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偽りの神殿

 スクィパルにあるクジュアル神殿は地下が二層になっていて、深層には昼間でも光が届かない。

 薄暗頭巾たちは、左に四人、右に四人に分かれて座している。

 その両列の中央に一人、クジュアルの神官の衣を纏った老人が座っている。老人の右、薄暗頭巾の一列に向かうように座っているのは、これも法衣を纏った青年で、笑っているとも怒っているともとれる曖昧な表情を浮かべていた。頭巾の下にわずかに金髪が見えかくれするが、大部分は法衣の中に隠されており、髪の長さは定かでない。老人の左には、鈍色の甲冑の女騎士が紅い髪をなでつけた素顔をあらわに立っている。

「さても皆様方」老人は皺苦茶の唇を動かして泡のような言葉を発した「この仮の衣にて面談することをお許しいただきたい。クジュアル教の神官として道ゆかねばならぬため、神聖なる頭巾を被れぬのじゃ」

 老人の言葉にパントーたちは微動だにしない。許諾も了承も必要のないことがらだったからである。

「では、スハルト様」老人の右に座する青年が名を呼んだ「テッハ様に御報告を」

 右端に座していたパントーの一人がくぐもった声を発したが、その場を動く気配はなかった。

「スハルト様」青年が再び名を呼んだ「おいでなされませ。御前に」

 なおも場から動こうとしないスハルトを左の三人のパントーが無理矢理引きずってテッハ老人の前に跪かせた。スハルトは頭巾のしたで体を小刻みに震わせている。

「お許しください、テッハ様」スハルトは額づいて慈悲を乞うた「お許しください」

「スハルト様」テッハは困惑の面持ちでスハルトに呼びかけた「そう申されても、このテッハには何のことやら、まずは御説明を伺わねば」

 嗚咽と懇願を繰り返すばかりで、スハルトはさっぱり要領を得ない。テッハは質問の仕方を変えた。

「ダムールファントス」テッハの声にスハルトの身体がびくっと震えた「は、どうされましたかな」

「奪われました」

「奪われた?」テッハは困惑をあからさまに顔に出した「それは異なことを、スハルト様、ダムールファントスはパラシュラーマ王の手より、あなた様のお手に入った、と聞いておりましたが」

「奪い返されました」スハルトはテッハの裾にすがりつきつつ、右手を伸ばして、かの女騎士を指さした「あの者が、あの女が余計なことをするから」

「ロカウ様」テッハは女騎士に顔を向けた「如何?」

「サファリアヌス公、息子のほうだが二度おくれをとった。件のおりはテーダムドアンをお使いあったので、力及ばず」ロカウは、にぃ、と犬歯を剥き出しにして笑った「確かにスハルト殿のおっしゃる通り、尻尾を巻いて逃げるべきであった」

「ほほう、クールマの皇太子が」テッハは意味ありげにうなづき、スハルトはまた震えた「他にどなたか、おられましたか?」

「カリュートナム王女、ドライスターム卿、物陰には、テスカファディオン侯爵もおいでのようであったが」

「ロカウ様、お戯れを」

「戯れであれば良かったが、スハルト殿にも聞いてみられてはいかがか?」

 ひゅう、とテッハは呼気を吐き出した「スハルト様、ロカウ様のいまのお話、たしかでござりますか?」

 スハルトはがっくりとうなだれた。

「となれば、イリウスのことは、聞くまでもない、か」

 スハルトは、イリウス、とテッハがつぶやくのを聞くや、弾かれたように立ち上がりテッハにすがりついた「申し訳ございません。このスハルト、一生の不覚にございます。どうか、どうか、お慈悲を、テッハ様、お慈悲を」

「そう騒がれるでない、スハルト様」テッハは迷惑そうにスハルトの手を払った「スハルト様、身共がスハルト様に何の手出しをいたしましょうや、御身は身共の同胞ではございませんか、血を分けた兄弟よりも強い絆でお慕い申しております。どうぞお手を戻されて、きちんとお話しなされませ」

