第7話 学年二大美少女のもう一人(下)
横断歩道を渡り終えた俺は、そこに立ち止まっていた前川に声をかけた。
「よう」
「……あら、ご機嫌よう留年くん」
「俺はまだ……諦めてねぇ……!」
彼女はいつも通りのことを言いながら、歩道の端に寄る。俺もそれに倣った。
俺達の間には二人きりなのに少しだけ距離があって、それが多分、この二年分。
道行く人を眺めながら、俺の口からは当たり障りのない話題が出て来た。
「今日は部活無かったのか?」
「今日はミーティングだけだったから、早く終わったの」
俺はそうか、と呟いた。
それきり俺達の間には沈黙が漂う。
俺はまた適当な話題を探そうとしたが、傍らの幼馴染は一歩踏み込んできた。
「……今日、未来に事故の話を聞いたのだけれど」
そう言って、こちらをぐっと覗き込む。
彼女の昔から変わらない綺麗な顔が近くに来て、俺はたまらず顔を背けた。
「あ、そう。水瀬は俺のこと何て言ってた?」
そうしながら、少し気になって聞いてみるも彼女は俺の問いには答えなった。
「そんなことは今はいいの。貴方、未来を助ける為にトラックの前に飛び出したんですってね。……それで、貴方が巻き込まれることは、考えなかったの?」
彼女の声は何故か震えている気がした。だけど、そんなことか。俺は自嘲気味に笑った。
「考えたさ。でも最低でも水瀬を突き飛ばすくらいのことは出来ると思ったから。それで水瀬が助かるんなら上等だろ」
俺がそう言うと、彼女は突然俺の方をキッと睨んだ。
「ふざけないで。どうして、そんな簡単に自分を捨てるようなことを言うの?」
前川の言葉に、俺は首を傾げた。
「……どうしても何も、水瀬の方が生きている価値がある人間だろ。どう考えても」
あいつ可愛いし、性格もいいしな。俺みたいなクズと比べるまでもない。
「だからっ、なんで……!!」
彼女はその先の言葉を飲み込んで、突然俺に飛びついた。
ドン、という衝撃。
いくら彼女のスタイルが良いと言っても、人ひとり分の重さのものが飛び込んできたのだ。
当然俺はよろめいたが、それでもなんとか彼女を受け止めることが出来た。彼女はそのまま俺の背中に手を回した。
「……あのね、一度しか言わないわよ。……貴方を大切に思っている人も、いるの。貴方の家族と、それにどこかの幼馴染とかね」
彼女は顔を俺のパーカーの胸元に押し付けているのでその表情は見えないが、声からして、多分泣いていた。
「だから、二度とそんなこと言わないで。もっと、自分を大事にして」
彼女の少し震えた声音で紡がれた言葉に、ようやく俺は自分の行動の意味に気づけた。
俺は最近の単調で退屈な生活に、少し自暴自棄になっていたのかもしれない。
俺も恐る恐る彼女の方に両手を回し、
「……俺が悪かった。ありがとう、飛鳥」
呟いた俺の言葉に、胸元の彼女はやはり顔を上げずに涙声のまま答えた。
「……名前」
「悪い、嫌なら戻す」
「……そうじゃない、戻さなくていい。だけど」
彼女はそこで一度言葉を切って、
「また貴方からそう呼ばれるとは思わなくて」
そう言った。
……俺達はかつて、当たり前に名前で呼び合っていた。中学に入って俺が勝手に距離を置いて、飛鳥もそれを受け入れた。
けれど、俺は向き合わなくちゃならないんだ。ここまで心配してくれる彼女には、俺も最大限の誠意でもって。
「俺は、怖かったんだ」
無意識の内に、彼女の方に回した腕に力が籠る。
「お前にも嫌われてるんじゃないかって。ずっと一緒にいてくれたから、そんなはずないことくらい分かってもいいはずなのに。結局、ちゃんと話せるようになるまでに2年近くかかった」
いつもは下らない軽口しか叩けないこの口も、今だけは素直な心中を語らせてくれた。
「だから、今までごめん。あとよかったら、これからよろしく」
俺の言葉に彼女は顔を上げて困ったように微笑んだ。その眼は泣いたせいか赤くなっていて。
「私は、貴方に謝るような非があるとは思ってない。むしろ、私がもっと……」
言い掛けて、飛鳥は唇を噛んだ。
「こんな話をしても意味がないわね。やめましょう。でも一つだけ覚えておいて。私は貴方のことを、嫌いになってなんかいない」
「……ああ、覚えとく」
「じゃあ、これからよろしくね」
飛鳥がそう言って身体を離したタイミングで、丁度目の前の横断歩道がまた青になった。
これで、俺達はもう1度歩き出せる。
暫くして、飛鳥の様子が落ち着いた後。
それで、と飛鳥が改めて俺に問うてきた。
「貴方こそここで何してたの? 体調が悪いなら家で寝ているべきよ」
「いや、飯でも行こうと思って」
「……ふーん」
ちょっと待って、と彼女は手早くスマホを操作し、それが済むと顔を上げた。
「じゃあ行くわよ」
「え、どこに?」
「貴方の家。喜びなさい、料理を振る舞ってあげるわ。あ、その前にスーパーに寄るわね。どうせ食材なんてないのでしょうし」
「……」
俺が驚いて何も言えないでいると、彼女は俺を上目遣いで見つめ、手に持っていたスマホをきゅっと胸に抱いた。
「……こういった方がいいのかしら。……貴方のことが心配だから看病しに行っていい?」
「……あー、頼むわ」
2年ぶりに腹を割って話をした俺たちは、未だお互いの距離感をうまく掴めずにいた。