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散歩する姫君

「ウォルマー」

 厩舎の柵の間に首を突っ込んでカレッタが呼ぶ。

「そろそろ出るぞ、メリンダの機嫌はどうだ?」

「メリンダはいつだって御機嫌さあ」ウォルマーは答えたが、心配そうに付け加えた「ダンスの練習じゃなかったの?」

「うーん、それなんだが」カレッタは少し困った顔をした「トピーが具合が悪いって、練習はとりやめになった」

「トピー様が? 大丈夫なの?」

「どうだろう」カレッタは首をひねる「朝は機嫌がよかったんだが、衣装合わせのあたりから元気がなくなった。具合が悪いと言うよりふさぎこんでる感じだな」ひとしきり思案顔をしたあとでつけ足した「月のものかもしれん」

「やめてよ、姫様、そういうこと言うの」

 ウォルマーは顔を真っ赤にして抗議した。カレッタより二つ下、男の子とは言え、いや逆に男だからこそ、十四才は多感なお年頃である。

「どうして?」カレッタは不思議そうに年下の馬丁にたずねる「アレは人によってはかなりキツいらしいぞ。私は幸い軽い方なので助かってるが、それでも三日ほどは調子が悪いな。血もドバッて出るしな」

「ああ、あ、メリンダ連れてくから、いつもの場所で待っててくれる」

「お、ありがとう」カレッタは笑顔で返すと頭を柵の間から引き抜いた「あ、私は違うから安心していいぞ。たぶん次に来るのは…」

「早く行かないと、トピー様が探しに来るよ」ウォルマーは必死でカレッタを急き立てた「狩衣で見つかったら、お叱言喰うんでしょ。ほら、早く」


「おお、メリンダ、元気そうでなによりだ。逢いたかったぞ」

 カレッタは愛馬の長い顔に頬ずりした。メリンダも嬉しそうに鼻面をカレッタに擦りつける。

 城壁を出てすぐの墓地の近くの繁みである。カレッタはここでメリンダと落ち合うことを常としていた。乗馬のまま城外に出るには正門を通らねばならず、いくらなんでもそれでは目立ちすぎる。メリンダを連れ出すのはウォルマーの仕事だ。以前は王女の愛馬を馬丁が連れ出すということで、見とがめられることも多く、いろいろと言い訳を取り繕って苦労していたウォルマーだったが、最近では城内の連中もすっかり慣れっこになってしまって、ウォルマーがメリンダを連れ回しても誰も何も言わなくなっていた。

 カレッタはひらりとメリンダに跨った。メリンダが一声いななく。

 ウォルマーが先導し、カレッタを乗せたメリンダが常歩でその後につく。

 さて、一国の姫がお忍びで城外を出歩くとなると、警護の問題が発生するはずである。ファラセラムの都の治安にあまり不安はないのだが、さりとて、姫が年端もいかぬ馬丁一人を共に城外に出るなど、本来なら許されるはずもない。

 この件についてラスロート城内の者が取った行動は、黙認、である。カレッタの美貌と愛嬌に目をつぶれば、この答えは至極当然である。身長七クラウトを超える偉丈夫でかつ『裂け目の塞ぎ』の英雄の直系を継ぐ者であり、なおかつ七才の時からその英雄に武術の手ほどきを受けているのである。これで強くないはずがない。実際問題として、カレッタとまともにやりあえる者は、ラスロート城下では、父王グラパッスを除いては一人もいない。その父ですら、最近はカレッタが手加減をしてやっと引き分けに持ち込むのが関の山だ。グラパッスは負けたままでは決して引き下がらないので、カレッタが母と夕食を共にするには手を抜くしか方法がないのである。

 自分より強いものを警護する、というのは、儀礼以外ではまったく意味がない。ということでカレッタ王女のお忍びの行幸には共をつけず、というのがラスロート城の不文律となっている。父王の場合には別の意味でお付きの者が必要なのだが、それはまた別の話である。

 ファラセラムの市街が近づくにつれ、田舎道にもぽつぽつとすれ違う者があらわれる。それらの者は皆、カレッタに声をかける。姫様、ごきげんうるわしゅう。姫様、別嬪さんじゃねえ。姫様、お祭り行きなさるかね。姫様、姫様、姫様。

 カレッタはにこやかに笑いながら、その度々に手をあげて、ああ、とか、うん、とか、返事のような、そうでないようなものを返す。それで皆は満足する。最初のころは散歩の度に皆が何かしら贈り物を持ってきた。畑とでとれた芋とか大根とか牛乳腐とか貝殻細工の護符とか、手織りの頭巾布とか、自分で作ったと言って椅子を担いでくる輩もいた。皆、何かしら送り主の手の入ったものであり、それはそれでカレッタも嬉しかったのだが、メリンダに荷馬車をつけて散歩するわけにもいかず、丁重に断りつづけた結果、いまのような格好になった。

 手綱を取って先を行くウォルマーは胸を張って歩く。俺の姫様だ、ウォルマーは心の中でそう思っている。そんなことを思ったところで何の足しにもならないのはウォルマーとてわからぬわけではなかったが、それでも、そう思うだけで、心の奥底から元気が湧いてくるのである。

