第36話 清算
第二体育館で行われる個人競技は、クラスへの得点が低めに設定されていることや団体競技に比べると盛り上がりに欠けることもあって、応援に来る者は少ない。
そんな第二体育館の端のコート。
そこには珍しく数人の観客が居た。
片側のコートの応援席に座るのは、明るめの茶髪を遊ばせた軽薄な見た目の男。
そしてもう片側には、バレーの試合を終えたばかりの見目麗しい2人の少女。
「いけー! 頑張れ二宮君!」
「……頑張れー」
水瀬だけでなく、飛鳥も小声だが応援してくれていた。
俺はなんとなく中学の頃を思い出しかけ、軽く頭を振った。
あの頃とは違う。
俺も、彼女も変わった。
俺は2人に向かって軽く頷き、コートの反対側を見た。
自前のラケットを持った東堂は、しゃがんで靴紐を結びながら、こちらを凝視していた。
……えぇ、なんすか。
俺は彼から視線を外し、審判がやって来るのを待った。
「おい」
そうしていると、痺れを切らしたのか東堂が話しかけてきた。
「お前、うちの高校だったんだな。……ちょっと待ってもらっていいか?」
東堂は俺に確認を取ると一度コートから出て、こちらに近づいて来る。何だ何だと緊張する俺を通りすぎ、足を止めたのはこちら側の応援席だった。
「あ、東堂君」
笑顔を見せる水瀬に、東堂は髪をかき上げながら言った。
「あのさ、この試合に俺が勝ったら聞いて欲しいことがあるんだけど、良いかな?」
「………え」
水瀬は大きな目を丸くして東堂を見て、その後に俺を見た。
すみません、役に立たない彼氏役で本当にすみません。
「……いいよ」
「ありがとう」
水瀬の答えに東堂は礼を言って、自分のコートに戻っていく。
その後水瀬は俺に向けてグッと両手を握った。何が何でも勝て、と言うことだろう。
その隣に座った飛鳥は不機嫌そうな顔をしているし、相手側の応援席の西城は俺の方を見て肩を竦めた。
東堂は、ただ俺をじっと見てくる。否、睨んでくると言った方が正確か。
「それでは、試合を始めます」
そしてようやく到着した審判が宣言し、試合が始まった。
パァンという音と共に、高く、シャトルが舞い上がる。
落ちてきたそれにタイミングを合わせて、膝を曲げて跳ぶ。
何度も練習した感覚に合わせて右腕を振る。
確かにミートした感覚があって、打ち出されたシャトルは東堂のコートに落ちた。
「試合終了! 勝者、二宮!」
……なんとか、勝てた。
俺は汗を拭うと、東堂と握手する為にコートの中央まで歩いた。
彼が経験者だというのは、恐らく本当だった。
彼のブランクがなければ、そして俺が練習して勘を戻しておかなければ、おそらく勝てなかっただろう。
薄く、息を吐く。
小田達のような誠実な努力を積み重ねてこなかった俺は、小細工をして、その場限りの技を使って、不器用に不格好に点数にしがみつくしかない。
嬉しそうにぱちぱち拍手を送ってくれる水瀬と、真剣な顔で俺を見ている飛鳥。
彼女は何を思って今の試合を見ていたのだろう。
先に審判への挨拶を済ませた俺は、未だ呆然とした顔でコートにへたり込んでいる東堂を見た。
「お前も、経験者だったのか……でも、二宮なんて奴、ここらで見たことなかったぞ」
「俺、引越して来たから」
俺は小学校に入ってすぐに、少年団でバドミントンを始めた。
元々運動は苦手ではなく、それなりに上手くやっていた。
中学では色々あったが、それでも三年の夏までやり通した。
だけどそれからつい一週間まではラケットに触ることすらなかったから、技術も体力もかつてに比べるべくもない。恐らく二年前の自分と試合をしたなら、半分も点数を取れずに終わるだろう。
俺の言葉を聞いて項垂れた東堂は、しかしバッと顔を上げた。正確には、俺を挟んで奥に座る水瀬を見た。そしてそのまま声を上げる。
「試合には勝てなかったけど、それでも俺は水瀬さんに言いたいことがある! それは……!」
「あのさ、実は俺からもお前に一つ言いたいことがあるんだ」
