別荘の二組
「じゃあ、あんた、はじめてコルセットまで着けたっていうのに、闘技場まで降りなかったっていうの?」
「そんなしきたりがあるなんて知らなかったんだよ」カレッタは抗弁した。馬車の中ではもう二回も説明させられたし、リナクラ荘に着いてからもアガッサがぜんぜん開放してくれないのだ「いつもは闘技場で戦うのが私の仕事だったし、その時もらう頭巾布とかは、何かのまじないだと思ってたんだ。侍女とか、姫様がんばってね、とか言われてたし」
「なら、その真似でもすれば良かったでしょうに」
「そんな意味があるとは知らなかったんだってば、侍女たちは、冗談よ、って言ってたから」
「かわいそうに」
「うん、アガッサ姉様がいてくれれば良かったな。そんな面倒くさいものだとは知らなかった」
「何勘違いしてんのよ」アガッサはカレッタの頬をつねった「かわいそうなのはナムスでしょ」
「痛っ、なんでナムス兄様が?」
「わかんないの? まったく、なりばかりでかくなって、何やってんのよ、あんたは。ナムスのこと、まだ兄様とか呼んでるなんて、バッカじゃないの?」
「兄様は兄様じゃないか。何が悪いんだ?」
「まだ言うか、この口が、こら、こら、こら」
「痛っ、痛い、痛ーい、やめろよ姉様」
「わかるまで、つねるわよ、この、バカ、バカ、バカ」
あんたの母親にはまるで期待してなかったけど、トピー叔母もなんの役にも立たないのが、よくわかったわ、アガッサは、カレッタの頬に指の後が赤く染まったところで手を離した「それで? そのフレアの骨抜きってどうやるのよ?」
「え? 普通に骨抜いただけだよ」
「それじゃ、わからないでしょ。これでやってみて」
一昨年の夏にスクィパルに遊びにきた時に無理矢理型どりされた夜会服がなぜかここにある。掛け木にあるドレスから、カレッタは骨を引っこ抜いて見せた。
「これじゃ、わかんないわよ、さっさと着るの」
怨みがましい目でアガッサを追いながら、しぶしぶカレッタはドレスを着てみせた。立ち上がって、フレアをストンと落とす。
「まあ」
アガッサは口を抑え、息を飲んだ。
固まって身動きもしないアガッサを、しばらく見つめていたカレッタは、面倒くさそうに肩をずらした「もう、いいか? 姉様」
「だめ」アガッサは悲鳴にもにた叫びをあげた「お願い、もうちょっとだけ、そのままでいて」
胸までは何の変哲もないドレスである。二年で豊かに膨らんだ胸は、まあ、想定範囲としても、腰から流れるように落ちる生地のラインが普通ではない。
無理に支えたフレアなどただの悪ふざけと、その自然で優美な腰のラインが証明していた。ただ布を落とすだけでこれほどの美しい形が採れるものだろうか?