 テッハの前に跪いたスハルトは呆けた顔で目の前の老人を見上げた。

「イリウスは」テッハは小声で傍らの若者につぶやいた「あの『暗石』はよく肥えておった。あれだけ肥らすは手間であったがのう」

「御意」

「さて、スハルト様」再びスハルトに向いたテッハは質問を続ける「ご一緒の同胞の皆様はいかがなされました?」

 スハルトは答えない、テッハの顔を呆けたように見つめるだけだ。

「御一人はお亡くなりに」ロカウが代わって答えた「ドライスターム卿の手並みにござる。拙者、すぐにも蓄電したため、以降のことは存ぜぬ」

 テッハは眼前に手を組んだ。他のパントーたちも同様の仕草をとった。

「あと、もう五人おられたと、聞いておりますが?」

 テッハの問いにも、もうスハルトは答えない。ただ呆然と目と口をだらしなく開けているばかりである。

「僭越とは存じますが」右に控えた若者が言った「他の五人の方々はラミナスの井戸より放たれた光に包まれ、行方知れず、と」

 おお、とテッハは小さく嗚咽を漏らした「ラミナス、ラミナスとな」テッハは繰り返した「ラミナス、よりによって、何故そのような」

「ダムールファントスを取り戻すためにございます」スハルトが突如、叫んだ。そして、それが精一杯だった。

「ダムールファントスを?」

「取り戻すために」

「ラミナスに?」

「ダムールファントスを」

「クラウトナムス皇太子とカリュートナム王女から取り戻せると思うたのか?」

 たわけが、つぶやいたテッハは、憐憫の目でスハルトを見下ろした「レフケート」

 テッハに呼ばれた青年は、老人の口許に耳を近づける。

「もうよい、飽いたわ。スハルトを連れてゆけ、ただし、この男、一滴の血も流すことは許さぬぞ」

「畏まりましてございます」レフケートはスハルトの肩を掴んで引き上げた「さあ、参りましょう、スハルト様」

 肩を捕まれたスハルトは渾身の力でレフケートの手を振り払い、テッハの裾にまたもすがった、テッハがその手を振り払うと、他のパントーがスハルトを捕らえ、部屋から引きずり出した。

「テッハ様、テッハ様、お慈悲にございます。お助けけください。テッハ様、お願い…」

 では、これにて、ロカウがパントーたちに続いて下がる。

 レフケートも部屋を辞そうとすると、テッハが呼び止めた。

「スハルトが抜けては八が欠ける。レフケート、お前が入れ」

「よろしいので?」

「かまわん、八は神聖な数、欠くわけにはいかん、そもそも七人で事を企てるなど、スハルトの奴、ものの道理がわかっておらん。飽きれてものが言えぬわ」

「承知いたしました。では、スハルト様には、イリウスの償いを」

「面倒をかけるが、致し方ない」

 レフケートを下げ、テッハは一人部屋に残った。

「さて、やっかいなことになった」テッハはつぶやいた「ダムールファントスなどという遺物にかかわるから、こんな目にあうのだ。虎と龍が揃って野に放たれてしまったではないか。まったく、スハルトめ。余計な事を」


