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パラシュラーマ辺境

 ヴァーマナ・ヴァラーハへの道程について、当然ながら、カレッタはファルマト山越えを主張した。キャベタナの実のことは常にカレッタの頭から離れず、ナムスを相当にてこずらせた。カレッタが折れたのは、ナラシンハ経由なら従姉のアガッサに会えるだろう、とナムスが持ち出したからである。

 アガッサ・ファウムはトンピュード・アンクレイン・トラッサムの末子で、『塞ぎの英雄』の従兄弟たちの間ではカレッタに一番年が近い。長姉のミームはかなり前にスタンザ公国の后として嫁いでいるから、カレッタが女の子同士で遊んだ記憶があるのはアガッサだけだ。もっとも、虫だんご作りや、階段の手すり跨ぎ降り、花火地雷などが、正しい女の子同士の遊びかどうかについては、議論の余地があるかもしれない。

 アガッサ、アグステールム・トラッサムがファウム家に降嫁した際には、かなりの騒ぎになった。当時のファウム家当主は若干二十四才のロン・ファウムであった。高潔にして教養も高いロン・ファウム自身には問題はなかったと思われるが、争議の的になったのはファウム家が『商家』であったということである。

 ファウム家は財力としてはトラッサム王家に匹敵し、ファウム家と王家でナラシンハの富を二分していた。ナラシンハで貴族を称している者の財産は、実質、王家から借用しているもの以外は、ファウム家の抵当がついており、代々受け継がれた遺産はファウム家の許しがなければ子への相続すらままならない有様だった。そんな状態でアグステールムがロンと結婚するという話が持ちあがったため、国王は金で娘を売った、などと揶揄するものがでるのは、ある意味仕方のないことであった。国王自身は特に金に困っていなかったにも関らず、である。

 ファウム家の若き当主は、この噂を払拭するため、大胆な施策にうって出た。ファウム家が貸し出していた金をすべて返済不要とし、すべての抵当権を放棄した。そしてすっぱり金貸業から足を洗ってしまったのである。

 これでファウム家は貴族たちに感謝されたかというと、逆に悪し様に罵る者のほうが増えた。いままでは家財を抑えられていたが、その重石がなくなったのだから、ファウムなど恐るるに足らぬという単純な発想である。もっともロンはその程度のことは見越していたし、何より花嫁にべた惚れであったので、右耳から左耳に悪罵を流した。ロンが貴族の借金棒引きに応じたのは、アグステールムの名誉を傷つけられたことに憤慨しての行為であって、それ以外の理由などなかったからである。

 ナラシンハの貴族階級以外からは、この婚儀は非常にめでたいものと認識されていた。トラッサム国王は『裂け目の塞ぎ』で、ロンの父親のダルテを含む、あまり貴族的でない人々との付き合いが増えたことから、娘が『商家』に嫁ぐことに関しては何も抵抗を感じなかった。そもそも『裂け目の塞ぎ』には貴族など何の役にも立たなかったのである。それが平和になったからと、あれこれ口出しが過ぎるのには、王自身、閉口していたのだ。

 もっとも、この結婚はファウム家やトラッサム王家の都合から発案されたものではない。ロン・ファウムとアグステールム・トラッサムの極めて個人的な感情に起因するものである。両家の父母も親類も、友人たちの誰も反対などしていなかったのに、この二人は、どんな障害があっても絶対に結婚する、と誓い合って、ことあるごとに騒ぎを起こした。駆け落ち程度の生易しいものなら笑ってすましたであろう、度量の広い親類縁者たちも、度重なる二人の直情的な企てのいくつかに翻弄され続けた後には、こんなことが続くくらいなら、とっとと結婚させてしまえ、と安易な結論に飛びつくまでに追い詰められたのである。

 余談だが、借金がなくなった貴族がその後どうなったかというと、もうファウム家が金貸しをやめてしまったため、金を借りることすらできなくなってしまった。出費を抑えての生活が我慢できない者たちは、自慢の宝物を二束三文で売り渡すはめになり、つましく身の丈に合った暮らしに落ち着けた者以外は、皆、没落してしまった。ロン・ファウムがそこまで意図して借金を帳消にしたかどうかは定かでない。

