異世界 裏稼業「割りばしの勇者 異世界へ!」
泣いて笑ってまた泣いて...、頬を伝う悲しみにこの世も異世界もございません。
巷に蔓る悪鬼不条理...こらしめてしんぜましょう。
暮れ六つの八丁堀、人の往来も減り勤め人も家路へと急ぐ往来の片隅にポツンと赤い提灯が灯る。移動式の蕎麦屋の屋台だ、その暖簾の中に男が一人。
「へっへっへ、疲れた仕事帰りにはこれだよな」
ここは大江戸、紋付羽織を着た同心風の男はパキっと割りばしを割りながら一人ごとのようにつぶやく。目の前には温かな湯気を立ち昇らせるいっぱいの蕎麦。琥珀色の濃いスープに黒々とした蕎麦がたっぷりと盛り付けられ、その上にかまぼこと三つ葉が浮きつ沈みつして彩を添える。
割りばしで麺を軽くほぐし口元へと蕎麦を運ぶ。
「フッフッ・・・へっへっへ・・・」
蕎麦を啜ろうとしたその瞬間。
カタカタカタ・・・、地震のような揺れが屋台を揺らす。
「なんだなんだ!?地震か!?」
テーブルに置かれた割りばしや七味唐辛子の瓶がガタガタと揺れるや、両手に持った蕎麦のドンブリから眩い光が爆発する。
「うわ!南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏!」
やがて光はおさまり蕎麦屋の店内は先ほどのような静寂が包み込む。
ただそこに男の姿はなく、寸胴から湯気が立ち上るのみだ。
「あー、聞こえますかー?」
甘ったるい口調の声が呼びかける。
声に呼び起されるように男が目を覚ますと、そこは真っ白な空間がどこまでも広がっている。
「・・・?・・・極楽か・・・ここは?」
声が空間に反響する、何もない真っ白な空間、そこには小さな少女が一人椅子に腰かけていた。
「やぁーっと気づきましたね♪」
「あんたは?」
男は訝しむ、南蛮風の格好をした少女、頭には野兎のような白い耳を生やしてまったくもって珍妙な出で立ちである。
「私は時空の女神です。」
「女神?天照の神か?それとも三途の川の奪衣婆か?」
「だっ…!?失礼な!私のどこが老婆に見えるっていうんですか?私にはオフィーリアという名前があります!」
目の前の少女は見た目的に年端にして十四、五といったところだろうか。
「俺は死んだのか?さっきまで蕎麦の屋台にいたんだ、そうだあの蕎麦は、蕎麦はどうなった!?死ぬならせめて蕎麦を食ってから死にたかったなぁ…」
「まったく食い意地の張った勇者ですね、あなたという人は…。」
勇者?何を言っているんだこの小娘は…
「…まあいいです、あなたは死んではいません。」
「はー、良かったー。死んじまったらもう二度と蕎麦が食えなくなるもんな」
「…」
女神を自称する少女はあきれ果てる。
「はーまったく、こんな人に世界の命運を託すことになるなんて…。あなたにはお願いしたい事があるんです。」
「世界?何を言っているんだ?」
「あなたはこれから別の世界へ行ってそこで苦しむ人を助けていただきたいのです、いわゆる異世界転生…というやつです」
何を言っているか全く分からない。おれは江戸に暮らす一介の町人だ。
その俺に世界を救え?…どうやって?
「あなたの事は調べさせていただきました、表の事も…裏の事もね」
「!?」
こいつ俺の裏家業の事を知っている?女神じゃなければ始末していたところだ。
意図せず拳に力が入る。…と右手に割りばしを握ったままであったことを思い出す。
「今回のチートスキルはその割りばしです♪」
「?」
何を言っているんだこの女?
「仕事のやり方は江戸の仕事と変わりありません、詳しい事は現地の裏家業の人にでも聞いてみてください♪」
何を言っているんだこの女?
「その割りばしがあなたの武器なので大事にしてくださいね♪」
「どうして割りばしなんか!?俺の脇差はどうした?」
「すみません…エクセス超過で…」
本当に何を言っているんだこの女?
「しかるべき時が来たらその割りばしがあなたに力を授けます、あなたに割りばしの加護があらんことを♪」
何を言っているんだこの女?
「それでは素敵な異世界転生ライフを楽しんでくださいね♪」
…何を言っているんだこの女?
先ほどと同じように再びまばゆい光が男を包み込む。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後
バルベルデ王国スタートアップタウン、王国の外れにある地方経済の中心地。数万人の住民を要し温暖で安定した気候から独自の農業や物流を生かした豊かな文化的発展を遂げた都市だ。
この町の中心部にある冒険者ギルドには周辺地域のモンスターや盗賊の討伐以来のクエストが毎日のように寄せられる。江戸でいうところの口入屋、現代でいうところの職業案内所…いわばハローワークのような組織である。
ギルドの施設は酒場も兼ねておりその一角、隅のテーブルに男の姿はあった。
ズズッ、ズズズ~~~ッ!!!
割りばしをリズミカルに動かしておいしそうにナポリタンパスタを啜り込む。パスタの麺を啜る音が静かなギルドの建物いっぱいに響き渡る。
ズズッ、ズズズ~~~ッ!!!
焦げたトマトペーストが麺に良く絡み、タマネギの甘みとピーマンの青臭さが味に深みを与える。
異世界にもナポリがあったのかって?勿論ない、この物語は日本語版であり、登場人物の会話やモノの名前は可能な範囲で現代日本の読者にも分かりやすく設計してある。ちなみにナポリタンパスタは日本発祥の料理だ。
「あの~タツさん、美味しそうにお食事中のところ申し訳ないのですが…その啜る音もう少し控えていただけますか?」
ギルドの受付嬢が無心でパスタを啜る男にそう諭す。
「あーすまんすまん、美味い食い物を食うとどうしてもこう啜っちまうんだ、江戸っ子のサガって言うやつだな」
タツと呼ばれた男はそういって飄々と謝る。
「それとちゃんとフォークとスプーンを使ってください。パスタにはフォーク!ですよ?」
「このフォークというのはどうも自分には合わないみたいで…、それに使い慣れたこの箸で食わないとどうも食った気にならんのですわ」
「はぁ…」
受付嬢はこの男の飄々とした態度に嘆息しつつも、依頼の紙を男へと差し出す。ギルドには様々な依頼が寄せられ、その依頼が壁一面にびっしりと張られるのだ。実際に依頼は多くゴブリンやドラゴンの討伐、行商人の輸送の護衛など様々なものがある。江戸の尋ね人探しの道標のような物だ。
そう思いを馳せながら男はコンソメスープをズズッとすする。またこの人は…と顔に小皺をよせながらも気にせず受付嬢は続ける。
「依頼場所は町はずれのケイタルヴィルという村です。あなたにピッタリの依頼です、本日中の急ぎの依頼ですので急ぎ向かってください」
ズズッ…、タツは無言で返事をする。
「…もう!」
スタートアップの西に行ったところにケイタルヴィルはある。村人50人ほどが住む小さな農村だ。そのさらに外れの畑にタツの姿があった。
ザクッザクッ・・・クワを勢いよく大地に突き立て掘り返す。
「すまないねタツさん、勇者様にこんなことさせちまって」
「いやー汗水たらして働くのも大事な仕事ですから」
春先の季節、村はキャベツやニンジンなどの栽培で忙しい。
「若い衆はみんな冒険冒険、畑を継ごうなんて若い奴はめっきり減って人手不足で困るね」
初老の老人はタツを労いながらそうごちる。
「武士も腕っぷしだけじゃ食えない時代ですから、じいさんももう年なんだからあんまり無理しちゃいけませんよ」
畑の脇には鞘に納められた剣が柵に無造作に立てかけられている。
転生前のタツは長屋に暮らす下級武士だった。『武士は食わねど高楊枝』なんていうのは嘘っぱちだ。いくらそしられようとも銭が無くては楊枝も食えない。副業なんて言うモノは当たり前。笠張り、経師に畳替え、これぞ大江戸に住む武士の武芸百般だ。
奉行所に通いかろうじて食い扶持はある物のそれだけでは食べていけない。武士と言えども平時となればいくら剣の腕を磨こうがせいぜいが敗軍の大名へ仕官、下級武士ともなれば奉行所でのサラリーマン暮らしが関の山である。最近は働き方改革やダブルワークなんてものを進めろとの御上からのお達しまであった、まったくもって世知辛い世の中にございます。
それと比べてまったくこの異世界というモノはいいものですね。平和そのもの太平の世でいい事じゃありませんか。十数年前には世界をまたにかけた魔導大戦?なんていうものもあったらしいが、この長閑な田園を見ているとそんな事も忘れさせてくれる。
花が笑い鳥は歌う、街道脇には旅の冒険者風のパーティが和気あいあいと楽し気に歩く。
「見ろよ外れ転生者のタツが農家に転職してら」
戦士風の男がそう言ってクワを振るうタツを小馬鹿にする。
「へへっ、どうも…」
タツは悪口をのらりと躱す。
「ち、つまんねえ野郎だ…」
実際、この異世界に転生したタツのスキルは外れだった。パラメーターは悪くない物のスキルが『割りばしを自在に操る』という冒険には到底役立ちそうもないスキル。
いくら飯を美味く食えても、モンスターと戦えないのでは冒険では使い物にならない。腕っぷしは人並みに立つ方であるがそれは魔法が使えない武士としての範疇。
火属性や水属性、毒や麻痺などの状態異常を攻撃を仕掛けてくるモンスター相手にタツはあまりに非力であった。ましてや魔法を使いこなす魔族魔物相手には言うまでもない。
どうやらこの世界では人は往々にして大なり小なりの魔力?というモノを有しているようでして、タツにはソレがからっきしもなかった。
食えない下級武士の自分など世が変わってもこんなものだな。お天道様の元で汗をかいて働いて町の人々に喜んでもらう、そんなもんで良いじゃないか人間高望みばかりしてちゃいけねえ。与力の小言にも耐えて同心の職に就かせてもらってるんだ、サラリーマンの忍耐を舐めるんじゃねえ。
畑の開墾を済ませたタツはケイタルヴィルの中心部に来ていた。ケイタルヴィルは街道筋に位置しており、旅の冒険者に屋台で美味い飯を振舞うようになったのがその名の由来だ。往来には様々な屋台が立ち並ぶ。
腹が減った…。日はすでに傾きかけ一日の畑仕事の過酷さを腹の虫が訴える。早く何か食わねば、こういう時はアツアツの天蕎麦が食いたい。仕事終わりのサラリーマン、家へ帰る前に小腹を満たすのは屋台の蕎麦にかぎる。ちゃちゃっと啜って、体の芯から温まり一日の疲れを癒す。
しかしこの異世界に蕎麦なんてものは存在しない、どうやって空腹と疲れた心を癒すか?ただ空腹を満たすだけでは満足できぬ!蕎麦だ、蕎麦が食いたい!
