついてこい」

「だから、何でそんな先に行くんだよ。姫様が来るまで、待ってりゃあ、いいじゃないか」

「ばかやろう」タゴスはまた怒鳴った「お前は掛け値なしのばかだな。あの野郎が逃げちまったら、もともこもねえじゃねか」

 あの野郎、とやらがタゴスから逃げる必要があるのか、逃げ出したいのはタゴスだろうに、ウォルマーは思ったが、あまり言うとタゴスが本当に泣きだしそうに見えたので黙って後を着いていくことにした。

 店の奥、厨房に一番近いところに、あの野郎、はいた。

 なるほどタゴスの言う通り、妙な男だ。小男、というほどではない、カレッタとは比較にならないがタゴスも大柄なほうであるから、わざわざ『小男』と言ったのだろう。床屋の前掛けをしめたその男は、手に持った剃刀を腰に下げたなめし皮で研いでいる。風体から見て床屋に間違いないのだが、髪はぼうぼう、鬚も伸ばし放題で、髪と鬚の合間から目と鼻がのぞいている。

 妙だ、というのはその通りだった。

「おー、来たなー、よしよし、じゃあ、さっそく、そのむさ苦しい鬚を剃らせてもらうぞ」

「うるせええ」タゴスが鬚もじゃに向かって叫んだ「助っ人を呼びに行ったんだ。そいつが、いや、その方がいらっしゃったら、お前なんかけちょんけちょんだ」

「だから、その方、ってのは何だよ。まさか、そこの子供のことじゃ…、あっ」

 鬚もじゃはウォルマーの顔を見るなり、剃刀を前掛けのポッケにしまって立ち上がった。

「ウォルマー、ひさしぶりだなあ。元気にしてたか」

 何だこいつ、ウォルマーはムッとして鬚もじゃをにらみつける。

「そんな恐い顔するなよ」鬚もじゃは笑った。栗色の鬚が上下に開いて、真っ赤な口がかいま見える「まさか俺のことを忘れたわけじゃないだろうな」

「あんた誰?」

 ウォルマーの言葉に鬚もじゃは天を仰いだ「情けない、あの日、パナッサ神に誓って俺とお前は兄弟になったんじゃないのか。お前が姫に仕える限り、俺がお前を守ると、忘れたのか?」

 ウォルマーは男の毛からはみ出す鼻と瞳に解決を見いだそうと凝視した。大きく小鼻の突き出た鉤鼻、それでいて鼻筋はすっきり通っている。そして鬚と同じ栗色の髪に邪魔されてよく見えないが、その影のうちにも琥珀とも見誤う、金色の瞳。

 ウォルマーの体が瘧のように震え出した。

「…クラウトナムス、さ、ま?」

「おい、いいかげんにしろよ」笑いながら鬚もじゃは、ウォルマーを抱きしめた「兄貴と呼べ、兄貴と、たった五年あわない程度でそのザマは何だ? まだそんなことを言ってると、お前のこともフォルマット・テクサルと呼ぶぞ」

「あ、兄貴、ナムスの兄貴、悪かった」ウォルマーはナムスの腕を振りほどこうと必死にもがいた「痛い、だから、やめてくれ、そんなしめるな、息が…」

 あ、すまん、そう言ってナムスは手をほどいた「それにしても、そんなにわからないものかなあ? 俺、そんなに変わった?」

 真顔で言うナムスに、そもそも顔が見えないんだから見分けようがないよ、とウォルマーが答えた。なるほど、とナムスはまた笑う。

「知合い、なのか?」

 タゴスがおそるおそる聞いてきた。

「うーん、まあ、ちょっと」

 どう答えたものか躊躇したウォルマーは、ナムスのほうをちらちらとのぞきこむ。

「あはは」ナムスが笑った「ウォルマーの知合いなら、しょうがない、鬚剃るのは勘弁してやるよ」

「ありがてえ」タゴスはぶるぶるっと身を震わした「おい、ウォルマー、姫様来る前に片付いちまったよ。どうしよう?」

「どうしようって」ウォルマーは、あきれてタゴスに言い返した「お前、その汚いヒゲ剃られるのがいやで姫様呼びつけたのかよ」

「だってよぉ」タゴスはまた半ベソになる「ヒゲないとなんかこう迫力が足らないっていうか、それでみんなに馬鹿にされそうでよう」

 ヒゲあったって馬鹿にされてるじゃないか、ウォルマーは思ったが、さすがに可哀想なので言うのをやめた。何よりタゴスが引っ張ってきてくれたからこそ、ナムスに会えたようなものだし、それぐらいは大目にみよう。

「ウォルマー」とナムスがたずねてきた「姫様、ってのは、カレッタのことか?」

 もちろん、と肯くウォルマーに、ナムスは思案気に聞いてくる。

「俺の顔、そんなにわかりにくいか?」

 わかりにくいとかじゃなくて、見えないんだよ、ウォルマーは何度も説明する。ナムスがニヤリと笑んだ。

「じゃあ、カレッタもわからないかな?」

「え?」

 ナムスの考えが飲み込めない、ウォルマーが返答をしかねていると、ナムスはタゴスに言った。

「そこのお前、鬚剃るのやめてやるから、俺の芝居につき合え」

「え?」

「それと、ウォルマー、いままでのはナシだ。お前も俺のことを知らないってことにしろ」

「何だよ。兄貴、急にわけのわかんないこと言い出して」

「だから、その兄貴をやめろっての」兄貴と呼べ、と言ったり、今度は呼ぶなと言ったり、本当にいそがしい「カレッタに俺のことがわかるかどうか試してみる。スジは俺が適当に考えるから、お前ら適当にあわせとけ」