 おおよそこのような経緯で結婚した二人は、現在にいたるまで我が世の春を謳歌し続けている。傍からすれば迷惑以外のなにものでもないが、結婚式でのアガッサ姉様の幸せそうな笑顔を記憶に留めていたカレッタは、我が夫を見せびらかすには、アガッサ姉様しかない、と思い至ったわけである。

 アガッサ・ファウムは夫のロンとともにナラシンハの北の都、スクィパルにいる。ヴァーマナ・ヴァラーハに向かうにはスクィパルを通るのが良い、とナムスに吹き込まれたカレッタは、とうとうキャベタナの実をあきらめた。


 ラミナスからスクィパルに向かうには、当然、国境を越えねばならない。パラシュラーマとナラシンハの国境はファルマト山を源流とするヌー河である。ファルマト山側に寄れば浅瀬を馬で渡ることもできるが、そこまで回り道をするのも大変なので、ロムルの渡し場を使おうということになった。ロムルなら旅に必要な道具も揃えられる。

「兄様、ロムルまではどれくらい?」

「丸二日かなあ」

「そんなに早く着くの?」

 え? カレッタの言葉に、あらためて馬上の姫を見る。ふてくされている、とまでは言わないが、明らかにつまらなそうだ。

 べつに急ぐ旅ではないのである。ナムスは少し考えを改めた。

「少し回り道になるんだが」ナムスは馬車を止め、カレッタとウォルマーを呼んで言った「北の方に湖がある。ちょっと変わった湖だ。行ってみるか?」

「行く」

 ナムスの説明を半ばに、カレッタはもうメリンダを走らせている。先頭を切って北へと向かった。

「ありゃあ、もう、行っちまったよ。犬ころみたいだな」あきれたウォルマーがナムスに聞く「追いかけなくていいの?」

「ゆっくりでいいだろ」ナムスは馬車を回して北に向ける「道がわからなくなったら、引き返して聞きにくるさ。メリンダは大変かもしれんが、それほどバテてるようでもないし、大丈夫じゃないか」

「ここの北、っていうとサマツ湖か?」

「よく知ってるな。俺は旅の途中で一度寄ったんだが、あそこは場所を知らないと行きにくいだろ」

「ファラセラムの連中が良く来るんだよ。けっこうな距離だから、そこそこ暇と金のある奴しか来られねえけどな」

「来たことあるのか?」

「まさか」ウォルマーは笑った「暇と金には縁のない生活してたんでね」

 ナムスの言うとおり、カレッタは道がわからなくなるたびに引き返してきた。そしてナムスの説明を中途半端に聞いては駆け出していくので、メリンダは同じ道を何度も行ったり来たりした。メリンダは主人が何かの遊びをしているのだと思って、忠実に王女の命に従った。

 湖が見えてくるとカレッタは興奮して、ついに馬車の周りをメリンダでぐるぐる回りだした。

「兄様、どっちに行けばいい?」

「俺も一回来ただけだからな。ちょっとわかりにくいんだよ」

「姫様、落ち着けよ。サマツ湖はさ、湖に来ただけじゃ意味ないんだよ。ちゃんと探さないと」

「ウォルマー」カレッタは少しムッとした顔をしている「知ってるのなら、教えてくれればいいじゃないか」

「俺は知らないんだよ」ウォルマーは弁解した「サマツ湖は噂を聞いてただけ、兄貴は入ったことがあるっていうから、場所知ってるんだろう。黙って兄貴についていったほうが早いって」