そうして亡霊のように繁華街をさまよう江戸っ子。小一時間も飯の屋台を物色したところで美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のように匂いをたどった先にあったのは・・・何と言いう事か、熱々ジューシーなホットドッグではないか!?
ただこの江戸っ子ホットドッグなどという遠く米国の食い物など知る由もない。
「この旨そうな食い物はなんという?」
「はいホットドッグと言ってこの町の名物ですよ、自慢じゃないが町一番の旨さでウチの名物でさぁ!」
売り子の少女が軽妙に商品をアピールする。やたらとボディラインの出た薄手のシャツにホットパンツとピチピチのエプロン、少女はとてもセクシーだった。
「このホットドッグを一つ・・・いや二つくれ!」
「あいよ、喜んで!」
売り子の少女からホットドッグを受け取る、左手にホットドッグ右手にホットドッグ・・・、どうみても今の自分はただの食いしん坊だ。うまそうな匂いが鼻をくすぐる、この得も言われぬ旨そうな食い物はいったいどんな味がするのか、想像するだけで口内が涎であふれる。
ハフリ、モグモグ・・・!!!!!!なんだこれは!?口の中で肉がはじけて肉汁と油が口の中で舞い踊るようだ!それにパンのフワッとしたふくよかな香りが肉香りに広がりを与える。
この赤と黄色のスパイシーな香味料も絶妙だ。甘さと酸っぱさそしてツブツブの辛子のような刺激がいい薬味になっている。さらに肉には胡椒のようなスパイシーな味付けの意匠も冴えわたる。美味い!ウマいぞこの料理!癖になる味付けで箸が止まらん!いや、手づかみゆえ箸はないが箸が止まらんのだ!
ハグッハグッ・・・思えば両手のホットドッグは一瞬で腹の中に納めてしまっていた。
「ふぅ~~~、ああ・・・うまい」
この異国のジャンキーな料理、これがこの国のファーストフードというものか・・・
蕎麦に優るとも劣らぬホットドッグ、まことに美味であった。
そうしてホットドッグを、まさに犬のように食らう様子を物陰から見ている女が一人。
「タッつぁん依頼だよ」
小声で短くタツに伝える女に、タツは鋭い目で無言で答える。
口の端に着いたケチャップを親指で拭いペロリと舐め、タツは物陰へと消える。
ケイタルヴィルは夕闇に包まれていた。
村はスタートアップの街の外郭にあたり森を切り開き畑を大きくしその規模を未だ大きくしている。街の人口の増加に対して村の労働力不足は明らかだ。人の往来が多い街道筋にあるが村民の数は少なく、農家の多くは街からの通いやタツのような日雇いのバイトがほとんど。夕刻ともなれば村は死んだように閑散としている。
そのさらに街はずれ、材木置き場に女と話すタツの姿はあった。呼び出したのは情報屋オッセン・アガルタ。
「どうしたよおせん」
周囲を警戒しながらおせんは口を開く。
「最近ここらで人さらいが増えているのは知っているだろう?」
「こんな人の出入りの多い飯場じゃあ人の出入りなんざ日常茶飯事だ。それが人さらいだっていうのかい?聞くに寄っちゃぁ、なんでも亜人種の血の薄いのの行方不明が多いっていう・・・」
「行方不明はデミヒューマンとニアヒューマンがほとんどさ、どっちも血の薄い亜人種。」
亜人種・・・、魔道対戦後に魔族と人間の間に生まれたという混血だ。代を重ねるほどにその血は薄くなり、身体的特徴は残すが力や魔力はほとんど弱まると聞く。
「大戦の厄介な落とし物で未だに亜人を差別する連中は多くいる。殺されているってんならまだ話は早い、ただ今回の人さらいってのは妙だ。」
「しかしどうして人さらいなんて決めつけるのさ。何か証拠でもあんのかい?」
タツは夕焼け空を眺めながら聞く。カラスが寝蔵へといそいそと帰っていく。
「3番辻の協会に依頼があったのさ、攫われた娘を助けて下さいってね」
依頼・・・、その単語にタツ反応する。
「請けたのかい?」
「請けるも何も、まだ人さらいだと決まったわけじゃない。犯人が誰なのか?そもそも単独なのか複数なのかすら分からない。しばらくは情報集めといったところかね」
「・・・」
「また何か分かったら連絡するよ。この世界でのあんたの初仕事だ、期待しているよ」
「腕に覚えはあるが…」
タツは言い淀む
「俺に本当に務まんのかい?力不足じゃねえと良いが…」
おせんはニヤリと笑い、
「アタシのメガネに適ったのさ、もっと自信持ちな。」
言いながらメガネの角を上げるような仕草をする。おせんは裸眼でメガネなどしていない。
「オフィーリアの女神から授かったそのスキル、振るえる時がきっと来るよ。なあ、”割りばしのタツさん♪”」
含みのある言い方をしおせんは去っていく。宵闇が濃くなってきた。
俺も少し探ってみるか・・・。
それにしてもさっきのホットドッグは美味かった。明日食べるときは4っつ頼もう、そう心に決めてタツは家路へと急ぐ。
暗い森の入り口、ケイタルヴィルの一軒家に明かりが灯る。ここはホットドッグの屋台を営むフェンリアの家。看板娘のフェリン・フェンリアとその父親が暮らす。
「今日もたくさん売れたんだよお父さん。両手に持ってホットドッグを食べてた新規のお客さんまた来てくれるかな」
「きっとまた来るさ、なんたってお前の売り方が上手だからな。お前は立派なウチの看板娘だ」
仲睦まじい親子の会話。親子は獣人と人間との混血だ、獣人の血を引く亜人特有の獣のようにツンと飛び出た耳と獣の濃い体毛が目を引く。何世代目の混血か知る由は無いが、血の濃さ的に父親がデミヒューマン、娘のフェリンはニアヒューマンといったところか。
ガタッ!外から物音がする。
「何だろう、ちょっと外の屋台を見てくる。お前はココにいなさい」
そう娘に言い父親は暗い屋外へと出ていく。
家の脇に置かれた屋台車の車輪が壊されている。こういった亜人種への嫌がらせは度々ある。
「あーまた壊されたか」
「どうしたの?」
家の中から娘が心配して声をかける。
父親は慣れた様子で壊れた車輪を確認する。この国ではこんな事は日常茶飯事だ。不満を漏らしても仕方がない。もう少し金を貯めれば街に店だって持てるんだ、今はグッとこらえよう。そうして自分を誤魔化す父親に妖しい外套を羽織った集団が近づく。剣や斧を帯刀しており野党か冒険者崩れだろうか?