 またおかしなこと思いついて、ウォルマーが文句を言おうと口を開きかけたとき、店の入口で歓声が湧いた。

「ほおら、おいでなすったぞ」ナムスが楊々と椅子に腰かける「うまいことやれよ。その代わり、ここの払いは俺が持つから、好きなだけ飲み喰いしてていい」


 カレッタはやっとの思いでカッポの店までたどり着いた。店に入れば入ったで、皆がカレッタに自分達のテーブルをすすめる。どこのテーブルも同じようなものだと思うのだが、そこは個々人、様々な思い入れがあるらしい。

 奥のほうにウォルマーを認めて、カレッタは声をかける。

「ウォルマー」

「姫様」

 カレッタの前がさっと開いて道になった。やれやれ、最初からこうすればよかった。

 ウォルマーのそばまで行くと、確かに妙な小男がいる。前掛けで首から下はすっぽり隠れ、頭は髪と鬚に覆われている。

 人間なのかな? そんな考えもカレッタの頭をよぎった。

「おお、お姫様、ようこそおいでくだされました」

 鬚もじゃは言った。

「お姫様の噂を伺いまして、是非、その御髪を結ってみたいと思いたちまして、この国にやってまいりました。この御仁にお姫様のことをお尋ねしますと、俺に飲み勝ったら、お姫様をお連れしよう、そう申されるものですから、死ぬ気で挑み、ようやっとこの栄誉を勝ち取りました。何卒、お姫様も私の願いをお聞き届けくださいますように」

「他国から来られたと申されるか」

「いかにも、さようにございます」

 ふむ、とカレッタは銀の髪を撫ぜた。あまり時間もなかったので紐でひとくくりにしてきただけなのである。結ってもらえるなら、そのほうが良い。

「ではお願いする」

「有難う存じます」

 言うが早いか鬚もじゃは立ち上がり、カレッタに椅子を勧めた。カレッタが座るなり、はらりと紐を解き、ふところから取り出した櫛で髪をすいていく。

「素晴らしい櫛の通りでございますな」

「トピーが、いや、知合いがよくすいてくれるので」

 何事かと取り囲んだ野次馬たちのざわめきは、鬚もじゃの手がカレッタの髪に入る度に静まっていき、やがて櫛が髪を通る音が聞こえる程に静まり返った。厨房で大忙しだったカッポが手を止めて様子を見にきたほどである。

 鬚もじゃは櫛を四本使っていた。それだけは見ている者にもわかる。あるときは右手にまたあるときは左手に、どうかすると、ときどきその一本を口に加えるところまでは見て取れるのだが、櫛をはなして指先で髪を細かく結い上げているときもあり、つまり、どう見ても四本の櫛のうち、最低二本は宙に浮いているようにしか見えないのだった。

 髪の毛の端は孔雀が羽を広げるように、およそ百もの細かな編み上げに分かれて編みこまれていく、先は細く、根元に向かってはゆったりと、しかし、けっしてほつれることなく、束ねられた銀紗の髪が四条の銀の鎖となって、それぞれオウム貝の文様のごとくにぴたりとカレッタの頭上に編み上げられたときには、囲んだ見物人からの拍手が湧き起こった。

「軽いな、これは」カレッタは頭を振ってみた「うん、これはいい」

「お気に召されましたか」

「うん、これはいい」カレッタは繰り返した「さぞかし国々を回られて修行を積まれたのであろうな」

「なによりも嬉しいお褒めにございます」鬚もじゃは言った「では、もうひとつの私の願いもお聞き入れくださいますや?」

「なんなりと」

「では」鬚もじゃは言って、ソールのグラスを樽に浸して引き上げた「私と一勝負、おつきあい願います」

「いや、それは」カレッタはお節介な給仕が運んできたソールのグラスを退けた「明日は体を使う予定があるので、飲めないんだ」

「私もおなじです」鬚もじゃは言った「御国の催しに出場させていただきます」

「明日の大会は髪結の大会ではないぞ」カレッタは訝しげに言った「武術大会だ」

「それに私も出ます」

「如何にして?」

「床屋には床屋の技がございますれば、床屋の技にて勝ち抜く所存にございます」

 カレッタはもちろん驚いたが、さりとて、この男の言うことが嘘には聞こえなかったのも確かである。嘘とは聞こえぬ以上、もはや引くわけにはいかない。

 カレッタは給仕からグラスを取った。

 ウォルマーはハラハラしながら見守っていた。すんでのところでカレッタを止めようとしたのだが、ナムスの一睨みで抑えられてしまう。

「銀の髪の姫様に」鬚もじゃが言って高くグラスを掲げた。野次馬どもも思い出したように自分のグラスを高くあげる。

 銀の髪の姫様に。

 ソールは一息で干され、二人は空のグラスをカチンと合わせた。

 夜は長い。今宵は始まったばかりである。

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