第20話 君がそこにいるから
あれから。
いつのまにか授業は終わり、俺は放課後の教室に居た。
ここに残っていたってやることもないので、いつもなら速攻で帰っているところだが。
……なんとなく、ぼーっと机に突っ伏していた。
クラスの奴らは授業が終わるといつの間にか居なくなっていた。きっと今頃は開放感に溢れ、部活に行ったり友達と遊んだりしているのだろう。
……放課後になっても、水瀬はこちらを心配そうに見ていたが、やがて教室からいなくなっていた。
それでいい。
今は彼女に合わせる顔がなかった。
机に突っ伏して暫く経った。
とうとう教室には俺以外、誰もいなくなったようだ。
ちらと顔を上げても、目の前にあるのは空っぽの机だけ。
窓の外から聞こえてくる運動部の掛け声や吹奏楽部の楽器の音が、自分とはほど遠いもののように思えて。
……。
そして。
「――そんな顔して、どうしたの?」
声が、した。
…………。
小さな頃から、ずっと聞き慣れてきた声だ。
ゆっくりと、背後を振り返る。
そこに。
いつもと変わらない落ち着いた表情で、前川飛鳥は立っていた。
「……何って。いつも通り、寝る為のベストなポジションを探してるだけだぞ」
「もう放課後なのに?」
「……なんか、今日はだるくてな」
「いつもはどんな時でも、急いで帰っているのに?」
「こんな日もあるわな。人間だもの」
「掲示板」
息が止まった。
「貴方の名前、無かったわね」
「……まぁ、しょうがねぇよな。今までサボってた奴が一週間ちょっと勉強したからって、そう上手く行く訳がない」
席を立つと、椅子がガタリと耳障りな音を立てる。
「んじゃ、俺は帰るわ」
彼女に挨拶し、そのまま教室を後にしようとした時、飛鳥が声を掛けてきた。
「鞄、忘れてるわよ」
「……」
俺は無言で席まで戻った。
飛鳥は俺の鞄を持って立っていた。
「……さんきゅ」
そう礼を言って鞄を受け取ろうとしたが、飛鳥は鞄から手を離そうとしなかった。
「……悔しくないの?」
「ッ!」
頭が真っ白になるのが分かった。
気付けば、言葉を吐き出していた。
「……悔しいかって!? 悔しいに決まってるじゃねぇか!」
俺の突然の大声に、飛鳥の華奢な肩がぴくりと震えた。
「俺は、勉強した! この一週間は、今までで1番真剣に勉強した! その結果が、これだ! お前にも、水瀬にも、担任にもたくさん迷惑かけたし、でもきっといい結果が出せるって、ひょっとしたら、俺は変われたんじゃないかって思ってた!」
なんとなくぼーっとしていた?
そんな訳無い。
本当はずっと後悔と自責の感情が溢れて、席を立てなかっただけだ。
「でも現実は、これだ! 俺は、馬鹿だった。何も、分かっちゃいなかった。くそっ、かっこ悪すぎだろ、俺…」
呆れていた。
身の程知らずの夢を見ていた自分に。
飛鳥に感情のままに言葉をぶつける自分に。
暫くすると、段々と沸騰していた頭が冷えてきて、どうしようもない感情だけが残った。
「お前も、分かりきったことを聞くんじゃねぇよ」
ひたすらに、惨めだった。
俺の心の一番柔らかい部分から、情けない言葉ばかりが溢れてくる。
彼女に伝えたい言葉は、こんなものじゃなかったはずなのに。
「もっと本気になれたはずだった。怠け癖は肝心なところで、必ず俺の邪魔をした! こんなはずじゃなかったのに!」
彼女だけには絶対に見せたく無かった、どうしようもなく醜い本心まで、口から零れ落ちる。
「結局さ。今だって、中学の時だって、俺がもっと上手くやれてれば、皆の期待に応えられれば、全部上手く行ってたはずだったんだ。お前も、こんな遠い高校に来る羽目にはならずに済んだんだ」
何故彼女が県を跨いでまで、この高校に来たのか。
その理由に触れるのが、どうしようもなく怖かった。
俺のせいで、大切な幼馴染の人生を歪めてしまったんじゃないかって思うと、どうしようもなく恐ろしかった。
飛鳥は俺の自虐とも八つ当たりともつかない醜悪な叫びを、ただ黙って聞いていた。
そして、静かに口を開いた。
「……それは、違うわ。貴方はこの一週間、恐らくこの学校の誰よりも勉強していた。それは私と未来が保証するわ」