「・・・なんだお前たちは!」
言うが早いか怪しげな集団のリーダーらしき男は剣の峰で父親の頸椎を殴打し気絶させる。・・・慣れた手つきだ。集団は手際よく亜人の父親を抱え夜の森の中へと消えていく。
娘のフェリンはそんなことなど知る由もなく。父親が屋台を直し、家の中へと戻ってくるのをただただ待ちわびる。人の明かりがテラスには夜の森はあまりにも暗くそして深い闇のヴェールに覆われている。
ところ変わって朝日が鋭く差し込むスタートアップの街。簡素な木造の長屋がひしめく一角に割りばしのタツの姿があった。下級武士の朝は早い、割りばしを剣に持ち替え朝の鍛錬だ。
邪魔な上着をはだけさせて型になぞって剣を振るう。日本刀は転生の際に江戸へ置いてきてしまった、振るうのは西洋剣。太刀と比べるといささか重く短いその刃を振るうのには未だに慣れない。剣の重心が中々つかめず剣を振る際に若干体が振られる。腕に覚えはあるつもりだが20年振った2尺5寸も物が変われば武士などこの程度か・・・。自戒しながらも早くこの世界に慣れるためタツは無心で剣を振るう。
いつから鍛錬をしていたのか、型稽古といえ肌にはうっすらと汗が浮かんでいる。この朝の鍛錬の跡に食べる朝餉ってのがまた美味いんでさぁ。江戸にいた頃であればご飯に味噌汁、めざしと漬物。今朝は豪華に新巻鮭と冷ややっこもどうぞなんて言われた日には、一日がハッピーになって心がウキウキしてくる・・・、もっぱら庶民の楽しみは食にあったんでさぁ、いつの世も飯っていうのはあたしらに鋭気を与えてくれる、人間腹が空いてちゃなんも出来ねえもんね。
この異世界にもめざしは存在するようで、実際はシシャモだかカタクチイワシの太ったのか分かりませんが、魚の目ん玉に木の棒を通して干物にしたっていうのは異世界でも一緒なようですな。魚を干すひと手間を加えるだけでうま味が凝縮して一層上手くなる。生のまんまの青臭くジューシーなのも良いですがね、干しためざしを炙った香ばしい香りっていうのもまたたまらんのですわ。あー書いているとこっちまで腹が空いてきた。
めざしは干しているから持ち運びも楽ちんです、このタツさんなんかは小腹が空いたときのおやつ代わりに常にめざしを持ち歩いています。だってこの人腹が減るとすぐ不機嫌になるんだから。
そうしてめざし持参で今日もせっせと畑仕事。本日は昨日耕した畑に種を撒きます、春ですからね。農家は天気で仕事をします。指で土をほじって、指の第一関節ぐらいの深さに種を植えます。
植えているのはキャベツのタネ。見渡す限り広大な畑に嫌気がさしつつも、これを収穫すればおこぼれに預かれるのではないか、キャベツっていうのはどんな味がするのだろうか?どうやって食べようかな、そんな呑気な事を考えながらタツが畑仕事をしているところに声がかかる。
「タツ、仕事よ!」
はるか遠く畑の向こうからタツを呼びつけるのは警護団の女騎士だ。
タツを呼びつけたのは警護団所属のベル・ディントン。警護団はバルベルデ王国の治安を守る警察のような組織でベルは警護団に所属するシェリフだ。シェリフというのは現代でいうところの刑事、江戸でいうところの同心にあたる。マント羽織り警護団の制服を来た身なりが様になっている。
「最近デミヒューマンの行方不明者が多発しているのは知っているわね」
「へえ、なんでも亜人が人攫いにあってるなんて噂もあるようで」
「そこまで知っているのね、あんたにも手伝ってもらうわ」
どうやら警護団も重い腰を上げるらしい、
「あんたこの間警護団のメンバーになりたいって志願したそうじゃない。あたしの下に付いてその行方不明者捜索を手伝ってちょうだい」
見た目十代の少女は年上にも臆せずキビキビと命令する。
「ただしまだ正式な団員じゃないからあくまであたしの下っ端。この件での働きによっては正式に団員として召し抱えてやるから、気を引き締めて掛かりなさい」
「へえ、喜んで!」
「まったく、ギルド所属の癖に警護団の仕事もしたいなんて、軟派な奴」
「へへっ」
あっしは魔力を持たない何でも屋のタツです。お金を頂ければなんだってお手伝いいたします。
「そうと決まればさっそく聞き込みよ。畑仕事なんかしてないで、腕の立つところを見せてみなさい!」
そういう事なのですみませんと農家のじいさんに会釈をしてタツはベルの後を犬のようについていく。
移動の最中、歩きながらベルはタツに事の次第を伝える。
亜人種の行方不明者は30人を数える、いや独り身の渡世の亜人も含めると被害はもっと大きいのかもしれない。狙われているのはデミヒューマンとニアヒューマン、いずれも血が薄く非力な人種の人間ばかり。現状人攫いはあくまで噂程度だと思っていたが、どうやら行方不明者が消えたのとほぼ同時刻に怪しげな集団の目撃情報が数件あったらしい。警護団の見立てでは亜人に対して差別的な野党か冒険者崩れの犯行ではないかとの推理だ。これはまだおせんも掴んでいない情報だ。さすが警護団裏家業の一枚上手を行っている。
タツはベルと一緒に行方不明者の家族を中心に聞き込みを行う。話を聞くのはみな亜人種、亜人種と言ってもその実様々な種族がおり、獣人との混血でも肉食系~草食系、レプリティアンやサキュバスとの混血まで様々な人間…いや亜人がいる。そうした亜人達の話を聞きながらタツはその仔細を調書へまとめていく。その仕事ぶりをベルはつぶさに観察して一言
「転生者にしては字上手いのね」
「へえ、真面目に勉強いたしました」
「情報のまとめ方も丁寧だし案外向いているかもね」
この世界へ転生してからタツは読み書きを必死に習得し、この世界に馴染もうと務めた。女神さまの御業のおかげか言葉の意思疎通に不便はなく、文字も一通り読むことは出来たのだが書く方がてんでダメだった。読み書きはどこへ行っても必須と子供の頃より教わっていたタツは毎朝の稽古の後には習字で文字の練習を必死に会得した。武芸百般文武両道、習い事に勉強を日々の日課としていた習慣がこんなところで生きてこようとは仏さまでも思うまい。
「あんた転生者なんだってね、それも無能の」
無能という言葉はいまだに引っかかるが、嫌味ではなくタツを知ろうという興味本位からの質問だ。
「ええ、以前の世界で身に着けた技能はどうもこの世界では役に立たないようで今は何でも屋なんてのをやっております」
「剣術の腕は立つんでしょ?」
「人並みには…」
剣ではなく愛用の太刀であればと頭に浮かぶ。
「腕を見てあげる、一太刀あたしと切り結びなさい」
ベルは唐突にそう切り出す。年上相手に自信あふれる挑発だ。さながらこれは新顔のタツへの腕試し、胸を貸してやろうとの提案だ。
「それとも腰にさげたそれはただのお飾りなのかしら?」
安い挑発だ、太刀を剣に持ち替えてどの程度行けるのか?それはタツも気になっていた。
「安心して、剣に魔力は帯びさせない」
剣に魔力を帯びない、それはつまりこの世界ではなまくらを意味する。実入りの刃物ではあるものの、”魔力無しの剣”はただの剣だ。実戦では役に立たないことを意味する。彼女にとってそれはタツにハンデを与える事を意味した。
「それでは少しだけ・・・」
そう覚悟を決めるとタツは腰の剣を抜きベルへと切りかかる。太刀筋は日本刀のそれである、刀身の重さに変わりはあるがタツの剣術は道具を選ばない。目で追えぬ速さの剣先をベルは軽々をいなす。
「面白い剣術ね」
次はあたしの番・・・、と言うようにベルはタツへ剣を振るう。上段下段、四方八方から五月雨の様な斬撃が襲い掛かる。乱雑なように見えつつも剣筋は彼女の日々の鍛錬の積み重ねを物語る。
良い剣士だ・・・。これほどの腕なら江戸であれば士官も出来たかもしれないな。心の中で彼女の剣技を認めタツは小さく笑みをこぼす。
「受けているだけじゃジリ貧よ、何でも屋は何でも屋らしく芸のある所を見せなさい!」
自分の自慢の剣技を華麗に受けきるタツに対しベルも思わず言葉に高揚が滲む。彼女の剣技を受けながらタツは待っていた、彼女の呼吸にわずかなスキが出来るのを。
乱れ切りの刹那、次の呼吸に向けベルが息を吐く一瞬の隙!ベルの腹めがけてタツの剣が切りかかる。
「・・・!!!!!」
ベルを真っ二つに切断したかに思えた剣先はベルの憲兵服の一寸先で止まっていた。しかしベルも抜け目ない、切りかかる刀身を受けようと剣の峰でガードに入っていた。剣と剣はわずかに触れる寸前紙一重という所で止まっていた。
「そのまま切れば私に一太刀浴びせられたかもしれないわ」
ベルは挑発するが、タツはゆったりとした動作で剣を鞘へ納める。
「やめておきます、お嬢ちゃんの剣がわずかに魔力を帯びたかのように見えましたんで、魔力を帯びた剣相手じゃ刃先が欠けちまう」
はったりだ、魔力を持たないタツに魔力を感知する事はできない。彼女が魔力を込めたように思えたのはあくまでタツのカンだった。
「腰のお飾りとはいえ、傷物じゃあ恰好がつきません」
そう言っておどける相手にベルも気が抜けたのか自身の剣を鞘へ納める
「でも残念ね、こっちの世界では剣術だけあって魔力がなくちゃ話にならない。」
タツには魔力がないため魔法が使えない、それゆえの無能だ。
「今回の事件捜査は犯人の足取りの捜索と魔力検知よ。知っているだろうけどこの世界の住人はみな多かれ少なかれその身に固有の魔力を持っている。その臭いの痕跡をたどって犯人を見つけるの」
「なるほど勉強になります」
「だからその為にこうして行方不明の捜査を必死にやっているの、魔力探知なんて鑑識班の手にかかればすぐなんだから。事件解決の肝は愚直な下調べ、事件は足で解決するのよ」
なるほどな、そのあたりは異世界も変わらないなとタツは頷く。
