お守りのお守り
スクィパルに護送されてからのクーンとトピーは体のいい軟禁状態にあった。ファウム夫妻は、この叔父叔母が見かけよりもはるかに物騒な人物であることを熟知していたので、私兵はもとより、高額で魔法使いも雇って二人を監視させた。もっとも、アッガサもロンも、監視は命じたが、彼らの行動を制限しようなどとは思いもしなかった。そもそも魔力を持ってトピー、テスカファディオン侯爵、かつてのレギオネス十四世を押さえつけられる者など、ヴァーマナ・ヴァラーハの現国王ぐらいしかいないのである。アガッサは念には念を入れ、トラキュリアから父母を呼び寄せて二人の相手をさせた。
ダムールファントス消失事件の後、トラッサム王と王妃はナラシンハの首都トラキュリアに帰っていたのだが、娘婿の要請に応じてスクィパルを訪れていた。叔父上、叔母上ともに若やいで昔にお戻りのご様子、とはアガッサからの手紙での注進だったが、それを見た国王夫婦は、とるものもとりあえず、スクィパルに向かうより他に選択はなかったのである。
「アガッサは気を回しすぎなのよ」トピーはアムネムに遠回しに不平を言った「私たち二人でもスクィパルに来れたのに、五十人も、大げさだわ」
トピーは自分たちにつけられた召使いたちのことを言っているのだ。トラッサム王妃は、仕方ないわね、とトピーにスマム茶を勧めた。
「アッガサは大げさなのが好きなのよ。不便がないなら我慢してあげて」
実際には、トピーにつけたのは召使いのなりをさせた私兵であることを、アムネムはアガッサの手紙で知っていた。トピー叔母が暴れ出したら五十人の私兵など数のうちに入らないが、それ以上、人員を割く余裕がないのであしからず、とは、アガッサの弁であった。
アムネムの見立てでも、一月前にラスロート城で見たトピーとは、まるで別人だった。まだ多少猫はかぶっているが、他人を観察するするどい眼差しと、しなやかにして細心の気くばりを忘れない身のこなしは、往時のトピーそのままである。本来、侯爵二人が駆け落ち同然に出奔した、など醜聞もいいところなのだが、そんなことなど頭の隅にすらない能天気ぶりは、トピーが元の自分を取り戻しつつある、なによりの証拠である。
二人の出奔が知れたとき、テレーヌは言った「トピーはもう十分我慢したのよ。好きにさせてあげましょう」それはかつての『塞ぎの英雄』みんなの思いを代弁したものだった。クーンについては、昔からああだから、と黙認の形になった。
家令が現れて言付けをした。
「ご主人様、奥方様、お帰りでございます。お客様もご一緒です」
「お客様は、どなた?」アムネムがたずねる。
「サファリアヌス公とカリュートナム王女様でございます」
「まあ、大変」
叫んで後ずさりするトピー、逃げようとするのを捕まえて、アムネムが言う。
「いまさら逃げてどうする気? ちょっと、あの二人のことについて話があるのよ。いいこと、トピー、絶対に逃げてはだめよ」
クーンは観念していた。トラス、ナムス、ロン、ウォルマーに囲まれては逃げ場がない。トピーと連絡を取ろうにも、おそらく向こうも男女入れ替えて同じ事をされているのだろうし、じたばたするだけ無駄だ。
「ヴァーマナ・ヴァラーハに行くという話だったと思うんだが」ナムスが言った「こっちも、向こうに行く用事ができたんだ。一緒に行ってもらえないかな?」
「それはかまわんが」クーンは返した「何故、ヴァーマナ・ヴァラーハに?」
「予言について」ナムスはここで言葉をいったん切った。全員の顔を見渡してから、話を続ける「ある程度、さらってみる時期に来たんじゃないかと思う。もちろん、予言ですべてが決まるわけじゃないが、わざわざ忠告してくれているものに耳を塞ぐ必要もないだろうと思ってね」
「確かにそれは必要かもしれん」クーンは言ったが、彼にはまだナムスが何を言いたいのかよくわからない「それで僕にどうしろと?」
「トピー叔母を説得してほしい」ナムスは担当直入に言った「ダムールの書が読みたい」
クーンの顔色が変わった「ダムールの書はヴァーマナ・ヴァラーハにはないぞ」
「それは知ってる。どこにもないから、ダムールの書、だろ?」
