Somewhere not here
いつも、どこかに帰りたかった。ここではない、どこかに。
あなたは帰る場所のない人で、そんな寂しいところが私と似ていると思っていた。
一人暮らしの部屋で風邪をこじらせ寝込んでいるというのに、あなたは恋人の私にも連絡ひとつ寄越さなかった。
連絡が途絶えて心配になった私が訪ねれば、病院にも行かず市販薬も飲まず、真っ赤な顔で布団に包まっているあなたがいるものだから、私は信用されていないのではないかと少し腹立たしい気持ちになった。
「少しは私を頼ってよ」
熱に魘された病人に苦言を呈しても、言葉は虚しく零れ落ちるだけで、私は諦めドラッグストアで必要そうなものを買い揃えた。
氷嚢を額に乗せると、苦しげに寄せられた眉根が微かに緩まった。制汗シートで首元を拭えば、あなたの瞼が震え、薄茶色をした双眸が私を見た。
「目が覚めた?」
ぼんやりとした視線を彷徨ませ、あなたの熱っぽい手が私の指先を掴んだ。
「……冷たい」
「氷を、触っていたから」
あなたの睫毛が数回瞬いて、またすっと瞳を隠した。
それから私は夢うつつを行き来するあなたに薬を飲ませ、経口補水液を含ませ、熱い喉にゼリー飲料を流し込んだ。
私には誰かに看病された記憶なんてないから、これが本当に正しいのか分からなかった。きっと、あなたにも分からなかったのだろう。だからきっと、私たちはこれでよかったのだ。
あなたは時折うわごとを囁いた。
「ごめんなさい」
「置いていかないで」
「いい子にしてるから」
あなたの中の幼いあなたが喋る度、私の胸は締め付けられ、私の全てをあなたに捧げてしまいたくなるのだった。
私の看病ごっこが功を奏したのか、あなたの体調は回復して、代わりに私が風邪を引いた。あなたからもらったのだ。
ベッドで寝込んでいる私に、優しく触れる手があった。愛おしげに呼び掛ける声があった。
だけどそんな気がしただけで、目覚めてみれば私の家には誰もいなくて、冷蔵庫の中に冷えた果物ゼリーがいくつか転がり、私の額には不格好に皺の寄った冷却シートが貼られているだけだった。
「本当に、不器用なひと」
まだ熱の残る頬を涙が伝った。
あなたの帰る場所になりたかった。だけどあなたの連絡先はもう繋がらなくなっていて、私の手にはあなたが差し出した稚い優しさの残滓しかのこらなかった。
ついに私はあなたの帰る場所になれなかったのに、あなたがいる場所に帰って行きたい気持ちだけが強く私の中で暴れている。
私でさえこんなに寂しいのに、もっと大きな孤独を抱えたあなたは、どんな世界を生きているのかな。