思えば二人は街道の辻へと来ていた。辻の立て看板には人探しの紙が所狭しと貼られ、人を探す文字の筆致からは行方知れずの家族の無事を祈る悲痛な祈りが感じられるようだ。
「あたしの町で姑息な犯罪なんか絶対に許さないんだから…」
自分に言い聞かせるようにしてベルはつぶやく。
「分かったらとっとと聞き込みを続けるわよ、ほかの奴に手柄は渡さないわ!」
そうして自分とタツに活を入れエリスは足早に次の目的地へと向かう。
次の目的地は街の中心にあるギルドだ。藁にもすがるような思いの残された家族は警護団やギルドの垣根を超えあらゆる手段で行方不明者を探そうとする。
「本当はここには来たくなかったんだけどね」
仕方ないといった様子でベルはギルドの門をくぐる。
ギルドのクエストボードには先ほどとどうように人探しの依頼が山のように張られている。しかし人探しの依頼を受けるような冒険者はいない。単純に割に会わないのだ、報酬が高額であれば依頼を受けてくれる者もいるだろうがそんな金を積める亜人種などほとんどいない。
クエストボードをベルと一緒に眺めていると受付嬢が声をかけてくる。
「あらタツさん、今は警護団と一緒にいるんですね」
タツはバツが悪そうに答える。
やって来た二人に対してギルドの目は冷ややかだった。
「見ろよ、警護団の犬が来たぜ」「落ちぶれ騎士のベル様じゃねえか」
ギルドへなんの用で来たんだとでも言う様に、これ見よがしな嫌味の言葉がそこかしこから聞こえる。
「いやまあ火急の案件というやつでして」
街の外側を主とするギルドと街の中の治安を担う警護団はその管轄を巡って対立している。ましてどちらも人手が慢性的に不足しており、人手の奪い合いで常に争っていた。魔王との大戦時であればギルドの権力が大きかったが平時にあっては街の平和の維持の方が重要だ、云わばこれはそこに端を発っする因縁の主導権争いだ。ちなみにギルドはダブルワークを禁止している、まあそのルールを守っている冒険者などいないが。
「何でも屋というのは本当に何でもするんですね。タツさんの転生以降、私もといこのギルドがタツさんがこの世界で暮らせるように手ほどきしてあげたというのに…」
受付嬢がこれ見よがしに小言を言ってくる。
「今は街の治安を左右する一大事だ、少々の例外は認めていただけますか」
ベルが冷静に対処しようと努めるが、言葉の奥に怒りを感じさせる。
受付嬢も状況を察したのか状況を伝える。
「こちらも状況は同じです、人探しの依頼は連日ひっきりなし。一応対応はしていますがこれは街の中の話、早く解決してい頂きたいものです」
受付嬢はクエストボードに目をやりそう語る。事件に手を焼いているのはお互い同じらしい。そうしてギルド内を眺めていると人探しのビラを配るものの中に見知った顔の亜人の少女を発見する。昨日の屋台の少女・フェリンだ。
少女は無き父親の似顔絵が掛かれたビラを冒険者へと配っている、行方不明の父を探して必死な表情の裏に不安と悲しみを色濃くにじませる。
「これお嬢ちゃんが書いたのかい上手いね?」
タツは優しく少女に声をかけビラを手にする。
「あなたは先日の!」
見知った顔に希望を見出したのか少女の顔がわずかに笑みを取り戻す。
「おじちゃんとこの警護団のお姉ちゃんがきっと見つけてやるから安心しな」
少女を安心させようとタツは優しく接する。久々の優しさに触れたのか少女は思わず泣き出してしまう。
「よしよし分かってる分かってる、大丈夫…大丈夫…」
タツは少女を優しく抱きしめその不安を受け止める。ベルもそんなタツの優しさを無言で見守る。
同時刻町から遠く離れた河川敷で数十名の亜人たちの変わり果てた死体が発見される。体をズタズタに引き裂かれ四肢が引きちぎられた物や、顔面をズタズタに切り刻まれた者までいる。ひどいものでは頭蓋を切り開かれ脳の損壊が著しい死体もあり、河原は凄惨を極め血で真っ赤に染まっている。死屍累々の現場では警護団の鑑識が身元の照会と見分が行われ、陣頭指揮を筆頭シェリフが取り仕切る。
その死体の山の中にフェリンの父親の顔もあった。当然のことではあるが異世界であろうと死んだ人間は帰って来ない。
どこの世も理不尽なことはあるようで、やり切れぬ思いにこの世も異世界も変わりはありません。
あの世へ行ったものは帰って来ない、それが世の理にございます。
惨殺死体が大量に発見された川原では筆頭シェリフであるゴヤの指揮の下、鑑識たちにより見分が行われていた。遺体の状況は凄惨を極めた、数十体に及ぶ死体が戸板の上に並べられ夥しい血が滴る。四肢が繋がっているものはまだマシだ、多くはバラバラに四肢を切断され頭部もグチャグチャに損壊している死体もある。鑑識は損壊した死体を集め、どの手足がどの被害者のモノかを調べ、その死因などを調書にまとめている。
川原沿いには格子状の非常線が張られ、その向こうには遺族たちや野次馬がひしめいていた。その人込みをかき分けてタツとベルは鑑識たちと合流する。
「酷すぎる・・・」
ベルが鼻を覆いながらそう零す。当然だ鑑識の中にさえあまりの光景に嗚咽を漏らす者がいるほどだ。この光景は十代の少女にはあまりに酷すぎた。ベルは川原に並ぶ亜人たちの死骸に手を合わせ深く黙とうする。
「ごめんなさい」
聞く相手のいないその無念のこもった謝罪を横目に、タツはこの世界でも仏さんには手を合わせるんだななどとズレた事を考えていた。
「遅いぞベル・ディントン」
黙とうを遮るよに言葉をかけたのは筆頭シェリフのゴヤ・H・ローレンス。
「遅れてしまいすみません。」
ベルは背筋を伸ばし自分の上司へ謝罪する・
「今朝がた旅の冒険者が発見したそうだ、恐らく昨晩の内に下手人がここへ捨てたのだろう。」
さらに筆頭シェリフは付け加える。殺害は別の場所で行われ、人さらいも含めて恐らく複数による犯行。殺害に使われたのは剣や斧、ナイフなどの刃物であり。刃引きと言わないまでも切れ味の落ちた刃物が使用された痕跡があることから下手人は冒険者崩れの集団である可能性が高いとの事だった。
奉行所で同心をしていたタツも同様の見立てをしていた。江戸であれば犯人探しには数日かかるだろうがこの世界は違う。魔力の痕跡・・・いわゆる”臭い”をたどることで下手人にたどり着ける。たとえ魔法を使用していなくとも魔力の臭いは簡単には消せない。その証拠に川原周辺では鑑識の魔力捜査班による臭い操作が行われていた。こりゃああとは時間の問題か・・・であれば自分の出る幕はないか、そう思いながらタツは鑑識の手際の良さを惚れ惚れと眺めていた。
「一緒にいるのは連れか?」
誰だこいつは、とでも言う様に筆頭シェリフはベルへ聞く。
「本日から私の下に着いたタツといいます」
「タツ・・・」
なるほどこいつが無能のタツか・・・といった目で筆頭シェリフゴヤはタツをじろりと見る。
「へへどうも、これから警護団様にてご厄介になります」
「せいぜい務める事だ」
興味なさげにそういい捨てて再びベルへ指示を出す。
「野次馬がうるさい、見分の邪魔であるから早く追い払え」
指示に従いベルとタツは人払いのため非常線へと向かう。非常線にはホットドッグ売りの亜人・フェリンの姿もあった。フェリンとタツの目が合う、少女を安心させようとタツは優しく微笑むも・・・
「ほら見世物じゃねえぞ、帰った帰った」
野次馬へ向けタツは事務的にそう冷たく叫ぶ。
「然る処置の後遺族へは個別に連絡をしますのでお引き取り下さい!」
ベルがそう付け加え群衆の怒りの声を静める。
野次馬は警護団への愚痴や悪口をぶつける。
「国家の犬」「税金泥棒」「お前らが無能だから被害が大きくなった」
「その事件を解決するための操作をしているってんだ、邪魔するならお前らもしょっ引くぞ」
タツの啖呵に慄いたのか、はたまた凄惨な眺めを見飽きたのか野次馬たちは徐々に数を減らし街へと戻っていく。非常線に張り付き事の次第を無言で見守るフェリンの目にはうっすら涙が浮かんでいた。
ごめんよ、これがおじさんの仕事だからさ。少女を見やりながらタツは心の中で無碍な態度を静かに謝罪した。
街へと続く街道、先程の遺体を積んだ荷車が列をなしギシギシと音を立てて街へと向かう。
「しかしどうして亜人ばかり狙われるんですかね?」
荷台に腰かけたタツがめざしをしゃぶりながら疑問を投げかける。こいつ正気か?死体と並んで飯を食うタツを信じられないといった表情で見ながらベルは答える。
「そんな事は下手人に聞いてくれる。」
当然だ、人殺しの考えることなど常人には想像もつかない。ただしその犯行の動機というのを考えるのがタツ、そしてベルの仕事だ。
「60年前に大戦があったのは知っているわね?魔道大戦で魔王と人間は争った、それこそお互いを絶滅させるぐらいの勢いでね。」
へえへえ、またお勉強の時間ですか・・・若干の面倒くささを覚えつつも相手に察せられぬようタツは熱心に話を聞く体を繕う。
「その時に魔王側に着いたのが今の亜人の先祖にあたる魔族だった。魔王が勇者に倒されても大戦は終わらなかった。首領を失った魔王軍はなお抵抗を続けた、それこそ全滅するまでね。だけどそうはならなかった、魔族の中にも人との共存を模索する者たちがいたの。和平は成立し人と魔族が共存する時代ややって来た。平安の時代が続く中で魔族と人類は次第に交雑して歩み寄っていった、その結果亜人種が生まれたの。いわば亜人は平和の象徴でもあるの。でも未だに亜人は差別的な扱いを受けている。」
そこまではタツも良く知っている。亜人にはいい奴もいるしそうでない普通の奴だっている。あのホットドッグの店の子のように逞しく生きている子もいる。そこに貴賤は無い。
「今でも純潔を崇高なモノと考える者は大勢いるわ。特にこの国で大きな力を持つイルマリン教徒の教義は混血を認めていない」