「入るって、何のこと?」

「だから、黙ってついてくりゃわかるって、あれ? 湯気が出てる、兄貴、あそこじゃねえか?」

「当たりだウォルマー」ナムスは手綱を引いて馬車の速度を落とした「着いたぞカレッタ。あの林の裏だ。俺は馬車が入れられる小道を探すから、先に行ってていいよ」

 ナムスの言葉を聞くやいなや、綱の切れた子犬のように、カレッタは一直線に走り出した。

 ナムスが湖畔に馬車をつけた時には、カレッタは湯気の立ちのぼる湖に頭まで浸かっていた。

「あったかい、あったかいぞ、兄様、ウォルマー」

 二人は、知ってるよ、と返事した。ウォルマーに野営の支度をさせて、ナムスはカレッタが脱ぎ散らかした狩衣を拾って歩く。

「あんまり遠くに行くと、水が冷たくなるぞ。お湯なのはこの辺だけだからな」

 わかってる、カレッタは言ったが、そう聞いてから、湖の中心に向かって泳いで行く。

「ワニがいるぞ」

「嘘」

 顔をあげて周囲を見回すカレッタにナムスが言った「嘘だよ」

 テントと焚き火が用意できたところで、いったんカレッタを揚げさせる。カレッタは粘ったが、今度は俺たちの番だから、とナムスが言うとしぶしぶ従った「後で結い直してやるから、よく乾かしておけよ」

「っつ、思ったより熱いや」ナムスの隣に足を突っ込んだウォルマーが、あわてて足を抜く。

「ここは吹き出しの近くだからな。場所によって温度が違うから、適当なところを探してみろ」

 ウォルマーはナムスからちょうど一タウム離れた岩にもたれながら、首まで体をお湯に沈めた。

「こりゃいいや、いい気持ちだ」

「だろう、旅の疲れもふっ飛ぶ、ってやつだ」

「兄貴のは旅の疲れじゃねえだろうに」

「何か言ったか?」

「いや、なんでもないよ」


 カレッタはサマツ湖がよほど気に入ったらしく、昼間、狩りをしている間以外はずっと湖の中にいた。ウォルマーが寝た後は、二人きりで入っているときもあったようだが、ウォルマーは知らないふりをしていた。猟師が常にご機嫌で獲物も豊富だったので、食事の肉にこと欠かなかったのも、サマツ湖に長逗留する一因になった。姫様を引き剥がしてロムルに向かわせるには、なんだかんだで十日かかった。

 カレッタはまだ名残惜しいらしく、馬上で何度も湖を振り返っていた。

「今度来るときは父上と母上も連れてこよう」

「舅姑殿は来たことがあるはずだが、舅殿がここで療養していたことがある」

「私は連れてきた貰ったことはないぞ」

「お前が生まれる前のことだよ」

「ひどいな、自分たちだけ」

「連れてきたら、お前が帰らない、って言い張るのを見越してたんだろ」


 ロムルの渡しは思ったより混んでいた。ファラセラムの祭も終わり、物見遊山の客はかなり減ったはずだが、どこかの隊商でも通るのか、はしけの前に列ができている。

「二日待ちだとさ」船主との交渉を追えたナムスが馬車に帰ってきた「あの親父、ふっかけやがって」

「よし、もう一度サマツ湖に帰ろう」

「行って帰ってくるまでに船が出ちまうよ。いいから、その辺で暇つぶししてこい」

「いいのか? 兄様」

「どうせ、はしけに乗るときにばれちまうよ。ヌー河を越えればナラシンハだし、パラシュラーマをしばらく離れることになる。少し羽伸ばして来るといい」

「じゃあ、一緒に行こう」

「俺もか?」

「いやか?」

「そんなことはないが…」

「じゃあ、行こう。ウォルマー、留守番頼む」

 あいよ、とウォルマーはカレッタに代わって馬車の御者台についた。

 ロムルの渡しには常設の市もあるが、はしけ待ちの隊商がその場で積荷を売りさばくことも多く、それが目当てでやってくる商人も多い。そこここで荷の中身をめぐって高い安いの応酬が続く。

 カレッタはナムスとともに舟着き場のそばをうろついていた。ここでも雑踏から頭一つ抜け出るカレッタは人々の好奇の目を集めたが、ぎりぎりパラシュラーマ国内とは言え、外国人も多いロムルの渡しでは、カレッタを知る者もファラセラムほどではなく、皆、遠巻きに見つめているだけである。