「レフケート、縄を解け、俺をこの部屋から出せ」

 わめき散らすスハルトに、半ば呆れ顔でレフケートが応対する

「なんとも威勢のよろしいことで、さきほどのお部屋でこの半分もお元気でしたら、あれほど尋問に時間もとられませんでしたでしょうに」

「うるさい、俺はロカウに嵌められたんだ。あの女、油断ならん、すべてはあの女が」

「伝説の英雄四人がかりにロカウ様お一人でどうしろと?」

「あいつが手引したのかもしれん」

「お戯れを、あれだけラスロートに近いところで、あれほどの呪いを施してただですむとお思いなら、ずいぶんとお気楽なことで」

「俺の隠形は完璧だ。あれしきの呪い隠しおおせるわ」

「数を欠いておいでですのに、勇ましいことで」

「あれは七で十分なのだ、八など迷信にすぎぬ」

「それはテッハ様の前でおっしゃるべきでした」

 レフケートがテッハの名を出したとたん、スハルトは口をつぐんだ。よほどテッハが恐ろしいらしい。

「テッハは俺をどうすると?」

「ご安心なされませ」レフケートは言った「スハルト様の血の一滴も失わせることまかりならん、と厳命されております」

 スハルトは少し安心したようだ。他はともかく、テッハは約束を違えるような男ではない、そのことをスハルトは知っていた。

 レフケートはスハルトの縄を解いた「落ち着かれたようですので、これは必要ありませんね」

「では、本当にテッハは? いや、テッハ様は俺をお許しに?」

 レフケートはうなづいて、杯を二つ、スハルトと自分の前に置いた。スハルトに勧めながら、自分も飲む。

「スマム茶ですよ」訝しげな顔のスハルトにレフケートは言った「お口に合わないようでしたら、無理におすすめはいたしませんが」

 スハルトは杯をとって口に流し込んだ。スマム特有のすいた香りが鼻孔をくすぐる。

「少し気をゆるやかにお持ちなされませ」レフケートの声が遠い「何かとお疲れの御様子、お休みになられるのが一番でございます」

 睡魔がスハルトを襲い、目の前が霞んで暗闇に変じた。


 紫の巾にのせた『暗石』をうやうやしく掲げてテッハの前に差し出す。

「見事な『石』じゃ」テッハは言った「イリウスに勝るとも劣らん」

「左様でございます」

「名はなんと申す」

「スハルト、にございます」レフケートは言った「かの御方の野心そのままに、裂け目の闇を喰らいて、肥え太りましょう」

「天晴れじゃ」テッハは満足そうにうなづいた「『石』となってみれば、かの御方の素晴らしきこと一目瞭然である。もっと早くにこうすべきであったな。このほうがはるかに役に立つし、面倒もない」


 神殿の中はありきたりの造作だった。

 礼拝時ではないので、人気はほとんどない。カレッタたちの他は、手持ちぶさたの観光客が三人いるだけである。

 アガッサと並び歩くカレッタは、柱や壁を触りながらふらついてみたが、とくに変わったところは見受けられかった。

「どこがグラスモルなの?」カレッタは小声で従姉に聞いてみた。

「ばかね。それがすぐわかるようなら、とうの昔に司祭ごと追い出してるわよ」

「そうか」

 クジュアルはラーマ三神の一柱で火と破壊の神である。水と再生の神パナッサとともに梵天ラブラーダを支え持つ。破壊と言っても再生を前提とした破壊であって、全てを飲み込む裂け目と異なり、神格をを持ってラーマの民に崇められている。グラスモルとは、当然、異なるものだ。

 壁面のクジュアル神の彫像を見て、雑だな、とカレッタは思った。アガッサに偽物と吹き込まれているから、そう思うのかもしれないが、クジュアルの冷徹ではあるが、それでいて奥に慈悲をたたえた眼差しが、まるで感じられないのは、陶工のやる気のなさだけが原因ではない気がした。

「カレッタ姫」

 がらんとした神殿にカレッタを呼ぶ声が響きわたった。

「一別以来、寝ても醒めても姫のことが脳裏より離れぬ。ここでお会いできたとは、まさにクジュアル神の導き、是非にも、一手、お手合わせ願いたい」

 鈍色の鎧に目の醒めるような赤毛、ラスロートの闘技場、そして闇の森でパントーと一緒にいた、あの女騎士である。

「ああ、こんにちは、貴女とはよく会うな。それも妙なところで」

 挨拶を返したカレッタだが、正直なところとまどっている。

「何者か」凛として問い返したのはアガッサである「我が従妹カリュートナム王女に、物言いあらば、まず名乗られよ。私はアガッサ・ファウム。ナラシンハ王トンピュード・トラッサムおよび、后アムネム・トラッサムの末子にして、ロン・ファウムを夫とする者、婚前名はアグステールム・トラッサム。この場で狼藉なさる所存なれば、容赦いたしませぬぞ」

「これは失敬つかまつった」女騎士は素直に詫びた「我が名はヰタ・ロカウ、修行中の剣術使いにござる。ただ武芸を究める手助けに、この道で高名なるカリュートナム王女にご教授願いたく、是非、一手、お手合わせを」

