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おっさんの徒然エッセイ

僕が思うこと ~寛容さについて~

ただの呟きです。

なろうエッセイには自分を含めて寛容さを求める主張が多いな~と思いながら、寛容さって、なんだろうって呟きです。



 昔から思ってることがあって、自由意思を奪われて、余程、抑圧された生活をしているので無ければ、人間は結局のところ、自分のためにしか生きていないってことです。

 別にそれが悪いと言うことでは無くて、利他的だ、他者目線だ、博愛主義だと言ってみても、その思考は常に個人の脳内から出ることは無いし、インプットだアウトプットだと言って見ても、言葉に変換している思考はどこまでも個人のものなんですよね。

 で、良く寛容になるには利他的になるべきだ、他者を思いやることで寛容になれると言いますけど、これ間違いだと思うんですよ。


 寛容さって、余裕なんですよね、器と言い換えてもいいと思いますが、受け入れることが出来るだけのスペースがあるから、寛容になれるんですよ。

 寛容になるために必要なのって、利他的になることでは無くて、◯◯のためにとか考えても、結局は自分のためでしか無いんだって、理解してるかどうかだと思うんですよ。


 誰かのために何かのために頑張っていても、それが自分のためなんだって理解してないと、行き詰まる時があると思うんですよ。こんなに頑張ってるのに、こんなに誰かのために活動してるのに、評価されない、理解されない、そんな風に追い詰められると余裕を無くして攻撃的になり、また評価されない自分を必要以上に貶めて考えて、自己にも他者にも厳しくなっていく。

 自己中がいいと言ってるんじゃ無いんですが、自己中でも寛容な人はいる。そういう人は誰もが自分を優先することに折り合いをつける余裕があるんですよ。

 他者を慮れ、利他的であれと言いながら、自己中な人は間違っていると否定するのは自己矛盾なんですよね。皆、究極的には自己中なんですね、ただ、自己愛か自他愛かの違いがそこに産まれるだけで。

 

 寛容さを身につけるために必要なのは、みんな違うことを理解した上で、自分のテリトリーに入って来ない者にたいしては無視出来るだけの余裕と、テリトリーに入って来て、傍若無人に振る舞う者を諭して、時には追い払えるだけの力を持たせることなんですよ。

 思い遣りを持てと言うだけでは、優しいだけの人は潰れてしまうし、攻撃性の強い人は正義感がねじ曲がるかもしれない。


 知識と丁寧さと自信が寛容に必要なもので、浅慮と傲慢と余裕のなさが不寛容に繋がる。

 僕はそんなことを思ったりしてます。




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― 新着の感想 ―
[一言] 寛容な人「寛容じゃなくていいよ」 非寛容な人「寛容じゃないとダメ」
[良い点] 興味深く読ませて頂きました。 [一言] 寛容さって、相手への思いやりではないかと思います。 作者様の様に、その人にはその人なりの理由があると思えば相手の事を許せる気になります。 思いやりの…
[一言] 寛容というとき、思い浮かぶ人がいます。それは、バイト先の店長です。「よくそんな事誰にも言わないで我慢してましたね」というような事が、沢山あったのです。しかしスタッフに対し、怒るところを見た事…
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