「ひどいわ」最後にはアガッッサは泣きだしていた「こんな素敵なの反則よ。ありえないわ」
「だから嫌だったんだ」カレッタは頬を膨らませて言った「この格好したらみんな変な顔をする。トピーが足首出しちゃ駄目だって言うから、やってみたのに、もうしない」
「違うのよ、カレッタ」アガッサは大慌てで訂正した「とっても素敵なの、あなたは機会があれば、こんな風にするべきだわ」
「やっぱり踵は出ない方がいいんだな」
「踵はこの際どうでもいいのよ」アガッサはカレッタを思い留まらせるにはどうしたらいいのか必死に考えた「ナムスが、とてもカレッタに似合うって言ってたから」
「兄様が?」
「そう、そうなの、ナムスがとってもかわいいって」アガッサはカレッタのわずかな反応を見逃さない「だから、その型でたくさんドレスを作りましょう。別に全部着なくていいのよ。気に入ったのだけ袖を通せばいいから、ね、カレッタ、そうしましょ」
ご夫人方が部屋に籠って出てこないので、晩餐は殿方のみということになった。人数が足りないので、ウォルマーもお呼ばれだが、亭主殿たちはソールを主食としているため、ひさびさに料理長が腕をふるった料理は、ほとんどがウォルマーの胃の中に消えた。小間使いの機転で、鱒の姿揚げと温め直されたスープ、飴細工で飾られたフォトルの実の甘煮とダルトナーのプティングが女房殿たちの部屋に運び込まれたのは、せめてもだった。
グラスを手にしたロンとナムスは庭の東屋に移動した。ウォルマーはまだ鶏の灰蒸焼きと格闘している。
「サマツ湖にいたのか」ウォルマーは腸詰をつまむとソールを流し込んだ「どうりで見つからないわけだ」
「最初はほんの気晴らしのつもりだったんだがな」ナムスが言う「カレッタがえらく気にいってしまって、十日いた」
「ヴァーマナ・ヴァラーハへ向かうと聞いてたからなあ」
「最初はファルマト山を越えると言いはってたんだ」
「何だって?」
「カレッタが、どうしてもキャベタナの実を食べてみたい、と譲らなくてな。アガッサに会おうと言ってロムルに引っ張ってきたんだよ」
「感謝する」ロンは安堵のため息をついた「ファルマトに行かれてたら、僕は破滅だった」
「まあ、そう深刻な顔するなって」ナムスがロンの肩を叩く「こういうことは、なるようになるもんだ。実際、そうなっただろ」
「それはそうだけど」
ロンの仕事ぶりを知っているものがいたら、この晩の彼は別人に見えただろう。いつも自信たっぷりの野心家、それを演じることはロンにとっての天分であって、また楽しみでもあったのだが、実際の彼は金勘定より、自分の妻を誉めそやす文句を考えているほうが、ずっと性に合っていた。
「パントーを追い詰めたと聞いたが」
「出くわした、というのがホントのところだな」
「ダムールファントスも取り戻したと聞いたが」
「それは公然の秘密でね」
「戻る気はないんだな」
「ここから戻ると、かえって面倒だ」
「それでヴァーマナ・ヴァラーハに?」
「ただの思いつきだよ。カレッタは旅を続けられるなら、なんでもいいみたいだし。俺もそのほうが楽しい」
「そういう考え方もあるんだな」
ロンはグラスに半分ほど残っていたソールを一気に煽る。
「奥方が、最近しきりに退屈だと言うんだ。何かと物騒なんで商用の長旅は控えていたんだが」
「物騒って、何があった」
「グラスモルだ」給仕がロンのグラスにソールを注いだ「最近、スクィパルに潜伏しているパントーが多い」
「追い出せばいいじゃないか」
「そうもいかん、表面上は巧妙に取り繕っているからな。クジュアル教に偽装している」
「ほう、神と共存とは、パントーもずいぶん我慢強くなったんだな」
「裂け目の近くはどうだか知らないが、少なくともスクィパルではそうだ。ナラシンハはラーマ三大国ではもっとも裂け目に近いからな。苦労も多い」
「難しく考えすぎだろう。砂漠を越えようとか思うから、パントーだの物騒だのの話になる。クールマに行けば良いじゃないか」
「あっちは実入りが少ないんだよ。儲けにならない」
