第59話 水瀬未来という女の子
同居を止めよう。
家に戻ってきた俺が、ここまで走ってきた為に切れた息を整えながら言うと、飛鳥は一瞬黙った後、そう、と頷いた。
彼女が今何を考えているのか、俺には分からなかった。
別に何も思っていないようにも見えた。
――それが、寂しいと思うのは俺だけか。
俺はもう随分前から、朝飛鳥に起こされることはなくなっていたし、彼女がいなくたって、毎日学校に来ることは出来る。
出来なくちゃいけなかった。本当は、最初から一人で。
そもそもの話、この関係が異常だったのだ。
いくら幼馴染だからと言って、同居してもらってまで面倒を見て貰わなければならない奴がどこにいるだろう。
そんなことを俺が告げるも、無反応気味の飛鳥。
思えば、旅行の帰りの時もこんな感じだった。
このままじゃ上手く話ができないと思い、話題を一度変えることにする。
「そうだ。花火、綺麗だった」
彼女は黙っている。しかし、僅かにその表情が強張った気がした。
「…………」
沈黙する飛鳥を見ながら、言葉を続けた。
「お前の都合が合ったら、今度は三人で行こうぜ」
未来との約束を思い出して俺がそう言った、直後。
「――勝手にすればいいじゃないッ!」
突如として放たれた、いつも冷ややかな彼女からは想像もできないような、感情を露わにした激しい語気の言葉。
飛鳥自身も驚いたようにはっとした後、すぐにその顔を俯かせた。
そしてぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。
「…………未来のことが、好き、なんでしょ。分かってる。あの子は、良い子だもの。私より可愛らしくて、女の子らしいし、私より優しいし、本当に……私も大好きだもの」
俺が何かを言うより先に、飛鳥は顔を上げた。その顔には笑みが浮かんでいた。今にも壊れそうな、微笑だった。
「笑っちゃうわよね。貴方があの子のことを好きになるかもしれないことなんて分かっていたのに、私はあの子の恋人役に貴方を選んだ。自分への罰のつもりだった。中学の時、貴方を助けられなかった私に、今更貴方とどうにかなろうとする資格なんてないと思ったから」
何かを諦めたような笑みを浮かべた彼女は、語り続ける。
「幼馴染だから、遠慮していたんでしょ。いいの、3人で花火だなんて、私に気を遣わずに次も二人で行けば良いのよ。同居を止めるだなんて言い出した時点で分かっていたもの。あ、でもなんだったら、未来と一緒に住むっていうのはどうなの? 彼女器用だし、すぐ料理もなんでも、私より上手くなると思うわよ。ああ、そうだ、それなら私の家具を少し残していっても良いわね」
名案を思いついた、とでもばかりにぽん、と手を打って。
「そうと決まったら準備しなくちゃね、私の荷物はそこそこあるから荷造りには少しかかるかも。でも二人の邪魔をするつもりはないわ、ふふっ、そこは心配しなくていいのよ。…………それじゃ、早速部屋の整理でもして来るわね」
一方的に告げた彼女はくるりと後ろを向いて、居間から離れようと歩き出す。
俺は、動けない。
幼馴染だから、一緒に住んでいるからこそ、プライバシーには気を遣ってきた。
後で話せばいい、今日はもう遅いし。
彼女の後ろ姿を見つめながら、そんな考えが頭をよぎった。
飛鳥が自室の扉に手を掛ける。
これでいい。今は。
<俺と面倒臭い彼女と必然の決別>
――その、二時間前。
全てが始まった公園で、俺と未来はベンチに並んで座っていた。
彼女の発言が、いわゆる告白と呼ばれる類いのものであると認識するのには暫くの時間を要した。
「……冗談、とかじゃないんだよな?」
「あはは、ひどいなぁ。こんなこと冗談で言うわけないじゃん」
「そう、だよな」
彼女が、もし人を好きになるとしたら、そこには劇的なドラマがあるのだろうと勝手に信じていたし、好かれる奴には特別な何かがあるんだろうと訳もなく思いこんでいた。
でも、違った。
彼女は学年二大美少女と呼ばれるほどの容姿と、人柄を持った女の子ではあるが、それ以前に、どこにでもいる一人の女の子だった。そんな当たり前のことに気づいた瞬間、目の前の光景の認識が変わる。
体温すら感じそうな程近くに座っている彼女の、緊張したようにきゅっと結んだ口元も、赤く染まった頬も。彼女がとびきり可愛くて優しくて素敵なだけの、ただの女の子だと認識した瞬間に、今まで平気だったのが信じられないくらい心臓の動悸が激しくなる。緊張が込み上げて顔が熱くなる。
