第38話 vs
二宮君と橘君の試合が今まさに始まろうとしている。
それを私、水瀬未来は眺めていた。
この試合の応援に行くか、随分迷った。
――だって、多分この試合は一方的なものになる。
隣で練習をしているからわかる。
バドミントンに関して、橘君は正真正銘の化け物だ。
フィジカル的にもメンタル的にも、高校生離れして研ぎ澄まされた彼のプレーは、女子の目から見ても並みの選手では相手にすらならないと理解出来る。
確かに、二宮君も準決勝に来るだけの実力があるのは、さっきの試合を見て分かったけど。
だとしても橘君とは埋められない大きな実力差があるように思えた。
橘君にはハンデもある、でもそんなことは余り役に立たないだろう。
だから、この試合はきっと二宮君の惨敗で終わる。
そんな試合を、彼は私に見て欲しくはないだろうと思った。
――でも、飛鳥ちゃんならきっと応援に行くとも思った。
そして、その飛鳥ちゃんは今は来れない。
結局、迷ったけれど私は応援に行くことにした。
私が行くと二宮君は嬉しそうにしてくれて、来て良かったと思った。
もっとも、飛鳥ちゃんは来れない、と私が言ったときに彼の顔に僅かに浮かんだがっかりした表情を私は見逃さなかった。
……まったく、ただの幼馴染だという二人の関係は、傍からはどう見てもそれ以上のものにしか見えない。お互いに、自分の気持ちに気づいているんだかどうなんだか。飛鳥ちゃんの方は、気づいていそうだけどね。
しかし、仮にも彼女が見に来たというのにがっかりした顔を見せるのはどうなのだろうか。
いや別に偽だからいいんだけどね。
二宮君に彼氏役を頼んだことは、結果として成功しているように思えた。
最初は思っていた効果は出なかったけれど、見た目をちゃんとしてもらったら一気に見違えた。
その結果告白もほとんどなくなって、本当に助かった。
……ただ二宮君が予想外にかっこよくなって、朝手を繋ぐときに今でも少しどきどきしているのは内緒だ。
――一瞬、これで良かったのかという考えが浮かんだが、慌てて振り切った。
実際そんな風にしなければ、限界だったのは間違いない。
仲の良い友達だった人が、突然自分を好きだと言ってくる。
だけど私にはまだ、好きという気持ちもよく分からなくて。
だからその告白を断ると、当たり前だけど悲しそうな顔をする。
そのたびに胸の奥が締め付けられた。
なら優しくしないでくれ、と言ってくる人もいる。
では、人に優しくしたことはいけないことだったのか。
分からない。
私はただ、周りの皆に笑顔でいて欲しいだけなのに。
益体もない考えがぐるぐると頭にまとわりつき、一時は危うく命を失いかけた。
二宮君に助けてもらわなかったら、私は死んでいたかもしれないのだ。
私がそんなことを考えながらも試合を見ていると、後ろから声がかかった。
「あ、未来先輩」
見ると、そこにいたのは男子バド部のマネージャーの灯里ちゃんだった。
男女は隣で練習しているから、何度か話したことがある。
今はちょうど昼休みだから、応援に来たのだろう。
私が歓迎すると、彼女は私の隣に腰を下ろす。
そして幾らか会話をすると、試合に集中し始めた。
……熱心な子だ。
私も改めて試合の様子を眺める。
例え見るに堪えない試合であっても、見届けなければならないだろう。そう思い、試合を見ていると、気づいた。
――二宮君が、押している?
