第7話 学年二大美少女のもう一人(上)
俺の住むアパートからしばらく歩くと、駅前に向かう大通りに出る。
この辺は人が多い。
道に溢れる騒音が頭に響き、やはり来るんじゃなかったかと後悔しながらも、ぼんやりと横断歩道の前で信号を待っていた。
――すると、向かいの歩道に見知った姿があった。
彼女の整った容姿と落ち着いた佇まいは、人混みの中でも視線を引く。
そんな彼女から俺は咄嗟に顔を背けた。
しかし向こうもこちらに気づいてしまったようだ。
綺麗な顔に僅かな驚きの表情が浮かび、長い髪がふわりと揺れる。
その時目の前の信号が青く点灯し、止まっていた人波が移動し始めた。
……俺もやむを得ず、前に向かって足を踏み出す。
彼女に近づくにつれて、鼓動が段々早くなるのを自覚した。
もちろんこれは恋でもなんでもなく、ただ緊張しているだけだ。
だって俺にとっての彼女はそういう対象じゃない。
目の前の彼女の名前は前川飛鳥。
いつも冷静で大人びていて、でも少し冷めた感じのある美少女。
もう一人の学年二大美少女であり――俺の幼馴染だった。
別にたいした話じゃない。
むしろ、どこにでもあるような話だった。
親同士の仲が良かったので、俺と前川飛鳥が会ったのは多分小学校に上がる前だったと思う。
初めて会った彼女は今よりもずっと大人しい、人見知りする性格だった。
……今の彼女を見ても、そんなことを思う奴はいないだろうが。
ともかく、そんな彼女だったけど俺が当時は今よりも積極的な性格をしていたもあって、俺達は段々と仲良くなっていった。
家が近かったので、小学校も中学校も一緒だった。
俺と遊ぶうちに少しずつ友達の増えた彼女は、中学に上がる頃にはすっかり落ち着いた性格になっていた。俺がだいぶ無鉄砲な性格だったからかもしれないが。
ところで、俺は中学校では割とうまくやっていたと思う。
割と運動が得意だったこともあったし、彼女含め小学校からの知り合いが多かったことも大きい。
だけどそんなある日、俺はクラスの様子がどこかおかしいことに気づいた。
同じクラスになっていた、いつのまにか自分よりしっかりし始めた幼馴染に聞いてみると、彼女は少し言い辛そうにしながらも教えてくれた。
どうやらクラス内にいじめとまではいかないが、嫌がらせを受けている奴がいるらしい。
それを聞いた俺は憤った。
許せない、俺が何とかしてやるってな。
……見上げた正義感だろ?
それから俺はその安っぽい正義感を振りかざして、嫌がらせをやめさせようとした。
まぁ、それ自体は悪いことだったとは思わない。後悔はしていない。
実際、それでその嫌がらせは止まった。
だけど。
俺がある日いつも通り学校に行くと、なんとなく嫌な視線を感じた。
気のせいかと思って授業を受けていると、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
ことあるたびに、俺の名前が引き合いに出されてからかわれる。
何か集まりがあるときに、俺だけ故意に連絡が回されなかったり。
そう、今度は俺が嫌がらせを受けるようになったのだ。
いじめと言い切れるほどの悪質な嫌がらせではなかったかもしれない。
ひとつひとつで見ればたいしたものではなかったのかもしれない。
だからこそ、勇気を出して反論しても「ネタだろ」の一言で済まされてしまう。
そんな空気がいつの間にか出来ていた。
俺はこれまで経験したことのない状況にすっかり打ちひしがれていた。
家族に相談しようとは思わなかった。それで何が変わるというものでもないと思った。
友達に相談なんてもってのほかだった。その空気って奴は本当に恐ろしいんだ。例え小学校からの知り合いであっても、その空気があるだけで簡単に俺に悪意を向ける。
だけど、前川飛鳥だけはそんなことはしなかった。
彼女はどんなときも昔と変わらずに俺に接してくれた。
けれど、そんな彼女であっても空気を変えることまでは出来なかった。
いや、俺がさせなかったというのが正しいか。
彼女の前ではかっこつけていたかった。
彼女にだけは助けられたくなかった。
例え助けてくれた後でも、彼女は俺に対する態度を変えないだろうと思っていた。それくらいには信頼していた。
だから、それはただの俺の意地だった。自分は彼女と対等だと思いたかった。そんな浅はかな考えだったが、それだけが俺の心の支えだった。
俺は平気な顔を浮かべ毎日学校に通い続けた。
そうして、中学は終わろうとしていた。ストレスのはけ口にしていた部活も三年の六月で引退した。ほとんど誰とも話さず、ただ学校と家を往復する日々。
そんな中で、俺は一つ決めていることがあった。
――高校は、誰も知ってる奴のいない所に行こう。
やり直したかった。静かに過ごしたかった。
調べると、隣の県に偏差値が高めでちょうど良さそうな高校を見つけた。家族には勉強がしたいと言って了承を貰った。その後猛勉強して、なんとか合格することが出来た。
少し背伸びすれば届きそうだったっていうのもあるが、俺がその高校を選んだ決め手は地理的な問題だった。
流石に県を跨げば、知り合いは1人も居ないはずだ。
そう考えて俺はこの学校を選んだのだ。
だと言うのに。
「……あら、同じ高校だったのね」
――いざ入ってみればどういう訳か、そこには前川飛鳥がいた。
俺は戸惑った。なんでこいつがいるんだと思った。
けれど直接聞く勇気も持てず、進学の為に来たんだろうと結局自分で納得した。
俺はやり直そうと思っていたくせに、高校で特に何かをやる気にはならなかった。
一歩が出なかった。
自分が思っていた以上に、俺の中で中学での体験が効いていたみたいだ。
そして部活も勉強もやる気が出ず、だらだらとゲームなんかで時間を潰す日が続いた。
1年が経った。入学式で言葉を交わして以来、彼女が話しかけてくることはなかった。
同じクラスでは無かったし、中学の後半はほとんど話すことはなくなっていたから、それほど不自然には感じなかった。
その1年で俺は大分気持ちも落ち着いていた。
荒んでいた心もゲームやアニメの面白さに気付き、のめり込むうちに次第に癒された。
2年生になると、俺は前川飛鳥と同じクラスになった。
彼女はたまに話しかけてくる。
幼馴染は、未だに俺のことを気にかけてくれているみたいだった。
俺も彼女と話をするべきなんだと思っていた。何か、きっかけさえあればそれが出来ると思っていた。
そして。
俺はある日の放課後、何か悩んでいる女の子が、横断歩道を渡ろうとしているのを見つける――。