「まだ儲けなきゃならんのか? 金なら腐るほどあるんだろう?」
ロンはグラスを置いて、真直にナムスを見た「考えたこともなかったよ。ナムス、確かに君の言うとおりだ」
「だからって、いますぐクールマに行くとか言うなよ」ナムスは杯を干して笑った「少なくとも、カレッタとアガッサが、もうそろそろいいか、と思うまで待て、御婦人方は自分たちのおしゃべりを邪魔されると烈火の如く怒るからな」
「ソールばかり飲んでいてはだめよ」噴水のさざめく波面に中天の月が落ちるころ、アガッサはカレッタを連れて夫たちのもとを訪れた。手には果物がいっぱいに盛られた篭を下げている。
妻の声に振り向いたロンは驚きに言葉を失した。
妻お気に入りの青のドレス、腰回りのフレアがふわりと凪いで、たおやかな線を形作って足首へと落ちる。張りを無くして長く地面に引きずるはずの裾は、大胆に斬り整えられて、お辞儀したトピー草の花弁のように綺麗にまとめられていた。
「どうしたんだい? それは」
「カレッタに教わってやってみたのよ」アガッサは言いながら、夫とその友人に愛嬌をふりまく「どうかしら?」
アガッサの隣についたカレッタも従姉にならった。カレッタのドレスは一昨年のもので、すでに小さくなっていたので、裾の処理は必要なかった。この着こなしは武術大会以来だったが、ナムスにとっても二人の佳人が並んでの様を見るのは初めてだったので、ロン同様、何も言えずにおし黙ったままだった。
「もう、返事してよ。似合うの? 似合わないの?」
「あ、ああ、とても素敵だよ。アガッサ、そ、それとカレッタも」ロンはうわずりながら笑ったが、収まりがつかず、ソールをがぶ飲みした。
「んぶっ」
「ほら、だめよ」アガッサは夫の口元をハンケチで拭う「もうソールはおやめなさいって言ったのに」
二人の婦人はそれぞれの恋人の隣に寄り添った。
「似合うか? 兄様」
「もちろん、とても似合ってるよ。カレッタ」
「でも、アガッサ姉様は、乗馬ドレスも作るというんだ。私は狩衣のほうがいいと言ったんだが」
「ドレスは嫌なのか?」
「弓が引けないじゃないか」
ああ、と、うなづいたナムスは向かいに座る貴婦人に目をやった。
「それは、アガッサに頼んでみるといい。袖と胸ぐりをなんとかすれば、そう不自由はないんじゃないか? どう思う? アガッサ?」
「あ、ああ、そうね」ロンに熟れたフォトルを食べさせていたアガッサは、手を止めてしばし考えていた「なんとかなると思うわ。弓でしょ? 槍とか剣とかは言わないわよね」
「それはいらない」カレッタは答えた「弓だけでいい。とても良い弓をもらったんだ。姉様にも後で見せてあげるよ」
二組の恋人たちは、夜の東屋で互いに語り合ったが、やがて四人で話すこともつき、寄り添う二人だけの会話が続くようになった。どちらから言い出すでもなく、その場を辞して、それぞれの部屋に戻って、扉を閉めた。
スクィパルでもリナクラでも型取りだけなら同じ、アガッサはそう言い張って、早速、カレッタの乗馬ドレスを作らせた。仮縫いをすませて、型が決まると、スクィパルに生地の見本と一緒に送る。ラスロート様式のドレスも注文した。
一着だけ、三倍の特急料金を支払って縫わせた乗馬ドレスは、昼夜兼業、七日で仕上げられてリナクラ荘に届けられた。おそろいの乗馬ドレスは、アガッサが浅葱色でカレッタが萌黄色、帽子はアガッサが白で、カレッタは淡桃色だった。
支度も整った一行は、馬車をやめて馬でスクィパルに向かうことになった。ウォルマーが胸をなでおろしたのは言うまでもない。三日の旅程を経て、昼少し前にスクィパルに着いた。
「大きな神殿だな」スクィパルの城壁の内に入ってすぐの通りに建つ尖塔を眺めてカレッタが言った「この前来たときはなかったぞ」
「そうね、去年建ったのよ」アガッサが苦々しげに吐き捨てた「グラスモルよ」
「グラスモル?」カレッタが怪訝な顔で問い返した「尖塔の下にあるのはクジュアル神の像に見えるけど」
「表向きはね」アガッサは不敵に微笑んだ「なんなら少しのぞいてみる? 昼間ならパントーも大人しくしてると思うわ」