「といってもイルマリン教徒お抱えの警護団だって亜人はたくさんいますぜ?」
痛いところを突くな、といった表情でベルは続ける。
「黙認せざるおえないのよ亜人の存在を。大きな戦乱後の復興は人手が無くっちゃ始まらない、だから亜人も警護団に採用するし亜人の農家や冒険者だっている。」
そりゃそんなもんだ、いがみ合う者同士妥協の結果勝ち取った平和だ。未だ戦争の軋轢はあらゆるところに存在する。
「だけどそんな簡単に手を取り合えるほど簡単じゃないのよ。今回の事件は亜人に差別的な冒険者の犯行とはとても思えないの、もっとこう大きなものが裏にあるんじゃないかってそう思うの」
根拠のない支離滅裂な推理に自信が持てずもベルは呟く。
空高くドラゴンが飛んでいる、魔道大戦では人間にも魔王にもつかなかった種族と聞く。空の上からはこの事件がどう映るのだろうか。そんなことを考え味のしなくなっためざしをタツは飲み込む。
ケイタルヴィルでは小さな悲劇が起きていた。
「早く家賃を払ってもらわないとこまりますよ」
成金風の小太りな男が下っ端を引き連れ屋台のフェリンともめている。
「もう少しだけ待ってください、お金はちゃんと払いますから」
「そんな事いっても返す当てがないでしょう?」
ホットドッグの屋台に客はいない。いや、いつものように人の往来はあるが、あきらかに皆亜人種と関わるのを避けている。あんな事件があった後だ亜人と仲良くすればどんなとばっちりがあるか知れたものではない。
「借金だってあるのに、家賃も滞っているって聞きましたよ」
成金は意地悪く処女に詰め寄る。フェリンは食い下がる
「そんな借金はちゃんと返しているじゃないですか」
「利息っていうのがあるんですよ、証文だってちゃんとある」
証文は加筆され事後に書かれたものだ。
「そんな・・・、お父さんはもうすぐ借金を返済してお店を持てるって…」
「子供の理屈で駄々をこねられても困りますよ。こっちは商売でやっているんですから」
横暴である。だがそんな事は親を亡くした亜人の少女に分かるはずもない。
「今日の売り上げはいくらですか?お客さん来てないでしょ」
「それは・・・」
フェリンは言葉に詰まる。だが助けてくれるものはいない。
「返すあてが無いのなら、仕事を紹介してあげましょうか?なあに亜人の娘でもできる簡単な仕事を紹介してあげます。」
成金が下卑た笑みを浮かべて優しく囁く。
「すみません、今日はこれで許してくれませんか?」
少女がわずかな売上金を成金男へ差し出す。
「こんなはした金で足りる訳ないだろ!」
成金は怒気を荒げ差し出された手を払いのける。金が地面に散らばる。
その日の夕方フェリンは売れ残りのホットドッグを一人食べていた。行方不明になる前父親が最後に仕込んだソーセージで作ったホットドッグだ。押し寄せる悲劇の連続に涙はとうに枯れ果てた。これから生きるためには泣いている暇すらない。でも生きる方法など知らない。それを優しく教えてくれる者などどこにもいない。
少女の足は自然とオフェリアの廃教会へと向いていた。救いなどない、救われる未来も見えぬ、自暴自棄にも似たその胸中は、父親の無念を晴らしたいというただその一念だけだった。教会の屋根は抜け落ち差し込む月明かりが教会内に差し込む。朽ちてツタの絡まる女神オフィーリアの石像が月明かりに照らし出される。少女時は女神像に向かい跪く。
「・・・お父さんが殺されました。」
ふり絞った言葉が教会に木霊する。
「ここに来れば復讐・・・、してくれるって噂を聞きました」
誰も答えない。オフィーリアの石像は無言で少女に微笑むのみだ。
「これ今日の売上金です。少ないかもしれないけど、これでどうかお願いします。」
誰も答えてくれない。教会に吹き込む風が無常を掻き立てる。悲しみか不安からか、少女は小さく泣き出す。
「お願いします、誰か助けて下さい。私は良いんです、せめて殺された人たちの・・・お父さんの仇を討ってください」
泣きはらした唇から大声で少女は懇願する
「その依頼、確かに聞き届けたよ」
教会内に言葉が反響する。まさかの声に少女はキョトンと目を見開く。言葉に希望を見出したのか久々のやさしさに接したせいか、少女の目には暖かな希望の涙が浮かぶ。
「あ、ありがとうございます、ありがとうございま・・・」
言葉を遮るようにまた声が反響する。
「金を女神像の前に置いて去りな、けして振り向くんじゃないよ」
事務的だが温もりを感じさせる良い口に少女は安堵する。ありがとうございます、ありがとうございます、そう何度も顔の見えぬ相手へ礼を言い少女は朽ちた教会を後にする。
祭壇にはわずかな銀貨が数枚置かれている。少女の足音が遠のいていくなか、物陰からスッと女が現れる。情報屋のおせんだ、口元を薄紙で隠し暗闇に消えていく少女の姿をじっと見送る。
「納得できません!」
ベルの抗議が響く。ここはスタートアップの街にある警護団の執務室。抗議のあいては筆頭シェリフのゴヤだ。時は数刻前にさかのぼる。
「セイクリッド!」「「「セイクリッド!」」」「セイクリッド!」「「「セイクリッド!」」」
セイクリッドと刻印された魔道行燈を灯した集団が闇夜を走る。警護団の捕り物だ。陣頭の筆頭シェリフゴヤに続くのは同じく武装したシェリフたちと、その下っ端ウォッチドッグの集団だ。ウォッチドッグは元犯罪者や冒険者崩れで更生される。謂わば江戸でいう所の岡っ引きにあたる集団で警護団の庶務雑務を行う実働隊だ。向かうのは街道外れの森にあるあばら屋だ。
ここを根城とする冒険者くずれが今回の事件の下手人であるとの見分が先ほど鑑識よりもたらされた。
「相手は武器を所持した冒険者崩れ、抵抗するようであれば武力をもって切り捨てよ」
部下に向けてゴヤが檄を飛ばす。
警護団のウォッチドッグ隊はあばら屋を包囲する。小屋からは蝋燭の明かりが漏れている。こちらに気づいて警戒しているのか異様に静かだ。静寂を破るようにゴヤを中心としたシェリフ数名があばら屋へ突入する。
小屋の中では冒険者崩れ数名が待ち構えていたかのようにゴヤ達に奇襲、剣や斧でゴヤ達へ切りかかる。
「出会え!応戦しろ」
ゴヤの命令を皮切りに続くシェリフたちは冒険者崩れへ応戦する。魔力を帯びた剣が小屋の中で激しく切り結ぶ。相手は冒険者崩れとはいえ相応のつわもの達だ。しかし警護団のシェリフも腕に覚えのある実力者ぞろい。実力の差は明白だった。冒険者崩れの集団はたちまちその数を減らし数名は4人へ、4人は3人へ抵抗むなしく一人二人と切り伏せられていった。
「待ってくれ分かった降参する・・・」
最後の一人がそう言って剣を投げ捨てる。殺すか生け捕りにするか?対する警護団のシェリフは剣を向けたまま警戒を解かない。その部下を押し分けゴヤは最後の一人の前に対峙する。残された下手人は下卑た笑みで許してくれと懇願する。
「そうやって助けをこう被害者たちをお前は助けたのか?」
ゴヤが冷たく言い放つ。下手人の表情から余裕の色が亡くなり、自棄になった下手人は落とした剣をふたたび手に取りゴヤへ切りかかる。
「教皇庁の犬め!」
その一太刀を身軽にかわしゴヤは正義の一撃を浴びせる。
「セイクリッド仕る!」
その言葉と共に下手人は一刀両断され。再び静寂に支配される。小屋には冒険者崩れの下手人たちの躯が横たわり飛び散った地で真っ赤に染まっていた。あばら屋の中は捕り物の名を呈した処刑場と化していた。ゴヤはゴミを見るような目で下手人の死体を見下ろす。
「これは私刑です。悪徒は法でもって裁かれるべきです!」
場所は再び警護団の執務室、ベルの抗議を冷ややかな態度でゴヤは受け流す。蝋燭の明かりが暗い室内を照らす。
「下手人の抵抗があった、情け容赦すればこちらにも被害が出ていたのだ」
もっともらしい言い分だ
「しかし事の次第を問い詰めねば事件の解決とは言えません。それに下手人の冒険者崩れは10名との目撃証言もあります。殺した下手人は9人では!?」
たしかに事前の聞き込みではあばら屋付近で10名の冒険者崩れを見たという証言もある。
「たかだか田舎者の見間違いかもしれんだろう。この事件は片付いたのだ、鑑識からも残留魔力は9人分の物との結果が出ている。」
「しかし…」
強引に事をまとめようとするゴヤに対しベルは言葉に詰まる。
「顕官からもこの事件はこれにて解決とすると直々のお達しがあった」
顕官とはこの町の警護団の最高長官だ。警護団は上から顕官、バイリフ、シェリフで構成される、トップの命令とあっては下っ端のベルは従うほかにない。しかも顕官と言えばイルマリン教皇庁の司祭も務める重鎮だ。
「おとなしく命令に従えベル・ディントン、そんな態度ではディントン家の再興などいつまでたっても出来んぞ」
トドメのような嫌味の一言をゴヤは突きつける。確かにディントン家は落ち目の家系、ベルにとって上に背いて、にらまれるような事があればお家の取り潰しは必至だ。お家再興のためディントン家の長女であるベルにはこの警護団出世しのし上がらねばといった大義があった。ベルはやり切れぬ思いの行き場に困る。
「でも…」
「異論は許さん!」
そうゴヤは言いベルを部屋から追い出す。ベルは執務室の扉を背に小さくつぶやく。
「・・・教皇庁の犬め」
そうつぶやきベルは暗い廊下の奥へ去ってゆく。
スタートアップの街は活気に満ちていた。事件が解決したせいだろうか、それとも数十名の亜人の死亡など気に求める事ではないのだろうか。人が何人か死んだ程度では街の活気は変わらないらしい。街角では商人が商売に励み、業者の馬車がとめどなく行きかう。子供は元気に追いかけっこし老人は怪談に腰かけ日向ぼっこ、この間の事件などとうに過ぎ去った過去の事のように町は平穏を取り戻していた。