確かに半分点数が入った状態で始まったわけだから、序盤に二宮君が点数的に勝っているのは当然だ。だけど、試合の展開的にも、やや二宮君が押しているように見える。
隣で見ていた灯里ちゃんがぼそりと呟いた。
「なんですか、あの二宮っていう人。……変なプレーばっかりして」
不満げな顔をした彼女だが、言いたいことは分かる。
二宮君は普通とは少し違う、奇策とも呼べるような手を使って橘君の裏を突いている。
橘君のプレースタイルは王道的な、正々堂々とも呼べるものだから、やりづらそうにしているのが傍目にも分かった。
私はバドミントンは相手の嫌なことをするスポーツだから、別にいいんじゃないかと思ったが、これは二宮君に情が移っているだけかもしれない。
しかし、そのままの流れで試合が終わるわけはなかった。
ここにいるのはこの県で一番のシングルスプレーヤー。
橘君は着実に奇策に対応し始めていた。
すると当然、地力で勝った彼が有利に立つ。
「ほら、やっぱり橘さんなんですよ! ちょっと頭を使ったところで、その程度です。……普通の人が勝てるわけがないんですよ」
小声でそんなことを言う灯里ちゃん。
彼女の声は誇らしげであったが、だけど同時に少し寂しそうでもあった。
確かに、橘君は強い。
――強過ぎて、この学校の部活には余り合っていない。
部内で彼の相手を出来るのは、三年生の先輩くらいだろう。
それでもこの夏で三年生は引退する。その後橘君が部長になったら、彼は孤立してしまうかもしれない。
勿論仲が悪いわけではないだろうが、いつも一人で朝練をしているらしいし。
マネージャーとしては、それが心配なんだろう。
二宮君の顔が次第に苦しそうに変わっていく。
体力的にも橘君とは随分差があるだろう。
それに今まで連戦だったのだ、疲れていないと思うほうがどうかしている。
それでも、
「あれ……?」
未だに点数差が、縮まらない。
いや、厳密には縮まってはいる。
だけどその速度では試合終了までに二宮君に追い付かないだろう。
つまり、このままいくと、勝つのは。
「……何なんですか、あの人。橘さんとどうして……」
そうささやいた灯里ちゃんの言葉はもっともだ。
――この試合が、事実上の決勝戦だろう。
彼らがこの球技大会、否恐らくはこの学年中で最も実力のある二人であることは、もう分かっていた。
だけどそれでも、二宮君は橘君とは違う。
動きに全然余裕がないし、多分最近は運動をろくにやっていなかったんだろう、体力の残っていない身体がふらふらとしているのが傍目にも分かった。誰にでも分かる。
策の尽きた彼はもう、今はただ力の限り、意志の限りに脚を動かしてるだけだと。
必死に食らいついてるのだ。
誰もがついていくのを諦めた、橘京介という怪物に。
「本当に何なんですか……!」
……中間テストに向けた勉強をしていた頃から、彼が努力家だということは知っていた。
それにその結果を見た後の態度から、隠そうとしているけど本当は負けず嫌いで、それに自分に厳しいことも知っていた。
――諦めない人だって、知っていた。
だけどこうして顔をしかめながらも尚も戦い続ける彼を見ていると、どうしてか涙が出そうになる。
また、二宮君が滑り込んだ。
そのフットワークは傍目に分かるくらいがたがたで、でもすぐに起き上がり、次の返球を待っている彼の眼は真剣そのもので。
今の彼を見ていると、何故か鼓動が早くなる。
胸の奥底に、もう途絶えたと思っていた熱が再び灯る。
何度でも立ち上がる彼の姿に、私はほとんど無意識に声を上げていた。
「……がんばれ、二宮君!」
同じクラス同士の試合だし、片方だけ応援するのはどうなのか、なんて考えは頭から消え去っていた。今の彼を黙って見ていることなんて、私には出来そうになくて。
だけどそれすらも、集中した二人には聞こえていないんだろう。
橘君はいつの間にか笑みを浮かべていた。
試合はもうすぐ終わる。
負けるかもしれないというのに、それでも彼は笑っている。
余裕というわけではないだろう。
でも、その気持ちは理解出来た。
だって彼にとって、好敵手の存在ほど喜ばしいものはないのだから。
そして、試合が終わる。
おそらくこの場の誰も予想していなかった結末で。
「……22-20。勝者、二宮さん」
呆然とした声でそう宣言した審判のもとに、選手の二人が寄っていく。
灯里ちゃんは彼らを見つめながら、体育座りのまま呟いた。
「ほんとに、なんなんですか。あの人……」
「二宮君は、私の彼氏だよ」
私がそう言っても驚かないところを見ると、灯里ちゃんはそのことは知っていたみたいだ。コートの方を見ながら言う。
「……あー、そういえばそんな話ありましたね。でも今は惚気はいいので。……あの人、部活とか入ってないんですかね?」
「んー、確かバド部だったと思うよ?」
「え、」
私が以前彼から聞いたような気がすると言うと、彼女はぐりんっと首を回転させてこちらを見てきた。
「それどういうことですか取り敢えず顧問に聞いてきていいですかというか今行ってきますね失礼します!」
私が止める間もなく灯里ちゃんはぴゅーと体育館から走り去ってしまった。もう昼休み終わるんだけど。
そうして一人になった私は、ゆっくりと息を吐く。
――それでも高鳴った胸の鼓動は、未だ収まってくれそうになかった。




