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夜の森

 出口近くというのは少々控えめな言い方で、小屋があったのは森の中央から少しはずれたあたりであった。

 うっそうと茂る木々の合間に、大型の炭焼釜を囲んで小屋が並ぶ、炭焼小屋というよりは小規模の集落といったほうが適当である。炭焼の季節ではないため、どの小屋も扉を閉ざしているが、戸締りの甘い小屋もあって、中に入るのはぞうさない。

 もう、日はすっかり暮れている。カレッタの陣どった小屋の前でナムスが焚き火をおこす。羽根をとって若木に刺したつぐみが五羽、焚き火のそばに突き立ててある。

「ウォルマー」小屋の窓から顔を出したカレッタが、馬丁のウォルマーを呼ぶ。

「なんだい、姫様」

「お前は、あっち」カレッタは向かいの小屋を指さした。

 柵にラドネイを繋ごうとしていたウォルマーは、カレッタと、指さされた小屋、双方を見くらべた。

「つれねぇなあ、姫様」ウォルマーは言った「俺に一人で寝ろってか」

「ウォルマー」カレッタはウォルマーの耳をつかむと小声でささやいた「私の将来がかかった夜だぞ。少しは遠慮しろ」

「なんだよぉ、姫様、お安くないな」

 カレッタは兎を一羽ウォルマーに突き出す「これやるから、な、むこうに行ってくれ」

「そんなあせらないでも、ナムスの兄貴は、姫様にぞっこんだよ。わざわざこんなところで、ばたばたしないでも」

「しーっ」カレッタは唇に人差指を当てた「声が大きい。ナムス兄様に聞こえるじゃないか」

「だからぁ」カレッタに言われたので、ウォルマーはしぶしぶ声を小さくする「今晩、どうにかしないといけない訳でもあるの?」

「別に、今晩でなければならない理由はないが、こういうことは早いほうがいい。兄様だって、いつ心変わりするかわからんからな」

「兄貴に限って、それはないんじゃないのぉ?」

「殿方はそういうものだと聞いている」

「意外と信用ないんだな」

「一般論の話だ」

「いちゃつくんなら、それこそお城の綺麗なお部屋とかの方が気分出るんじゃないの?」

「それはもうやった」

「何だって?」

「あと一息と思ったのだが逃げられた。兄様はああいうのは好きじゃないのかもしれない」

 わかったよ、ウォルマーは兎の耳をつかんでカレッタから受け取るとラドネイの鼻面を向かいの小屋に向けた。

「姫様、こんどは逃げられないようにしなよ」

「すまん、ウォルマー、感謝する。この前はちょっと遠慮もあったのだ。本気になれば逃しはしない」

 ウォルマーは小屋を移る途中、焚き火の前でつぐみをあぶるナムスを横目で見た。ナムスはつぐみの火加減に真剣そのもので、それにどことなく嬉しそうである。王侯貴族なんてのは、おかしなもんだな、ウォルターは思ったが、それは例が悪すぎるだけかもしれない。


「で、彼らはどの辺にいるのかな」

 三頭の馬の手綱をさばきながら、クーンはトピーに聞いた。

「今夜は森に泊まるみたい。どうしたのかしら、カレッタはともかく、ナムスらしくないわ。彼なら、森の危険はわきまえていると思ったけど」

「森のどの辺だ?」

「中央から西南に少し寄ったあたりよ」

「ああ、なるほど」クーンは納得したように言って、トピーに説明した「炭焼の集落がある。いまは季節を外れているので空き家同然のはずだ」

「そういうこと」トピーはそれでも首をひねった「でも、どうしてコタンまで行かなかったのかしら、あそこなら普通に宿もとれたでしょうに」

「カレッタがいる」クーンは言った「パラシュラーマ国内でカレッタのことを知らない者はいないし、宿に泊まるわけにはいかないな」

「そうね。うっかりしてたわ、その通りよ」

「それで僕らはどうする?」クーンはトピーに聞いたが、クーンの口調は、いつの間にか、城にいた時の慇懃な口調から懐かしい昔のそれに戻っていた「コタンに行くかい? いまの僕らの格好なら田舎の農夫ということで十分通ると思うけど」

「あたしたちが? 冗談じゃないわ」トピーも昔に戻っている。二十年以上前のあの『塞ぎの旅』の時のトピーに。

「お忍びの旅の最中に宿に泊まるなんて気違い沙汰だわ。こんな立派な馬車だってあるのよ。野宿に決まってるじゃないの。その炭焼の空き家というののそばに着けて、できれば川のそばがいいわ」