 カレッタはしきりに商人に豆袋を開けさせ、豆を一粒とっては噛みつぶす、を繰り返していた。

「味、違うのか?」

「微妙に違う、すっぱいのが好きなんだ」

 そこからはナムスも豆噛みに参加した。三人目の商人は北から来たと言っていたが、取り出した豆は粒がぎっしり詰まってぱんぱんだった。

「これがいい」ナムスが豆を噛んでカレッタにも一粒渡す。

「うん、なかなかいいけど、もう少し見てみよう」

「いや、これがいい」ナムスは商人に三十ラーマを渡して袋を受け取った。

「兄様は、地味な味が好きなんだな」

「ああ、そうだよ。カレッタ」ナムスは袋を肩に担いだ「毎日食うもんだからな。場合によっては馬にも食わせるし、平凡なのがいいんだ」

 さては、ナムス兄様、すっぱい豆は嫌いなのだな、カレッタは思ったが、一袋買ってしまったので、もう一袋はおねだりしにくい。失敗したな、とカレッタは思った。次に豆を買うときは兄様に内緒で買おう。

「わあ、綺麗」

 カレッタは竿に掛けられた深黄色の布を引き出して、頭や胸にに当てた。「どうかな?」

「うーん、いいんじゃないか?」

「そうかな、でも赤のほうがいいかな」

「うん、赤も似合うんじゃないか?」

「紫は?」

「紫もいいな」

 カレッタは布を竿に戻した。

「買わないのか?」

「うん、また、今度にする」

 ヌー河から採った魚をざるに並べている男がいる。

「ずっと、鳥と兎だったから、魚もいいな」

 カレッタが寄ろうとするとナムスが止めた。

「魚はだめか?」

「はしけ待ちの行列の真ん中で煮炊きするわけにもいかないからな。今晩は屋台で何か食べよう。魚が欲しいなら干物にしてくれ。ただ、魚を買うのなら、向こう岸についてからのほうがいいとは思う」

「なるほど」カレッタは納得してうなづいた「ナラシンハのほうが魚はうまいんだな」

 そういう意味ではないのだが、説明が難しく思えたので、ナムスは笑ってごまかした。

 なおも棚だしの品を見ながら歩いていると、後ろから声をかけてくるものがいた。

「サファリアヌス公、カリュートナム様とお見受けしましたが、如何に?」

「これは、ロン・ファウム殿」ナムスが答えた「久方ぶりにござる。ご機嫌うるわしゅう」

「ふざけるな、何が、ご機嫌うるわしゅう、だ。ラスロートを二人が出たと聞いてから血眼になって探してたんだぞ。奥方の機嫌は日ごとに悪くなるし、ここ五日間は顔を出しても無能よばわりで、家にも入れてもらえないんだ」

 金髪碧眼の貴公子は、その御面相に似合わぬ悪罵を吐き出した後に、柔和な顔つきに戻って、二人を抱きしめた。

「なぜ真っ先にスクィパルに来ない。僕だって、君たちに、もの凄く会いたかったんだぞ」

「怒るな、ロン、まあ、いろいろあるんだよ」

「ロン兄様、アガッサ姉様は元気?」

「もちろん元気だとも」

 ロンがさっと右手を挙げると私兵が二重にナムスとカレッタを囲む。

「奥方には絶対に君たちを逃すなと言われている。もう、はしけはすべて買い占めた。すぐにもナラシンハに渡るんだ」

「馬車にウォルマーがいるんだ」および腰でナムスがロンに伝える「馬たちも一緒にいかないと」

「そんなものは、こちらですべて手配する」ロンが指さすと使用人が五人、はしけ待ちの行列に走った「タルコンとメリンダは知ってるな。お二方の馬だ。その他もろもろまるごとまとめてお連れしろ」

 そして左右の付き人に指示すると、ナムスから豆の袋を奪い取らせ、ポケットから一シリル金貨を出してナムスに渡す。

「豆の代金だ。ナムス、君が豆の袋を担いで歩いてるなんて奥方に知れたら、僕が絞め殺されてしまう。カレッタもいますぐドレスを仕立てさせるから、それを着てほしい。とにかく、僕と一緒にスクィパルに行ってアガッサに会うんだ。僕は、本当に三日も彼女の顔を見ていないんだぞ。こんなの彼女と知り合って以来はじめてだ。このままだと死んでしまう。この僕がだ。後生だから、お願いだ。スクィパルに行こう。行ってくれ」


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