「どこにもない『書』をどうやって読む?」
「だからトピー叔母の力を借りたい」
「そんなことをさせたらトピーは壊れてしまうぞ」
「いや、トピー叔母に読んでもらうわけじゃない」ナムスはそこだけ言葉をくぎり、はっきりとした口調で言った「『書』を読むのは俺だ」
「正気か? ナムス」クーンは驚いて声を上げた「『書』に名を記されたものが『書』を読むことは禁じられている」
「その件に関しては、様々な解釈がある。クーン叔父、親父殿も、俺が『書』を読めるものかどうかは、俺が読んでみないかぎりはわからないそうだ」
「わざわざそんなことをする必要があるのか?」
「わざわざそんなことをする必要があるんだ」
「クーン」それまで無言で二人のやりとりを聞いていたトラスが口をはさんだ「ナムスが読みたいといっている、手伝ってやってはくれんか?」
「しかし」
なおも抗弁しようとするクーンに、トラスは頭を振った。
「クーン、『書』は読みたいと思っただけではどうなるものではない。もし無理なら、『書』のほうでナムスを拒むだろう。それだけのことだ。頼む。ナムスを助けてやってくれ」
「トピーいいかな?」
クーンがトピーの部屋の扉を叩く。トピーは飛んでいって扉を開けた。
「早く入って、クーン」
トピーはクーンを招き入れ、すばやく扉を閉めた。
顔を見合わせた二人は、どちらともなく大きなため息をつく。
「カレッタが」
「ナムスが」
同時に言いかけて、言葉を切った、互いの顔を探りながら、おずおずと口に出す。
「ダムールの書が読みたいって」
「ダムールの書を読みたいと」
言ってしまって、はあ、と再びため息をつく。
「どうしよう?」
トピーにたずねられ、クーンも途方に暮れる。
「わからん、あんなことを言い出すとは思わなかったし」
「予言なんて、あの二人、気にしてないと思ってたのに」
「トラスがそそのかした? まさかな。そもそも読めるものなのか? ダムールの書なんて」
「読んだ、という人間は何人もいるわ。でたらめな写本は何冊、いえ何百冊もある。本当のことはわからないけど」
「協力しろと言われたが」
「引き受けたんじゃないでしょうね」
「まさか、でも、僕らが手助けしなくてもやる気みたいだった」
「そう、こっちもそんな感じ、勝手にやるから、って雰囲気で」
「どうしたらいいんだ」
議論はまた最初に戻ってしまった。クーンとトピーは堂々巡りを繰り返し、その度に態度を決めかねて、また、ため息をつく。
どうしようもないことは、わかってはいたが、しかし、だからといって、それを認めるのは嫌だ。
「これでよし」
カレッタは紺のドレスを纏い、姿見の前に立った。リナクラ荘から送った型で作ったドレスがもうできあがってきたのである。スクィパルの仕立屋というのがどういう仕組みになっているのかはよくわからないが、アガッサのせいで仕事が早くなっているのは間違いないだろう。
「どうかな?」
カレッタはアムネムに向かってドレスの裾を上げて見せた。アムネムはカレッタのこの姿を見るのは二度目だが、何度見てもかわいらしい「とても、よくお似合いよ、カレッタ」
これからアムネムとアガッサと一緒に観劇に行く。トピーも誘ったのだが、断られてしまった。
「トピーは何で来ないんだろう」
カレッタの問いにアガッサは声を上げて笑った。
「あんたがダムールの書を読みたいとか言うから、クーン叔父と二人で頭かかえてるからでしょうに」
「そんな大声で笑ったら、トピーに聞こえますよ。アガッサ」
母にたしなめられ、しまったという顔をしたアガッサは小声で付け足した「でも、あんなにうまくいくとは思わなかった。もう、あの二人、あんたたちから目を離せないでしょう」
「うまくいく、って何が?」
真顔で問い返すカレッタに、アガッサは不吉なものを感じ、眉根を上げ、威嚇するようにカレッタにささやく。
「まさかとは思うけど、本気で『書』を読みたいとか考えてないよね?」
「読んじゃ駄目なのか?」
「駄目よ」アガッサは言った「いい? あたしの言うことを聞きなさい。あんなもの、絶対、読んじゃ駄目だからね。あんたもナムスも」