「そう言うと思って川沿いに走らせてるんだ。気に入ったところがあったら言ってくれ、止めるから」

 トピーは小さく笑った。月明かりに揺れるクーンの横顔は、歳を重ねた分だけ皺を蓄えていたが、トピーには以前と変わらぬクーンに見えた。

「気に入ったところは、まだ。でも、気に入らないものがあるの」

 クーンは即座に馬を止めた。

「気にいらない、もの?」

「そうよ、クーン」トピーは馬車の荷台から降りた「すぐそばにね。とっても気に入らないものがあるの」


 森のその部分だけが十ラクタほどの広さに丸く平らになっていた。

 車座に座るパントーが七人、例の薄暗くかげる頭巾をかぶり、隣のパントーとの間に松明を置いて、つまり松明も七つ、何かを中央に据えて祈りつづけている。

 パントーはグラスモルの祈祷師ということになっているが、本当のところはよくわからない。世間ではパントーというのは、あの薄暗くかげる頭巾そのものであって、あれを被っている者をパントーと呼ぶのに過ぎない。グラスモルというのも同様だ。グラスモル教などと呼ぶ者もいるが、そもそもグラスモルは宗教の体を成していないので、間違った言い方である。パントーはグラスモルの一部である。それだけははっきりしているが、それ以外は何もわからない。そしてパントーは『裂け目』の力を使う。

 パントーたちは車座の中央を見つめ、一心に祈っていた。

 中央に映る鈍色の輝きは、最初、松明の照り返しのように見えた。しかし、それ自身が息をつき脈動するたびに周囲の夜気の薄濃を変える様を見れば、そうでないことは明らかである。

 パントーから少し離れたところにもう一対の松明がかかっている。松明の間には巨大な剣がうちかけられていた。

 ダムールファントスである。

「さて、どうするかな」

 木陰に隠れて様子を眺めるうちの一人、クーンは言った。

「蹴散らすに決まってるじゃないの」

 トピーとしては当然だろう。他の答えが返ってきたら驚きだ。

「じゃあ、行くぞ。後は頼む」

 クーンは言って、無造作に前に出る。

 パントーがそこに居ないかのように、クーンは悠然と歩を進めた。

 気づいたパントーのほうは闖入者に騒然となった。うろたえるな、と首領格のパントーが声を発したが、その程度でどうなるものでもない。

 車座の中央、怪しい闇を放ちつづける『石』にむけて、クーンはエンファダック、久遠の珠とも呼ばれる宝珠を押し付けようとした。

 闇に刃光が一閃した。

 すんでのところで飛び退いたクーンは手をついて一回転し、帯剣の柄に手をかけた。

 鈍色の甲冑をまとった美丈夫である。

 紅い髪が月光に揺れる。

「一別以来だな、ドライスターム卿」

 ダムールファントスを構える女騎士は月明かりに笑んだ。クーンにはもちろん彼女の顔に見覚えがある。ナムスと武術大会の決勝を争った、あの女騎士であった。


「嫌な気分がするな」

 カレッタがナムスの顔を見て言う。

「カレッタ」ナムスはたしなめた「それは嫌な予感がする、って言うんだ」

「行くぞ、ナムス兄様」

 ワラを敷き詰めた上に麻布を敷いただけの寝床から出て、カレッタは身支度を整えた。

 そら、とナムスがカレッタに棒きれを投げわたす、堅い樫で出来た五クラウトの棒は、先端の一クラウトが綺麗に削ってあって、カレッタの手にしっくりと馴染んだ。

「これは?」

「獲物がないと不便だろう、そんなものでも無いよりはマシだ」

 自身はテーダムドアンの鞘を取って携えたナムスが言う。

「あっちのほうだ。ウォルマーは寝かせといてやろう。あいつの出番があるとも思えないしな」

 闇の中を小走りに進む、ナムスとカレッタ、二人共に夜目が効くので、あっちだこっちだと騒ぐ必要はない。

「いつの間にこんなものを?」

「つぐみを焼いている間、暇だったんでな、ついでで少し削ったんだ」

「ありがとう」

「礼を言われるほどの出来栄えとも思えないけどな」

 夜の闇は深く、争いの火種は森の木々にさえぎられてさえ、目に届く。

「あれ?」

 走りながらカレッタは驚きの声を上げた。

「クーンだ」

「トピー叔母もいるなあ」ナムスも飽きれたように言う。

「どうする?」

「どうする、ったって、とりあえずクーン叔父を助けないとまずいだろう。あの女強いぞ」

「わかった」カレッタは手にした樫の棒に目をやった「思い切りやっていいか?」

「いや、事情もよくわからないし、最初ぐらいは手加減したほうがいいんじゃないか?」


「余計な手出しをするな」

 パントーの一人がくぐもった声でうなった。おそらくこの場の指揮をしているのだろう。力の波動がうねりを持ってクーンを襲う。クーンは柄にかけた手を動かすことができない。