「返事を、聞かせてよ」
ああ、賢い彼女はきっともう俺の返事が分かっている。なのに、彼女の優しさに甘えて、そんなことを問わせている自分の意気地の無さが嫌になる。
「………………ごめん」
俺の答えを聞いて、未来は一度ふう、と息を吐いてから、空を仰いだ。
「……んーん。いいよ。でもその代わり、飛鳥ちゃんのところに行ってあげて」
ここでいいよ、とベンチに座ったまま彼女は言った。
「ここから駅まですぐ近くだから、送ってくれなくても、全然大丈夫だし」
それより、こっちを向かないで。と言われ、俺は彼女が視界に入らないように反対側を見ていた。
「…………」
確かにこの辺の治安は良いが。
それでも今、未来を一人残していくのは抵抗があった。
その時、向こうから歩いてくる人影が見えた。
立ち位置的に未来からは見えていないだろう。
二人だ。近付いて来るにつれ、それが以前ここによく来ていた頃に顔見知りになった老夫婦だと気がつく。
並んで歩いていた二人は、入口付近でこちらに気づくと立ち止まった。
未来はやはり彼らには気がつかず、俺を横目に見ていた。
「…………誠は、やっぱり優しいけど。……今はちょっと、きついかな」
夫婦が俺に向けて、無言で頷いて見せているのが視界の端に見えて、俺は意を決して立ち上がる。
「……分かった。じゃあ、俺はもう行くわ」
未来は最後まで俺を見ずに、ベンチの正面の街灯を見つめながらぽつりと言った。
「飛鳥ちゃんと仲直りしたいなら、きちんと話し合うんだよ。そうすれば、絶対大丈夫だから」
俺が公園の入口にたたずむ夫婦とすれ違う時、いかにも好々爺といったじいさんの方が呟いた。
「……彼女を見ていればいいんじゃろ?」
未だこちらに背を向けてベンチに座ったままの未来の方を一瞬振り返った後、俺は頷く。
「すみません、駅までで大丈夫なんで……助かります」
頭を下げた俺に、よいよいと人生の大先輩は手を振った。
「なに、こういうときは我々年寄りに任せたまえ。だから君達は――存分に悩むんじゃよ」
「何があった?」
俺が公園から何とか柊の家までたどり着いてベルを鳴らすと、扉を開けた柊が俺を見るなり言った。
どうやら、今の俺は酷い顔をしていたらしかった。
「予定が入ってちょっと遅れるかもしれないとは聞いていたが……どうしたんだ一体」
「……」
何も言わない俺を見かねたのか、取り敢えず上がれよ、と柊に促されて扉を閉める。
居間まで彼に案内されながら、俺は回らない頭を必死に働かせた。
未来から、告白された。
彼らは勿論言いふらしたりはしないだろうが、それでも俺からこのことを軽々しく言うのは抵抗があった。
「うぃーっす、でござる」
「やあ」
先に来て居間でくつろいでいたらしき小田と橘が挨拶してきたが、俺を見るとすぐに顔色を変えた。
座布団から立ち上がりかけた2人を遮って、柊が俺に言った。
「せめて、誰と会ってたかだけでも話してくれるか?」
……それくらいは。
「……未来だよ、水瀬未来」
「……!」
柊はそれだけの情報で、納得したようにほっと息を吐いた。
「二人共、大丈夫だ。多分やばい話じゃない」
「そうでござるか?」
「あ、ああ。……まぁ、危ない話じゃなかったよ」
「……なるほどね」
橘も何かを察したように座り直した。
ほっと息を吐いて、自分の座る座布団を探す。
二人共流石のコミュ力であった、俺の聞いて欲しくないという思いを正確に汲み取ってくれたのだろう。
しかし俺達は、ここにはもう一人、およそ空気を読むということを知らない男がいたことを失念していた。
「え? あれ? もしかして二宮氏、水瀬氏に告白されたでござるか?」
「「「っ!」」」
橘と柊が小田の方をバッ! と振り返った。
俺は咄嗟に否定しようと思ったが、上手く言葉が出てこない。
「え、ちょ柊氏橘氏、痛い痛い痛い!」
二人から猛烈なデコピンラッシュを食らった小田は悲鳴を上げた。
柊と橘はこちらをそっと気遣うように見ていた。
どうやら、もう二人にはそこまで気づかれていたみたいだ。
俺は一つため息を吐いた。
「はぁ……分かってると思うが、誰にも言うなよ」
「ああ」
「勿論だよ」
「ぐへへ、それはどうでござるかね……って、冗談に決まってるでござろう! 拙者の口は堅いでござるよ、だから早く三人ともデコピンの構えを解くでござるぅ!」
ふざけながら、それでも俺の話を真剣に聞いてくれようとする彼らの存在が、今は心強く思えた。