「誰なのよ、この小娘は」アガッサは小声でささやいた。さすがの女騎士ヰタ・ロカウも、アガッサには小娘呼ばわりである。

「うーん、なんかナムス兄様に二回負けてるんだよ」カレッタは従姉にささやき返した「ずっと私と手合わせしたい、って言ってるんだけど、何故かナムス兄様とぶつかってばかりで、欲求不満らしい」

「じゃあ、あの武術大会の女騎士?」

「そう」

「ふーん」アガッサはロカウに一瞥をくれた「まあ、武芸者、って言われればそう見えなくもないわね。あんたが負けるとも思えないし、ささっと片付けちゃえば?」

「いいの?」

「いいんじゃないの」

 カレッタはロカウに向き直った「申し出を受けよう。貴公は何の勝負がお望みか」

「姫は武具は何を望まれるか?」ロカウが逆に問い返す。

「弓がいいな」

「え?」ロカウは露骨に困った表情になった「弓だと万に一つの勝ち目もないんだが、他に何か?」

 正直な奴だな、とカレッタは思ったが、弓以外だと適当な獲物がない、ダムールファントスはラミナスに置いてきてしまったし。

「ちょっと待ってて」言い残してカレッタは戸外に消えた。待つこと数分、帰ってきたカレッタの右手には五クラウトほどの樫の棒、ナムスが当座にとカレッタに削ってくれた木刀である。

「これでどうか?」カレッタは樫の棒を右手に掲げた。

「ありがたい、では、参る」

 ロカウは言いざま腰の大剣を抜き放った。ダムールファントスとは言わぬまでも刃だけでも六クラウトはあろうかと見える長剣である。その剣を大上段に振りかぶり、じりっ、じりっ、と間合いを詰める。

 父上の剣に少し似ているな、カレッタは思った。カレッタは木刀を片手青眼に構えている。左手は無造作に降ろしたままだ。ちょっと見た感じには隙だらけで危なっかしい感じに見える。

 カレッタは左脚を前に出した。そこから普通に路上を歩くように頓着無しにロカウ向かって進む。ロカウの間合いに入っても、どうしたわけか、女騎士は剣を振り降ろすことができない。

 すれ違いざま、カレッタの木刀が一閃した。甲冑の胴に食い込んだ木刀をそのまま払うと、女騎士は宙に舞った。

 背中から、どう、と落ちたロカウ。剣を落とすことはなかったが、立ち上がるのは困難そうだ。

「満足したか?」

 カレッタに問われたロカウは、苦しい息の下、どうにか返答した「とりあえずは」

「負けず嫌いだな」カレッタは飽きれ顔で言ったが、木刀をおさめて付け加えた「これも何かの縁だろう。腕を研いてまたおいで」

「ご好意痛み入る」

 二人の婦人が神殿の外に出ると、柱の影からロカウに近づく者がいる。

「見えたか?」

 ロカウは床に大の字に寝そべったままレフケートにたずねた。

「見えたよ」

 レフケートが答える。

「それで、どうやったら勝てる?」

「どうやっても勝てない」

「なんだ、そりゃ」ロカウは笑った、が、脇腹と背中の苦痛に顔をゆがめる「やられ損か」

「やられ損ということはない」レフケートはロカウの腕を引っ張って半身を起こさせる「あの二人に出くわしたら、何も考えずに逃げればいい」

「逃げるのか」

「逃げるんだ、しばらくの間は」

「しばらくの間? その後は」

「それはわからない」レフケートは言った「うまい手が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない」

「さあ立って」レフケートはロカウを支えて立ち上がらせた「僕の頼みでそんな目にあったんだ。食事くらいは御馳走するよ。実は、ちょっとばかり昇進したらしいんでね」

「昇進はいいが」ロカウは顔を歪めながらレフケートに支えられて歩き出す「スハルトに虐められないようにしろよ」

「ああ、気を付けるよ」レフケートは素直に忠告を聞いた「でも大丈夫じゃないかな。あの人、丸くなったんだよ。とっても丸くなったんだ」


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