第2話 全ての始まり
その日の放課後。
俺は職員室に呼び出されていた。
目の前にはジャージを着た女性。
担任である彼女は伸びた髪を鬱陶しそうにしながら、気だるげに座っている。
彼女は一つため息を吐くと、こちらにじろりと視線を向けた。
「はぁ……。お前な、今日も遅刻届出さなかっただろ。……なんか困ってることあったら言えよ?」
「すみません。次から気をつけます」
俺が言うと、担任はそれ以上何も言ってこなかった。
俺は一度頭を下げて職員室を出る。
学校を出た俺は、駅前の本屋に来ていた。
顔馴染みの店員に会釈して、漫画やラノベの新刊の棚を眺める。
今日は何を買おうか。
最近はこういう本を読むことが増えた。
読んでいる間だけは、つまらない現実を忘れられるから。
結局目に留まったものを何冊か購入し、近くの公園に寄った。
ここは駅前から少し脇に入ったところにあり、高校生が余りいないことから俺は愛用していた。
入口付近には二組のベンチがあり、その一組には顔馴染みの老夫婦が座っていた。彼らは俺に気づくと微笑んで手を振ってくれる。俺も自然と笑顔で軽く頭を下げた。
それだけの関係だが、この距離感がちょうどいいのかもしれない。そんなことを考えつつ、俺は早速買った本を読み始める。
春の公園は暖かく、平日のまだ早い時間ということで人も多くない。
今日の読書は捗りそうだ。
そこで二時間も過ごしただろうか。
陽が沈み始め、俺は読み終えた本をパタンと閉じた。
おもちろかったよぉ~。
心地よい読了感に俺は大きなため息を一つ吐いて、立ち上がる。そろそろ帰ろうか。
辺りを見渡すといつの間にか先ほどの老夫婦もいなくなり、周りには人気がほとんどなかった。
俺の目に入るところだと、向こうにサッカーをしている数人の小学生と、それと近くのブランコに一人中学生くらいの女の子が座っているだけだ。
……ん?
こちらに背を向けて立ち上がり、入口へと歩くその子の制服を俺は二度見して固まった。
「……おーまいがー」
あれうちの高校の制服やん。
俺はあわわと口元を押さえた。
最悪だ。
ここも安息の地では無かったのか。
放課後まで居心地の悪い教室のことを思い出したくない。
俺がもうここに来るのも最後か……と立ったまま遠い目をして黄昏ていると、女の子はもう公園を出て向こうの横断歩道で信号を待っている。
しかも帰り道同じ方向かよ。
俺はこのまま出ると彼女に追い付いてしまいそうだったので、彼女の様子を確認しながらゆっくりと公園を出る。
それにしても。
彼女の顔はここからじゃ見えないが、肩を落とし落ち込んでいるように見えた。
どうかしたのだろうか、と一瞬考えたが。
しかし、まぁ俺の気にすることじゃないよなと思い返す。
そのうちに信号が変わり、彼女は何か考え事をしていたのか、信号機から流れるアナウンスの声に弾かれたように顔を上げて歩き出す。
――横から突っ込んでくる、トラックに気づかぬまま。
瞬間、俺は荷物を放り出して走り出していた。
無論彼女に向かって。
――はっきり言って、俺は別に善人でも何でもない普通の人間だ。ここで助けるのが当たり前だなんて、そんなキレイゴトを言うつもりはない。
しかし普通の人間だからこそ、気分次第で行動なんてコロコロ変わる。
イライラしてる時は家族にだって八つ当たりするし、気分が良ければ知らない人にも親切にしたくなる。
だからまぁ、この時はたまたま、彼女を助けるべきだと思ってしまったのだ。
俺は時間の流れをやたら遅く感じていた。
スローモーションだ。ゲームで集中している時に感じるのと同じ感覚。
身体の動きは遅いまま、思考だけが加速する。
女の子はまだ気づいていないみたいだった。
今から走って間に合うのかという軽いパニックと、それでも見て見ぬふりをするのは後で後悔しそうだって思う謎の使命感と、それに今の自分への罪悪感みたいなものも混じったぐちゃぐちゃな頭の中。
彼女はようやく気付いたのか、向かってくるトラックを見て固まった。
くそっ。間に合え、間に合えよ!
「あああああああああああああああああ!!」
一歩を踏み出す自分の足が致命的に遅く感じ、堪らず叫び声を上げる。
亀のようにのろまな足で地面を蹴飛ばして、俺はようやく彼女のもとにたどり着く。
そして遮二無二彼女を抱きしめ、思いっきり横に跳んだ。
――一瞬後、トラックがギャギャギャギャッッ!! と凄い音を立てて、倒れ込んだ俺達のすぐ横を通過していった。
……助かった。俺は未だ破けそうなほど打ちつける鼓動を抑えながら、腕の中の彼女に怪我がないか確認しようと思い、そこで初めて彼女の顔を見て――言葉を失った。
さらさらと俺の腕にかかる肩口までの綺麗な髪。
長いまつ毛に、ぱっちりとした大きな目。
まごうことなき美少女である。が、俺が驚いたのはそこではない。
「……ぁぁ……あれ……私、生きてるの……?」
俺の腕の中で未だガタガタと身を震わせている、その顔に未だあどけなさを残した彼女には見覚えがあった。というかクラスメイトだった。
「水瀬、か……」
知り合いだった驚きと、とにかく無事でよかったという気持ちが溢れ、一気に力が抜けた。