ベルとタツの二人は仲良く街の見回りをしていた。タツは金魚の糞のように先輩であるベルの後ろを付き従う。
「平和そのもので、いいですね」
タツが呑気に口にする。ベルの方と言えば先日の筆頭シェリフとの一件がまだ尾を引いているのか不機嫌そのものである。
「新人はいいわね悩みが少なそうで、無能は頭の中までスッカスカなのかしら?」
「お巡りっていうのは暇なぐらいが平和の証ってもんですよベルさん」
八つ当たりのような言いぐさをタツはのらりと受け流す。
「フンッ」
八つ当たりし甲斐の無い相手に対しベルはさらに不機嫌になる。本当にフンって口にする人なんていたんだ・・・、なんて口が裂けても言えないなあ、不機嫌さを増すベルに対しタツは手を焼いてしまう。
二人が歩くのは表の目抜き通りから、治安の悪い裏通りへ。悪党どもは人目を避けて暗い所で悪さをする、それはどこの世界も変わらないようでして。
「イカサマしてんじゃねえのかぶっ殺すぞ!」
怒声が通りに響く、喧嘩腰の啖呵の欧州は目の前の賭博小屋から聞こえる。
「行くわよ」
ベルが現場の賭博小屋へ駆ける。小屋の中ではアウトローな不良連中が取っ組み合いの喧嘩をしている。タツとベルはその喧嘩腰のゴロツキ達へ割って入る。
「まあご両人、抑えて抑えて」
タツが間に入って仲裁を促す。床には八面三角錐の青い魔道石が散らばっている、博打のルールは分からぬが恐らく丁半博打の類だろう。
「その野郎が魔力でイカサマしたんだ」
戦士風の男はそうタツに自分の言い分を叫ぶ。
「魔力を込めたのが見えたのかよ!?信用第一のこの商売でイカサマなんかするわけねえだろ」
喧嘩の相手は亜人種、オークとの混血だろうか、筋骨隆々額には鋭い角がある。ヒューマンの筋力でオークの亜人相手に敵うわけないのに、無謀な喧嘩にタツはため息をつく。
「まあここは抑えて抑えて私の顔に免じて手打ちとしましょうや、これ以上暴れるようですとお二方をしょっ引かんきゃなりません」
仲裁するタツをベルは後ろで見守りなるほどと感心する。年の功なりにさすがじゃない・・・そう顔に書いてあるような表情。10歳も変わらないのになあ…完全に人任せになっているベルに対しタツは改めてため息をつく。
「ケッ、警護団の犬め!」
そう捨て台詞を吐いて戦士の男はその場を去ろうと荷物をまとめ、脇に置いた革袋の財布を懐へ納める。財布はずいぶんと重そうだ。
「おやあずいぶん羽振りが良さそうですね、そんな大金があればこんなとこへ来なくてもいいでしょう?」
「なんか文句でもあんのかい!」
「いえいえ滅相もない」
やましい事でもあるのだろうか、探りを入れるタツから逃げるように戦士の男は途上から出ていく。こいつ妖しいなタツの直感がそう告げる。だが何がという確証もない。あの野郎因縁着けて踏み倒していきやがった、そう愚痴りながら賭場の主たちは荒れた賭場を片付ける。
「あんたなかなか根性あるのねちょっと見直したわ。
事を静めたタツをベルが労う。
「今のは戦士グロディ・バーン、この町では名の通った冒険者よ、荒くれ物でなみの警護団じゃああいつに注モノ申すなんて出来たモノじゃない」
「あーそうなんですか、どおりで・・・いやー自分も思わずチビリそうでしたよ」
「ご褒美にお昼でも奢ってあげるわ、そのあとはまた街の巡回だからね」
「へえ喜んで!」
奢っていただけるとあってはご主人様さまさまだ、犬のように尻尾を振って喜ぶタツだった。
静まり返った深夜、警護団詰所から静かに出ていくゴヤの姿があった、人目を気にするかのように厚手のローブを深くかぶり足早に急ぐ。向かうのは街はずれの丘にある研究所。その中では深夜の密会が行われていた。研究所には人道を意に介さぬような拷問道具や医療器具、生体実験の機械が並ぶ。
「研究の成果はあったか博士」
ゴヤが話す相手はこの研究所の主ハンス・エルレルト博士だ。
「はい、おかげで一歩で」
白衣をまとった博士は皺の寄った顔で答える。
「亜人種の魔王との共振、その根幹たる生体器官の発見まであと少しです」
研究の進捗を聞きゴヤは胸を撫でおろす。そして会話を天井から鋭く覗き見る翡翠色の瞳があることにこの二人は気づいていない。覗く瞳は天井板の隙間から悪の談合の事となりに聞き耳を立てる。
「事件を治めるには骨を折ったぞ、よもや人さらいの目的が混血の亜人種の生体研究とは夢にも思うまい」
「ええまったくもってその通り。魔道大戦にて魔王の鼓動に共鳴し付き従った魔族、その遺伝子を亜人種がどのぐらい有するのか、共鳴するのは体のどの部位なのか研究するのは急務。亜人の生体サンプルの提供にはまったくもって感謝しております」
博士と筆頭シェリフはにんまりと笑みをこぼす。
「亜人の誘拐に冒険者崩れを使うとは、おぬしも考えたのう…」
さらに別の声が現れる、声の主は・・・なんという事か!この街の警護団のトップ、ダイカン・タイクーンである。
「いえいえ滅相もない」
ゴヤは謙遜する。
「しかし、共犯の冒険者を口封じで始末するとは…」
「冒険者など掃いて捨てるほどおりますゆえ、ちょうどトカゲの尻尾切り、痛くも痒くもございません。すべては計画の絵図の通りにしたまで・・・」
この世界にもトカゲは生息している。リザードマンとは遠縁、より動物に近く進化した生き物だ。
「まったく悪知恵が働く、H・ゴヤ…おぬしも悪よのう」
「いえいえ、おダイカン様ほどでは・・・」
ヌッハッハッハッハッハッハ!悪の3人衆が高笑いを上げる。事件の隠ぺいにそして研究の進捗に、計画の無事な進行に3人は笑いが止まらない。下賤な亜人や冒険者などいくら死のうが彼らにとっては少しも痒くないのだろう。見るに堪えぬ暗愚共の笑い声に、彼らを除き見る者の影はいつしか消えていた。
自宅の長屋にてタツは神妙な面持ちで割りばしを布巾で磨いていた。この世界へ唯一持ってきた元の世界の道具。ただの割りばしながら使い終わって懐へ忍ばせておくと、いつの間にかくっついてもとの新品な状態へと戻っている。これは女神が授けた魔法の割りばしだ、からくりは分からぬがこの仕組みで悪徒を討てと女神は命じた。無理難題であることは百も承知、しかし悪をのさばらせて良い法などあるはずもない。この世界へきて早数週間。この異世界の地で見聞きした様々な不条理にタツの心は静かに激しく怒りたけっていた。今はまだその時ではなく、ただこうして愛用の割りばしを磨くのみ。
「何でも屋、仕事だよ…」
薄い板壁越しに聞こえるのはおせんの声。ようやく訪れた”その時”にタツは覚悟を決める。
深夜の夜虫の声が響く森に合って、オフェリア教会は一層の静寂に包まれていた。朽ちた教会内には影が二つ、タツとおせんだ
「ようやく出番だね何でも屋」
「それで依頼ってのはどんな内容なんだ」
依頼とは復讐の代行、つまり殺しの依頼だ。タツはいつにも増した神妙な声色で語る。そこにいつもの様な飄々とした様子はない。
「そう焦りなさんな。依頼人はケイタル村でホットドッグを売る亜人の少女だ」
あの獣耳の少女か。彼女の境遇を思い浮かべタツは胸を炒める。おせんは依頼の金を女神像の前に並べ話を続ける。金はフェリンの置いた数枚の銀貨と、さらに事前に依頼をしてきた亜人たちが集めた金貨10枚。
「その復讐の相手というのはこの間の人さらい事件の首謀者さ」
警護団の捕り物で事件は一応の収束を見た、それは周知の事実である。だが裏に首謀者がいた?
「事件は解決したんじゃないのかい」
タツもあれで事件解決ではないと薄々思っていたが、事の次第をおせんに問う。
「裏で冒険者崩れの手をひいていた黒幕がいたのさ」
「なに?」
思わぬ情報にタツはうなる。
「ターゲットは4人。冒険者崩れ共のリーダー戦士グロディ・バーン、警護団筆頭シェリフのゴヤ・H・サウスウルフ、岡の上の研究所の博士ハンス・エルレルト、そしてこの街の警護団トップである顕官ダイカン・タイクーンだ」
思わぬ大物の存在にタツは驚く。
「ダイカン・タイクーンと言えば警護団はおろかこの街を牛耳る大物じゃねえか、それに警護団の筆頭シェリフ?どういううからくりだそれは?」
驚くタツにおせんは続ける。
「この亜人さらいの事件の真相は亜人の人体実験さ。それを指示し裏で糸を引いていたのが警護団の二人組さ。」
あたしも話を聞いたときは驚いたよというようにおせんはその事実を突きつける。
「そんな奴らどうやって始末する。筆頭シェリフはこの街一番の剣の腕とも聞く。さすがに俺一人じゃあ手が足りねえ。」
「ふん、」
予想通りの反応におせんは不敵に微笑む。
「だから今回は助っ人を呼んである、出てきな」
暗闇に向かっておせんが呼びかける。いつからそこにいたのか脊柱の影から人が現れる、しかも3人。現れたのはセクシーに肌をさらけ出した遊女、そしてエビのように腰が曲がった老婆、そしてタツも良く知る人物警護団のベル・ディンドンである。
「おせんさん、そいつが新しい復讐代行?腕は確かなのかな?」
初めに口を開いたのは遊女風の奴だ、声色を聞くに男娼か。
「女神さまが遣わした転生者だ、安心しな腕は補償する。名前は割りばしのタツ、仲良くしてやってくれ」
「へえ・・・」
男娼はタツを慎重に見定める。
「タツにもみんなを紹介しよう。このセクシーな格好の男は破廉恥屋のリリト」
「どうも、破廉恥屋リリト、サキュバスの亜人で~す」
気の抜けた声でリリトは自己紹介する。破廉恥屋?なんだそのふざけた呼び名は?
「そしてそこの老婆がエルダー婆さん、エルフとのハーフで齢500歳とも1000歳とも言われる」
「フェッフェッフェ」
老婆は不敵に笑う。杖に身を預けなければ満足に歩く事すら難しいだろう。
「ごめんな婆さんは無口なんだ、ボケちゃあいないから安心しな」
笑った勢いか老婆は入れ歯を口から零し、慌てて手に取る。大丈夫かこの老婆?