 謁見の儀の一週間前からファラセラムはずっと祭の期間に入る。普段から賑やかなファラセラムだが、祭の間はまた格別で、国中のソールがかき集められて、年に飲むソールの半分をこの一週間で飲み干す、とまで豪語する。当然、酒場という酒場では商売っ気いっさいなしの大放出で、祭の間中、毎晩飲み比べ大会が開催される。以前はグラパッス王御自らがファラセラムのソール祭の金看板であったのだが、ソールの飲みっぷりこそ圧巻であったものの、酔えば触れるもの全てを叩き壊すという剛腕ぶりで、数年でお払い箱になった。その間、死者はもちろん、怪我人すらひとりもでなかったというのは、神の加護かはたまた悪魔の采配かは知らねど、さすがグラパッスと讃えるものも多かった。が、しかし、ファラセラムの被害たるや竜巻に三日続けて遭遇してもこれほどの惨事にはなるまい、とまで言われるほどで、けっきょく、王様には謁見の儀の間、お城からお出くださいますな、とファラセラム側からの嘆願があって、今日に至っている。

 で、ソール祭のほうは下火になったのかというと、さにあらず、もともと酒好きでならしたファラセラムが、その程度のことで改まるはずもなく、とくにここ二年というものグラパッス王にも勝る祭の花の登場で、祭はいやがおうにも盛り上がっている。

 そのファラセラムへの道程である。街並みもほど近く、人も次第に増えてきた。カレッタも手を降ろすのが面倒になり黙ってあげたままにしている。人垣は、メリンダの通れる分だけ、左右にさっと切り開かれ、両側からの姫君への声援は寄せては返す波のごとくに途切れることなく続いている。

「あ、いたぞ。姫様だ。姫様が来た」

「おーい、姫様、姫様、早くー」

 群集のむこうで声がしたかと思うと、むりやり人垣を割ってなだれこんできたものがいる。

「姫様、大変だ。早くおいでくだせえ。俺たちじゃあ、もうどうしようもならねえ」

 飛び込んできた髭面の大男は、メリンダの前で盛大に吐き散らかした。

「うわ、汚ねぇ」

 ウォルマーは飛び退いてよけた。その跡地にもう一度吐いて、男は少し落ち着いたようだ。

「おや、タゴス。日もまだ高いのにどうした。お前、調子悪いのか」

 カレッタが声をかけた男は、三年前のソール祭の覇者、タゴスである。タゴスは青ざめた顔で首を振った。

「いや、違うんだ。姫様。調子も確かに良くはねえ。良くはねえが、大変なのは、そういうこっちゃねえっす。たまげるほどの酒呑みが来やがったんだ」

「ほう、ソール祭にはもってこいじゃないか、良かったな」

「そうじゃねえ、よそ者なんだよ、そいつは」

 タゴスはかなきり声を上げた。すがるような目でカレッタを見つめる。

「妙な小男だな、と思って、最初はからかい半分で相手してたんだよ。そしたら、あいつは水でも飲むみたいにするするソールを空けやがる。あいつの口がそのまま地獄の入口につながってるんじゃないかって思うぐらいの飲みっぷりだ。もう俺たちじゃあかないっこねえ。姫様しかいらっしゃらないんだ。お願いです。よそ者に負けたんじゃあファラセラムの、パラシュラーマの名折れだ。姫様、お助けください」

「国の名折れ、って、そんな遠くから来てるのか?」

「パラシュラーマの酒呑みなら、齢百を超える爺さんまで知ってます。俺が知らねえんだから、この国の酒呑みじゃねえ」

 ふーん、とカレッタは頬に手を当てて考えた。タゴスは他のことではデタラメな男だが、こと酒に関しては一本筋が通っている。

「おもしろそうだな。タゴス、その男のところに案内してくれ」

 よしきた、助かったぁ、叫んだタゴスに冷たい一瞥をくれて、ウォルマーがカレッタに忠告した。

「だめだよ。姫様。今日は飲まないって約束したじゃないか。明日は武術大会だからって」

「うるさい、小僧。ガキがしゃしゃり出てくんじゃねえ。すっこんでろ」

「何言ってんだ。姫様、引っ張りだそうとしてんのは、そっちだろ。俺がガキなら、姫様は何だってんだよ」

「なんだとぉ」

「まあ待て、落ち着け二人とも」

 カレッタは二人を諌めた。

「ウォルマー、別に飲むとは言っていない。ただ面白そうな男だから、顔を見てみたいだけだよ」

「でも」

「心配ならお前もついてこい。その前にメリンダをどこかの軒先にでも繋いできてくれないか。この人混みでは、もう馬で行くのは無理なようだ」

 カレッタは下馬し、その場でウォルマーが支度を整えるのを待った。ウォルマーが馬水桶にメリンダを繋いで飼葉をあてがったのを確認すると、タゴスのほうを向いて言った。

「さあ、行こうか。ところでタゴス。お前、自力で歩けるんだろうな?」


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