「余計な手出し、か」

 女騎士は声を立てずに笑った。

 パントーたちがクーンを封じていられるのは、トピーが女騎士を抑えていて、パントーまで手がまわらないからだ。女騎士は大上段にダムールファントスを構えたまま、動けない。クーン、トピー、女騎士はそのことを理解しているが、パントーにはそのことがわからない。

 実質的には二対一だ、そのうちなんとかなるだろうが、さて。

 クーンはトピーに目配せした。トピーは一瞬、躊躇したが、クーンの意図をくんで力を弱めた。

 ダムールファントスが真向に振り降ろされてクーンを襲った。クーンは横っ跳びに避け、剣を抜き放つ。

 悲鳴をあげて朱に染まったのは、パントーの一人だった。

 トピーは女騎士を抑える力を削って、パントーたちの力を中和した。パントー七人がかりでトピー一人がやっとである。そのうち一人が倒れた以上、力の均衡はすでに破れた。

 勝ったな、とクーンが思った瞬間だった。

 振り降ろされたダムールファントスの切先が、地面に触れる寸前で切り返された。パントーを屠ったクーンの、開いた胴のわずかな隙に剛剣が叩き込まれる。

 しまった、思ったクーンの体は、女騎士の剣速に追従できない。流れるような太刀筋をクーンは声も出せずに見つめていた。

 鋭い金属音が、しじまに響く。

 クーンはダムールファントスの切先が自分の胴を撫で斬りする前に、何かに止められたのを見た。

 二又の槍先。

 それは正確には二又ではない、二開頭尾四又の槍として知られ、あらゆる武具の中でもっとも扱いが困難とされた。故に、その一槍の神器を使いこなすためだけに、グランパエル槍術が考案されたのである。

 テーダムドアンはその尾先の一方でダムールファントスをくわえこんでいる。

 やあっ、とのナムスのかけ声に、螺旋を描いて弾かれたダムールファントスが宙を飛ぶ。

 カレッタは右手にあった木刀を左に持ち替え、ダムールファントスを取った。

「カレッタ、そっちじゃないよ。あっち」

 ナムスの指すのは、車座中央の『石』だ。女騎士から目をそらしたカレッタは大股で車座の中に割入る。

「や、やめろ」

 力無く発せられたパントーの言葉は、カレッタを止めるに何の効果もない。

 カレッタは無造作に大剣を振り降ろした。ぐにゃり、と『石』が刃を包み込むようにひしゃげた。

 銀河に煌く闇を吹き出しながら、『石』はぶよぶよと己を震わせ、ダムールファントスをも取り込もうともがく。

「力を込めろ、カレッタ」

 ナムスの言葉にカレッタは左の木刀を離し、両手をダムールファントスにかけて力の限りに突いた。

 闇が闇の中に散った。

 カレッタに砕かれた『暗石』は闇と共にかけらを四散させた。

 おお、と呻いたパントーは、死んだ一人を残して、ちりぢりに走りさった。

「多勢に無勢、か」

 女騎士はひとりごち、首を回して、月下に紅い髪を舞わせた。

「なかなか思うように勝負できんな。せっかくカレッタ姫と会えたと思ったら、獲物を取られてしまった。つくづく運がない」

 騎士は馬にまたがると同時に馬腹を蹴った。いずれ、また、騎士の声は馬のいななきとともに高く森の闇に響く。

 パントーの死体ひとつを残して、夜の森は静けさを取り戻した。


「あれえ、帰ってきたと思ったら、人数が増えてるじゃねえか」

 馬車を引く馬の蹄の音に目を覚ましたウォルターが、小屋から首を出した。

「クーン様、トピー様、一緒に行くの?」

 ウォルマーに問われた二人は、やあ、などとうすら笑いでごまかして馬車を降りると、そそくさと小屋のひとつに消えた。

「ああ、ウォルマー」ナムスがウォルマーに言った「夜中に起こしちまって悪いが、あの馬車の馬たち、面倒よろしく頼む」

「馬のほうはいいけどさ、乗ってたほうはどうすんの? 一緒に行くの?」

「それは明日の朝、話し合うことにした。お互い、冷静になってからのほうがいいだろうし、夜も遅いしな」

 へえ、とウォルマーは言いながらナムスとカレッタを見くらべた。

「姫様」ウォルマーがにやにやしながらカレッタに言う「また邪魔が入ったみたいで、残念だったね」

「いや、それは、大丈夫だから」

「へ?」

 狐につままれた顔のウォルマーに、重ねてカレッタは言った。

「すませた後だったからな。夜は長いし、続きもあるから、以後もよろしく」

 カレッタは目配せすると、ナムスの手を引いて小屋の中に消えた。


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