第3話 夕日に染まる教室で
翌朝。
俺は死にそうな気分で登校していた。
理由は言わずもがな、水瀬と会うことになるからだ。
昨日はあれからトラックから運転手が降りてきて水瀬に土下座し始めた段階で、俺は急いでその場を後にした。
だけど今日は逃れるわけにはいかないだろう。
「ぜってぇ怒ってるよな……」
俺は水瀬を抱きしめたのである。しかも思い切り。
さらに不味いことに助けた後脱力していた俺は、怒りの為か顔を赤くした水瀬に「あの、ごめん、そろそろ……」と言われるまで水瀬を抱きしめ続けていた。
もちろん命の危機だったわけだし、水瀬なら分かってくれそうではある。
とは言え、それはそれ。
知らない男に抱きしめられるのは不快だっただろうし、加えてすぐに離さなかったのは致命的だ。まるでやましい考えがあったかのようである。
そもそも、俺が飛び出さなくても水瀬は自分で気づいてなんとかしてたんじゃないのか、とか。
俺が何かするにしたって、声を上げるくらいで良かったんじゃないか、とか。
そんなことを考え始めると俺はもう限界だった。
昨日は帰ってから速攻布団の中で発狂しながら猛省した。
お陰で早く寝てしまい、今日は朝から登校している。
ガラリと扉を開け、教室に入る。
今日は遅刻でもないので、入って来た俺に視線が集まるということもない。
俺がさり気ない素振りで探すと、水瀬は既に教室にいた。
彼女は入って来た俺に気づき、一旦俺の方を見たがスッと目を逸らした。
あれ? これはもしかすると許されたのだろうか。
俺はほっと息を吐きながら、今日も今日とて寝たふりを開始した。
「んん……?」
俺が目を覚ますと、そこは夕暮れの教室だった。
頭を捻ると、六限の授業中意味不明ダナーと考えていたところで記憶が途絶えていた。
どうやら、そのまま眠っていたらしい。
誰か起こしてくれよと思ったが、まぁそんな友達もいないからしょうがないなと一人で納得し、俺は寝ぼけ眼を擦った。
そして座ったまま大きく伸びをし、そこでようやく、目の前の席に座っている女の子に気づいた。
「ふふっ、おはよう」
伸びをした姿勢のまま固まる俺。
目の前にいるのは、うちのクラスのアイドル。
いつもは子供のように笑っているが、今は大人びた笑みを浮かべた彼女にドキリとした。
夕日に照らされて赤くなった彼女は、固まったままの俺を見ておかしそうに笑った。
「随分気持ちのよさそうな伸びだね。私もやってみよっかな」
言って、んーっと伸びをする水瀬。いやあの、そういう無防備なことされると強調される部分があれであれなんでやめて下さい……。
俺が彼女からさりげなく目を逸らしているうちに伸びを終えた水瀬は、俺の方を向いて言った。
「あの、昨日のことなんだけど」
「ちょっと待て、俺のことずっと待ってたのか?」
時計を見ると、今日の授業が終わってもうしばらく経っている。
「あー、うん。まぁ」
「……悪かったな」
俺の言葉に、水瀬は首を振った。
「んーん全然。起こしちゃ悪いかなと思って。……それにしても、昨日は気づいたらいなくなっててびっくりしちゃった。ちゃんとお礼言いたかったのに」
だったら、彼女が朝話しかけてこなかったのはどうしてだろう。
俺が考えていると、水瀬の次の言葉で納得した。
「だけど、助けたのが自分だって知られたくなかったのかと思って。だから皆いなくなる放課後まで待ってたんだけど」
「……ああ」
昨日俺がいなくなったのを、水瀬はそんな風に解釈したみたいだ。
実際は冷静になった水瀬に通報されるんじゃないかと怖かっただけなんだが。
だが休み時間に俺が水瀬に話しかけられるなんてことになれば、注目は避けられなかっただろう。だからその気遣いは素直に助かった。
俺がそう思いつつ水瀬を見ると、彼女は真剣な顔で深く頭を下げた。
「本当にありがとう。あなたは命の恩人です」
そんな彼女の様子に少し焦る。
「いや、別にあの状況なら誰でも助けるだろ。当たり前のことをしただけだ」
「……そんなことないよ。だって、助けに行く方も危ないもん、普通は出来ないよ。……私ね、トラックがこっちに突っ込んでくるのが見えて、ああ私もう死ぬんだなって、あっけなかったなって、思ってたの。だけど、二宮君が助けに来てくれて、私、ほんとに……」
話していてその時の恐怖が思い出されたのか、途中から水瀬は言葉に詰まり肩を震わせた。
俺はかなり迷ったが、恐る恐る目の前の水瀬の小さな背中に触れた。
びくっとした水瀬に、俺は極力穏やかな声で語りかけながら背中をさすった。
「大丈夫、大丈夫だ……」
しばらくそうしていると、水瀬の震えは次第に小さくなった。
水瀬がもう大丈夫というので俺は手を離し、そこで我に返る。
俺は小さな頃、よく母さんにああしてもらって泣き止んだらしい。
目の前の水瀬が小さな子供のように見えて、思わずやってしまった。
俺がまたやらかしたかと内心冷や汗を垂らしてると、水瀬はこちらを見てくすりと笑った。
「……二宮君って、不思議な人だね。ぶっきらぼうなのに、変に優しいし」
「ごめんなさい心の底から反省していますし二度とやりませんからSNSでネタにして拡散するのはやめて下さい」
「そんなことしないよ!? 私を気遣ってやってくれたんだろうし!」
ぶんぶんと手を横に振る水瀬は、こほんと話を戻すように咳払いした。
「それで、何か助けてくれたお礼がしたいんだけど」
「俺が助けたかったから助けた。ただの自己満足だから礼なんていらないぞ。……もし、気になるって言うんなら、後で飲み物でも奢ってくれたらいい」
俺は最初固辞しようとしたが、水瀬が口を挟みかけたので慌てて言葉を付け加えた。すると彼女は未だ納得していないようではあったが、頷いた。
「……分かった。取り敢えずそれは確定だね。それじゃ行こうか」
「え、どこに?」
「私のよく喫茶店があるんだ! そこで飲み物を奢らせてもらうよ!」
……この場だけ適当に誤魔化して、本当に奢ってもらうつもりなんてなかったのだが。
抵抗したが、結局水瀬に流され2人でカフェに行くことになった。




