序にかえて
かつてパラシュラーマ国の首都であったファラセラムに残るラスロート城は、白鷺の城とも呼ばれる優美な白亜の王城である。
ラスロート城の城門をくぐって最初にまみえる大広間は、壮麗にして息を飲むほどの美しさであって、柱の滑らかな曲線、飾り窓の細緻な紋様、上階へと誘う回廊の壁面、どれをとっても、古の王国の隆盛をかいま見る思いがする。
その大広間にあって、ひときわ閲覧者の目を引く物は、正面にかけられた一服の肖像画である。
ミスカテュエール朝時代、天才の名を欲しいままにした名匠、ラベッテオリの手による少女像は、タングツカ紅のドレスに身を包み、晴れやかな微笑みで我々を向かえてくれる。本来、艶やかにすぎ、着るものの笑みすら失せる、とまで言われるタングツカの赤を纏ってなお、その精妙な顎から首への線に釘付けになるほどの整った顔立ちに、母親である王妃から受け継いだカムール石のように白く滑らかな肌とレゲンデルドにも譬えられる緑環の瞳、見る者すべてが引き込まれそうな赤桃の唇にくわえて、当代の女性すべての羨望の的であった流れしたたるような銀紗の髪を持つ、その少女は、白鷺の精とも見紛うばかりの神々しさである。
だが、かの少女像を見た者たちは、その見事さに心を奪われて、しばしその場に立ち尽くして後、一片の不満を作者に対してぶつけるのである。
曰く、その少女の美しさは比類なきものではあれど、あまりに威風堂々、一服の肖像画が大広間を圧するばかりの威厳に満ちているのは、どう考えてもやりすぎであろう、と。
キュラムソ・ラベッテオリの弁護をここで試みなければならないとは、まさに驚きではあるが、諸兄もご存じのとおり、ラベッテオリはその精緻な写実主義で一世を風靡した肖像画家である。ひとたび絵筆を取れば、描いた花に蝶が蜜を吸い、猫が絵画の鳥を追い、肖像画に至っては、双子の片割れと差し替えてもこれほど似ることはない、とまで言われたラベッテオリが、この少女像に関してだけ、その才能を発揮しなかったなどということがありえるだろうか。
おそらく閲覧者がそのように感ずるもっとも大きな理由は、その少女像の大きさにある。立像とはいえ、七クラウト三スタンというのはいかがなものか。成人男性ですら六クラウトを超えるものなどほとんどいないというのに、これでは群集の中からでも少女は頭ひとつ分抜け出てしまう。
これは後代の人間がよくやる過ちのひとつである。実際、この肖像画はかの少女と瓜ふたつであると、ラベッテオリと同時代の人々によって称賛されていたのだから。
肖像画の少女――カリュートナム・パラント・ミスカテュエールは、かの偉大な『裂け目の塞ぎ』の英雄、グラパッス・ダムールファントス・ミスカテュエール王の第一王女である。彼女をカリュートナム・ダムールファントス・ミスカテュエールと呼ぶものもいるが、それは王女が、ラミナスの大剣、ダムールファントスを父王と同様に振るえた数少ない人間のひとりであったことからくる異称であって正確なものではない。偉大な王、『裂け目の塞ぎ』の英雄、大剣を振るう者、ラミナス救世王、粗暴の具現者、頭の中身が筋肉の男、と様々な異名で知られる父王は、国民だけでなく、あまねく同時代人に愛されたことは想像に難くないが、その愛娘の人気も父に勝りこそすれ、けっして劣るということはなかった。
カリュートナム・パラント・ミスカテュエール、カレッタ王女の愛称で知られた彼女はまた、世界樹の姫君の名を冠することでも有名である。これは公式に彼女に与えられた名ではない。王女の十五才の謁見の儀の最中に感きわまった延臣の一人が、天の支えの世界樹、と叫んで彼女を讃えたことに由来する。ちなみに、この別名は父王グラパッスには不興であって、かの延臣は不敬の咎で鞭打ちの刑に処せられるところをメファーレネート后の取りなしでかろうじて救われている。
ここまでお読みの諸兄には、もうおわかりのことと思うが、この物語はカリュートナム・パラント・ミスカテュエールの波乱に飛んだ人生のほんの一幕を書き記したものである。かの魅力的な王女を愛でてやまぬ諸兄にひとつだけ忠告するとすれば、カレッタ王女の生きた時代が、我々が迷信と呼んで久しい、神々、暗きもの、そして魔法、それら諸々のものがまだその効力を厳然と発揮していた時であったことを忘れずにおいて欲しいということである。彼らはソールを飲み、肉を喰らうのと同じように、生活を魔の中に置いていた。そんな時代の話である。
フェプル・マリオン 〜 序にかえて
だいぶ前に書いた未完の小説を、思い直して再び書きはじめました。
一本長編をどうにか書けたので(海人招来のこと)今度は終わらせられるのではないか? と安易に考えております。
がんばるぞ。