「…………はっ! じゃあ俺は誰よりも勉強したくせに、結果を残せないゴミってことか」
「私が言いたいのはそんなことじゃない。貴方の結果が奮わなかったのは、1週間じゃどうしようもないくらいに、貴方の勉強が遅れていただけじゃない」
彼女の真実を射抜いた発言に、言葉が詰まる。
「……それは、それはそうだとしても! 俺は、お前達の期待に応えたかった! 良い結果を出して、それで少しはお前達にに胸を張れるようになりたかった……」
飛鳥は静かに左右に首を振り。
そしてゆっくりと、言葉を選ぶように言った。
「私も、未来も、担任も、良い結果を残したかどうかで貴方を判断したりしない。貴方の頑張りはちゃんと見ていたから。だから、私達のことは大丈夫よ。少なくとも私は、貴方がまた何かに一生懸命になっているところが見れて、本当に良かったと思ってる」
それに、と彼女は続けようとして、一瞬言い淀んでから、再び口を開いた。
「……それに、努力している人に女の子はそこそこ好感を抱くものよ」
そう言って彼女にしては珍しく、悪戯っぽく笑った。
俺は毒気を抜かれ、ため息を吐くと教室の壁に寄り掛かった。
……本当に、彼女には勝てる気がしない。
「……飛鳥」
「何?」
「……怒鳴ったりして、悪かった」
「ああ、あれ怒鳴ってたの。子供の癇癪だと思って気にも留めなかったわ」
そう言って涼しげに笑った彼女は、しかしすっと真面目な表情に戻った。
「それで? これからどうするの?」
彼女の言葉を受け止めて、考えた。
本気で勉強して、それでも結果は出なかった。
勉強は、俺には向いてないのかもな。
他に何か、もっと才能があって、やってて楽しいものを探すべきだ。
そんな言葉が胸に浮かんできた。
――今に至っても楽な方向に逃げようとする自分に呆れる。
いや。
もう呆れたりはしない。
これが、俺なんだ。
それを受け入れた上で、自分の中でもう答えは出ていた。
「ぜっってぇ、次のテストは成功させる」
俺の安っぽくてなんの拘束力も持たない言葉を聞いて、彼女はにっこりと笑った。
それは幼い頃の彼女のような、花が咲いたような純真な笑顔だった。
ああ、お前は俺のことを信用し過ぎだ。
「言ったわね、約束よ」
そうして、俺の初めて本気で取り組んだ試験は終わった。
「それじゃ、行きましょうか」
「おう、帰るか」
「違うわよ。打ち上げに行くのよ」
「え? 打ち上げ?」
「中間の打ち上げ。参加者はクラスの皆。駅前のカラオケ」
「ああ、じゃあお前1人で行ってこいよ。俺が行っても、微妙な空気になるだけだけだろ」
気を遣わせないように出来るだけ明るい調子でそう言うと、彼女は少しむっとした表情すると、何故かその場でどこかへ電話を掛け始めた。
すぐに繋がったようで、何事か喋るとちらにスマホを渡してきた。
替われ、と言うことらしい。
「もしもし」
電話の向こうはがやがやと賑やかだった。
「あー! もしもし! 二宮か! 俺だ! 橘だ! 皆待ってるから、早く来い! 以上!」
いつも爽やかな声が、今日は少し乱れていた。それだけ盛り上がっているんだろう。
私も替わって、という声が電話越しに聞こえ、続け様に底抜けに明るい声が聞こえてきた。
「二宮君! 待ってるからね! 早く来ようね! これは勉強会の打ち上げも兼ねてるんだからね!」
そこでブツっと通話が切れた。
…………。
飛鳥は俺の方をしてやったりという表情で見てくる。
「それで? 俺が行ったら何だって?」
「……」
他に上手い言い訳が思いつかず、結局俺と飛鳥は打ち上げに行くことになった。
会場のカラオケに到着し、店の扉を開ける直前に飛鳥が言った。
「私がこの学校に来た理由は、進学の為よ。貴方の為に来ただなんて勘違いしないで頂戴」
「……分かった。変な勘違いして悪かっ……」
「だけど」
前方で扉を掴んでいる飛鳥の表情は、見えない。
「もし仮に、貴方の為だったとしても、それを私が後悔しているなんてことは無いわ……むしろ、こうして貴方と一緒にいられて良かったと思ってる」
「え?」
「ほら、早く入るわよ」
予想外の言葉に戸惑っているうちに、飛鳥はさっさと中に入ってしまい、慌てて彼女の後を追った。




