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闇色令嬢と白狼  作者: 群乃青
第一章 婚約破棄と追放、そして再会
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求めることは、悪


 彼の熱をじわりと額に感じた。


「ルー」


 唇を落とされたのは分かる。

 しかし、とても目を開けていられなかった。

 そんなエステルの瞼に吐息が落ちる。

 思わず睫毛が震えた。


「……怖いだろうな。すまない」


 謝りの言葉を紡いでいるのにどこか甘い声。

 背筋から耳の後ろにかけて感じたことのない痺れが走る。


 どうしたことか。


「違います。そうではなくて」


 目を閉じたまま、エステルは答える。


「……わからないのです。どうしたらいいのか」


 婚約者はいたけれど。

 形ばかりの関係だった。


 手をつないで歩いても、ダンスのために腰を抱かれ身体を密着させても。

 なにも感じなかった。

 いつも冷え切っていて、早く終われとジュリアンが願っているのは明白だった。

 王太后の命で決まった婚約。

 公爵令嬢でありながら、蛮族の血を引く女。

 そんなエステルに優しく触れようとする他者はいなかった。

 だから。


「私は、どうすればよいのでしょう……」


 頬に熱を感じたまま、消え入りそうになりながら、勇気を振り絞る。


 肌に感じる熱。

 深くて優しい声。

 目を閉じていても、あの夜空の月と昼間の空のような誠実な瞳を思い描けるから。


「一切の欲を。禁じられていました。だから……」


「欲? 何を課せられていた」


 ひやりとした冷気が突然降りてきて、甘やかな熱が飛散した。

 エステルが目を開くと、少しばつの悪そうな表情のウーゴの顔が驚くほど近くにある。


「―――――っ」


「……ああ、すまない」


 詫びながら両腕を広げ、エステルを抱きしめた。

 大きな手で背中をゆっくりと、まるで幼子をあやすように優しく叩きながら囁く。


「王太后に教え込まれたのは何なのか、聞かせてくれないか。もう、従う必要はなくなったのだから、話したところで誰も害されることはない」


 固い胸板に頬を寄せていると、彼の身体の中から声が響いて聞こえてきた。


「ふふ……」


 そういえば、王宮に閉じ込められる前は眠れない夜に父がこうして抱いて歌を歌ってくれた。

 あんなに美しく公爵として完璧に振舞う人なのに、なぜか歌だけは不得手で、奇妙な旋律を耳と身体で感じていたことを思いだす。


「王族は情を持ってはならないと。求めることは悪であると」


「それは、愛情ということか」


「……はい。恋だの愛だのは、下級の者の幻想で野蛮なことだと」


 ジュリアンに仕えよと命じられた。


 決して慕うな。

 少しでも欲を抱けば、その時は逆らったとみなす。


 婚約してすぐのころはようやく八歳になったばかりで、感情と表情を抑えることが難しく、うっかりジュリアンに笑いかけてしまったことがある。

 エステルにとっては大人しかいない宮殿で唯一、年の近い存在は婚約者であるジュリアンだけだった。たとえ冷たい態度をとられていても親近感を抱いた。そんな幼い友情を、監視の者には媚びを売ったととられ、直後に別室へ連れていかれ、躾の教師から鞭で長い時間立たされ足を打たれ続けた。

 翌日は傷による熱を出したにもかかわらず、茶会へ出席を強いられ、夜に解放されるなり高熱で数日間動けなくなった。


 挨拶や儀礼以外で異性と触れあうなど、高貴な者は決してしないことだ。

 獣のグルーミングのような真似は、下民たちが好む野合と同じ。

 先王の血を引く者が獣よりも下だと言われるような行いをし、恥をかかせるな。


 最初は教師たちの躾を甘んじて受けていた。

 しかし、しっかりと目を開き、周囲を見回せばいやおうなしに気付く。


 なんて稚拙な嘘なのだろう。

 王宮の中こそ、愛欲にまみれているではないか。

 

 正当な王族であるはずのジュリアンは早くから幾人もの女性と触れ合っていた。

 最初から、エステルだけは許さないと言ってくれれば鞭で打たれずに済んだというのに。

 


「そうか。あの女はそれほどまでに」


 低い、低い声で呟いたあと暗い気持ちを拭い去るかのように、エステルのつむじに口づけを何度も落とした。


「ふふ……」


 なぜか、笑いがこぼれてしまう。


 とうとう、ウーゴは隣国の王太后を『あの女』呼ばわりしてしまった。

 呼ばせてしまった。

 畏れ多い気持ちはまだ奥底に残っているが、晴れ晴れとした愉快さが上回る。


 そんなエステルの頭へウーゴは軽い音を立てながら何度も何度も口づけを落とす。


「あの女の妄念に付き合うのは、もうおしまいだ。君は自由だよ、ルキア」


 そう告げて、彼は額をエステルのそれにこつんとつけた。




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