しかしこの裏稼業をするという事はこいつらも腕に覚えのある実力者、そして魔力を持たない物だろう。魔力がある者が殺しをすればすぐに足がついてしまう。裏稼業をするのは魔力を持たぬ無能が勤めるのがこの世界の習わし。だがそれゆえ無能が魔力を持つものを殺すのは並大抵のことではない、この二人はいったいどんな技を使うのか…、いやそれよりも気にかかるのは・・・
「そして最後はあんたも良く知っている・・・」
ああ、よく知っている。なんなら今日も昼間一緒に仕事をしていた。ベルが一歩前へ進む。
「ベル・ディントンよ。この裏稼業では組紐のベルと呼ばれている」
昼間とは違い黒衣を着た出で立ちのベルをじっくりとタツは見定める。この甘ちゃんの少女に裏稼業が務まるのか?しかも彼女は魔力保有者だ。
「警護団のあんたが裏稼業とはな・・・どういう風の吹き回しだい?」
「・・・」
ベルは答えない、答えたくないのか。
「余計な詮索は無しだよ。破廉恥屋、こいつらにも事件の真相を話してやりな」
破廉恥屋は娼婦をしながら闇夜に紛れる密偵だった。言葉の端々に自信と実力、踏んだ場数の多さを感じさせる。
「今回の復讐の代行はこの4人でやってもらう。殺しは一人一殺。」
一人一殺、それも闇夜に紛れた暗殺だであれば効率的である。だが男娼に老婆、そして甘ちゃんの少女が裏稼業とは…今流行りの多様性っていうのかね、タツはまだ仲間の腕を見極めかねていた。おせんは殺しの算段を伝える。
「冒険者崩れの首領戦士グロディ・バーンを殺すのは破廉恥屋・・・あんたがやんな。博士は組紐屋に任せた。
顕官は、エルダー婆さん任せられるかい」
「フェッフェッフェ」
婆さんはただ笑うのみ、肯定ととらえて良いのだろう。ほかの二人も黙っておせんの指示に頷く。
「そして筆頭シェリフ・ゴヤの殺しは、タツあんたに任せるよ」
他のものに習ってタツも無言でうなずく。
「それじゃあ、標的を殺るのは明日の晩。分かったら金を持って去りな、しくじるんじゃないよ」
裏稼業のメンバーは各々金を手にし家路を急ぐように夜の闇に消える。明日は殺しの結構、そのための仕込みがあるのだろう。
金をとろうとするベルにタツは鋭く問い詰める。
「本当にお前に殺しが出来んのかい?」
ベルの手が止まる。
「復讐の代行は何度もやって来た。」
「・・・」
やって来たというのは事実だろう。だがこの少女の瞳には迷いが見える、十代の少女に裏の稼業は酷すぎる。タツは目で少女に覚悟を問い詰める。
「法の裁きには限界がある、わたしは法で救われない人たちの無念を晴らしたい・・・それだけよ」
それはタツも同じであった。視線を振り払うようにベルは金をとり出ていく。覚悟と迷い、入り混じるような背中だ。しかしタツも人の事ばかり気にかけていられない、明日は筆頭シェリフを斬るのだ、この街一番の実力者相手に割りばし獲物に始末する。どうやれば殺せるか、そんな黒々とした考えの下にタツも家路へとつく。
翌日も町は活気にあふれていた。裏稼業の物にも昼の暮らしがある。破廉恥屋リリトは繁華街の娼館で働き洗濯や布団干しをする合間を縫って殺しの仕込みをする。薬剤を調合し小瓶へと注ぎ込む、これが破廉恥屋の仕事道具か。エルデ婆さんは街の広場で日向ぼっこ、これが老婆なりの殺しの仕込みか・・・。
この日タツとベルは別行動、昨日の事もある顔を合わるのも気まずいだろう、各々に地区を分けて日課の見回りをする。この日大事件を陰で糸引く悪人が殺されるとは街の人間には想像もつかないだろう、そんな陽気につつまれ町は平和な顔をしていた。
お天道様が沈み、人も殺しそうな月夜の晩。裏稼業の人間は闇夜を走る。
目的の下手人の一人、戦士グロディ・バーンは今日も今日とて繁華街で飲み歩いていた。程よく酒が回っているのか千鳥足で次の店へと向かっていた。彼の歩く先に銀貨が一枚落ちている。人さらいの報酬を手にした彼にははした金かもしれぬ。しかし・・・
「へへ、ラッキー♡」
酩酊した足取りで銀貨を拾おうとした、瞬間銀貨はするりと歩き出す。よくよく見れば銀貨には糸が結んである。
「なんだぁ、はした金のクセしやがって」
ムキになった彼は銀貨を負う、銀貨は細い路地の先へと転がり込む。戦士グロディもそれを追う。細い路地には真っ白なバスタブが一つ。そのバスタブの中からほっそりとした手が伸び彼を誘う。
「なんだぁ?」
覗き込んだバスタブの中にいたのは破廉恥屋リリト。
「ねえお兄さん遊んでいかない?」
破廉恥屋はなまめかしい手つきで自分の体を揉みながら彼を誘惑する。セクシーな衣装に身を包んだ男娼にグロディはメロメロだ
「へへ、俺と良いことしたいのかい子猫ちゃん・・・」
グロディは破廉恥屋の体に抱き着く。無骨で筋肉質な体としなやかな体が絡み合う。嫌らしく揉みしだく手はリリトの股間へと向かう。手が股間に触れた、あるはずの無いモノにの官職にグロディは驚く
「なんだぁ、お前男か?」
破廉恥屋から身を引き離そうとするが柔らかな腕がそれを離さない。
「そんな事気にしているの、お兄さんを最高に気持ちよくしてあげる・・・♡」
そう言い破廉恥屋は戦士に抱き着いて長い舌で男の耳を舐める。ヌルヌルの下が耳の奥を舐めまわす。
「おぅっ!?」
あまりの気持ちよさに、戦士は悶える。
「ね、気持ちいでしょう」
耳を舐めながらリリトは甘く囁く。戦士は体を震わせ悶絶している。隙を見てリリトは用意していたクスリの小瓶を口に含む。そして何事もなかったかのように男の耳をしゃぶる様に音を立ててなめる。耳の穴をしゃぶる舌は奥へ奥へ突き進む、先程の薬が効いてきたのか戦士の耳は徐々に溶けていく。
「おぉおぁああああ…」
男は快感とも悲鳴ともつかない声にならない嬌声を上げる。長い舌は耳を焼き溶かしながらさらに奥へ、耳の奥脳ミソへと到達。ベロベロと脳みそを蕩かすようにナメ啜る。
「おぉおぉあああ、のぉおおおおおお…」
男の断末魔の嬌声を最後に戦士グロディは息絶える。それを確認しリリトは不敵に微笑む、そして長い舌を引き抜きながらその先端でドロドロに溶けた脳みそを引っ張り出し・・・
・・・ゴクリ、極上の酒を飲んだような恍惚の表情で脳みそをその腹へと納める。
「ん…、ごちそうさまでした♡」
まずは一人・・・、次なる標的は・・・
顕官ダイカン・タイクーンはイルマリン教皇庁の教会にいて事務作業に追われていた。熱心に作業に没頭しているフッと灯りが消える。引き出しを開ける代わりの蝋燭を探すが交換用のものをちょうど切らしている。
「誰かいないのか!」
教会内の従者を呼ぶが誰も答えない。しかたなく明かりの交換のため倉庫へと向かう、廊下の明かりはすべて消え真っ暗だ。足元に気を付けながら倉庫へと向かう。歩く先には小さな人影が見える。
目を凝らしてよくよくみればそれはエルダー婆さんだ。徘徊で教会内へ迷い込んだのだろうか。
「どうしましたお婆さん、今日はもう協会はお休みです、御用があればまたお越しください」
優しい声で老婆が帰るように促す。しかし老婆はボケてしまっているのか反応しない、それどころか口から入れ歯を落としそれを拾うのにも手間取る始末。
見かねたダイカンは代わりに入れ歯を拾おうとする。入れ歯を拾いに歩くダイカンの歩き出し、老婆は持っていた杖をダイカンの足に引っ掛ける。
「おっとっと・・・」
バランスを崩したダイカンはそのまま入れ歯の方へと転び、その瞬間落ちた入れ歯がトラバサミのごとくダイカンの喉元めがけて食らいつく。悲鳴を上げる余裕も無いままダイカンは喉を食い破られ絶命する。
「フェッフェッフェッフェッフェ」
老婆の笑いが暗闇に木霊する。また一人始末・・・狙われた獲物はけして逃げられない。
そして下手人はまた一人。
丘の上の研究所ではハンス・エルレルト博士が引き続き亜人の解剖実験を行っていた。川原で発見された亜人の死体は30名、しかし行方不明者の数はその倍以上、残された亜人の死体はいまだ博士の研究所に合った。
博士は亜人の脳を切り開きその奥にある海場を取り出し電流を流す。亜人の死体が反射的に震える、魔道石由来の電流に魔族の血が呼応しているのだ。
「ひっひっひ、魔族の血がもたらす魔王の鼓動への共鳴、そのロジックの解明はあと一息!」
研究に熱が入る博士の言葉を物陰から冷ややかに見つめる影が一つ。組紐屋のベルはその人道無比な実験を組紐やベルはじっと見つめる。瞳には怒りの炎が渦巻いている。
警護団の制服を黒装束に替えて、愛用の刀は置いてきた。そのかわりに朱色の糸で編まれた紐を手に持っている。手首には銀色のブレスレットを装着している。魔力封印ブレスレット、この国の法律で所持を禁止されているご禁制のアイテムだ。鋭い目で獲物を捕らえたまま、朱色の紐を手にきつく巻き付ける。
赤い糸を機用に操り、その端を博士の足元へ延ばす。手に力を籠めると糸はシュルシュルと博士の足首に巻き付く。
「!?」
博士は声を上げる間もなく、あれよあれよと天井から逆さまに宙吊りになる。吊るされた博士の後ろからベルが忍び寄る。慌てふためく博士の首めがけて躊躇なく手に持った紐をまわし、ジリジリと首を締めあげる。
呼吸が出来ず博士は白目をむいて泡を吹く。死後硬直の痙攣で博士はビクビクと体を震わせる。だがベルは首を絞める手を緩めない。一切の迷いや容赦はない。
「・・・悔い改めなさい」
下手人へ向けベルは短く引導の言葉を継げる。博士の痙攣が止まり息絶えたのを確認しベルは手の力を緩める、と同時に博士を縛っていた紐はスルスルと解けて博士の死体はドサリと床に落ちる。
ベルは研究所の惨状を見回す、研究所の棚には瓶詰めされた亜人の脳や臓器が壁いっぱいに並べられていた。下手人は詫びる言葉もなく床に転がっている。悪党にはふさわしい末路だ。一抹の虚しさを覚えながらもベルは死んでいった犠牲者たちに静かに黙とうを捧げる。
タツは夜道を歩いていた。足音を立てて普段通りそのもの、警護団の外套を羽織り夜の見回りだ。大通り、繁華街、通りには街灯が灯り客引きが調子のいい言葉をならべ通行人を店へ引き込もうとする。
平和だな…、町の喧騒にタツは江戸も異世界も変わるものと異邦の地にどこか懐かしさを覚える。見回りを終え警護団詰所へ戻るとちょうど筆頭シェリフのゴヤが家路へと着こうとしている。
「これはこれは筆頭シェリフ殿。先刻の沙汰の解決お見事でございました」
調子よくタツは上司へ声をかける。
「捕り物のさいは陣頭に立ちご活躍だったとか、さすがでございますな」
「・・・」
家路を急ぐのか余計な雑談を煩わしく思いつつもゴヤは部下を労う。
「警護団の仕事には慣れたか」
「ええ、ベル殿にも良く指導していただいております。」
「手柄を上げれば教皇庁より褒美も出るし、出世の道も拓く。せいぜい励むことだ」
そういってゴヤは話を切り上げる。
「はい、ありがたきお言葉!」
タツは調子よく上司へ頭を下げる。それ以上下っ端に割く事もないだろう、筆頭シェリフは部下を一瞥し再び家路を急ぐ。タツは上司へ道をゆずり、筆頭シェリフはその横を通り過ぎる。
「(・・・殺すか。)」
一瞬の隙を着きタツは懐に忍ばせた獲物に手をかける。
その瞬間、ゴヤは振り向きざまに必殺の一撃をタツへ浴びせる。殺気に気づいたのだ、腐ってもこの街一番と言われる実力者、警護団の筆頭シェリフの肩書は伊達ではない。タツも一歩後ずさり剣戟をかわす。
再びの静寂、目の前の相手を殺す・・・二人は一瞬の隙を探り合いながらじっと対峙する。剣を構えたゴヤは攻めあぐねていた、懐へ手を忍ばせたまま動かないタツがいかに攻撃してくるか読めないからだ。腰に下げた剣でなく懐に手を?いかなる武具を隠し持っているのか?