俺が東堂の言葉を遮って言うと、東堂は俺を怪訝な目で見つめた。
こいつを止めなければならない、それは分かっている。だけど睨んでくるから緊張して上手く頭が働かない。
テンパった俺は水瀬の方を指さして、ただ頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。
「あれ、俺の彼女だから。俺の女に手出さないでくれる?」
「……!」
……うわー。なんだこいつ誰だよ、俺です(自問自答)。
しかし呆然とぱくぱく口を開閉する東堂のその反応。
やはりというか、水瀬に告白しようとしていたみたいだ。
水瀬はこれを避ける為に俺に彼氏役なんて頼むほどだ。
もし告白を通していたら、また彼女は心を傷つける結果になっていただろう。
……水瀬が振ること前提で話しているが、反応を見るにそこは間違いないはずだ。
俺はこいつを止められてよかったと思うと同時、馬鹿なことを口走った自分に頬が熱くなるのを感じた。
水瀬の反応を見るのは怖かったが、恐る恐る応援席の方を振り返ると、
「……ぅ~っ」
「……」
案の定、水瀬は顔を俯かせて何やら唸っているし、飛鳥に至っては分かりやすく不機嫌そうに俺を睨んでいた。
いやもう本当にごめんなさい。
その後、失意の只中の様子の東堂と握手を交わし、俺は応援席まで戻った。
向こう側ではとぼとぼと歩く東堂の肩を西城が軽く叩き、2人でコートから去っていくのが見えた。
近づいてきた俺に、まず飛鳥が声を掛けてくる。
「お疲れ様。随分余裕だったみたいね」
「いや、そんなことないぞ。かなりギリギリだった」
「私もそう思っていたけれど。……最後にあんなこと言えるくらいだもの。余裕に決まっているわよね」
じとっとした目で見てくる彼女からたまらず目を逸らす。
「あれは咄嗟だったからしょうがないだろ……。水瀬もそう思うよな?」
「うぅ……あんなこと言われたの初めて……でもああいうのも悪くないっていうか……いやいや、でも……」
「水瀬?」
何やら下を向いてぶつぶつ言っていた水瀬に俺が声を掛けると、水瀬はびくっと肩を跳ねさせてこちらを見た。
「はっ、はい! 何でしょうか二宮君!?」
「あれは咄嗟だったからしょうがないよなって話」
「あ……うんうん! あれはしょうがないよ! しょうがなすぎる! 生姜な! ……て言うかお腹空いた! 生姜焼き食べたい!」
異次元の着地を見せた水瀬の言葉に、飛鳥はため息を吐いた。
「……はぁ。まぁこの子がこんな風なら心配は要らないのかしら。……それで、お腹が空いたのね? 確かにもうすぐ昼食の時間ね。貴方はこれからどうするの?」
「次は多分昼休みぐらいだから、先に食べとくつもりだ」
球技大会はその性質上、どう予定を組んでも時間がずれ込む。その為授業時間を無視して行われ、休み時間に試合が行われることもままある。
しかし一応昼食の時間を確保しようとする意識はあるのか、昼休みに試合が入ることは少ないいのだが、俺は運悪くそこに試合が入っていた。
ふむ、と腕を組む飛鳥。
「その時間だと、丁度バスケの試合がやっているわね。バレーの方もギリギリだと思うから、応援には行けないかも」
「いいよ、別に。来なくて」
その時、トーナメント表を眺めていた水瀬が声を上げた。
「え!? もう次は準決勝なんだ!?」
「まぁ個人競技は人数少ないし。そうなるわな」
「へぇ、どれどれ、相手は〜? ……って、これ……」
気付いた水瀬が思わず声を失う。水瀬の様子を見た飛鳥もトーナメントを確認し、ああ、と呟いた。
「彼なのね」
俺は黙って頷いた。
いずれ当たるのは避けられないとは思っていたが、出来れば決勝で当たりたかった。
経験者も経験者、現役バドミントン部の圧倒的エース。
この進学校に紛れ込んだ、バドミントン狂いの異端児。
全国にも手が届くと言われる化け物であり、そして俺の数少ない友達でもある。
――次の相手は、橘圭介。