「ふーん」カレッタは不思議そうな顔をした「どうして?」
「どうしても、こうしても、ないの」アガッサは言い切った「駄目なものは駄目」
こういうときのアガッサは何を言っても無駄である。カレッタは話題をかえることにした「グラスモルの神殿のことなんだけど」
「ああ、あれ、どうかした?」
「あそこ、やっぱりパントーがいるみたいだな。あの女騎士もいたから」カレッタは剣を握る仕草をした「邪魔だったら、潰そうか?」
「いいわよ、あんなの」アガッサは本当にどうでもよい、といった感じで右手を振った「いまのところは何もする気はないみたいだし、スクィパルでグラスモルが幅をきかすようなことにでもなったらお願いするわ」
そんなことよりカレッタ、アガッサは従妹の手をとって部屋から連れ出した「今日の劇にはレフケートが出るのよ」
「あの詩人の?」
「そう」いたずらっぽい瞳をくるくる回してアガッサは言った「スクィパルに来るのは一年ぶりなの。あたしは彼の声が好き。それにしても『ラミナス王の娘』を詠ったレフケートが、本物のカリュートナム王女を見たら、何というかしら?」
「なあ、ナムス」ロンが声をかけた「君は観劇には行かないのかい?」
「すまんな、ロン」部屋の中央で練習用の棒を回しながらナムスが言う「せっかくのご招待だが、トピー叔母が行かない、というのが、ちょっと気になってな」
「あの二人が、何かしでかす、とか?」
「かもしれんし、そうでないかもしれん」ナムスはピタリと左脇に棒をつけた「アガッサには、観劇は苦手で、ということにしておいてくれ」
「こんな狭い部屋では、練習も満足にできないだろう」トラスが現れた。鎖かたびらに樫の双棒を両手に携えている「婿殿、すまんが大広間を借用したいが」
「いや、お義父上」ファウムの当主はトラッサム王に言った「練習場を作らせましたので、そちらでどうぞ。なんでしたら、お相手のほうも幾人か」
「これはお気遣い感謝する」双棒を、かちん、と鳴らしてトラスはナムスに合図を送った「では参ろうか、こんな老いぼれ相手で申し訳ないが」
「トラス叔父も観劇が苦手とは存じませんで」ナムスはニヤリと笑うと棒を携え、トラスの後ろについた「じゃあ、ロン、すまんが、御婦人方のお相手をよろしく」
ロンは肩をすくめて部屋を出た。
「さて、ナムス」ロンが消えるとトラッサム王は声をひそめた「ちと掃除を思いいたったので、手伝って欲しいのだが」
「箒を使うたぐいは苦手なんだが」ナムスも声をひそめる「雑巾がけも下手だ」
「私だって、そんなものは使ったことがない」
「それを聞いて安心した」
「トピーもクーンもあまり得意ではないはずだ」
「トピー叔母もか?」
「掃除はお前の母とネムが主にやっていたのだ」トラスは困り顔で付け足した「箒とか使うほうはな。カレッタの母親は、箒が何をする道具か知らないと思う」
「不得意でも支障はなさそうだしなあ」ナムスは笑った「で、その箒を使わないほうの掃除だが、どこをやる?」
「クジュアル神殿」トラスは言った「婿殿は、揉めごとは嫌いらしいが、スクィパルもナラシンハの一部なのでな。目についた以上、ナラシンハ国王としては見過ごす訳にもいかんのだよ」
「揉めたら義父が出てくるんじゃ、ロン・ファウムだってめったに事を大袈裟にはできんだろうさ」ナムスは右手の棒を見る「と、なると、こいつではちとまずい。テーダムドアンを取ってくる」
「そう、それ」トラスがナムスの棒を指さす「いつ言い出そうかと思っていたんだ。もはや神器として使い物になるのはテーダムドアンくらいだからなあ」
「まだ、エンファダックとレントースがあるじゃないか」
「久遠の珠と異境の鏡か」トラスはため息をついた「神器はともかく、クーンとトピーがあれではなあ。使い手の力次第とはやっかいな代物よ」
「二人とも、まだ老け込む歳でもないだろう」
「それはそうだが」トラスは言うが、普段柔和な彼からは想像もつかないほどに、その表情は平板となった「だからと言って、もう彼らは使いものにはならん。それを自身で納得できるようになるまで、あの二人から目を離すわけにはいかんのだ」