だがしかし、魔力を持った相手を殺すにはより強い魔力と剣技で挑むしかないのはこの世界の道理。目の前のタツからは一切の魔力も感じられぬ。
「セイクリッド仕る!」
筆頭シェリフはタツめがけて必殺の剣を振り下ろす。その技は刀身に炎を纏わせ一刀に伏すバーニングブレイド。そこに剣技の腕合わさり必中必殺の技である。覚悟を決めたのか、回避不可能の一撃を前にタツの心中は冷静であった。
その時が来たか・・・
タツは思い出していた。この世界へ来る前別れ際に女神オフィーリアが伝えた言葉。
「時が来ればその手にした武器がお前に力を授けてくれる。」
時とはいつか?女神はそれを教えてくれない、ただそれだけを告げタツを異世界へと送り出す。光に包まれながら女神オフィーリアは最後に思いを紡ぐ
「・・・不条理に涙する者たちを助けてやってくれ」
その時が来たか!タツは目を見開き懐から獲物を取り出す。
やはりそれは割りばしであった。掴んだ割りばしを口にくわえ、勢いよく二つに割る。
パキッッツ!!!!!!!!
割りばしが割れた瞬間、凄まじい音とともに衝撃波が飛ぶ。衝撃波は燃える剣の火を消しさり、その圧力でゴヤの剣技を跳ね返す。
なんというチート、女神オフィーリアが授けたのは全ての魔力を打ち払う最強の武器。だがしかしそんなチート長くはもたない、ゆえに勝負は一瞬。
必殺の剣技を打ち破られゴヤは目を疑う、衝撃で鼓膜が破れたのか両耳と目じりから勢いよく血が流れ出している。だがさすが筆頭シェリフ、深手を負いつつも再び必殺の一撃をタツへ向けて放つ。
「セエェェェイクリィィィィド!!!!!!!」
だがその一撃がタツに届くことは無かった。ゴヤの胸にはタツの握った割りばしが深々と突き刺さっている。割りばしは上級防御魔法の付与された警護団の制服を突き破り正確にゴヤの心臓を貫いている。まさか自分が割りばしなどで死ぬなど・・・、予想だにしない一撃に動揺し理解できぬままゴヤは白目を剥き息絶える。
強敵を無事始末したタツの表情に歓喜の色も興奮の色もない。ただ依頼された復讐を代行したまでである。
「・・・ホットドッグのひとつにもな、・・・手間暇かけて作るヤツがいるんだよ」
静かに勝鬨をあげて、息絶えた死体から割りばしを引き抜く。血に染まった割りばしと無残に横たわる悪徒の死体…それがすべてである。
数刻の後、悲鳴と共に通行人が筆頭シェリフ・ゴヤの死体を発見。街の重鎮の死亡にたくさんの野次馬が押し寄せ街はにわかに活気立つ。悪徒には些か賑やかすぎる手向けであった。
翌日、亜人の死体が発見された川原にタツとベルの姿があった。仕事をさぼって長閑に草むらに横になり日向ぼっこ。川原の砂利に着いた血の跡はキレイに片付いている。警護団は筆頭シェリフの死にざわめき立っている。あの最強の剣士を誰が殺したのか?下手人の捜索に血眼になっているが、悪徒の死などに二人は欠片ほどの興味もない。
「あの筆頭シェリフを始末するなんてね」
真昼間から裏稼業の話なんてするな。そう思いつつもタツは話に付き合う。
「金をもらって依頼をこなしたまでさ」
タツはぶっきらぼうに答える。
「無能のクセにちゃんと腕はたつようで安心したわ、これからもよろしくね”何でも屋”」
これからもよろしくか・・・、こんな復讐なんてこれからもクソも無い方が良いに決まっている。だが人の世から不条理が消える事なんてけしてない。そのことはタツも良く分かっている。だが今はこの一時の平和をかみしめよう。空には雲がゆっくりと流れ今日もドラゴンがはるか上空を悠々と飛んでいる。
街では依頼主の獣人の少女が新たな生活を送っていた、新たな奉公先は娼館だ。借金の方に売られ娼館の主から掃除や水汲みなど雑務を押し付けられていた。年端も行かぬ少女に娼館の仕事がどんなに過酷か、つらい現実を前にしても少女フェリンは健気に働き汗を流す。
「あんたの依頼、しっかりと果たしたよ…」
水汲みをする少女にどこからか声がささやく。依頼をした廃教会で聞いた声だ。声はそれだけを告げ再び聞こえる事は無かった。依頼の達成・・・その事実を受け止めてフェリンは亡き父を思いだす。
「・・・ありがとうございます」
少女の礼の言葉を物陰から聞くのはおせんだ。じっと動かず依頼主の礼の言葉をただ噛みしめる。
新たな奉公先で働くフェリンの姿をタツも眺めていた。これからの事を考えればけして幸せとはいかない人生。父の無念が晴れたと言ってもそれで彼女が幸せになるわけではない。ただ、健気に生きるその姿があるのがタツにとって唯一の救いであった。
「あの子はウチで預かる事になったよ」
どこからか現れた破廉恥屋リリトがタツに話しかける。
「破廉恥屋・・・」
「もう、僕の事はリリトって呼んで♡タツさんがお客出来たらサービスしてあげるよ♪」
からかうリリトを意に介さずタツはただ少女を遠くから眺めるのみである。
「心配なら声でもかけて来ればいいのに…」
声をかけたところで彼女が幸福になるわけではなく、自分にできる事と言ったら影から彼女の幸福を祈るのみだ。
「命さえあればその内良いこともあるさ…」
まるで自分に言い聞かせるようにそう言うとタツは再び見回りへと戻っていく。
「気が向いたらいつでも遊びに来てね♡」
そんなタツの背中にむけてリリトはおちょくる様に言うのだった。
今回の殺しの報酬である金貨数枚と1枚の銀貨。掌に載せた金を見ながらタツは飲食店街を歩く。久々の大仕事のあと、何を食って腹を満たそうか。そう考えながらブラブラ歩くうち、気がつけば街はずれの朽ちた教会へと来ていた。
ここはオフェリア教会、さっきまで街にいたはずなのに…。教会内を見渡すとオフィーリアの石像の台座に本物の女神オフィーリアが腰かけていた。まるで間違い探しだ、見比べれば石像にウサギの耳はなく本物の方はウサギ耳がついている。
「イエイ☆女神登場!」
「・・・」
「もうノリ悪いなー、スマイルスマイル♪ラブ&ピースだよ~~」
パリピみたいなノリの女神である。
「頼まれた依頼はちゃんと果たしたぜ」
「OKOK~全部見てたよ~、ご苦労ご苦労~」
「だけどよ割りばしで殺しなんて、さすがに無茶が過ぎるぜ」
「あーそれはオーバーエクセスというヤツで~」
バツが悪いのか女神は答えを濁す。
「依頼はキッチリ果たしたぜ、あの獣人の少女の依頼も・・・あんたからの依頼もな。」
「本当にありがとう、私の子らを救ってくれて」
頭に着けたウサギの耳飾りを外し、女神オフィーリアは真面目な面持ちで礼を言う。
「私の子?」
「ああそうだ、亜人はもともと私の血を分けた私の子孫たちだ。今回の一件、私の子らの無念を晴らしてくれてありがとう、心から礼を言う」
「急に何をいう?亜人があんたの子孫?どういうことだ?」
「・・・血がだいぶ薄くなってしまったがな、遠い遠い子孫とはいえ我が子らが涙を流すのを見ているのは胸が張り裂けそうな思いだった」
タツの質問に答えず女神は一方的に礼を述べる。
「お主には本当に感謝している、本当に本当にありがとう」
気がつけば周囲は白く光り、タツの体は光に包まれ輝いている。
「おい!なんだこれは、おい!」
「私の都合でこの世界へと呼び出してしまってすまない。依頼を果たしてくれた例だ、再びもとの世界へお前を帰そう」
タツを包む光はより強く輝きを増し周囲は白へと染まっていく。
「そうそう最後にひとつ、次に飯を食べるときは唐辛子をかけ過ぎるな」
何を言っているんだこの女?そうツッコミを入れる間もなくタツは光の中へ消える。
気がつけばタツは蕎麦屋の屋台にいた。目の前には蕎麦が湯気を立て美味そうな香りを漂わせている。タツの右手には割られた割りばしが握られている。元の世界、大江戸へと戻って来たのだ。
「早く食わないと麺伸びちまいますよ」
蕎麦を前にして目をパチクリとさせているタツに店主が言う。
「・・・そうだよな、早く食わねえと蕎麦が伸びちまう。じゃあねさっそく蕎麦を・・・」
言いかけたところでタツは手を止める。卓上に並ぶ七味唐辛子に目がいく。
「・・・へへっまさかな」
一瞬戸惑いつつも、七味唐辛子の入った瓶を手に取り七味をパラパラと蕎麦に振りかける。
「パッパッパっと・・・ようやく元の世界へ帰ってきましたからねー」
タツは嬉しそうに七味を一振り二振り、蕎麦のつゆに七味の花が浮かび実に美味そうだ。
「へへっ何もねえじゃねえか」
パッパッパっ、三振り四振りとしているところ、瓶の内蓋が外れ大量の七味が蕎麦へ振りかかる。
「あ゛あ゛!?」
タツは大きく口をあけて狼狽する。静かな大江戸の夜にタツの悲鳴がこだまする。
タツがふたたび異世界へ召喚されるのはこの3日後の事であった。
「割りばしの勇者 異世界へ!」 【完】
武芸百般、右文左武、武士は食わねど高楊枝…意地で腹は膨れませぬ
腕に覚えのこの稼業、汚れ仕事ではございますが、晴らせぬ恨み晴らしてみせます。